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CASE:022-3 八尺様

東京怪異捜査録 − 警視庁特対室CASE:XXX −

3-1 顕現


 その夜は、空気の質そのものが違っていた。検証結果を確信に変えるための夜。灯里の自宅に設けられた簡易の陣。新聞紙で窓という窓を封じ、四隅の盛り塩が湿気を帯びて鈍く白く光っている。貼られた結界符が、時折ぱち、と火花めいた音を立てた。外気は秋めいて冷たいはずなのに、部屋の中は湿度だけが異様に濃い。息を吸うごとに、肺の奥に見えない水膜が張りつくような圧迫感があった。


 外では透真はファイルを閉じ、ふと灯里に視線を送る。

「──久世さん、頼めますか」

 声が低く、張り詰めていた。しかし彼の眼差しには、ひとつの『別の』疑念──いや、仮説が宿っていた。


 灯里は頷く。指先で空間に触れ、低く息を吐いた。

 彼女の『境界』が開くたび、空気が一瞬だけ裏返る。耳鳴りに似た高周波が全員の鼓膜を撫で、床下から冷気が這い上がってきた。

「──境界を、剥がすわ」

 その言葉と共に、見えない膜が裂かれる。


 次の瞬間だった。

 それはそこに「現れた」のではない。最初から在ったものが、覆いを取り払われたかのように露わになった。透真が捉えていた八尺様が『在る』情報レイヤー。それと現実の情報レイヤーとの境を、灯里の恩寵『境界』で剥がしたのだ。


 白。

 鍔の広い帽子が月光を受けて浮かび上がる。

 黒。

 腰のあたりまで垂れ落ちる、重たげな直毛の髪。

 白。

 膝下まで続く、ワンピースの布地。


 細い柱のような足。

 異様に引き延ばされた胴。

 窓の桟よりはるかに高く、天井に届くかのような「長さ」。


 雷蔵は無意識に拳を握り、蜘手は霊糸を指先に揺らめかせる。だが誰一人、動きはしなかった。沈黙を破ったのは、透真だった。

「……見えましたね。全員、確認を」

 雷蔵が唸るように吐く。

「ああ、白い帽子に白い服、そして長ぇ黒髪だ」

 蜘手も苦々しい表情で頷いた。

「俺にも視えてるよ。教科書通りの、いや、ネットに出回ってるそのまんまの八尺様、だな」

 灯里は静かに息を呑み、しかし表情は変えぬまま囁いた。

「間違いなく、八尺様の姿ね」

 透真だけが、目を細める。

「……やはり」

 そこに立っているそれは、まぎれもなく語られる八尺様の姿だった。白い鍔広帽子、黒髪、白ワンピース──誰もが目にするイメージ。


 しかし。

 あちら側を剥き出しにして視えるようにしたのなら、当然こちら側にも気づくはずなのに、『女』は動かなかった。首を巡らせることもなく、ただ窓辺に立ち尽くしている。

 ぽ……ぽ、ぽ……。

 かすかな声だけが、間を置いて流れ込んでくる。



3-2 侵入


 午前零時を少し回ったころだった。

 美優は布団の上に胡座をかき、浅い呼吸を繰り返していた。二晩続けてほとんど眠れぬまま、心身の疲労は限界に達していた。瞼の裏に残像が焼き付き、耳の奥にはまだ「ぽ……ぽ……」の残響がこびりついている。


 意識がゆるむ。頭がぐらりと傾ぐ──瞬間、強烈な落下感が襲った。ビクリと全身が痙攣し、跳ね上がる。

「……っ!」

 ジャーキング現象。夢と覚醒の境で、体が勝手にはねる。美優は荒く息をつきながら上体を起こした。額に冷たい汗がにじむ。

「……やば……寝ちゃってた」

 無意識のうちに眠りに落ちていたらしい。目を擦り、足を動かしたとき、ざらりと嫌な感触がした。


 足元に視線が移る──盛り塩が崩れていた。白い粒が円形から崩れ落ち、畳に散らばっている。

「あ、ヤバ……」

 言葉を吐き出した直後だった。ぴしり、と。張り詰めたガラスにひびが走るような音が、室内を裂いた。次の瞬間、窓一面が鼓膜を掻きむしる高音とともに粉砕された。新聞紙が破れ、ガラスの破片が夜気を巻き込んで飛散する。


 その破れ目から──『女』は、音もなく滑り込んできた。

 白い鍔広帽子が揺れ、月光を弾いて異様に浮かび上がる。黒髪が裂けるように広がり、畳を撫でて室内に入り込む。白いワンピースの裾は、水底に漂う布のようにゆるやかに広がり、しかし裾先だけは細かく揺れていた。


 その背丈は常軌を逸している。窓枠を越えてなお伸び、天井に届かんばかりの長さ──。それは高いのではなく、存在そのものが引き延ばされたかのような、不自然な縦の歪みだった。


 『女』は動かない。ただ、布と髪とが夜気の中でわずかに蠢くだけ。静止画のようでありながら、視線を逸らそうとすれば必ずこちらを向いている、と気づいてしまう。その「視線」に射抜かれた瞬間、美優の背筋を氷柱が這い登った。息が喉の奥で凍りつき、声にならない吐息が震える。


「……ッ、うわ……!」

 叫んだのか、掠れた呻きなのか、自分でもわからなかった。布団を蹴飛ばし、畳の上を後ずさる。足裏にガラス破片が食い込み、鋭い痛みが現実感を取り戻させる。外の木陰から監視していた蜘手が、異変を察して飛び出す。

「おい、美優くん、何やった!?」

 反射的に弾いた指から、見えざる糸が無数の光の筋となって走る。『操糸』。蜘手の霊糸は獲物を捕らえ、精神ごと縫い留めるはずだった。しかし──。


「……なに?」

 糸は確かに『女』の体を貫いた。だが、縛れない。

 空気に触れているのと変わらず、抵抗なくすり抜けてしまう。

「精神が──無い?」

 蜘手の細い目が見開かれる。


 部屋の中では、美優が転げるように立ち上がり、襖に向かって走る。

「逃げ──っ!」

 両手で襖を掴み、全身の力で引いた。

 開かない。板が軋む音はするのに、わずかにもしならない。内側から釘で打ち付けられたかのように、びくともしなかった。

「……嘘でしょ、なんで──!」

 必死に力を込めても、襖はぴたりと閉ざされたまま。背後からは「ぽ……ぽ……」の湿った声が、着実に距離を詰めてくる。白い布の裾が畳を擦り、黒髪が床に滴り落ちる。『女』は音もなく手を伸ばし、その影が美優の背を覆った。



3-3 雷獄


(そうだ、襖を分解──っ、間に合うか!?)

 『女』の長い腕が、美優の肩へと伸びる。その指先は氷のように白く、しかし爪先だけが墨のように黒ずみ、畳の目をなぞるように迫ってきていた。背後の気配に、呼吸すら奪われる。


 その瞬間、窓辺に轟音が落ちた。

「──雷獄ッ!」

 稲妻が影を裂き、室内を白く灼き尽くした。雷蔵が駆けつけたのだ。裸足が畳を砕き、全身を電流に包んで飛び込む。『女』の身体を直撃した雷は、爆ぜる光とともに女の輪郭を吹き飛ばした。


 空気が焼け、鼻を突くオゾン臭が立ち込める。その余波に巻き込まれ、美優の体も壁際へと弾き飛ばされていた。

「ぎゃあっ!」

 畳を滑り、肩を打ちつける。白と青と赤に灼けた視界がちかちかと揺れ、耳には未だ雷鳴の残響が木霊していた。畳のあちらこちらから小さい火の手が燻りはじめる。雷蔵は荒い息を吐きながら、八尺様の残骸らしき影を睨み据える。

「このままやっちまうか!? その場しのぎにはなるかもしれん! 久世、プランB! 符で完全封鎖しろ!」

 だがすぐ傍らで、透真が叫んだ。

「いえ! 待ってください!」

 その声は鋭く、雷鳴を断ち切るほどに響いた。雷蔵が驚きに眉をひそめる。ふらつきながら、美優が壁伝いに立ち上がろうとする。膝が笑い、呼吸は掠れ、視界はまだ閃光で霞んでいる。それでも耳に届いた透真の声が、彼女の意識を引き戻した。


「南雲!」

 透真の目は、再び立ち上がろうとする『女』を射抜いている。

 白い鍔広帽子。

 黒い髪。

 白いワンピース。

 吹き飛ばされたはずなのに、姿は崩れず、また元の形を保とうとしていた。

「南雲!『分解』だ!」

 透真の声が、鋼を打つように響く。

「白の綿平織りの鍔広帽子! 黒い人毛! 白の綿ローンのワンピース! その『部品』を分解しろ!」


 美優の視線が震える。部品? 透真先輩は──何を言っている?

 だが、その真剣な声が嘘でないことだけは伝わった。


「そいつは──『八尺様じゃない』!」

 叫びは夜を切り裂き、室内に残る静寂に叩き込まれた。



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