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僭王記  作者: 玉兎
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第二章 アルセイスの少女(二)


「いやはや、ずいぶんと遅くなってしもうたわい。まったく、帝国が関わると毎度ロクなことにならん。まあ、これは今さらの話ではあるが」



 ドレイクの街路を歩きながら、ぶつぶつと文句を口にしているその人物は、言葉遣いこそ年寄りくさ――もとい大人びていたが、外見は少年のように見えた。

 低い背丈にざんばらの髪、口にもアゴにもヒゲを生やしておらず、剃った痕跡も見て取れない。背中には反りがある片刃の長剣――東方でいうところの刀を背負っているのだが、この人物が刀を背負っている姿はチャンバラ遊びをしている子供のようにしか見えず、それでいて気難しげに眉をひそめる顔には確かな威厳と迫力が漂っている。



 セッシュウ・カクラ。それがこの人物の名前である。

 年齢は五十を越えており、もう老人と呼ばれてもおかしくないのだが、外見にも動作にも老いを感じさせるものはほとんどない。よくよく見れば、頬のあたりにはこれまで過ごしてきた年月を思わせる年輪がうっすらと浮かび上がっているのだが、他人はなかなか気がつかないだろう。

 三人の孫がいる、という話をセッシュウがすると、大抵の人間は冗談だと思って笑い出す。そして、事実と知ると唖然とするのが常であった。




「さて、我が義娘むすめと孫たちは元気にしておるだろうか。またしてもサクヤの消息が掴めなんだことを告げれば、落胆させてしまおうな……おや?」



 セッシュウは敗戦国の奴隷として連れ去られた家族を捜して大陸東部からやってきた。

 義娘、つまり戦死した息子の嫁であるスズハ、孫のリッカ、ツキノの二人はなんとか見つけることができたのだが、末っ子であるサクヤの行方だけが杳として知れず、今回の探索も無駄足に終わってしまった。おまけに帰りの道中では、背中の刀を怪しまれ、国境で何日も足止めをくらう始末である。

 泣きっ面に蜂とはこのことだった。



 そんなわけで、気重な気分でドレイクに帰ってきたセッシュウは、ここでもやたらと厳しい検問に閉口しつつ、なんとかセーデ区にたどりついた。

 そして、おかしな光景に出くわした。

 リッカと同じ年頃と思われる女の子が、一人であたりの住民に声をかけてまわっているのである。



 セーデ区は、いわゆるスラムにしては危険が少ない地域であるが、それでも昼日中から子供が出歩いていい場所ではない。人気じんきが良いともいいかねる。

 実際、何か必死な様子で訴えかける女の子を、住人たちは冷たくあしらっているように見えた。

 それでもめげずに顔をあげている少女に興味を引かれ、セッシュウは声をかけることにした。



「これ、そこのむすめ」

「ひぅッ!?」



 セッシュウは歩く際にほとんど音をたてない。少女からすれば、音もなく背後に忍び寄られたようなもので、いきなり声をかけられて思わず悲鳴をあげてしまう。

 慌てたように振り返った少女は、青緑色の瞳に涙の粒を浮かべていた。

 頬が青白いのは急に声をかけられて驚いたせいだろう。整った顔立ちをしており、赤みを帯びた栗毛を頭の左右で束ねた容姿は孫と甲乙付けがたい、とセッシュウは思う。着ている服装も清潔なもので、とてものこと、スラムをうろつくような子には見えなかった。

 セッシュウは少し身をかがめ、少女と視線をあわせる。



「わしはセッシュウという者。何か困っている様子だが、いかがしたのだ?」

「あ、わ、わたしはノエル、ノエルといいます。あの、人を、捜していて」

「ふむ、人捜しか。わしは旅から帰ってきたところであるが、いちおうここの住人でな。さしつかえなければ誰を捜しているのか教えてくれぬか? 何か役に立てるかもしれぬ」



 セッシュウが訊ねると、ノエルはパッと顔を輝かせた。安堵のためか、その頬にぽろりと涙がこぼれおちる。

 それに気づいたノエルは、慌てたように目をごしごしとこすりながら、セッシュウに捜し人の名を告げた。



「あの、イン、という方をご存知ではありませんか? 黒い髪の男の人で、ちょ、ちょっと怖い感じの人なんですけど、でもとっても優しい人で……」




◆◆





「おじいちゃん!」



 ノエルを連れたセッシュウが緋賊の本拠に足を踏み入れるや、驚きと喜びが入り混じった声があたりに響いた。

 駆け寄ってきたのはリッカで、手に箒を持っているのは入り口付近の掃除をしていたためであるようだ。

 セッシュウは満面に笑みを浮かべて孫を迎える。



「おお、リッカ! 元気にしておったか?」

「はい、もちろんです! おじいちゃんこそお元気だったのですか? お手紙で戻ると仰っていた日になっても戻ってこられなかったので、お母さんとツキノが心配してたんですよッ」

「すまんすまん、ちと国境で足止めをくらっておってな。このとおり元気ゆえ、わしへの心配は無用じゃぞ」

「それはなによりです……って、あれ、おじいちゃん、こっちの子はどなたですか?」



 ここでノエルのことに気づいたリッカが、不思議そうに首をかしげた。

 セッシュウは先ほどの一幕を手短に説明する。



「ここに戻る途中で会った子じゃよ。名はノエル。主殿に用があるというので、案内してきたところ――ん、どうした?」



 話の途中、不意にリッカが表情を曇らせたことに気づいたセッシュウが怪訝そうに問いかける。

 リッカは何でもありませんと首を横に振ったが、物慣れたセッシュウの目から見れば、何事かあったのは明白だった。

 とはいえ、急を要することではないようなので、セッシュウは孫の不審な態度については後回しにすることにした。後でそれとなく母親のスズハに訊いておこう、と頭の隅に書き記しておく。



「それでリッカよ、主殿はおられるか?」

「さっき見かけたので、たぶんいらっしゃると思います」

「そうか。では報告がてら客人の来訪を伝えにいこう。リッカ、また後でな」

「はい」



 箒を手にこくりとうなずくリッカは、妹サクヤの行方について、セッシュウに問うたりはしなかった。

 妹が見つかったのであれば、祖父は何をおいても先に伝えてくれるに決まっている。それがないということは、つまり今回も見つからなかったということ。

 そうわきまえていたからである。



 そんな祖父と孫のやりとりをノエルが戸惑ったように見つめていた。リッカが口にした「おじいちゃん」という呼びかけと、セッシュウの若々しい顔立ちが、どうしても結びつかなかったので。




◆◆




 セッシュウたちがやってきたとき、インは自室で檜を削っていた。

 愛用していた棍棒が先の襲撃でラーカルトに両断されてしまったためである。あらかじめつくってあった予備があるので、強いて今つくらねばならない理由はないのだが、新しい棍棒とて、いつ誰に折られるか知れたものではない。備えあれば憂いなしであった。



 扉を叩く音を聞いたインが訪問者に入ってくるように促す。

 招じ入れた二人の姿を見たインは、意外そうな顔で、意外そうに言った。



「これは予想できない組み合わせだな」

「ただいま戻り申した、主殿。このむすめとはそこで行き会ったばかり。なんでも主殿に用があるとかで――むおッ?」



 セッシュウの言葉が終わるのも待たず、ノエルは顔を歪めてインの前に駆け寄った。

 駆け寄ってきたノエルの目に、みるみる涙が溢れてくるのを見たインは、怪訝そうに眉をひそめた。

 もちろん、インはノエルのことを知っている。ルテラト区の妓女クロエの妹である。言葉を交わしたことも多い。



 しかし、その時のノエルの顔には常に笑顔があったように思う。

 姉ともども妓館で働いているとあっては、決して幸福とも恵まれているともいえない境遇であろうに、それを苦痛と感じている姿を少しも見せない強い少女だった。

 その少女がぽろぽろと涙をこぼし、あまつさえ自分の前に座り込んで深々と頭をさげるにいたって、インの表情は怪訝から困惑へと変化した。

 別の言葉でいえば、どうしたらよいかわからずに目を白黒させたのである。

 セッシュウが吹き出すのを堪えたほど、めずらしいインの表情だった。



「ノエル。いきなり頭を下げられてもわけがわからないぞ。何が――」



 何があった、と訊こうとしたインの目に唐突に理解の灯がともる。

 ノエルがここまで切羽詰った様子を見せた以上、よほどのことがあったに違いない。そして、その内容にも思い当たった。



「クロエに何かあったのか?」



 姉の名を耳にした途端、ノエルの肩が大きく震えた。

 涙で濡れた顔をあげ、搾り出すように声を紡ぐ。



「姉さまを……」



 と、そのノエルの言葉を遮るようにインの部屋の扉が再び叩かされた。

 しかも今回は先ほどよりもかなり乱暴に。



「イン様!」



 聞こえて来た声は禿頭の大男のものだった。

 インが相手の名を呼んで事情を問う。



「ゴズ、何が起きた?」

「急報でござる! セーデの入り口に、評議会の兵が多数押しかけてきたとのこと!」



 インとセッシュウの目に、同時に鋭い光が煌いた。

 さらに問いを重ねるべく、インが再度口を開く。



「要求は?」

「ノエルなる少女が街に潜んでいるはずゆえ、ただちに引き渡せ。応ぜざる場合は武力をもって押し通る、と!」



 それを聞いた瞬間、ノエルは口に手をあてて絶句した。ただでさえ良くなかった顔の色が蒼白に変じている。自分がセーデに災厄を持ち込んでしまったことを、直感的に悟ったのだろう。

 一方のインの顔に当惑はすでにない。その顔はむしろ、事態が慣れ親しんだ荒事に変じたことに安堵しているように見えた。

 そんなインの前にセッシュウが進み出て、どこか暢気に聞こえる声音で申し出る。



「主殿、わしが参ろう」



 インの決断は素早かった。

 即座にうなずいて老将に諾を与える。



「任せる。刀を抜くかどうかの判断もな」

「承った。それでは早速」



 踵を返したセッシュウが扉を開ける。まさかセッシュウがいるとは思わなかったのか、扉の前に立っていたゴズが目を丸くした。

 その目が室内のインに向かい、そしてインの前で膝をついているノエルの姿を捉える。

 何事かと首をひねるゴズに向かい、セッシュウが軽い口調で話しかけた。



「ゴズよ。すまぬがおぬしも共に来てくれい」

「は、はあ。それは構いませぬが……御老もご存知のように、この身は荒事には役に立ちませぬぞ」

「わかっておる。おぬしはわしの後ろで腕組みでもして、でんと構えていてくれれば良い。わしはこのなりゆえ、大勢で囲めば何とかなると思われてしまうでな。その点、おぬしは十人がかりでもビクともせぬように見える」

「は。そういうことであればお安い御用です」

「よし、では駆けるぞ。ついてまいれ」



 いうや、セッシュウは年齢を感じさせない軽やかな足取りで駆け出した。ゴズの騒々しい足音がそれに続く。

 この頃になると、拠点のそこかしこから慌しい物音が聞こえてくるようになっていた。評議会の動きが他の者たちのところにも届けられたからであろう。



「……あ、あの。あの」



 うろたえたようにノエルがインの顔を見上げてくる。

 そんなノエルに、インは低い声で問いかけた。



「クロエが評議会に捕まったのか?」

「あ……は、はい!」



 何度もうなずくノエル。それを見てインは考え込んだ。

 クロエが評議会に捕まり、助けを求めてきたノエルの後を追うように評議会の兵がやってくる。

 これを見るかぎり、評議会がインとクロエの関係を掴んでいることは明白のように思われる。インが姉妹のために評議会を敵にまわすと考え、その罪を名分としてセーデ区の大掃除をする心算だろう。



 ただ、関係といったところで、クロエとインは妓女とその客でしかなく、インには姉妹のために危険を冒さねばならない理由はない。少なくとも他者から見ればそう映るはずだ。

 評議会とてそのくらいのことはわかっているだろうに、とインは思う。

 今日までセーデ区に対して積極的な手段をとろうとしてこなかった評議会が、ラーカルト死後の混乱が完全におさまっていない状況で、さらなる騒動を起こそうとしているのも妙といえば妙である。

 考えられるとすれば、よほど確固とした証拠を――緋賊がセーデ区に潜んでいる証拠を掴んだのだろう。



 インはその考えを、駆けつけたカイとアトに話した。

 ノエルがいるので、はっきりと「緋賊」とは口に出さず「俺たちの正体」と言いかえたので、ノエルにはインが何を言っているのか分からなかったはずだ。

 ふたりはインの考えに賛同したが、カイは気になることがあったようで、ひとつだけ付け加えた。



「気になるのは、評議会が僕たちのことを掴んだのなら、ノエル君たち姉妹を利用するというのは迂遠だということですね。評議会がその気になれば、正規兵を動員してセーデを包囲することは簡単です。それをしなかったということは、評議会が一枚岩ではない可能性を示唆しています」

「緋賊を討つ手柄を欲した何者かが強引に事を運んだ、ということか」



 インは腕組みをする。

 実際に正規兵が動いている以上、事の背後にいる人間はそれだけの権限を持っているということである。

 ラーカルトを失って混乱している帝国派が動いたとは考えにくい。となると王国派か、独立派か。

 ラーカルトの後がまを狙う一部の帝国派が動いたという可能性もゼロではない。 

 そんな風にとつおいつインが考えているときだった。



「あ、あの、御主人さま、そのことで、話さないといけないことがあるんです……」



 それまで黙っていたノエルが、思い切ったようにインに話しかけてきた。

 その目にはためらいと恐れ、そしてその二つを拭うほどの強い決心が見て取れたが、カイとアトがまず最初に聞きとがめたのは、ノエルからインに向けた呼びかけだった。



「ご、ごしゅ!?」

「……イン。色事に口を挟むのは野暮だと思うけれど」



 疑念と困惑に満ちた視線を向けられたインは、そっけなく応じた。



「何を想像してるのか知らないが、妓館の下働きは客をそう呼んでいるというだけだ――で、どうした、ノエル?」



 配下ふたりの勘違いを一刀で切り捨てると、インはノエルを見下ろした。目線をあわせる、などという気遣いができるインではない。

 もっとも、それは妓館で会っていたときと変わらないので、ノエルの方も今さら怯んだりしない。つっかえつっかえ話し始めた。



「か、関係があるかどうかは、わからないんですけど。もしかしたら、姉さまとわたしのお家のせい、かも、しれないんです」

「家?」

「は、はい。わたしたちは、何年も前に、アルセイス王国から逃げてきました。アルセイスでの、わたしの名前は、ノエル・ド・オリオールといいます」



 ノエルがかつての名前を口にした瞬間、アトの目が大きく見開かれる。カイの青い双眸にも紫電が走った。

 カイが口を開く。



「オリオール……ノエル君。もしかして、君のお父上の名前はリシャールかい?」

「え? あ、はい、そうですけど……」



 一言で言い当てられ、驚きで目を丸くしながら、ノエルはこくりと首を縦に振った。

 それを見て、カイはなるほどとうなずき、インに顔を向ける。



「イン、僕たちは勘違いしていたみたいです。評議会にとって、僕たちはおまけみたいなもの。本当の狙いはおそらくこの子と、この子のお姉さんです」

「ほう?」



 インが説明を求めるようにカイの顔を見る。

 心得たカイは、今からおよそ五年前、統一暦六二五年にアルセイス王国で起きた一つの内乱について話し始めた……


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