2:閉店後の二人
閉店時間を知らせるアナウンスと寂しげな音楽が流れる店内で、眞奈はモップで床を掃除しながら客がいないことを確認して回った。
眞奈が務めている雑貨屋は、三階建てショッピングセンターの二階にある。二階と三階は二十二時で閉店なのだが、レストラン街が入った一階は二十三時、三階の映画館は二十四時まで営業している。そのため、勘違いして二十二時以降に二階を歩き回る客がいるのだ。
隣接する書店の女性店員が「当店は二十二時に閉店いたしました!」と声を張り上げる。大変そうだなあ、とレジカウンターの前で一度立ち止まり、置いておいた箒とちりとりに集めたごみを入れた。
「お疲れ様ー」
聞こえた声に、ハッと顔を上げる。
少し上げた目線の先にいるのは、同僚である義之だ。彼はレジの締め作業をしながら、今日の売上報告書にペンを走らせていた。
「お疲れ様。今日の売り上げは?」
「平日に比べたら上かな。日曜日だけで比べると平均よりは少し下ってくらい」
苦い顔で報告書を見る義之からそれを受け取り、同じように目を通す。
「古井さんがもっと頑張ってくれてたらもう少し売り上げあったかもねー」
眞奈の苗字を呼びながら笑顔で言う義之だが、すぐに「冗談だけど」と付け足した。
「その言葉、そっくりそのまま宮西くんに返すよ」
「え、ひっどいなあ。冗談だって言ったろ」
大袈裟なくらい傷ついたような表情でのけ反る義之を見て、ついくすっと笑ってしまう。
ああ、こういうところ可愛いって思っちゃうなあ。そう感じながら、それを悟られない様に顔を俯かせた。
同い年の眞奈と義之は、この店舗のオープニングスタッフだ。年上が多い店員の中でも同じ大学一年生という立場で、自然と会話する数が多くなっていった。
そしていつしか、彼に対して眞奈は恋心のようなものを感じていた。
二人は既に二年生に上がり、時間割の変更によって同じ時間に入る日が減った。仕方がないとは思いつつも、眞奈は寂しい気分になってしまう。
ただ、嬉しいこともあった。通学で使う電車の中で、義之を目にすることが多くなったのだ。彼の姿を見るたび、胸の奥がほんのりと温かくなる。
「ところでさ、古井さん」
はあ、とため息をつきそうになったところで、肩をつつかれた。
突然の事で変な声を上げそうになるが、咄嗟に唇を噛んで顔を上げる。
「今度の水曜日なんだけどさ、空いてる?」
「水曜日? 午前は授業だけど、午後は暇かな」
ひょっとして遊びか何かのお誘いだろうか、と淡い期待を抱いてしまう。
しかし、
「そっか! じゃあ悪いんだけどさ、僕とシフト代わってもらえない? 急用が入っちゃって」
お願い、と顔の前で手を合わせてウインクをする義之に、今度こそため息をついてしまった。
期待した自分が馬鹿だった。いや、期待する方がおかしかったのだ。
自分はまだ、「バイト先の同僚」という枠を越えることが出来ていないのだろう。
眞奈の反応に不安を感じたのか、「ダメ?」と首を傾げられた。
「別に、いいけど。その日って他に誰が入ってる?」
「えっとー、店長だったかな」
「分かった。じゃあ宮西くんから店長に連絡しといてよ」
「! 代わってくれる!?」
「代われって言ったの宮西くんじゃん」
親指と人差し指で円を作り、オッケーと頷いた。それが嬉しかったのか、義之は小さくガッツポーズをした。
惚れた弱みというやつだろうか、面倒くさいなとは思いつつも断れない。彼に甘いなあ、自分は、と自分に呆れそうになる。
にしても、急用とは何だろうか。サークルには入っていないと言っていたから、そう言った活動での用事ではないのだろう。では友人と遊ぶ約束をしたのか? いや、実は彼女がいて……という可能性も否定できない。
もやもやと考え事をする眞奈に気付かないまま、水曜日の件が解決したからか、義之はさくさくと報告書を埋めていく。やがて眞奈も「これ以上考えても答えは出ないかな」と小声で呟き、ちりとりに集めたゴミをビニール袋に放り込み、口を縛った。従業員入り口のそばにゴミ捨て場があるので、その時に持っていけばいいか、と忘れない様に店の入り口までゴミ袋を運んだ。
それと同時に、仕事が終わったらしい義之が「終わったよー」と声をかけてきた。
少し前までは「終わりましたよ」と言っていたはずだが、いつの間にか言い方が変わっていた。多分これは私のせい、と眞奈は微笑む。
働き始めた当初、お互い敬語で話していた。しかし、同い年なんだしと思った眞奈は普段友人と話すような喋り方に変えた。それでなのか、義之も半年ほど前から眞奈と話すときは敬語ではなくなった。
その微妙な変化が嬉しくて、胸がくすぐったくなる。
「んじゃ、行きますか。待ってるから荷物持ってきなよ。ついでに電気消してほしーな」
「うぃーす」
間延びした返事をしながら、すでに帰り支度を終えた義之の後ろを通り抜けてスタッフルームに入る。ぱちぱち、と電気を消し、荷物を肩にかけた。
「お待たせしましたー」
「待たされましたー。……冗談だって。んじゃ、帰ろうか」
いつの間にか店内に流れていた音楽は消えていた。その代わりと言っては何だが、警備員の「二十二時に閉店いたしました!」という太い声がショッピングセンターに響き渡っている。
眞奈は片手にゴミ袋を持ち、義之の隣に並ぶ。すると彼は無言で眞奈からゴミ袋を奪い、そろそろ給料日だなーとぼやいた。
こういう何気ない優しさは嫌いではない。むしろ嬉しい。ほのかに頬が赤くなるが、店内の照明は暗く、気付かれなかった。
従業員通路を通り抜けて一階に降り、ゴミ袋を捨ててから従業員入り口の脇で退店届を出してから外へ出る。昼間は蒸し暑いが、夜になると少し肌寒い。
「うっわー風邪引きそう」
「宮西くんって体弱かったっけ?」
「んにゃ、全然。ここ数年風邪なんて引いてない」
「その癖に風邪ひきそうとか言ったの?」
「別にいいじゃん、古井さんのいじわるー」
ぶう、と口を尖らせる義之を鼻であしらい、迎えに来てくれているはずの親を捜す。車が黒いため見つけにくかったが、向こうが眞奈を見つけたのかライトが光った。
「それじゃ、あたし迎えが来てるから」
「はいよー。じゃーね、古井ちゃん」
小さく手を振られ、それに応えるように自分も手を振って背を向ける。
車に駆け寄り、ただいまー、と扉を開けようとした時に、気が付いた。
――今、古井ちゃんって言った?
あまりにも自然に言われて、反応が遅れた。ついさっきまでは「古井さん」だったのに、こんなにいきなり。
かあ、と頬が赤くなり、頭の中が「なんで!?」で埋め尽くされる。
我に返ったのは、ずっと立ち尽くす娘に対して鳴らされたクラクションの後だった。
※専門学校在学中の課題「好きな人とドキドキしながら会話する」を加筆・修正したものです。




