4:神社で出会ったのは
みんみん、じわじわと、長い一本道の右側に沿って植えられた木から蝉の鳴き声が聞こえてくる。左側の水田からは時折カエルが顔を出し、綿あめのような雲が流れていく晴れ上がった空を水面に映していた。
頬を伝う汗を手の甲で拭い、陽奈はため息をついた。
「やっぱり家に居ればよかったかな、暑い」
背中まで伸びた黒髪はポニーテールに纏めてあるが、暑いことに変わりはなかった。今からでも家に帰ろうかと立ち止まって振り返り、公民館やログハウスが置かれた公園を目にして首を振る。
そうだ。自分にはやるべきことがあるじゃないか。暑さに挫けるわけにはいかない。
再び歩き始めた陽奈の隣を、サッカーボールを抱えた小学生の男子が二人通り過ぎて行った。
「一本でも多くゴール決めた方の勝ちな! 負けたら二人分のアイスを買う!」こんがり日焼けした片方の提案に、もう一人の男子は挑むようにニッと笑った。
楽しそうに通り過ぎて行った二人の姿に、数年前の自分の姿が重なる。あの頃は何も考えず、毎日をただ楽しく過ごせればそれでよかった。今では進路やテストの事に頭を支配される日々だ。
――いや、違うか。ちゃんと悩んでた時期もあったか。
小学生の自分の頭を撫で、柔らかな笑みを向けてくれた。その人の顔を思い出し、陽奈は自然と微笑んでいた。
じりじりと熱いアスファルトの上をぼんやりと歩いているうちに、いつの間にか目的地まであと少しになっていた。
一本道が別の道と交わり、交差点になっている場所を右に曲がる。緩やかな坂になったそこを上った先には墓地があり、その手前を左に曲がった。そのまましばらく歩いていくと、やがて道は鬱蒼と木々が生い茂る山へと入って行った。
より一層うるさくなった蝉の声に眉を顰めながら、坂道を上る。次第に見えてきたのは、さらに上へと伸びる長い坂道と、そこに跨るように立つ石の鳥居だ。
「お? 陽奈ちゃんじゃないか」
聞き覚えのある声に、「あっ」と声を上げる。鳥居の下には、祖父の友人が立っていた。
「何してんの、おっちゃん」
「散歩しに来とったんじゃ」祖父の友人は坂道の上を指さし、麦わら帽子の下で健康そうな笑みを浮かべる。「ほら、この上に神社があるやろ。散歩ついでにお参りしにな」
それじゃあ儂は帰るでな、と手を振って道を下っていく祖父の友人の背を見送り、陽奈は鳥居の向こう側に目を向けた。
虫の音や風に揺すられた葉の音など、様々な音が木霊する林が左右に広がる。道の両脇には苔の生えた石の灯籠がずらりと並び、まるでこの道の監視をしているように思えた。
意を決し、陽奈は坂を上り始めた。目的地――神社へと行くには、ここを上っていくしかないのだ。
空を覆うように伸びた枝が日光を遮っているおかげで、かなり涼しい。鼻歌交じりに坂道を登りきると、そこでは物悲しげに二つ目の鳥居が佇んでいた。
その鳥居を潜った先に、急な石の階段が続いている。中央には数年前に取り付けられた手すりがあり、陽奈はそこに手をかけながら一歩ずつ上がっていった。
「はー疲れた」
何十段目かの最後の一段を踏みしめ、ふう、と息をつく。
階段の上には三つめの鳥居が建てられ、その下では一対の狛犬がこちらに背を向けていた。
「誰もいないのかな……?」
狛犬に挟まれる位置まで歩き、周囲を見回した。左側には春秋の写生大会の時に実行委員が使う小さなプレハブの小屋が置かれ、右側には初詣の夜に参詣者が温まるための火が焚かれる大きな窪みがある。さらにその奥にはまた別の小屋があり、陽奈が立つ石畳の道を真っ直ぐ行けば神社の拝殿に辿り着く。
正月やイベント時には人であふれかえるこの場所も、平日には全く人がいないらしい。いたとしても、先ほどの祖父の友人のように散歩で立ち寄ったとか、それくらいだろう。陽奈自身も初詣以外ではほぼ訪れないし、蝉の鳴き声だけが聞こえる境内は、静かに思えた。
「お参りして帰ろうかな」
そのために来たのだから。陽奈は躊躇うことなく道を進み、拝殿へと近づいて行った。
石畳の道の両脇には、大量の砂利が敷かれていた。しばらく進んだ先の左側には手水舎があり、そこにはしっかりと水が張られていた。そこで手と口を清め、よし、と再び歩き出す。
が、
「えー、なんでー」
短い石階段を上った先の拝殿へと続く門の扉は、ぴったりと閉ざされていた。呆然と、なんでー、を繰り返す。普段はここを閉じているんだろうか。これでは賽銭箱に小銭を入れることさえできないじゃないか。
むっつりと頬を膨らませ、陽奈は石階段に座り込んだ。肘をつき、むう、と唸る。
確かに人がいなければ、賽銭箱から小銭を盗み出そうとする不届き者が現れるかもしれない。だが、陽奈のように普通に参拝をしに来る者だっているだろう。
「門を通り越してお金を投げ入れるとか、かな」
陽奈はポケットから五円玉を取り出して右手に握り、大きく振りかぶってそれを放り投げた。放物線を描きながら門を通り越え、ちゃりん、と音が聞こえる。
賽銭箱には入らなかったが、仕方がないだろう。陽奈は二回頭を下げ、ぱんぱん、と手を叩き、そのまま目を閉じた。
――お願いです、神様。どうかもう一度、あの人に。
私の頭を撫でて、優しくしてくれたあの人に会わせてください。
「そーれは僕に言われても困るかなー」
突然聞こえた幼い声に、パッと目を開き慌てて辺りを見回した。
言われても困る、とは。陽奈は口に手を当て、願い事は口にしていなかったはずだと首を傾げる。それに今の声はどこから。
「僕はどっちかっていうと豊穣とかそういう方を聞く身でさー、恋愛相談はちょっと専門外っていうかー」
「え、ちょ、ちょっと、どこから……」
――上から聞こえてきてる?
まさか、と思いながら顔を上げ、
「あ、そうそう、お賽銭ね。しかと受け取ったよ」
五円玉を指でつまみ、ニコニコと笑う少女が、門の上に座っていた。
まるで神職の者が着るような服装と、その手に持つ扇。艶のある黒髪は長く、その下でたれ目がちな瞳が陽奈を見つめている。
彼女は一体誰なのか。動揺する陽奈の様子を見た少女は、「あーごめんごめん」と門の上で立ち上がり、躊躇うことなく飛び降りた。
砂利の上に降りたった少女は陽奈の傍に近寄る。陽奈の胸のあたりまでしかない小さな身体が可愛らしく、つい頭を撫でそうになってしまう。それを何とか堪え、おずおずと問いかけた。
「あの、君は……」
「だーからー、豊穣とかの神だって。何回も言わせないでよー、もう」
ひょっとして名前知らないでしょ、と睨まれ、思わず頷いてしまう。それを見た少女は急に悲しそうな目をし、石階段に腰かけた。
「やっぱりなー、最近の人たちって、ここにどんな神が祀られてるかなんて気にしないんだな。どんな神か知りもしないで初詣の時だけ参る人間の多いこと」
「うっ……」
自分のことを言われているようで、顔が引きつった。
神、と言っていたが、本当だろうか。信じてもいいのか分からず、陽奈は躊躇いがちに問いかけた。
「本当に、神様なの?」
「そう言ってるでしょー。……まあ最近は、信仰心とかそういうのが薄れてきちゃったから、こう、神々しい! って感じはないし、体も小さくなっちゃったけど」
その隣に座り、陽奈はじっくりと少女の顔を見つめた。どう見ても普通の人間の少女にしか見えないが、突然門の上に現れたことを考えて、本当に神様なのかもしれないと思い始めた。
ここには間違いなく自分しかいなかったはずだし、頑丈に閉ざされた門の向こうに入れるとは思えない。格好も自分のような洋服でもない。
「それで? あの人って誰なの」
「え?」
「言ってたじゃん。あの人にもう一度会いたいって。誰なのかって聞いてるの」
早く、と急かす様に膝を叩かれ、「憧れてた近所のお兄さん!」と慌てて口にした。
「小学生の時、近所に高校生の男の子が住んでて、すっごく優しくしてくれて。でもお父さんの仕事の都合とかで引っ越しちゃって、もう七年くらい会ってないかなあ」
「ふーん。で、その人に会いたいの? 会ってどうするの?」
「どうするって……会った時に考える」
「そういうの何も考えてないっていうと思うんだけどなー」
くすくすと笑う少女に何も言い返せず、陽奈は乾いた笑いを浮かべることしかできなかった。
そうだ、自分はあの人に会ってどうしたいんだ。小学生の頃は確かに好きだと思っていたはずだが、今は別に恋愛感情で好きなわけではない。そう考えると、ますます会いたい理由が分からなくなってきた。
もやもやと悩み始めた陽奈を見た少女は、「まあ、いっか」と立ち上がった。どこかに行くのかと思っていると手招きをされ、駆け寄った。
「え、なに?」
「願いを聞いたからには、黙ってるわけにはいかないしねー。お賽銭も貰ったわけだし」
悪戯っぽく笑った少女は陽奈の前に五円玉を掲げ、軽快な走りで鳥居まで向かっていった。慌ててそれに続き、
「どこ行くの?」
「僕一人の力じゃ出来ることがあるからねー。知り合いの神様にも協力してもらいに行くんだよー」
ほら早く、と急な階段をまるで転げ落ちる様に駆け下りていった少女の背中を追いながら、陽奈の顔は自然と微笑んでいた。
彼女が本当に神なのかどうか、今は分からない。だが、自分を騙すようには思えなかったし、信じてみてもいいかもしれない。
そう思いながら、楽しそうに走っていく少女を追った。
※専門学校在学中の課題「神社に行ったら神様に出会った」を加筆・修正したものです。ちなみに神様のモデルは豊穣の神「保食神」。




