第7章 秘められし力 No.19 最終回
☆ ☆ ☆
自分のベッドに横たわり、ホッと深く息を吐くリオ。
ふと見れば、窓の外、真っ蒼な空を真っ白な雲がのんびりと流れていく。
その雲に乗って流れていく自分を想像し、心を飛ばしながら、瞳を閉じた。
眼下に広がる一面の森。何処までも続いている。そして、その先に見えるのは、空よりも深い蒼。……あれが、海? もっともっと高く飛べば、海の果てに、微かに霞んで見えるものがあるはず。あれは……。
突如、リオの意識は自身の躰へと駆け戻る。扉を叩く軽い音に気付いたからだ。
「どうぞ」
声は小さかったが、それに応えるように扉が開く。隙間から、ひょっこりと顔を出したのは、ルーだ。
「リオ、起きてたぁ?」
何時もどおりの明るい声に癒される。ホッと肩の力を抜き、ニッコリと微笑む。
「うん。大丈夫だよ」
言いつつ、毛布を押し退け、ベッドの端に腰掛ける。そして、靴を探して俯いた時、頭上から、ルーとは別の声が降ってきた。
「もう、無理すんなよ」
顔を上げると、そこにルーの姿はなかった。代わって、アルフが戸口の壁に寄り掛かっている。憮然とした表情。リオは、無理矢理明るい笑顔を創った。
「ごめん、アルフ。君には、すっかり心配掛けちゃったね」
「いいさ、そんなことは。お前が元気ならな。校長先生だって一週間くらいゆっくり休めって言ってくれたんだ。短いけど、秋休みだと思って、ノンビリしようぜ」
リオは動きを止め、アルフを見上げた。その表情に微かな困惑があった。
アルフは後ろ手に扉を閉めると、リオと並んでベッドの端に静かに腰を下ろした。何も言わず、リオの心の奥底までも探ろうとするかのように、彼の碧の瞳をじっと覗き込んだ。
気が付けば、アルフの隣で、ルーがニコニコと微笑んでいる。
窓から流れ込む爽やかな風に乗り、小鳥の囀りが耳に心地よく響く。その風は、リオの髪を揺らし、次いで、アルフの髪を揺らした。長めの前髪の奥で輝く漆黒の瞳は穏やかだったが、そこに強い決意が漲っていることに、リオは気付いた。
沈黙に耐え切れず、リオがアルフに問い掛ける。
「何? アル……」
じっとリオを見つめていたアルフが、ゆっくりと口を開く。
「お前が強い奴だってこと、俺はよく知ってる。でもさ、泣きたい時、辛い時、俺やルーの前でまで、無理に笑うことなんて無いんだ。泣けよ。泣いてくれよ。俺達の前でくらい、素直になってくれよ」
「僕は、そんな……」
リオの否定の言葉は、しかし、あまりにも弱々しく、続くアルフの言葉に掻き消された。
「なあ、リオ。お前は、何をそんなに恐がってるんだ? どうして、そこまで自分を隠そうとするんだよ。お前が、そうやって心を閉ざしちまうから、俺達でさえ、お前の気持ちが解らなくなっちまうんだ。何でそんなに片意地張ろうとするんだよ。弱くたっていいじゃないか。たまにはダメな奴になったって、いいじゃないか。それでもいいって、そんなお前が好きだって言ってくれる奴は、きっといるよ。少なくとも、俺やルーがいる。だから、本当の自分を見せること、もう恐がるなよ」
リオの口許が、微かに歪んだ。次いで、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「僕に、生きる価値が、なくても?」
唇の震えが、言葉の重みを物語っていた。
「仮に僕が、誰にも望まれず、誰にも祝福されず、産まれ落ちた瞬間、生を否定された命だとしても、君は、今と同じ言葉を僕に掛けてくれるの? それでも、僕は産まれる価値があったのだと、そう言ってくれるの?」
リオは、何時もよりも明るい微笑みを浮かべたつもりだったが、それは、少し歪み、哀し気な表情にしかならなかった。それを隠すように、アルフの視線を避けて俯く。震える指先は、真っ白なシーツの端を強く握り締めた。
しかし……。
「何言ってんだか、全然解んねぇよ」アルフは、リオの言葉の裏に隠された深い意味を知ってか知らずか、ただ呆れたように呟いた。「でも、これだけは言えるぞ。何処の何方様か知らないが、お前の命について云々するなんて、俺は許さない。誰が何て言ったって、俺はお前が好きだし、ルーだって大好きだ。お前に出逢えて良かったと思ってる。これから先も、ずっと一緒に、同じ時間を過ごしていきたいと思ってる。俺やルーが、必ず護ってやる。そんなことを言う奴等から、お前のことを必ず護ってやるよ」
それは、今、リオが今一番望んでいた言葉。けれど、リオにとって、その言葉がどれほどの重みを持っているか、アルフ自身、きっと気付いていないのだろう……。
アルフは、リオの頭を片腕に掻き抱き、言葉を継いだ。
「なあ、リオ。母さんが、よく言ってたんだけどさ、誰かを幸せにしたいと思うなら、まず、自分が幸せにならなきゃいけなんだ。本当の幸せを知らない奴に、幸せは解らない。笑っていない奴に、誰かを笑わせることは出来ない。お前が、みんなを幸せにしたいと思うなら、お前が世界中で一番幸せにならなきゃいけないんだぜ」
リオの手がアルフの腕にそっと触れた。
その指先が微かに震えていることに、アルフは気付いた。背後のルーと視線を交わし、ほんの少し照れたように片手で髪を掻き上げると、ポツリと呟く。
「俺達が、付いてるだろ」
リオは黙って、しかし、大きく頷いた。アルフの腕を握る掌の力が微かに強まる。
アルフは空を見上げ、ホッと一つ息を吐いた。
「空、……今日も蒼いぞ。だから、笑ってくれよ。な?」
リオは、アルフの腕の隙間から空を見上げた。空は、眼に染みるほど蒼かった
上目遣いで黒髪の友を見上げる。その視線と、アルフのそれとが、柔らかく絡み合う。
アルフは優しく、労わるように微笑んだ。彼の腕はリオの頭を解放し、柔らかな月光色の髪にそっと触れた。
「……それじゃダメか?」静かな問い。「俺達だけじゃ、お前は不満なのか?」
「……そんなこと……。不満なんて、あるわけ、ないよ」
深い翡翠色の瞳が見る間に潤む。
アルフの親指がリオの目尻にそっと触れると、涙が一滴、指先を伝い、零れた。アルフの心は締め付けられるように痛んだ。
「だったら、もう無理すんなよ」リオの髪をクシャクシャと撫でる。
撫でられたまま、リオは小さく首を横に振った。
「ううん。無理をしてるわけじゃない。……気付いたから」
「え?」アルフの問い。
リオが泣き笑いで答える。
「僕は、自分が歩く道を自分で選んだ。過去も何も関係ない。これからの新しい時間を、僕は、君達と、この世界で紡いでいきたい。だから、今、こうして歩き始めたんだ。僕は、もう、決して迷わない。だって……。だって、此処には、大好きな君達がいるんだから」
リオの髪を梳くアルフの掌の温かさが、リオの心に深く染みていった。リオは、もうそれ以上、我慢することが出来なかった。
「……アルフ、ごめん。肩、貸してくれるかな……」
リオはアルフの肩に顔を埋め、小さな背中を震わせた。それが今のリオに出来る、自分自身への精一杯の強がりだった。
そんなリオの背中を、アルフは優しく撫でた。何も言わず、ただ撫でた。今は言葉なんていらない。そう思った。
ルーが、そっとアルフとリオを抱き締める。
三つの温もりが、今、一つとなった。
窓の外を、木葉を揺らし、風が通り過ぎていく。それは、気の早い虫の声と呼応するように、森の息衝きの如く、優しく、そして力強く、空へと駆け抜けていった。
― 終 −
LURIA 〜 翡翠の瞳 空の蒼 〜
「LURIA 〜翡翠の瞳 空の蒼〜」最後まで読んで頂き、本当にありがとうございました。
11月17日より続編「翡翠の鳥は飛び方を知らない」の連載を開始致しました。宜しければ、そちらもご贔屓頂けましたら、これに勝る喜びはございません。
今後とも宜しくお願い致します。
ほしの 拝




