14:深夜の初詣
母に手を引かれながら神社に赴いた葵は、四角い赤縁眼鏡の奥で黒紅色の目を細めた。
大晦日だからと張り切って夜更かしをしてみたものの、普段の早寝早起きが身についてしまっている。瞼は重いし、あくびも堪え切れない。
「葵、眠いんだったらお家帰る?」
その様子に気づいたらしい母に顔を覗き込まれるが、ふるふると首を振る。元日の深夜に初詣に来るのは毎年の恒例行事なのだ。ここで諦めて帰るわけにはいかない。
「ぼく、まだ大丈夫。眠くないもん」
ふん、と鼻を鳴らし、どこか呆れ顔の母を見上げる。足元気を付けなさいね、と頭を撫でられ、少しだけ嬉しくなった。
境内には既に大勢の人々が集まっていた。普段は飾り気のない石の鳥居にも提灯が下げられ、広場では火を焚いている。その手前に設営されたテントの下では甘酒が振る舞われており、その中には一足先にここに来ていた父の姿もあった。
「あっ、あおいくんだ!」
どこからか声をかけられ、周囲を見回す。社務所の方に目を向けるとこちらに向かって手を振る男子が目に入り、小学校の同級生だと気付いた葵は彼の名を呼びつつ手を振り返した。
彼のそばには「おみくじ」と書かれた札が立つテーブルがあった。葵のように呼ばれたのだろう、テーブルの周囲には小学生たちが集まっていた。
「あおいくんもやってきなよ、おみくじ!」
早く早く、と手招きする男子と母の顔を見比べる。行っておいで、というように母は五十円玉を渡してくれた。
ほわ、と笑顔を浮かべた葵は母の手から離れ、男子たちのもとに駆け寄った。
「おかね持ってきた?」
「うん、これ!」
言いながらずいっと五十円玉を突き出し、引き換えに六角形の大きな木の箱を受け取った。よく見ると小さな穴が開いている。何度かそれを振った葵は箱を下に向け、穴から出てきた棒を男子に差し出した。
「五十七番だね。はい!」
棒に数字が記されているらしく、それを読み上げた男子は机の上に置かれた木箱から細長い紙を取り出した。薄っぺらい紙には「おみくじ」と書かれており、その隣には数字も記されていた。
ありがとう、と男子に頭を下げ、吉凶が書かれたところに目を落とす。その結果に顔を綻ばせた葵は、回れ右をして待っていてくれた母に駆け寄った。
「今年の運勢はどうだった?」
「だいきち!」
自慢げにおみくじを見せると、母も嬉しそうに顔を綻ばせた。
再び母と手を繋ぎ、鳥居の下をくぐっていく。すれ違う人に新年の挨拶を交わし、手水舎で母と共に手を清めた葵は、自分の身の丈程もある大きな門松が飾られた拝殿に向かった。
そういえば、先日見ていたテレビで賽銭箱には五円玉を投げ入れるといいと言っていた。それを母も覚えていたのか、
「はい。これ投げて、二回頭下げて、手もちゃんと二回叩いて、神様にお祈りするのよ」
小銭入れから五円玉を取り出し、葵の手に握らせてくれた。
狙いを定め、ぱっと投げ入れる。緩やかに弧を描いた五円玉は吸い込まれるように賽銭箱へと落ちていった。ちゃりん、と軽快な音が聞こえ、葵は母と共に頭を下げた。
ぱんぱん、と二回手を叩き、そっと目を閉じる。
今年も、いい一年になりますように。ふふ、と微笑み、葵は強く願った。
――そんなお願いでいいの?
「えっ」
まるで鈴のように透き通った声に、つい反応してしまう。
「どうしたの? 葵」
願い事を終えた母が身を屈め、顔を覗き込んでくる。葵は何となく上を見上げ、「こえがきこえた」と空を指さした。
「とっても、キレーな声」
「声……? お母さんには聞こえなかったけどなあ」
きっと眠いのね、と母は立ち上がり、葵の手を取った。
――ねえ、あなた幾つ?
「ななさいだよ」
「ちょっと、葵?」
聞こえた声に返事をしただけなのに、母は微笑を浮かべつつ眉を顰めた。
拝殿の前から火が焚かれている場所まで続く石畳の道を歩いている間も声は聞こえていた。背後から聞こえるそれはまるでついてくるように、消える気配はない。
――無視するなんて、ひどいじゃない。
――なんだか悲しくなってきたわ。
不貞腐れたような声はしつこく話しかけてくる。返事をしたいのはやまやまだが、母に怒られそうだと何となく察していた。
ぐっと唇を噛んだ葵は、「あのね」と母の手を引いた。
「ぼく、みんなとお話ししてきてもいい?」
言いながら、おみくじの前で喋っている男子たちを見た。
「いいけど、お母さんも眠いから早めにね」
「うん。だいじょうぶ!」
こくん、と頷き、母から離れる。そのまま一度は男子たちのもとに向かうが、母の目が離れた一瞬の隙を見計らい、拝殿の脇に茂る林の中に飛び込んだ。
枯草を踏み分け、明かりのないそこを恐る恐る進んでいく。声はいつの間にか聞こえなくなっており、葵の胸には不安が広がっていった。
ひょっとして聞き間違いだったのかもしれない。早く戻らなければ母を心配させてしまう。
そう思い、足を引いた時だった。
「あら、さっきの男の子じゃない」
先ほどと同じ声が、背後から聞こえた。
はっと振り返り、思わず息をのんだ。
「ふうん、近くで見ると可愛い顔してるわね」
月明かりを背に立つその人影は、尻のあたりまで伸びた艶やかな烏羽色の髪を風に泳がせていた。背は母よりも小さいように見え、真冬だというのに半袖のワンピースを纏っていた。
そして、
「……はね?」
寝ぼけているのかと何度も目を擦るが、幻ではないらしい。
人影の背からは、鳥のような翼が生えていた。
声から判断するに、女の人らしい。
「あなた、名前は?」
「……しらないひとに、名前教えちゃダメっていわれてる」
「あら、そう」
ふうん、と頷いた彼女は、一歩ずつ近づいてくる。
目の前まで迫ったその人の顔は、とても日本人には見えなかった。
「私の名前はルコウ。はい、これでもう知らない人じゃないでしょ?」
ルコウと名乗ったその人は葵の目の高さまで背を屈め、穏やかな笑みを浮かべて手を差し出してきた。
「握手よ、握手」
「あくしゅ……」
恐る恐るその手を握り返す。すると、ルコウは「これでもう知り合いね」と満足そうに笑った。月明かりを映した若緑色の瞳が妖しく輝く。
「あなたは、だれなの?」
震える声で問いかけると、んー、と唸った彼女は「これ」と頭上を指さした。
そこに目を向けると、金色に輝く輪のようなものが浮いていた。
「天使って言って信じるかしら」
「……てんし?」
絵本か何かで読んだことがあるような気はするが、詳しくは分からない。葵が素直に首を振ると、ルコウはむう、と唇を尖らせた。
「最近の子は天使も知らないのね。嘆かわしいわ。……ああでも、まだ子供だからかな」
「お姉さん、どうしてここにいるの?」
こてんと首を傾げて問いかける。ルコウはあっけらかんと「観察」とだけ答えた。
「人づてに聞いたのよ。日本人は特定の日の真夜中に出かけるって。ちょっと興味が湧いたから見に来てみたの」
そうしたら、たまたまあなたを見かけて興味が湧いたの。くすくすと笑い、彼女は葵の頭を撫でて来た。
「でも、おねえさんのこえ、お母さんにはきこえてなかった」
「大人には聞こえないのよ。ほら、あなたみたいな子供は純粋だから」
「じゅんすいってなに?」
「罪が無いってこと」
分からないが、子供だけに聞こえる彼女の声とやらはどこか特別に感じた。
「ねえ、おねえさん。明日もここにいる?」
「そうね。しばらくは」
ならば、と葵は拳を握り、ぱっと笑顔を浮かべた。
「おねえさん、ここにあそびにきてるんだよね! ぼくがあんないしてあげる!」
その提案に、ルコウは向日葵のように明るい笑みを浮かべて頷いた。
「とても嬉しいお誘いだわ」
それじゃあ夜が明けたらここにきてね、ともう一度葵の頭を撫でたルコウは、ばさっと翼を羽ばたかせて舞い上がった。
星空に溶けるように消えていく彼女の姿を追っていると、背後から「葵ー!」と声が聞こえた。
しまった。母を待たせているのを忘れていた。
明日もここで、と言っていた。場所を忘れない様に、と葵はそこを靴で掘り、心を躍らせながらその場を後にした。
※専門学校在学中の課題「初詣に行って不思議な体験をする」を加筆・修正したものです。




