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僭王記  作者: 玉兎
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第二章 アルセイスの少女(一)


 その日、ドレイクは雲ひとつない晴天に恵まれていた。

 雲に遮られることなく降り注ぐ陽射しは人々の視界をまばゆく染め上げ、街路を駆け抜ける風は近づく夏の息吹を宿して暖かい。

 ラーカルト・グリーベルの死から一週間。地上の混乱を映してか、ぐずつくことが多かった天候がようやく回復の兆しを見せたことに人々は安堵の表情を交わしあう。

 見事に晴れ渡った空は、帝国派評議員の死による混乱の終わりを告げているように思われた。



 混乱の元凶が起居するセーデ区でも、久々の好天は歓迎されていた。

 緋賊の本拠では今日こそ好機とばかりに洗濯物を干す作業にとりかかっている。中心となっているのはリッカをはじめとした子供たちで、賑やかに笑いさざめきながら作業に励んでいた。

 特に活躍しているのはキルで、大量の洗濯物や重い物干し竿を苦もなく持ち運んでは、子供たちから歓声を浴びていた。



 ほどなくして中庭は翩翻へんぽんとひるがえる洗濯物によって制圧される。

 その光景を、母親に抱えられたラーカルトの息子がきゃっきゃと笑いながら見守っていた。

 




 微笑ましい光景が中庭で展開されている一方、本拠の一室では外とは正反対の重苦しい空気が立ち込めていた。

 部屋の中にはインとカイ、そしてアトの三人がいる。インはいつもどおりの無表情だったが、カイは困ったように小さく首を振り、アトは頭を抱えている。

 インはともかくとして、他の二人がそんな表情をするにいたった理由は、先日姿を消したリムカが、その行動をとるに至った理由をはじめて知らされたからであった。

 カイがため息まじりに口を開く。



「彼女の境遇や心境を考えれば、ここを出て行っても不思議ではないと思っていましたが……インがおもいきり背を突き飛ばしていたんですね」

「事実を言っただけだ」

「それはそのとおりなのだと思いますが、もう少し言い方というものがあるでしょう」



 カイが言うと、顔をあげたアトがこくこくと頷いた。

 その仕草に応じて亜麻色の髪が上下に揺れる。今日のアトは長い髪を頭の後ろで一つに束ねており、揺れる髪の毛は馬の尻尾のようにも見えた。



「カイさんの仰るとおりです。ただでさえお兄さんのことで混乱しているところに、そんなことを言われては……」



 二人の抗議の声にもインは動じない。



「どう言葉をつくろったところで、俺があの娘にとって仇である事実は動かない。そうと知らずに面倒を見られる方が屈辱だろうさ。これからどう生きるかはあの娘が決めることだ。俺を仇と付け狙うなら返り討ちにするし、兄の冥福を祈って教会に入るならそれもいい。やっぱり助けてほしいと戻ってきたなら助けてやる。いずれにせよ、今の段階で俺が何かをするつもりはない」



 それを聞いたカイが、仕方ないな、というように肩をすくめた。

 インはインなりにリムカに気を遣っていることがわかったのである。おそらく、インはシュシュの秘薬によって家族を奪われたリムカに幾分かの責任を感じているに違いない。

 カイしか知らないことだが、インはシュシュの秘薬と深い因縁がある。くわえて、三年前にヴォルフラムが売り払った秘薬の行方を追いきれず、結果としてラーカルトの跳梁を許す一因となった。



 そういったことから、インはリムカに破格といってもよい気遣いを見せた。

 その気遣いが相手を突き放しているとしか思えないのは、インの不器用な性格ゆえであろう。

 カイはそう考えたのだが、今のインの台詞からそれを読み取れるのはカイくらいのものであったに違いない。



 どこか通じ合った様子の二人を見て、アトは不思議そうに首をかしげた。

 正反対の性格に見える二人は、その実、誰よりも馬が合っているように見える。

 先日聞いた話によれば、インとカイの出会いは四年前にさかのぼる。当時の年齢を考えれば二人ともまだ少年といってよい。その頃からの付き合いであれば、二人の間にひときわ強い結びつきがあるのも当然なのかもしれない。



 次いで、アトはセーデを出たリムカのことを考えた。

 今、どうしているのか気になるが、十万以上の人口を抱えるドレイクの市街をあてもなく捜しまわったところで目的の相手を見つけ出せるとは思えない。

 仮に見つけ出せたとしても、インの部下であるアトの言葉は彼女の耳に届かないだろう。



 しかし、だからといって放っておけるかと問われれば答えは否である。

 アトは女性であるリムカの今後を心配しているのだが、インの部下としてもリムカの行動が気になっていた。

 リムカが緋賊憎しの一念で評議会に駆け込み、緋賊がセーデに潜んでいるという事実を暴露してしまえばどうなるか。それを思えば平静ではいられない。



 今のところ、セーデがドレイク兵に取り囲まれるという事態は起きていない。

 リムカが姿を消した日からの日数をかぞえれば心配はいらないと思うのだが、ラーカルトが死んでからというもの、都市の内外を問わずドレイク兵が慌しく動きまわっている。

 もし、彼らがリムカの存在に気づけば何が起こるかわからない。その意味でまだまだ油断はできなかった。




 と、不意にノックもなしにがたんと扉が開いた。

 何事かと見れば、赤いケープをまとったキルが芳ばしい香りを漂わせるパイをかじりながら立っている。

 それを見たインが怪訝そうに口を開いた。



「どうした、キル?」

「イン。コイを獲りに行きたい」



 パイをかじりながら言うキル。

 室内の三人の顔に同時に「?」が浮かんだ。

 ややあって、キルが言わんとすることに思い至ったインが小さくうなずいた。



「コイ――ああ、鯉か。なんだ、急に食べたくなったのか?」

「ん。スズハのパイを食べてたら、食べたくなった」



 そういって、キルは残っていたパイを口の中に放り込んだ。

 リッカとツキノの母親がつくったのは酢漬けのニシンとじゃがいも、それに木の実とチーズが入っているパイで、キルの好物のひとつである。どうやらキルはこのパイ目当てに洗濯物の手伝いをしていたらしい。

 そして、ニシンのパイを食べていたら、久しぶりに鯉も食べたくなった、という流れのようだった。



 窓から室内に差し込む日差しを見て、それもいいか、とインは思う。

 わざわざ警戒が厳しくなっている今、襲撃に出る必要はない。

 カイも止めるつもりはないようで、にこやかにキルに笑いかける。



「城門の詮議は厳しくなっているはずだから、いくなら地下水路を使った方がいいと思うよ、キル君」

「ん、わかってる、カイ。だからインを呼びに来た。たくさん獲ってくる」

「それは楽しみだ。久々にキル君の料理が味わえそうだね」



 それを聞いたアトが、たははと笑って頬をかいた。以前、自分も相伴にあずかったキルの料理を思い出したのだ。

 大きな鯉を適当にぶったぎり、油で揚げるだけの行為を料理と呼ぶか否かは議論の余地があるとアトには思われるのだが、ここでそれを口にするほど野暮ではない。

 ただ、キルはそんなアトの様子に目ざとく気づいたようで、小さく首をかしげて問いかけてきた。



「アトも行く?」

「あ、私は、その……遠慮しておこうと思います」



 ちらとインの方を見て、アトは恥ずかしげに顔を伏せる。鯉を獲るといっても、釣り糸を垂れたり、河に網を投げ込んだりするのではなく、直接河に入ることになる。

 当然、肌の大部分を人目に晒すことになるわけで、キルと二人ならばともかく、インの前でそんな格好をする気にはなれなかった。



 別段、インがアトをそういう目で見ているとか、その手の誘いをかけてきた事実があるわけではないのだが、それはこの際、アトの羞恥心を和らげる役には立たなかった。

 キルの方もこだわらない。こくりとうなずくと、インを急かすようにその手を握り、早く、というように引っ張った。




◆◆




 大陸中央部を支配するシュタール帝国と、大陸南部を領有するアルセイス王国。

 この二大国に挟まれる自由都市ドレイクは海から遠く離れている。そのかわり、ヒルス山脈を水源とするダウム河の水利を掌握しており、この内陸水路がドレイクを交易都市たらしめる大きな役割を担っていた。



 海のない内陸部では往々にして河川が物流の鍵を握ることになる。

 もちろん、ある程度の大きさの船が通れることが条件となるわけで、他にも川の幅、深さ、流れの速さ等、考慮しなければならない点は多いが、幸いなことにダウム河はそのすべての条件を満たしていた。



 また、この河は農業においても重要な役割を果たしており、河の水を引いて灌漑農業を行っている土地もある。

 河中には鯉の他にサケマスを産し、川面に漂う漁師の船がそこかしこに見て取れる。場所によっては対岸が霞むほど離れているところもあって、周辺の都市国家や小国の領土が、このダウム河で分かたれている例も多かった。




 地下水路を通ってダウム河に到着したインたちであったが、その人数は二人から三人に増えていた。

 加わったのは運搬用の大きな箱を担いだゴズで、途中で会ったキルが引っ張ってきたのである。



「この身が役立つのであれば、もちろん否やはござらん」



 突然のことに嫌な顔ひとつせずについてきたゴズは、箱を丁寧に地面に下ろすと、さっそく周囲の枯れ木を集め始める。

 巨体のせいなのかどうか、ゴズは泳ぎが苦手だった。もっとはっきりいえばカナヅチだったので鯉を獲る役には立たないが、それならばそれで別のことで役に立てばいいのだ、と心得ている。

 こうして緋賊の要である者たちは時ならぬ鯉狩りに精を出すことになったのだが、同じ時、緋賊を敵とする者たちもこのダウム河にやってきていた。



 フレデリク・ゲド。

 ドレイク評議会で王国派を束ねる人物である。

 この瀟洒な壮年の評議員がダウム河にやってきたのは、表向きはラーカルト死後の混乱で疲れた心身を癒すため、ということになっていた。

 しかし、本当の目的は他聞をはばかる話し合いを行うことにある。評議会館や邸宅では、どこで誰が聞き耳をたてているか知れたものではない。その点、川面に船を浮かべ、周囲を信用できる人間で固めれば、情報がもれる恐れは皆無といってよかった。





「それでは間違いないのかい。貧民窟に緋賊の拠点がある、という話は?」



 香油で栗色の髪を撫で付けたフレデリクは、髪と同色の口ヒゲに手をあてて確認をとる。

 フレデリクの前には金髪碧眼の青年が跪いていた。フレデリクも長身だが、この青年はそのフレデリクよりも更に頭一つ高い。容貌にも服装にも隙がなく、時に上役であるはずのフレデリクに奇妙な息苦しさを覚えさせるほどだ。



 ブリス・ブルタニアス、というのがこの青年の名である。

 表向きにはフレデリクの腹心ということになっているが、実際はアルセイス王国から派遣された武官であり、ドレイクをシュタール帝国から引き剥がすべく日々画策する身であった。

 フレデリクの問いにブリスは慎重に応じる。



「確実に、とは申し上げられません。リムカ嬢の言葉に従ってセーデに人を遣わしましたが、グリーベル子爵の死後、セーデに動きはなく、確証を掴むにはいたっておりません。しかし、過去にセーデで起きた幾つかの事件を調べ直した結果、確かに緋賊との繋がりをうかがわせるものがございました」

「ブリス君がそう言うからには、ほぼ間違いないと見ていいのだろうね。獅子身中の虫、というわけか。貧民窟のことなど考えるのもわずらわしいが、彼らが緋賊と繋がっているのなら座視するわけにはいかないね」



 フレデリクはそう言ったが、実のところ、貧民窟のことはもとより、緋賊に関してもフレデリクはほとんど関心を払っていなかった。

 フレデリクは生まれ育ったドレイクという都市になんら愛着を持っておらず、都市に被害を与える者に怒りや憎しみを覚える理由がないのである。

 フレデリクが情熱を抱いて推進する計画はただひとつ、アルセイス王国の宮廷に参列すること。もちろん一廷臣としてではなく、れっきとした貴族として。



 そんなフレデリクの野心を見抜き、腹心であるブリスを送り込んできたのが、アルセイス王国第三将軍テオドールだった。

 これはアルセイス国王の命令によるものであったが、同時にテオドール個人の野心を満たすものでもある。フレデリクにドレイクを牛耳らせ、ドレイクの富を自らが宮廷で成り上がる資金源とするのだ。

 その目論見は、シュタール帝国において宰相ダヤン侯が行っていることとほぼ等しく、この一事だけで、テオドールという人間が目指すものが推し量れるだろう。



 ブリスとしては真の主のためにうまくフレデリクを御さねばならない。今回、思わぬところから転がり込んできた情報を利用すれば、セーデ貧民窟と緋賊の件を一度に解決できる。

 ラーカルトが死んだ今、フレデリクに対抗できるのは議長であるパルジャフのみであり、そのパルジャフが解決できない難問を二つとも解決してしまえば、フレデリクの発言力は議長をしのぐものとなる。

 ブリスはそう考え、この一週間というもの、密かに動き続けてきたのである。



 ところが、だ。

 その行動が、アルセイス王国の命運を左右しかねない情報を掴むきっかけになろうとは、さすがのブリスも予測していなかった。

 その情報を金貨とすれば、リムカがもたらした緋賊の情報など銅貨に過ぎない。

 それを聞いたフレデリクが興味深そうに目を光らせた。



「めずらしいね、ブリス君がそこまで言うとは。いったい何を見つけたのかね?」

「は。インなる者の身辺を調べていたときのことです――」



 ブリスは自らが調べたことを丁寧に話していく。

 それを聞き終えたとき、フレデリクの目は驚きのために大きく見開かれていた。


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