7:美少女は憂鬱
かしゅ、と改札機から吐き出された定期券を右手で摘まみ、キャラクターがプリントされたパスケースの中にしまい込む。ぱっと手を離せば、ゴムで引っ張られていたそれはスクールバッグの横へと戻っていった。
白い息を吐く口元を覆い隠す様に臙脂色のマフラーを引き上げた真雪は、脇に挟んでいたミトンの手袋を両手に被せた。そのまま線路を渡り、南北に細長く伸びるホームへと歩いていく。
真雪が通う高校のすぐそばにあるこの駅には、すでに数十人の生徒が集まっていた。だが、その多くは券売機付近にある待合室のストーブで身を寄せ合っており、冬だというのに熱気が立ち込めていた。
「真雪さん! 寒くありませんか!」「ここ空いてますよ、どうぞどうぞ!」「それとも俺が温めてあげましょうか?」「何言ってんだお前」「抜け駆けは無しだぞ」
そう騒ぐ数人の男子に「私、寒い方が好きなの」と微笑んで通り抜けてきたのだが、彼らは落胆を隠せない様子だった。
「あんなむさ苦しいところにいるなんて耐えらんない。それだったら寒いところにいる方がマシよ」
自分へと向けられる好意の視線を無視し、数少ない生徒が身を寄せ合う屋根のある部分を通り抜ける。屋根のかかっていない場所はお昼頃から降り始めた雪により薄らと白くなっていたが、気にするほどでもない。駅に隣接する寺に向いて立ち止まり、ふう、と一息ついた。
「雪、止んじゃったのかしら」
狐色の瞳で曇天を見上げるが、そこから綿雪が降りてくる気配はない。少し残念、と形のいい唇を尖らせ、胸の前で腕を組む。
駅のホームに一人で立つのは数か月ぶりだ。いつもなら虫のように取り巻きが集ってくるのだが、今日はそれもない。
真雪は高校で一番の美人だった。幼い頃から可愛い、美しいと持て囃され、小学生のころからファンクラブのようなものも出来ていた。出歩く先には最低でも男子が二人尾行してくるし、バレンタインには「逆チョコ」なるもので机どころか教室が埋め尽くされた。
しかし、そんな取り巻き達も寒さには敵わなかったらしい。久しぶりに過ごせる穏やかな時間に、真雪はふっと頬を緩めた。
持て囃されるのが嫌なわけではない。むしろ素直に嬉しいし、自分の外見に自信を持つこともできる。妬むような女子の視線も気にならないし、もう慣れてしまった。
だが、
――相変わらず、私の「中身」は見ようとしないもんね。
声をかけてくる者は必ず「君可愛いね」「美人だね」「愛らしい」と言葉を吐いてくる。決して嫌なわけではないが、十六年間も言われ続ければさすがに飽きるというものだ。
それに、外見に引き寄せられた輩は皆、真雪の「中身」など気にしない。いや、どちらかと言えば「こんなに美人なんだから、きっと性格もいいはずだ」と思い込んでいる節がある。
もちろん、取り巻きの前では純真無垢な性格を装っている。しかしそれはあくまで、彼らの期待を裏切らないためだ。
――バッカじゃないの。
――みんな、みんな、私の「外見」しか見てくれない。
内心で毒づいたところで、かんかんと踏切が音を立てた。改札機とホームの間に横たわる線路には遮断機が下ろされ、多くの生徒がその手前に集まり始める。
この路線は単線で、上り電車と下り電車はこの駅ですれ違う。そのため、ホームを挟むように線路が二本走っている。ぷあん、と音を立てながら滑り込んできたのは、真雪が利用する、南へと向かう列車だった。
小豆色に塗装された四両編成の列車は、一両目の一番前の扉が真雪の前に来るようにして停まった。そこを狙いすまして立っていた真雪は、温かな車内へと足を踏み入れる。
車両と同じ色をした長椅子に生徒たちが続々と腰かけていく中、真雪は一人、運転席の後方にある三人程度が座れる椅子に腰を下ろした。
ここならば列車の一番端にある所だし、取り巻き達もわざわざやってくることは無いだろう。自分が降りる終点の駅まではここでゆっくり出来そうだ、とバッグを膝に置き、発車するのを待つ。
約一分後、対向列車がホームに滑り込み、車内に「扉が閉まります」とアナウンスが流れた。
ぷあー、と気の抜けた音が鳴ると共に扉が閉まり、電車はゆっくりと動き出す。約三十分の乗車時間、特にすることもないし、と真雪はぼんやりと外の様子を眺めた。
高台にある高校や、低地にある民家の屋根などが窓の外を流れていき、次第に景色は田園風景に変わる。こちらの方は雪が多く降ったのか、若干積もっているようにも見えた。
線路わきに立つ電柱をどれだけ通り越したか数えるのも面倒になったあたりで、
「ご乗車、ありがとうございました――」
次の停車駅を知らせるアナウンスが流れ、IT会社の前にある駅に停車した。この付近には女子に人気のスイーツ店があり、毎日必ず数人の生徒が下車していく。今日も例外ではない。
一般の客も乗車し、発車する。
再びぼんやりと外を眺めていると、スカートのポケットにしまい込んでいた携帯が二回振動した。誰かからメールが来たらしい。
ごそごそと取り出した携帯のディスプレイを確認し、
「うわっ」
小さく悲鳴を上げる。
件名のところに表示されていた名前は、出来れば思い出したくない名前だった。
文面を見る前に、メニュー画面から迷うことなく「削除」を選択する。これ以上、その名前を見ていたくなかった。
「嫌な奴の事思い出しちゃった」
取り巻きがいないことで晴れ晴れとした気分だったのに、台無しだ。
いつの間にか、電車は田園から抜け出し、高層マンションが立ち並ぶ場所へと来ていた。
停車駅に着き、扉が開くと同時に多くの生徒が外へと飛び出して行く。別の路線への乗り換えや、ショッピングセンターを目当てにする人が多く、最も人の移動が激しい駅なのだ。
人が入り混じるホームの様子を見るともなしに眺め、真雪は発車を待つ。今は早く家に帰って、コタツへと入り込んでしまいたかった。
だが、
「⁉」
偶然見つけた人影に、のんびりとした考えは吹き飛んだ。
そんな、どうしてここに。いるはずないと思っていたのに。
人影は二両目へと乗り込んでいく。入れ違いにホームに出ることも出来たが、人ごみの中に飛び込むなど、取り巻きに「集まってきてください」と言っているようなものだ。
どうしようかと考えあぐねているうちに、無情にも扉は閉まってしまう。
ゆっくりと動き出した車両の中で、真雪は出来るだけ二両目との連結部分を目にしない様に運転席を凝視していた。こうしていれば顔は分かりにくいだろうし、見つかる可能性も低くなると思ったのだ。
しかし、
「珍しいね、今日は一人なんだ?」
爽やかな声が聞こえ、真雪の背筋は凍り付いた。
まるで機械のように首を回し、声の主に目を向ける。
「誰かと思えば、刈屋先輩じゃないですか」
そこに立っていたのは、同じ高校の二年生、刈屋睦弥だった。
真雪の正面の席に座りながら、刈屋は緑縁の眼鏡越しに爽やかな笑みを向けた。「電車は温かいね」と首もとに巻いていたマフラーを解き、バッグへとしまい込んでいく。
その様子を眺めていた真雪の口端が、ひくりと引きつった。
――いい加減、あのバッグ何とかしてくれないかな。
バッグ自体は何の変哲もない、普通の学生が持っているようなものだ。問題はその色だ。
彼が持つバッグの色は、真雪の髪と同じ、栗梅色をしている。
「そういえば、メールは届いていたかな? 返事が無かったから心配だったんだけど」
「ああ、すみません。携帯、家に置いてきてて」
「そっか。それなら仕方ないな」
残念そうに微笑む刈屋に極力目を合わせないようにしながら、真雪は笑顔を作る。
先ほどのメールの差出人は刈屋だった。いつも下校時刻の前後にメールを送ってくるのだが、
「俺からのメールをいつでも見ることが出来るように持ち歩いていてねって、いつも言ってるはずだけど。真雪は忘れっぽいんだね」
そんなところも可愛いよ、と付け加えられた一言に、ぞわっとする。
刈屋と知り合ったのは入学式の時だ。母と一緒に受付を捜していた際、運悪くはぐれてしまった。その隙に「あの可愛い子の連絡先を聞きたい」と集まってきた男子に取り囲まれたのだ。
初めは適当に流しつつ母を捜していたのだが、次第に男子生徒が「順番に連絡先を聞こう」「じゃあ俺から」「待てよ、最初に声をかけたのは僕だ」と争い始めたのだ。
喧嘩になりかけているところを何とか抜け出したものの、入試と合格発表の時以外に訪れていない高校の敷地など全く覚えておらず、気が付けば見知らぬ場所へと来ていた。どうすればいいのか困惑していた時、声をかけてきたのが刈屋だった。
受付の場所まで案内してくれた刈屋は、それからの学校生活でも何かと真雪の事を気にかけてくれた。いつの間にか周囲からはカップルと誤解され、二人は肯定も否定もしなかった。
それがいけなかったのだと、真雪は心底後悔している。
「そういえば刈屋先輩、どうして駅のホームに?」
「うん? どうしてって、居ちゃダメなのかな?」
「そういうわけじゃないですけどね」
ほら、と真雪は目を細め、
「下校時間の通りに帰ったなら、その第一陣は今の時間に乗ってなきゃおかしいのに。先輩があの駅に居たってことは、下校時間より早くあそこに居たんじゃないですか?」
彼女の問いに、刈屋は笑みを崩さない。
「そういう鋭いところ、ますます好きになっちゃうな。もしかして惚れ直させようとしてる?」
「ご冗談を」
「白状するとね、真雪とちゃんと話したかったからなんだよ」
照れくさそうに笑った刈屋は席を立ち、真雪に歩み寄ってきた。吊革を右手で持ち、電車の動きに合わせてゆらゆらと体を揺らす。
「怒らないから正直に言ってほしいんだけど、君は最近、俺を避けてるよね」
違うかな? と首を傾げられるが、何も言う事なく曖昧な笑みを返すだけに留める。
知り合って一カ月が過ぎたあたりから、刈屋は「自分は真雪と付き合っている。真雪は自分に惚れている」と勘違いし始めた。さすがにそれはどうかと思い、丁寧にお付き合いは断ったのだが、
「そんなに照れなくてもいいんだよ。そういうところ、可愛いんだから」
と流された。
刈屋の一番厄介なところはそこだ。どれだけ拒んでも、嫌っても、全て「照れ隠し」「本音じゃないだろう?」と、解釈する。
真雪の中身を「見ない」のではなく、「自分に都合のいいように作り上げる」。それならばまだ見られない方がマシだと何度思った事か。
「それでさ、下校時間通りに帰るといつもの繰り返しになっちゃうだろうと思って、悪いなとは思ったけど、待ち伏せさせてもらったんだよ」
「授業をサボってまで?」
「気にしちゃいけない」
そう、と頷きながら、何気なく窓の外を見遣る。
早く次の駅に着かないだろうか。停車したら適当に理由をつけて降りてしまいたい。出来れば、刈屋の隙をついて。
しかし、早く着けと思えば思うほど時間が長くなるような感覚がする。線路は住宅街の裏手を走っており、民家とすれすれのところを通っているために、カーテンを閉じていない家は中の様子が丸見えだ。
「まあ俺が授業をサボったかサボっていないかはどうでもいい。君の答えが聞きたいだけなんだよ」
へらへらとしているはずなのに、鳩羽色の瞳は全く笑っていない。時折こういう目をする刈屋は、何を考えているか分からず怖い。
「ご乗車、ありがとうございました。馬車道、馬車道です。お忘れ物のないようご注意願います――」
アナウンスと共に、電車のスピードが緩やかになる。良かった、次の駅に着いたらしい。
そろりと立ち上がろうと、席に手をつき、僅かに腰を上げる。
「おかしいな、真雪が降りるのは終着駅だろう?」
その動きを読んでいたのだろう。ずいっと体が近づけられ、空いていた左手を窓に伸ばされる。退路を断たれた真雪の体が、石のように固まった。
――逃がすつもりなんて、ないわけね。
いつの間にか、一両目に乗っていた自分たち以外の乗客はいなくなっていた。真雪たちの雰囲気を察して別の車両に移動したのか、それとも下車していったのか。
電車が動き出すと同時に、真雪は「ふふっ」と花が開いたような笑みを向けた。
「避けてるだなんて、そんな訳ないじゃないですか」
「ああ、やっぱり。でもじゃあなんで、俺は君と会わなかったのかな?」
「恥ずかしかったんですよ」
目にかからない程度に切られた前髪に触れながら、少しだけ悲しげな表情を浮かべてみせる。
「この前、髪をちょっと切ったんですよ。その時に失敗しちゃって、こんな髪型で刈屋先輩に会ったら笑われちゃうなあって」
「そんな訳ないじゃないか。どんな真雪でも、俺は愛しているさ」
さらりと吐かれた言葉に、思わず鳥肌が立った。
嫌いな相手に告げられる愛の言葉ほど、気持ち悪いものはないと思う。しかも刈屋は、真雪がその言葉を喜んでいると勘違いしているのだ。
愛しているだのなんだの言っても、結局真雪の事は理解していない。そういうところが、大嫌いだった。
ひとまずこの状況を何とかしなければ。これ以上刈屋と居ると息が詰まってしまう。
「真雪、こっちを見て」
甘い声と共に、頬に冷たい手が触れた。
まさか。
「ちょっと、あの、先輩」
「大丈夫、誰も見ていないから」
いつの間にか、刈屋の手が吊革から離れていた。左手は肩に乗せられ、次第に首筋へと移動してくる。
どうすればいいのか分からず、おろおろと左右に視線を向ける。左側には運転席があって逃げられないし、右側は刈屋の左腕によって遮られている。
このままでは。
――キスされる!
何が嬉しくて嫌いな相手とキスなんかしなければいけないのだ。それに、ファーストキスは絶対に好きな相手と、と心に決めている。
すっかりそういう気分に浸っているのか、眼を閉じた刈屋の顔が徐々に迫ってくる。
何とかして避けられないか。顔を左右どちらかにずらすしか逃げ道はないのか。
そう思っていた時だった。
「ご乗車、ありがとうございました南別所、南別所です。お忘れ物のないよう――」
次の停車駅を知らせるアナウンスが流れるとともに、ガタン、と電車が大きく揺れた。分岐器があるため、そこを通る際に必ず揺れるのだ。
立っている場合は、バランスが取れなくなるほどに。
「っ!」
その事を完全に失念していたのだろう。刈屋はバランスを崩し、元々の体勢が不安定だったせいで、無様に尻餅をついた。
――今しかない!
「あっ、真雪!」
膝に乗せていたバッグを胸に抱え、勢いよく立ち上がった真雪は、扉が開くと同時に外へ飛び出した。薄らと雪が積もっていたせいで滑りかけたが、何とか踏ん張って屋根の下へと駆けていく。
咄嗟に振り返ると、立ち上がれなかったらしい刈屋の顔が、閉じた扉によって遮断された。そのまま車両は動き出し、次の停車駅へと向かっていく。
所々窓ガラスが割れた工場を背に立つ寂れた駅には、真雪一人だけが残された。
咄嗟に降りてしまったが、本来降りる駅はあと数駅先だ。次の電車を待っても良かったが、次の駅で刈屋が待ち伏せしている事を考えて諦めた。
かと言って、このままここにいれば、反対列車に乗った刈屋が現れるかもしれない。これ以上、あの男の顔を見たくはなかった。
仕方がない、母に迎えに来てもらおう。雪で滑って足を痛めたとでも言えば、面倒くさがりながらも車を出してくれるはずだ。
確かこの駅の付近にはコンビニがある。ホットコーヒーでも買ってイートインスペースで母を待とうと、手袋を外した真雪はパスケースから定期券を取り出した。
※専門学校在学中の課題「電車の中で思いがけない人物、または事件に遭遇する」を加筆・修正したものです。




