04
雲海高校の3年2組の教室に戻る。
休み時間、惠美はクラスの女子たちに囲まれていて、質問攻めにあっている。転校生ならばあたりまえの風景だが、その転校生が東京出身と聞けば、ひときわ関心をひくのは当然の成り行きだったのだ。男子たちは遠慮しているようで、遠巻きに眺めている。ときどき口を挟む男子もいる(こういう男子が結局モテるんだよね。成功率はアタックした回数に比例するのだ)。
惠美は、かずかずの質問に丁寧に答えていった。意地悪な質問は器用に避けることができたようだ。
そして昼休み。
惠美は、クラスメイトのアオイとホノカのコンビと、昼食をとることになった。惠美が、アオイとホノカに接近し、彼女たちもそれを受け入れたようだ。
3人が窓際の席に集合している。
アオイは自分の席をぐるっと回して後ろ向きにして、ホノカが後ろの席に座り、惠美はホノカの右隣の席に座っている。
3人は机をくっつけて、お弁当を出した。
「ここ、いいんですか」
おずおずと惠美が訊ねた。
「いいのいいの。飯田くんはいつも学食だから。たまにお弁当だけど、その時だけ席を返せばいいの。彼、おおらかな人だから滅多なことでは怒んないよ。もともと飯田くんだって、学校から席を買ったわけじゃなくて、借りてるだけだからね。泥棒から盗んでも問題にならないように、借りてる人から又借りしても何も問題ないのよ」
見るからに快活そうなアオイが解説した。その言葉に、理解できたようなそうでないような、複雑な惠美だった。
3人はお弁当を見せ合った。惠美が元東京っ子だけに、アオイとホノカの好奇心は人一倍だった。そのお弁当がごくありきたりのものだったので、ふたりは少々落胆した。が、食欲は待ってはくれない。
いただきます、と言って、3人はお弁当を食べ始めた。
「それより、どう? この街は気に入った?」
アオイが、鶏の唐揚げを食べながら訊く。
「ええ、とっても。東京と違って緑が多くて素敵ですね」
「でしょ~でしょ~。田舎も捨てたもんじゃないよ」
「でも、アオイさぁ、あなた東京の大学に受かったら、地元捨てるって言ってたよね」
たおやかそうなホノカが、玉子焼きを食しながら毒舌を放った。
「そうだっけ? 覚えてないなぁ」
アオイはしらばっくれた。
「アラブの石油王を捕まえたら、日本を捨てるって言ってたホノカ嬢には、さすがに勝てないよ」
アオイがやり返すと、3人の女子に屈託のない笑いの輪が起きる。
「ところで、この街に来たのは、はじめてじゃないんです」
頃合いを見計らって、惠美が話題を変えた。
アオイとホノカは嬉しそうな顔を見せた。
「ふ~ん、そうなんだ。いつごろ前に来たの?」
「12年前に来ました。自動車旅行の途中に立ち寄ったんです。実は探してる人がいるんです。この街にきたとき、車に轢かれそうになったことがあるんです。そのとき助けてくれた女の子に、もう一度会って、ちゃんとお礼が言いたいんです」
「そいつぁあ事件だね。何があったの、詳しく聞かせてくれる」
アオイが興味を持ったようだ。もちろんホノカも。
「この街のスーパーマーケットに立ち寄ったときのことです。わたしが駐車場でうろうろして、子猫ちゃんを見つけて観察していたときのことです。後方をよく確認しなかった自動車が、駐車しようと、わたしに迫ってきたんです」
「おおコワッ」
「12年前か。たぶん、ゼブラマートだな。スーパーYTが建ったのは7、8年前だからね。それで?」
「その時です。近くにいた女の子が走り寄ってきたかと思うと、なぜかわたしは空がくるくる回転していました。そして気がついたら、わたしは迫ってきた自動車の横に立っていました。傷一つ負いませんでしたよ。その女の子は、『大丈夫?』とだけ訊くと、そのまま去っていきました。わたしは、あまりにもびっくりしてしまって、お礼すら言い忘れるという、たいへん恥ずかしい事態になってしまったのです」
アオイは箸を止めて、頭を巡らせた。
「その話は、初めて聞いたな。その女の子はどんな子? 名前とか特徴とかわかる?」
「本名じゃないと思うんですけど、その子は、母親から『キャンディ』って呼ばれてました。『キャンディ帰るよ。どこだい?』って」
アオイとホノカがたまらず笑い出した。アオイなんかは、ご飯を吹き出しそうになったくらいだ。どうやら、彼女たちには心当たりがあるようだ。
「どうしたんですか。もしかして、キャンディちゃんを知ってるんですか」
「この街で『キャンディ』って呼ばれてるのはただひとり、じゃーん、渡辺真さんだけです。ほら、きょう風邪で休んでる」
アオイが、真の席を指した。
「クラスメイトだよ」
ホノカが優しく言い添えた。
「ええっ、キャンディちゃんがクラスメイト! まこと、男の子に多い名前ですよね」
「いや、男だし」
「えっ、男? でも、キャンディちゃんですよ」
惠美は、きつねにつままれたようになった。
「男だよ。べつに裸を見たわけじゃないけどさ」
アオイとホノカはまた笑い出した。
「本当にキャンディちゃんですか。からかってるんじゃないですよね」
「本当も本当。この街でキャンディちゃんは、あいつ以外にちょっと知らないねぇ。なぁ、ホノカ」
「わたしもアオイと同意見だね」
「びっくりです、こうも簡単に見つかるなんて。キャンディちゃんと再会できるんだ」
とつぜんのサプライズに、惠美は夢現の様子だ。
「でも、渡辺さんをキャンディちゃんって呼ぶと、本人怒るよ。なんでも、キャンディって呼んでいいのは、母親だけなんだってさ」
「あと、お姉さんたち、ね」
「そうなんですか。でも、どうしてですか」
「それは誰も知らない。知ってしまうと、宇宙が終わると言われている」
ホノカが真顔で言うので、これには惠美もびっくりした。これは、近畿地方特有の冗談なのだろうかと考えて困り顔の惠美に、アオイが助け船を出した。
「ホノカの話は都市伝説だよ。田舎なのに都市伝説なのは、ちょっとおかしいけどね。だいいち、うちの高校あだ名禁止だしね」
アオイの説明に、とりあえず惠美は納得した。
「渡辺真さんって、どんな人ですか」
好奇心をくすぐられた様子の惠美が質問した。
「う~ん、変わってるねぇ」
「うん、変わってる」
「他には?」
「う~ん、とても変わってるな」
「すごく変わってるね」
これにはどう反応していいやら、惠美は苦笑いだ。
「まっ、会えばわかるよ。ところで惠美ちゃん、部活には入るの?」
「入ったほうがいいよ」
「ちなみに、わたしは美術部」
アオイは、箸を動かして絵を描くしぐさをした。
「わたしは茶道部」
ホノカは箸を置いて、手でお茶を立てるしぐさをした。
「この高校、ミステリー研究会みたいな部活、ないんですよね」
「確か……ないね。文芸に関する部活に入りたいの?」
「東京の高校では、ミステリー研究部に入っていました。いちおう、副部長をしていました。あっ、自慢じゃないですよ。押しつけられたというか」
「わかったわかった。ええと、うちの高校は、文芸に関する部は、文芸部とライトノベル研究会の2つだな。漫研は美術系だし」
アオイは自信なげだ。
「やっぱりそうですか」
「アオイ、ひとつ忘れてるよ」
「えっ? ああ!」
「「幻想小説同好会」」
アオイとホノカが同時に言って笑い合う。
「何がおかしいんですか?」
惠美が不思議そうな顔を浮かべているあいだ、彼女の箸がくわえたタコさんウインナーは、ゆらゆらと空中をたゆたっていた。
その時、校舎が揺れ始めた。地震だ! 大きい地震ではないようだが。
アオイとホノカは、驚くような早さで机の下に潜った。
こんな小さな地震なのに……と惠美は驚きを隠せないでいる。周りを見回すと、教室にいるクラスメイト全員が、もう机の下にいる。
「倉田さんも机の下に潜って、早く!」
アオイの言葉に促されて、惠美も机の下に潜った。
「あの、地震、小さそうですよ」
「倉田さん、これだけは覚えておいて。この雲海高校の校舎は、まだ耐震補強工事が済んでないから地震に弱いのよ」
「はぁ、なるほど」
ようやく事態を理解して、惠美はゾッとした。
「校舎の耐震補強工事を先にやる派と、体育館の耐震補強工事を先にやる派で対立しているらしくてね」
「そうそう。両方同時にやればいいんだけど、お金がチョイ足りないらしくてね。それで、どっちを先にするかで揉めてるんだ」
朝に見た雲海高校のいかにもみすぼらしい体育館を、惠美は思い出していた。そして、この校舎も同じくらい古そうだ。壁を見ると、いくつかの小さな亀裂が見て取れる。
惠美の転校が決まったとき、東京の友だちに口々にこう言われた。「近畿地方ってそろそろ来るっていわれてる南海トラフ地震の中心地でしょ、大丈夫? 気をつけてね」と。新しい家に帰ったら、家具がちゃんと固定されているかもう一度確認しないと……と彼女は思った。




