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CASE:019-3 誰も見ていない

東京怪異捜査録 − 警視庁特対室CASE:XXX −

3-1. 予兆


「……見てください、これ」

 美優の声が静まり返った特対室の空気を切り裂いた。彼女は手元のタブレットをテーブルの中央に置き、指でゆっくりと画面をスクロールした。全員の視線がそこに集中する。匿名掲示板の画面には、赤黒く染まった奇妙な図版が表示されていた。禍々しい線と記号が交錯したその図は、現場写真で見た魔法陣そのものだった。下部には短い文章が添えられている。

『次の満月に備えよ──心臓と声を、もう一度』

 灯里は眉間に皺を寄せ、目を凝らした。

「間違いないわ、現場のものと完全に一致してる」

 透真は手元の資料を繰り返し確認し、ゆっくりと頷く。

「以前、この写真は陰山も入手していた。愉快犯か、事件関係者が流しているか、それとも挑発なのか……」

 蜘手が肩をすくめる。

「予告犯にしろ愉快犯にしろ、いずれにせよ、警察を舐めてるのは確かだな」

 雷蔵は深々と息を吐き、壁際の椅子に座り込みながら天井を見上げた。

「次の満月まで時間はねぇ。何かが起きるまでに片付けなきゃなんねぇな」

 彼の言葉は、室内の空気を重くした。沈黙が続く中、美優はもう一度画面を見つめた。掲示板には新たなコメントが次々と投稿されているが、どれも悪ふざけにしか見えない。


『心臓を抜き取った死者は夜に歩く』

『もうすぐ、声も奪われるだろう』


 美優はため息をつき、画面を閉じた。

「こんなくだらないノイズが事件の情報を隠していると思うと、イラッとしますね……」

 だが、そのノイズの中にこそ真実の糸口があるかもしれない。美優はその可能性を打ち消せなかった。その時、灯里がふと何かを思いついたように呟いた。

「ねえ、この事件、もしかしたら犯人自身が見えなくなっている……なんて可能性はない?」

 彼女の言葉に透真は目を細め、じっと灯里を見た。

「見えなくなっている?」

「ええ。犯人自身が、ある種の『不可視の存在』になっているとしたら……痕跡がないことにも説明がつくわ」

 その言葉に、室内はさらに静まり返った。不可視──誰も見ていない存在。

「だとしたら、犯人を見つけるのは相当困難ですね」

 透真の呟きに、誰も答えなかった。ただ沈黙だけが室内を満たしたまま、次の満月が迫っていた。



3-2. 不可視


 翌日、透真と灯里は再び所轄署から提供された監視カメラ映像を検証していた。駅前の雑踏が早送りで流れているが、画面の粗さが細部をぼやけさせている。

「もう一度、霞月影華の行動を追いましょう」

 透真が慎重に画面をコントロールし、映像を止めた。霞月影華が画面に現れ、ぼんやりとした足取りで通り過ぎる。その姿は、どこか現実味がないほど不安定だった。

「彼女は事件当日の夕方に、被害者宅近くを通っていますが──」

 透真は別の映像を示した。そこには事件直後の時間に駅前で佇む霞月が映っている。

「──犯行現場から駅まで、この短時間で移動するのは物理的に不可能です。やはり霞月は、実行犯ではないでしょう」

 灯里も頷きながら映像を凝視した。

「むしろ、彼女は何かを『感じて』巻き込まれているだけのような気がする」


 その時、灯里が別日の映像を突然拡大した。ある交差点、雑踏の中で一人の通行人が突然何もない空間にぶつかり、よろめく姿が映っていた。

「透真くん、これ見て。まるで『見えない何か』にぶつかったみたい」

「これは、たしかに──すれ違いざまに人とぶつかったような挙動ですね」

二人は映像を巻き戻し、その『不可視の何か』の動きを追った。


 男のよろけ方から『不可視の何か』の進行方向を仮定し、複数のカメラ映像をつなぎ合わせ、時間軸を検証していく。

「久世さん、ここ。水たまりに突然、波紋が」

 わずかな手がかりを見つけ出し、分岐のたびに更に繰り返し追っていくと──ある人気のない裏路地の映像で、透真の手が止まる。

「待って、今の映像をもう一度拡大して」

 灯里が操作すると、裏路地の監視カメラに、画面の隅でゆっくりと『何もない空間』が歪み、人影が突然ぬるりと現れた。

「これは──隠密系の恩寵持ちか! 久世さん、画面の拡大を」

 目元のほくろ──隠岐祐司。

 その名前が二人の頭をよぎった瞬間、透真のスマートフォンが振動した。蜘手からのメッセージだ。

『そっちはどうだ?』

 透真は素早く返した。

『隠岐祐司、隠密系の恩寵の可能性あり。注意を』

 透真はさらに面々の反応を確認した。だが──。

「美優ちゃん、さっきから反応がないわ」

 灯里が不安げに言う。透真もすぐに美優に直接通話を試みるが、反応がない。

「まさか──」

 透真は急ぎ特対室の端末追跡システムを起動し、美優のGPSログを確認した。端末の動きは住宅地から駅前を経て、人気のない路地裏のある建物で停止していた。

「──何かが変だ」

 透真はすぐ雷蔵に通話を入れた。数秒後、低い声が返ってくる。

「どうした?」

「南雲の反応がありません。位置情報を送ります」

 雷蔵の息遣いが変わった。

「分かった。蜘手は今別件だ。俺が行く──とにかく位置情報を共有しろ」

 透真はすぐに全員に位置情報を共有した。美優の端末のピンは地図上で不気味に点滅している。

(まさか、南雲が巻き込まれたのか……?)

 透真の胸に焦燥が走った。南雲は、見えない何かに取り込まれつつあるのかもしれない──その恐ろしい予感が透真を支配していた。



3-3. 拉致


 夕暮れ前の街は、商店街から流れ出る賑やかなざわめきで満ちていた。買い物袋を抱えた主婦たち、制服の学生、疲れた顔をした会社員たちが行き交い、舗道を踏む無数の足音は日常の旋律を刻んでいる。美優は抹茶クリーム増量のクレープを片手に、動画を流したスマートフォンを眺めながら、ゆっくり歩いていた。慣れた通学路、もうすぐ家。油断しきった顔で笑みを浮かべ、クレープからはみ出たクリームを軽く舐め取る。

「──やっば、抹茶クリーム増量、正義……」

 つぶやきは風に流れて消えた。彼女を、無数の影がすれ違っては消えてゆく。誰も彼女を気にとめない。その日常が永遠に続くと信じている者だけが浮かべる、無防備な表情だった。ふいに、裏通りへと曲がった瞬間──視界の隅が、不自然に歪んだ。

「……?」

 美優が何かを感じて立ち止まり、背後を振り返ったその瞬間だった。顎を硬く鈍い衝撃が襲った。世界がぐにゃりと歪み、膝が崩れ落ちる。クレープが地面に潰れ、鮮やかな抹茶色のクリームがアスファルトに広がった。

「え──」

 彼女の視界は一瞬でブラックアウトした。世界は沈黙に包まれ、意識は闇に飲み込まれた。


 目を覚ますと、そこは知らない場所だった。鼻をつくカビ臭さ、湿り気を含んだ古い畳、剥がれた壁紙、天井に吊るされたバッテリーランプ。重苦しい空気が肌に纏わりつく。頭はがんがんと痛み、体は自由がきかなかった。手首と足首に硬い拘束具が食い込み、身じろぎするたびに冷たい金属が皮膚を圧迫する。

(なにこれ……最悪の夢?)

 美優が周囲を見回すと、魔方陣を描いた血痕の中央に横たわっていると気づいた。砂埃で汚れた制服が体に張り付いている。突然、部屋の隅からじわりと滲み出すように影が動いた。精密機器の工場で見るようなタイベックスの防護服とサージカルマスクにゴム手袋、目元だけをゴーグル越しにぎらつかせた男の姿があった。

(このほくろ──隠岐祐司)

「美優ちゃん、起きた?」

彼の声は抑えきれない興奮で震えていた。

「ごめんね、ちょっと荒っぽくてさ。でも君の『分解』──あれ、チートすぎでしょ?」

 隠岐の目が狂ったような輝きを帯びている。美優は心臓が急激に脈打つのを感じた。



3-4. 嗤い


「美優ちゃん、君の恩寵が欲しいんだよ。俺の『隠蔽』と合わせたら、もう最強だと思わない? ねぇ、ちょっと想像してみてよ──透明人間で気付かれずに、何でも分解できちゃうんだぜ? 最強のチートって、そうでなきゃ」

 隠岐は暗い部屋の中を、執拗なほどゆっくり歩き回った。足音は耳障りなリズムを刻み、美優の心臓の鼓動と嫌な不協和音を奏でる。

「最初はさ、心臓を刺せば良いと思ったんだ。でも違った。確かに力は増したけれど、あれじゃだめなんだよ。恩寵は奪えなかった」

 隠岐は楽しげに語りながら、バッグの中から手術器具のようなものを取り出す。錆びついた金属がカチリと触れ合う音が耳障りだった。

「何度も失敗したよ。心臓だけじゃ足りない。生きたまま腹を裂けばいいのか、取り出した心臓を捧げればいいのか、ある魔術書には心臓を食べるとも書かれてた──色々試したけど全部だめ。でもね、別の魔術書を色々読み漁って、最近見つけたんだ」

 器具を並べながら彼は続ける。

「知性を司る脳、生命力を司る心臓、対象が女なら創造を司る子宮も全部一緒に食べなきゃいけないってさ。面白いよね? 子宮なんて俺、持ってないからさ──」

 隠岐は冗談めかして笑うが、その瞳には本気の光が宿っていた。器具を手に取り、美優の拘束された手足の周囲を回り込む。カチャカチャと金属同士がぶつかる音がするたび、美優の肌が鳥肌を立てた。


「君さ、綺麗だよね。ちょっと気が強そうだけどさ。制服姿、前から好きだったな……」

 彼は執拗に美優の顔を覗き込みながら、首筋から鎖骨、胸元へと視線を這わせる。その視線の粘ついた感触に、美優は吐き気を覚えた。

「黙れ、気持ち悪い。アウト、完全にアウト。頭の病院、紹介してやろうか?」

 美優の拒絶を楽しむように、隠岐はさらに顔を近づけた。マスク越しの鼻息の湿った熱さが彼女の頬を撫で、彼女は身体を激しく震わせた。

「いい反応だね、そういうのが見たかったよ。今までの連中、泣き喚いたり命乞いするばかりで飽き飽きだったけどさ。やっぱりプロとアマの違いなのかな」

 隠岐は鉗子を手に取り、美優の顎を無理やり掴んで顔を上げさせた。その鋭利な先端が彼女の唇をなぞる。

「君はどんな顔で叫ぶのかな……俺、楽しみで仕方ないんだ」

 そう言いながら鉗子を口の中に強引に差し込み、舌を挟もうとする。美優は必死に抵抗しようとするが、彼の力は予想外に強く、金属の冷たさと不快な痛みが口内を支配した。

「舌を抜くのは初めてだけど、きっと素敵な音がするだろうね──」

 隠岐の指が鉗子を締め付け、美優の口内で血の味が広がり、激しくむせ返る。隠岐はゆっくりと鉗子を緩め、口元から垂れた唾液と血液を楽しげに眺めた。指先でその液体を撫でるように触り、マスクをずらし、ゴム手袋の指についたそれを自身の舌で丹念に舐め取った。

「美味しいよ、美優ちゃん。君も味見したい?」

 美優の瞳に怒りが燃え上がったが、声は出ない。ただ喉元が痛みで締め付けられるばかりだった。

「そんな目で睨まないでよ。まだまだこれからなんだからさ」

隠岐は儀式用めいたダガーナイフを手に取り、その刃先を舌先で舐め回す。くぐもった嗤いが薄暗い室内に木霊した。


「さぁ、どこから始めようか……美優ちゃん?」



3-5. 裂傷


 美優は拘束されたまま、無言で隠岐を睨み返していた。埃とカビの匂いが部屋の中に濃く立ちこめ、古い畳に滲み込んだ湿り気がじっとりと背中を冷やす。手首と足首を締めつける拘束具の食い込む感覚が美優の認識を現実に引き戻す。隠岐はナイフを弄びながら、相変わらず薄笑いを浮かべていた。


天井から吊るされたバッテリーランプが時折ちらつき、その度に彼の異様に長い影を部屋の隅に投げかける。ナイフの刃先に反射した光が美優の目に入るたびに、僅かな痛みが走る。刃先は、執拗なほど丁寧に制服のしわをなぞる。隠岐の唇が不規則に震え、歪んだ万能感のせいか鼻息が荒くなっていく。

「ちなみに、俺は『声』も隠蔽できるから。大声で助け呼んでも無駄だよ?」

 美優は口元をわずかに吊り上げる。吐き出すような声で返す。

「すぐみんなが来る。その時はおまえ、終わりだよ」

 その一言に、隠岐は愉快そうに肩を揺らし、首をかしげた。

「へぇ、怖いなぁ──。それじゃあ、急がないとね」

 彼はそのままナイフを美優の腹部に押し当てた。制服の生地がゆっくりと張力に耐えきれず、細い音を立てて裂けていく。鋭い金属の冷たさが、下腹部の皮膚に直接触れる。硬直した空気の中、美優の呼吸が、わずかに速くなった。

(最悪──制服、破れたら伯母さんに怒られる……)

 死の予感と、ばかげた日常の思考が交錯する裏腹、脳裏の奥底に冷たい無感情の水が溜まっていく。刃が皮膚をかすめた瞬間、鮮血がじわりと滲み始める。

 隠岐は満足げに、ナイフの刃先を左右にずらしながら布地をさらに裂いていく。制服の裂け目から覗く素肌の感触──冷たさ、汗、脈打つ鼓動。美優は無意識のうちに腹筋に力を入れ、呼吸を殺した。

「じゃあ……いただきます」

 ナイフの先端が皮膚の上をなぞり、ついにわずかに力が込められる。金属の圧がじわりと沈み込み、チクリとした鈍い痛みが広がる。


 隠岐の顔が歪む。喜悦、恐怖、万能感。全てがぐしゃぐしゃに溶け合い、照明の明滅に揺れる陰影の中で、その表情は生き物のように変化し続ける。

 ──ナイフが、肉を割り、血が滲む。

 視界がぼやけ、遠くから何かが耳鳴りのように響いた。



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