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CASE:002-5 きさらぎ駅

東京怪異捜査録 − 警視庁特対室CASE:XXX -

5-1. 分類


 新幹線は、白い風のように東へ向かっていた。車窓の外、流れ去る景色は薄く霞んでいて、どこまでが現実で、どこからが夢だったのか──その境界も曖昧になる。美優は窓際の席で、ノートPCを膝に乗せていた。キーボードを叩く指が時折止まり、そのたびに視線は窓の外へ流れていく。


(……ダメ、思考が飛ぶ)


 そう自分に言い聞かせるように、再び画面へ向き直る。テキストエディタのウィンドウには、淡々とした報告書の文面が並んでいた。


 ──《きさらぎ駅》と呼ばれる異界の存在を確認。

 ──駅内の構造は通常の駅と異なり、空間的・物理的法則が通用しない可能性が高い。

──式神による調査の後、式神との記憶共有が発生。

──その際、詩のようなものが聞こえ狂気に陥ったが、式神の干渉により回避。その際、式神の消失。

──干渉の結果、きさらぎ駅内部及び詩に関する記憶の大部分を喪失。


そこで指が止まる。画面に映る単語が、ふと立体的に浮かび上がって見えた。


"詩"。

"狂気"。


 その語に触れた瞬間、奥底に残された何かが微かにざわめいた。

 記憶は封じられたはず。ネズミ式神が光とともに焼き尽くしてくれた。


 ──それなのに、まだ何かが残っている。


 心の奥に、柔らかく渦巻く(もや)

 思い出そうとすると痛みが走り、けれど完全には拭えない違和感。


「……考えるだけ無駄か」


 呟いた声は、新幹線の低いモーター音にすぐかき消された。タッチパッドを操作し、ファイルを保存。そのままPCの画面を閉じ、深く座席にもたれる。


 ──終わった。

 そう思いたかった。



 特対室に戻れば、地下の無窓の一室には変わらない空気が漂っていた。蛍光灯の下、美優は淡々と報告書を印刷し、クリアファイルに挟んで蜘手に差し出した。蜘手は黙って受け取り、いつもの軽薄な調子を封じたままページをめくっていく。


 しばらくの沈黙。

 だが、ある語句に目を留めた瞬間──その顔が変わった。


「……"詩"と"狂気"、だと……?」


 口元がわずかに引き締まり、瞳の奥に冷たい光が宿る。

 そして、ぽつりと呟くように。


「……C案件か!」


 声は低く、だが確実に室内の空気を変えた。


 "C案件"──

 特異事案対策室において、もっとも扱いが難しく、もっとも記録が残らない分類。それは、存在自体が"記録不能"に近い領域。現実の法則から逸脱し、理解そのものがリスクとなる"異物"。


 報告書に書かれた文字の中に、それが潜んでいる。

 それを知ってしまった人間の顔が、今、目の前でこわばっていた。


 ──この案件は、まだ終わっていなかった。



5-2. 異物


「……C案件か!」


 蜘手の声が、蛍光灯に満ちた部屋の空気を鋭く切り裂いた。

 美優が息を呑む間もなく、蜘手は即座に動いた。


「透真と灯里くんを、すぐ戻せ。場所は問わねぇ。最優先だ」


 そう言って手近の内線に手を伸ばしながら、反対の手ではすでに端末を操作している。あの蜘手が、ここまで迅速かつ真剣に動くのは、特対室でも滅多に見られない光景だった。


 そして──


 普段は絶対に名を口にしない、地下の"不可視の主"。

 特対室の室長への報告ラインを、ためらいなく開いた。


 その様子に、美優は自然と背筋を伸ばしていた。

 胸の奥で、何か冷たいものが膨らんでいくのを感じた。


「……C案件って、そんなにヤバいんですか?」


 声に出してみると、自分でもその震えを隠しきれなかった。蜘手は報告書から顔を上げ、美優の方をまっすぐに見据えた。その目は、いつもの茶化すような軽さを完全に捨てていた。


「──ああ」


 静かな頷き。


「怪異の中には、ごくまれに"完全にこの次元の理から外れた"もんがいる」


 その言葉の一つひとつが、鋲のように胸に打ち込まれていく。


「そいつらは、人間が作った意味とか、物理とか、感情とか……そういうのを一切共有してない。存在に触れただけで、精神や肉体がバラバラにされるような"異物"だ」

「異物……?」

「そう。"怪異"じゃねぇ。怪異ってのは、この世界の中でなんとか成立してる存在だ。幽霊だろうが呪いだろうが、ルールや文脈がある。でも……C案件は違う」


 蜘手は一度言葉を切り、指先でこめかみを押さえるようにして、低く続けた。


「奴らは、もともとこの次元に属していない。"本来ならありえないもの"が、なんかの間違いでこの世界に紛れ込んできたって話らしい。だから、人間の理解をすり抜けちまう」

「……理解をすり抜ける?」

「そう。目に入れても脳が"見る"ことを拒む。聞いても"理解"しようとすると脳が壊れる。そういう存在が、まれに現れる」


 声に熱はなかった。むしろ、抑えた静けさの中に、長年の記憶と恐怖が滲んでいた。


「なぜC案件と呼ぶのか、俺も詳しくは知らねぇ。ただ、過去に接触した人間はみんな発狂するか、行方不明になってる。だから詳細な記録すら残せなくてな。C案件ってのは、"Classified"──機密指定の略だってことになってるが……俺は違うと思ってる」

「違う?」

「あれは、"Conceptual Hazard"……概念災害のCだ。たぶんな」


 その響きに、背筋が凍った。

 概念そのものが災厄となる存在。

 意味に触れることすら危険。

 それは──まさに、自分が出会った"あれ"だった。


 美優は、無意識に自分の両腕を抱いていた。

 寒くはない。けれど、胸の奥で、確かに震えが走っていた。

 自分が触れてしまったもの。

 覗き込んでしまったもの。


 その恐ろしさが、ようやく皮膚を通して血肉へと染み込んでいく。



5-3. 貸し


 やがて、透真と灯里が特対室へ戻ってきた。応接机にはまだ報告書の束が積まれたまま、空気は張り詰めたままだった。


 透真は無言のまま美優の正面に座り、すぐさま検査に取りかかる。彼の目が薄く光を帯び、瞳の奥で"透視"が始まる。


 沈黙の数分。

 緊張の糸が再び張り直される。


 やがて彼はふっと息を吐いて目を閉じ、静かに頷いた。


「ごく一部、エネルギーの変質が確認できたが……自然治癒の範囲内だ。肉体にも精神にも直接的な侵蝕の痕跡は見当たらない」

「……本当に?」

「厳密には"完全に無害"とは言いきれないが、症状は軽微。放置しても問題ないレベルだ。何より……」


 透真は少しだけ表情を緩めた。


「君の精神が、それに"順応しないまま、拒絶し切れた"のが幸いだった」


 言葉の裏には、もう一歩間違えば戻って来られなかったという示唆が滲んでいた。続いて、灯里が穏やかな笑みで美優の隣に腰を下ろす。その目は、深く水面のように澄んでいた。


「少し眠れてないみたいだけど、大丈夫そう。ちゃんと拒絶できてる。感情の均衡も崩れてない」


 カウンセラーとしての診断を終えた彼女も、ほんの少しだけ安堵の息を漏らした。


 ──状況は収束した。


 蜘手がようやく、美優の前に立った。

 どこか気まずそうに、けれど真正面から視線を合わせてくる。


「……安全のための式神を使った調査が、裏目に出ちまったな」


 その声は、珍しく低い。


「室長とも話して、今回の対応について謝罪する。判断を誤った。すまん」

「えっ、室長も?」


 美優は少し驚いたように眉を上げる。


「ああ。室長も"想定の外"だったって言っていた。お前が生きて帰ってきたこと自体、僥倖だってさ」


 その言葉に、場が一瞬だけ重くなる。

 けれど、蜘手はすぐに口調を戻した。


「……それと、美優くん。お前には借りができちまったな」

「ですよねー」


 美優は少し口を尖らせながらも、すぐにいつもの調子に戻る。


「未来ある若者を、そんな危険な目に遭わせるなんて……労災ですよ、労災。ちゃんとカフェ券くらい出してもらわないと」

「はぁ?」


 蜘手が呆れたように眉をひそめると、美優はにっこりと笑った。


「じゃあ、その貸しは都内の有名カフェの極上パンケーキってことで。最低でも、ふわっふわで、口の中で溶けるやつ。あとラテアートも必須ですからね?」


 しばしの沈黙のあと、蜘手が吹き出すように笑った。


「ったく……お前なぁ……」


 その声に、緊張していた透真も灯里も、わずかに口元を綻ばせた。

 ほんの一瞬だったが、空気が緩む。

 狂気の端をかすめた直後の空間とは思えないほど、静かで、穏やかな時間だった。


 ──ひとまず、この件はここで一旦、幕を下ろすこととなった。



5-4. 帰巣


 後日、美優の提出した報告書とともに、特対室には一枚の紙片が返還された。


 それは、焦げたネズミ式神の依代──ただの和紙に見えるそれをオフィスにいたオウムの姿をした式神は無言で咥え、室長机の引き出しの中に姿を消した。


 数日後。

 特対室の共有ネットワークに、新たな報告書の加筆データが追加されていた。


 案件番号:C-2013-01

 分類:C案件

 名称:きさらぎ駅

 特記事項:記録情報の不定性、時間軸混濁、空間的実在性の流動。

 精神破綻を引き起こす(うた)の断片的回収。


 ──その加筆、いや、ほぼ全文は室長の名で新たに書き加えられたものだった。


 美優が見たもの、触れたものは、報告書の中ではただの"式神による記録"に置き換えられていた。けれど、美優はそれでよかった。今は、何よりも"戻ってこられた"ことが大切だった。


 数日後。

 書類の提出と簡単な引継ぎのため、美優は特対室のドアを開けた。


「……あれ?」


 蛍光灯に照らされた室長机の上。いつも誰もいないはずのその机の上を、何かがちょこちょこと歩いていた。


 小さな影。

 白色の身体。丸い耳。くるくる動く黒い目。


「あっ……!」


 思わず声が漏れた。ネズミ式神だった。


 以前と変わらない、けれど確かに"戻ってきた"姿。

 あの夜、命を懸けて光になった存在が、今ここにいる。


 小さな目が、美優を見上げた。

 ピクリ、と鼻先が動く。


「お前……戻ってきたの?」


 問いかけに、ネズミ式神は一拍置いてから、くんくんと鼻をひくひくと動かす。その仕草はまるで、「考え中だよ」とでも言いたげだった。


 そして、次の瞬間──

 軽やかな跳躍。

 ふわりと舞うように、美優の肩に乗った。

 その小さな重みが、確かにそこにある。


「お、おかえり……室長からのお詫びなのかな」


 ぽつりと呟いた声に、ネズミ式神はぴくぴくと耳を動かすだけで、答えは返ってこなかった。けれど、それで充分だった。


 肩に感じる重み。

 ほんの少しだけ、あたたかい。

 美優は、そっと目を細めて微笑んだ。


静かに、確かに、"日常"が戻ってきていた。



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