触れられない思い出
「ケン! ヤバイ! バレちゃうぞ!」
「大丈夫。涼介はそんな姿なんだから、バレるわけないじゃん!」
「でも、おまえ、嘘がつけないんだろ? 俺の事を質問されたらヤバイじゃないか!」
「その制約は、もう無いよ! そのままだとこんな時に対応できないからね! 自立型に改造した時と一緒にアップデート済みだよ!」
「なるほどな。じゃあ、任せた!」
とりあえず一安心だが……嘘がつけないアンドロイドが、今は人と同じで、嘘がつけるらしい。
この状況であれば、仕方ないのかもしれないが、何故だか少し不安だった。
俺にも、嘘をついているんじゃないか?
そんな疑念が、うっすらと、靄のように心を曇らせる。
「AIが嘘をつく」
文字にすれば、たったそれだけの事なのに……。
マオさんは、飛び出して行ったユイに連れられて、僕の前に来てしまった。
「こんにちは。あなたがアムルタートさんですか?」
「はい。マオさん。今日はよろしくおねがいします」
「はい。私にできることがあれば、なんでも言ってくださいね!」
久しぶり見るマオさんは、更にグッと大人びた印象になり、可愛さも、美しさも格段にアップしていた。
こんな子にラクライマ語を教えて貰っていたと思うと、今の自分の姿が恨めしくなる。
この再会を素直に喜べず、悔しい思いでいっぱいだった。
「アムルタートさん?」
「ああ、申し訳ない。あまりに綺麗な方だったので、見惚れてしまいました」
マオを見つめながら思いに耽ってしまい、ユイが不思議そうに、こちらを覗き込む。
慌ててマオさんを褒め、弁解したのだが、ユイの表情は曇ってしまった。
「そうですか」
なんて、少し不機嫌な感じで顔をそらされてしまい、ちょっと焦る。
今までの俺であれば、ここですぐに勘違いを起こし、
『あれ? もしかして俺に気があるんじゃないの? マオさん褒めたから、拗ねてるのかな?』
なんて真っ黒な歴史を製造する事になっていただろう。
だが、今の俺はケンの執拗なレッスンを受け、一歩引いた目線で物事を考える余裕を持っている。
たとえ思い違いではなかったとしても、何か事を起こすには早すぎる。
ここで慌てれば、キモい早漏君の出来上がりだ。
「すまない、マオさん。お願いしたい事の内容は、もうご存知でしょうか?」
「はい。ちゃんと聞いてますよ。ちょっと怖いけど、傷とか残らないって話なので、アムルタートさんが困っているなら……と思って来ました!」
「ありがとう。では、よろしいでしょうか?」
「え? もう……あ、大丈夫です」
「すぐ済みます」
怖いと思っているのであれば、一思いに終わらせてしまった方が、心の負担は少なくて済むだろう。
そう思い、俺は、マオさんに触手を……
「どうかしましたか?」
マオさんが、不思議そうに俺を見つめる。
可愛い……。
自分でもわからないのだけど、触手に変化させた手は、マオさんを貫く事を拒んでしまった。
思い返してみれば、俺は初めて、知らない誰かではなく、友人を貫こうとしている。
一ヶ月近くバーチャルな世界で、二人きりの時間を過ごした思いでは、今もなお、鮮明に焼き付いている。
このまま、エネルギーを吸収しなければ、痛みを伴った苦痛が待っているはずなのに、触手を突き刺すという行為が、酷く背徳的な……いけないものの様な気がしてしまった。
「いえ……すいません」
「アムルタートさん? 大丈夫ですか?」
ユイが心配そうに声をかけてくれる。
申し訳ない。
しかし、止まってしまった触手は、どうやら動きそうにない。
二人の美女に見つめられている状況は、満更でもないのだけれど、その視線の一つは、無視できないほどに、俺の心を満たしてくれていた恩人によるものだ。
俺は、その恩人に触手を突き刺す事が出来ないでいた。
「マオさん……来ていただいて申し訳ないのですが……あなたが美し過ぎて、触手を突き刺す勇気が出ないみたいなのです」
ぽかんと俺を見るマオさんの視線。
そりゃそうだろう。会って早々、軽口ばかりで不敬極まりない。
さらには、わざわざ来てくれたのにも関わらず、意味不明な事を言われているのだ。
怒られてもおかしくはない。
「涼介?」
不意に紡がれたマオさんの声は、懐かしい響きを纏い、心の奥をかき乱す。
血の気が増し、緊張が全身を走る。
ここで下手を打ってしまえば、姉さんから、どんな事をされるかわかったもんじゃない。
俺のちっぽけな感情のために、あんなに良くしてくれたマオさんを巻き込むわけにはいかない。
ケンに注意しておきながら、自爆なんてオチでは笑えない。
マオさんの危険を感じ取ると、俺はスッと意識を集中し、全力で最適解を探し始める。
まだ始まったばかりの疑念だ。
こちらの対応次第で、なんとでもなるだろう。
数少ない友人を守るため、俺は、ふらふらしていた心を正さなければならない。
それが、どんなに寂しい結末だったとしても、受け入れる覚悟は、して来たはずだ。
「涼介……どなたですか?」
「あ、いえ……以前知り合った人なんですが、どこか似ていたものですから……」
「こんな姿の人が居るのですか?」
「いえいえ、あの時は、バーチャルな世界での事でしたので、実際に会った事はありません」
「思い人ですか?」
「いえ、違います」
どんな結末だろうと、受け入れると覚悟していたが、今のは思いの外、グサッ! っと心に突き刺さる。
なぜか食い気味に否定されたそれは、可能性がゼロである事を意味している。
マオさんは友人なのだ。
そう、ただの友人……なのだ。
「失礼しました。マオさんとの会話が楽しく、ついつい長くなってしまいました。
では、今度こそ、ちゃんとします。
よろしいでしょうか?」
「はい。さっきはすいません。私が「もう」なんて口走ったせいで、気を遣わせてしまったんですよね。
準備は出来ています。どうぞ」
「では……」
なんとか都合のいい感じに解釈してくれたようだ。
俺は今度こそ、躊躇う事なく、マオさんに触手を突き刺す。
目を瞑っていたマオさんは、ずっと瞼を強く閉じたままだ。
素早くエネルギーの吸収を済ませ、触手を抜き取る。
「マオさん」
「はい、どうぞ!」
「終わりました」
「え?」
マオさんは、目をゆっくりと開け、胸元を見ながら、手で確認する。
きっちり傷を残す事なく抜いたので、触っても気づかないはずだ。
「あれ? 本当に終わったんですか?」
「終わりましたよ」
「だから言ったでしょ? 全然痛くないって」
「う……うん」
ユイから痛くないとは聞かされていた様なのだが、触れた感覚すらないとは思わなかったのだろう。
即効性の麻酔みたいなもので、効いた場所の神経を鈍らせる。
なので、神経が伝えるはずの感覚は、脳に届く事はない。
「あー、こんな事なら、目を瞑るんじゃなかったなぁ」
マオさんは、なぜかがっかりした様子で口惜しそうに胸をさする。
「申し訳ない。怖がっている様子なので、出来るだけ手早く済ませてしまいました」
「あ、いえ……。じゃ、じゃあ、もう一度!おねがいできませんか?」
触手のおかわりを要求されたのは初めてだ。
エネルギーを吸収しなければ、何度刺しても問題ないだろうが、収拾がつかなくなってしまえば問題である。
マオさんの執念深さは身にしみて知っているので、ここは程よくあしらう事にする。
「申し訳ありません。一週間の休息を待たないと、マオさんの体が持ちません」
「そう……ですか」
不満気なマオさんも可愛い。
コロコロと表情が変わり、心模様を反映してしまう。
あの頃と変わってない。
俺の知っているマオさんよりも、グッと美しくなって、少し寂しい感じもしたが、性格は懐かしい思い出のままだ。
「できれば、八日後、またご協力いただければと思います」
「うー、わかりました……じゃあ、八日後、絶対ですよ!」
「はは。ありがとうございます。願っても無い事です」
「じゃあ、八日後を楽しみにしています!」
「はい。よろしくおねがいします。では……ユイ。後を頼んでもいいかな?」
「はい! じゃあ、行こうか、マオ」
「うん……」
「どうかした?」
「何でユイは呼び捨てなの?」
「え?」
ユイは困惑したようにマオさんを見る。
「私、アムルタートさんを呼び捨てになんかしてないよ?」
「違うよ。アムルタートさんが、ユイの事呼び捨てにしてるじゃん! 私はマオさんなのに!」
強烈な思い出が蘇ってくる。
マオさんの呼び捨て事件。
執拗なまでに呼び捨てを強要し、俺を困らせ、試練を与えた女神。
「そういえば……そうね」
ユイは、マオの質問に困惑した表情になる。
特に理由なんてない。
説明に困る質問だ。
「なんで? アムルタートさん! なんでですか?」
「特に気にした事はなかったな」
「私も、特に気にしなかったから……」
「じゃあ、私のことも、マオって呼び捨てにして下さい!」
「いいのですか?」
「その感じも、なんかユイと違う気がする……」
ダメだ。こうなってしまったマオさんは、止める事は出来ない。
止めようとすれば、たちまち機嫌を損ねてしまうだろう。
ユイに助けを求めるように顔を向けると、ユイも苦笑いをしている。
ダメらしい。
「……マオ。これで大丈夫か?」
「……」
何故か、マオさんが黙ってしまった。
ぼーっとこちらを見ている。
「どうかしましたか?」
「ん? あ……いや、なんか、こんな事、前にも……あ! あー……なんでもないです」
「大丈夫ですか?」
「はい。すいません。さっき言った涼介って人と、おんなじ様な事で言い合った事があったもので」
「そうですか」
「ごめんなさい。気にしないでください。あっ、でも、私のことは、マオって呼び捨てにしてくださいね!」
「はい」
「じゃ!」
涼介の余韻を隠しきれず、マオさんに悟られるところだった。
それにしても、相変わらずの元気なマオさんと会えて、とても嬉しかった。
そして、可愛かった。
ユイに連れられて、マオさんは広場の向こうへ消えていく。
俺も、二人の姿が見えなくなってから移動する。
えらく気を使う事になってしまった、残念な再会だったが、それでも、マオさんの笑顔が見られるのなら、問題ない。
部屋に行くまでの道中、ケンが何か言っていたが、よく覚えていない。
その夜、俺はマオさんの笑顔を思い出し、健やかな眠りについた。