運命の扉
昨日はあの後、今後の事について真剣に考えていた。
しかし、今すぐに娯楽を提供出来るようなものは見つからない。
また、焦って提供した不出来なものを見せることは、自他共に抜け出せない深みにハマるだろう。
そんなことをグダグダと考えていたら、また寝てしまっていた。
「アムルタート様、贄の準備が出来ました」
「……ああ」
今日もラミアはきっちり起こしにくる。連れて来た贄はリリーだ。
「おはようございます。アムルさん」
「おはようリリー。ここの暮らしはどうだい?」
俺は、数日間暮らして何か不都合が無いか確かめる。
「ここの暮らしですか? とっても楽しいです! 昨日はグレースさんが興奮気味にお芝居のお話をされていましたよ」
「グレースが? 興奮気味に?」
俺と接する時のグレースの態度から察するに、皆と上手く会話出来てないんじゃないかと心配していたが……どうやら杞憂のようだ。
「はい!」
「そうか……。まあ、楽しんでいるのであれば良かった。
だが、リリー、何か不都合があれば言ってくれ。出来る限り善処する」
「わかりました。 皆さんのお話の通り、アムルさんは優しいんですね!」
「皆がそう思ってくれているのであれば有難い事だな。私への不満も、直接言いづらいのであればラミアにそれとなく伝えてくれ。ただし、出来る限り優しくな」
「ふふふ。はい、わかりました」
「では、リリー。用意は良いか?」
「はい……ちょっと緊張しますね」
「すぐ済む。いくぞ」
ザシュ!
「……本当に痛くないんだ」
「ああ。突き刺された場所に驚かないのか?」
「え? あー、知ってました。……で、私はどんな感じですか?」
リリーが何か興味ありげな感じで聞いてくる。
女子会の話題にでもなったのだろうか?
「ん? ああ、リリーは……ほろ苦い……これは……コーヒーのような……良いな。とても良い」
「コーヒーですか? アムルさんはコーヒーがお好きなんですか?」
「ああ。とても好きだ」
「それは良かったです!」
「ありがとう、リリー。だが、このままでは吸い尽くしてしまいそうだ。抜くぞ」
抜いた痕が残っていないか確かめる。大丈夫なようだ。
「そういえば、ミーアさんが帰ったと聞きましたが、大丈夫ですか?」
「それは心配しなくていい。一日ならば、食事を取らなくても我慢出来る範囲の苦痛しかない……と聞いている」
「まだ経験がないんですか?」
「ああ」
「無理しちゃダメですよ!」
「わかった。ありがとう」
この世界の人々の反応は、まるでそれが当たり前のように優しい。
まだ数人しか接してはいないが、なにか同じ対応をされているような……そんな気持ちの悪い……個性が無い……全体主義的な……違う。
だからと言って、浅はかな優しさではない。
推し測られているかのような……。
いくら悩んだところで、どんな推察も大して納得のいく答えにたどり着けないでいる。
「……」
「……アムルさん?」
「ん? ああ、悪い、考え事をしていた」
リリーを目の前にして、考えに耽ってしまったようだ。
「リリー。この世界の人は何故皆こんなに優しいのだろうか?」
「…………優しいですか? 私にはアムルさんの方がよっぽど優しいと思いますよ?」
一瞬……リリーは答える前に間を空けた。
その後は、取ってつけたような……社交辞令のような……下手くそな嘘のような……あどけなく裏表のないような……何か気持ち悪い……。
「何故そう思う?」
「んー。今まで良くしてもらってるし、ミーアさんや、グレースさんのお話を聞いていてもそう感じたからですかね?」
「ミーアやグレースが何か言っていたか?」
「そうですねぇ。ミーアさんは連れさらわれたようなこと言ってましたけど、楽しそうでしたし、あまりアムルさんを悪く言ってませんでした。
グレースさんに関しては、起きた事だけ考えれば、到底許されるような話じゃないなと思ったからですかね」
「皆でそんな話をしていたのか」
「そうですね。何か……駄目でしたか?」
「いや、楽しく過ごしてくれているのであればいい。
……皆、楽しんでいるようだが、リリーは帰りたいと思ったことはないか?」
「いつでも帰してくれるんですよね?」
「……ああ」
「ふふふ」
「何か可笑しかったか?」
「アムルさんがあんまりにも寂しそうな顔をされるのでつい。
大丈夫です、みんなアムルさんを見捨てたりしませんよ」
会話の誘導がうまくいかない。俺が知りたいのは、何故みんな優しくしてくれるのかなのに。
俺はこんなに会話が下手だったのだろうか?
ここは食い下がる。
「……そうか」
「心配ですか?」
「……いや、やはり皆優しいとな。そういった環境に慣れてないせいかもしれない。不安であるということは、私は皆を信じたいだけなのかもしれないな」
「信じたい……ですか」
「どうかしたか?」
「私達は幼い頃から信じるという行為を制限されているので、表面上はわかるんですけど……ね」
「制限されている? 何故だ?」
「ラクライマ教では、信じる行為は興が乗らなければ禁止なんです」
「どういう事だ?」
「要するに、信じたら面白いと思えるものでなければ信じてはいけないって感じですかね」
「信じる者は救われる……というわけではないのか……」
「なんですかそれ?」
「いや、私の知っている宗教の基本だ」
「そうなんですか……たしか、昔のお話にそんな内容があったような……」
「いや、大丈夫だ。ありがとう。
だが、どうしてそのような教えなんだ?」
「これについては解釈がいくつかあって、その中でも多いのが、自分で考えることを止めてしまう行為とほぼ同じであるので、娯楽以外では禁止って考え方ですかね。
そもそもラクライマ教は、考える行為を阻害するような事を制限しているって見解もありますね」
気持ち悪さの原因はこれだろう。この世界の人間に植え付けられた教義、ラクライマ教……。
何か違和感を感じた時に追求すると顔を出す。
この程度でここまで気持ち悪いのだ、宗教戦争なんてのは、必然だったのかもしれない。
問題の解は得られなかったが、解法は得られたような気がした。
「……」
「……アムルさん?」
「ああ、すまない。リリー、ラクライマの経典はどこかにないか? 少し興味が湧いた。読んでみたいのだが」
「あー、今は無いですね……」
「どこにもか?」
「シューゼ以外の国なら、きっとあると思います」
「そうか……」
「じゃあ、みんなとラクライマ教についてお話しましょう! 今はみんな集まっておしゃべりしてると思いますので、アムルさんもそこでお話しましょう!」
女子会に誘われてしまった。物凄く行きたい! 行ってみたい!
しかし今はアムルタートという親父の姿だ。はたしてそんな事が許されるのであろうか?
……きっと大丈夫だろう。なにも問題は無いはずだ。俺のこの気持ちを遮ることは出来ない!
「皆が集まっているところだ、邪魔するのも悪いだろう」
自分の気持ちとは裏腹に、その弱さからこんなことを口走る。
「大丈夫だと思いますよ。みんな歓迎してくれるはずです!」
『…… 親父……行ってもいい?』
——……好きにしろ。
俺はこんなくだらないことでも確認を怠らない!
世の中をうまく渡るには、石橋を叩いて渡るくらいが正解なのだ!
「……そうか。ではリリーを信じるとしよう! ラクライマの教えに習ってな」
「そうです! 行きましょう!」
何故かさっきより元気なリリー。
この様子ならば、おそらく問題ないだろう。入った瞬間に場がシラけるような事は無いように願いたい。
そして、リリーに連れられて扉の前まで来てしまった。
「アムルさんが開けてください! みんなを驚かせましょう! ……では、どうぞ」
「……わかった」
俺はサプライズを仕掛けるリリーに乗っかることにした。
ここから先は秘密の花園だ。
俺は焦る気を抑えてドアの前に立つ。
一瞬……なんとも言えない何かが脳裏を過ぎったが、今はそんな些細な事はどうでも良かった。
そして、俺は迷いを捨て、ドアノブに手を掛ける。
人生で初めて萩の月を食べました。
牛タンも厚かったです。