『五億円とつゆだく特盛』
「ドリームジャンボ宝くじ、一等前後賞合わせて五億円!」
テレビの中でアナウンサーが興奮気味に叫んでいた。初夏の湿った風が、六畳一間の安アパートの網戸を揺らす。私は手元の宝くじを見比べ、何度も番号を確認した。
一致している。
「……嘘だろ」
喉が乾いた。心臓がうるさいほど鳴っている。たった一枚の紙切れが五億円。頭の中に、今まで見たこともない人生が一気に広がった。
仕事を辞めよう。毎朝怒鳴る上司の顔を二度と見なくて済む。都心のタワーマンションに住み、高級車を買い、回らない寿司屋で大トロを好きなだけ食べる。銀行口座の残高を気にせず暮らせる人生。考えれば考えるほど笑いが込み上げた。
だが数日後、その笑いは消えた。
換金前の宝くじを、私は家でも職場でも常に気にしていた。ポケットを何度も確認し、夜中に飛び起きては封筒を確かめる。火事になったら終わりだ。泥棒に入られたら終わりだ。
会社で同僚に「最近ぼーっとしてるな」と言われただけで、心臓が跳ねた。もしかして当選がバレたのか。友人からの飲みの誘いも、「金を貸してと言われるかもしれない」と疑って断った。
五億円を手に入れたはずなのに、私は以前よりずっと貧しく、孤独になっていた。
二週間後、限界を迎えた私は、みずほ銀行の特別室に向かった。
重厚な革椅子に座り、行員から「おめでとうございます。五億円でございます」と告げられる。通帳に並ぶ大量のゼロを見た瞬間、ようやく胸の奥の緊張がほどけた。
銀行を出ると、空が驚くほど青かった。
その途端、猛烈に腹が減った。
私は駅前のいつもの牛丼屋に入った。安っぽいカウンター、紅生姜の匂い、出汁の湯気。何も変わっていない。
券売機の前で少しだけ悩み、私は一番高いボタンを押した。
「特盛、つゆだく。それとお新香セット」
運ばれてきた丼から立ち上る湯気を浴びながら、肉を頬張る。
「……美味いな」
甘辛い汁と牛肉の味が、疲れた身体に染み込んでいく。
私は気づいた。
五億円あっても、胃袋の大きさは変わらない。高級フレンチを食べる人間になっても、この牛丼を美味いと思う自分は消えないのだ。
金は人間を別人にはしない。ただ、これからの人生に、自由な選択肢を増やしてくれるだけだ。
私はつゆだくの汁をすすりながら、ようやく肩の力を抜いた。人生は急に変わらない。けれど、これからは少しだけ、自分の好きなように生きていける。
私は最後の一口をゆっくり噛み締めた。
ごちそうさま




