第73話 グリッチ 3
「アスターさん?」
「ねずみ役がやってみようと仰っているのです。猫役が怖気づいていてどうするのですか。クランの入らないのであれば、身内で訓練する相手もお互いしかいないのでしょう。いつまでもそんな甘い事を言っていては共倒れですわ。その手法が可能か不可能か、怯えずとも試してみれば良いのですわ」
アスターはそう言って、二人には見えないウィンドウを操作する。
すると訓練場の木柵が消え、砂地の広さが5倍に広がった。中庭すべてが訓練場に変わったかのようだ。
「ほら、お膳立てしてあげましたわ。合図がいりますわね。この扇子が落ちた時がスタートの合図です。時間は3分としましょう。3分以内に捕まえることができれば貴女の勝ち。できなければ負け。攻撃はもちろんアリ、スキル、ウルトありのアリアリですわ」
「ちょ、ちょっと待ってよ、アスターさん!」
「アスターでよろしいですわ、相方はやる気っぽいですわよ?」
アスターが指し示す方向を見れば、体勢を低くして、走り出す準備をしているムーニーバニーがいた。その目には挑戦的な光が灯っている。
「はい、いきますわ。よーい」
アスターが扇子を夜空へと放り投げた。開かれた扇子は風にのって、はらはら、と舞い落ちていく。やがて、砂の上に落ちた。
「どん」
開始と同時にムーニーバニーが駆けだした。
砂地を吹き飛ばし、あっという間に弓矢の的がある方向へと走り去っていく。
サンライズハートは「あ! このっ!」と慌ててそれを追いかけていく。アスターはどこからともなくパイプ椅子を呼び出すと、そこに腰かけて足を組んだ。
お互いの能力をしっかりと比べたことはなかったが、ことスピードに置いてはムーニーバニーに敵うはずがなかった。
サンライズハートは走りながら、ぐんぐんと小さくなっていくムーニーバニーの背中を見て驚いた。
――ムーニーバニーを狙ってた人たちは、いったいどうしてこれに追い付けると思ったの!?
「ひなたちゃん、お、おそーい!」
ムーニーバニーが煽ってくる。煽り慣れていないのか抑揚も変だ。だが、サンライズハートは本気になって足を動かした。走るフォームを変えればサンライズハートだって自動車並みの速度が出せる。
訓練場はマップの上では縦長の長方形になっている。いま、ムーニーバニーは長方形の天辺に逃げ込もうとしている。つまり、じりじりと追い込んでやれば四隅の角で追い詰められるはずだ。身体を動かしていると、ひなたの思考はどんどん目的のためにそぎ落とされていった。
そう……高速で動くムーニーバニーを捕まえるには、どうすればいいか?
ようやく長方形の隅に辿り着くと、ムーニーバニーがこちらを見て、もじもじとしている。
「うさぎ! 追い詰めたぞ~!」
「ひなたちゃん、どうしよう……」
「え? どしたの? おなか痛い? やっぱりやめる?」
「その、それがね……」ムーニーバニーは気まずそうに自分のブーツを見た。「『脱兎』、発動してないかも」
脱兎発動時には、兎の足跡のようなスタンプが地面に着いていた。だが、今かけてきた砂地には全くその跡が残っていなかったのだ。サンライズハートは顎に手を当てて言った。
「え~? やっぱり、この変なモードじゃダメなんじゃん!」
「あ、えっと、そうじゃなくて……」
先ほどの冗談っぽく煽ってきた時と違い、ムーニーバニーは本当に申し訳なさそうに言った。
「たぶん、ひなたちゃんの足が遅すぎるかも……」
カッチ~ン。
ひなたのボルテージがわりと上がった。うさぎに怒ったというより自分の能力を過信していたことと、ムーニーバニーの速度を甘く見ていたことに、ひなたは怒りを覚えた。
――そりゃそうじゃん、うさぎは私の相方なんだからさ。中学時代に陸上競技を総なめした私であっても、ムーニーバニーの足の速さには本気を出さないと勝てないんだから。でもでもだとしても、『脱兎』を使うまでもないってこと? 私が遅くなったって言いたいの?
さて、じゃあ相方に対して誇らしい気持ちになった所で、本気を出すとしますか。
「ご、ごめんね~。うさぎ、私、次は全力だすから!」
「う、うん。さっきは煽っちゃってごめんね。ハンデいる?」
「いらない」
「ひぃっ……」
ひなたはその場で何度か飛び跳ねると、また走る体勢をとった。しかし、ムーニーバニーは角から動こうとしない。
「うさぎ?」
「あ、うん。一応追い詰められてるし、続きからのいいかなって。ほら」
ムーニーバニーはすしざんまい、のように両手を広げる。
ある意味でこれも煽りのようだったが、サンライズハートは思考を巡らせた。
ムーニーバニーを捕まえることを至上目的とするならば、角に追い詰めてからはどうすべきか。これから戦う魔法少女の中には、ムーニーバニーのような足の速い高速機動型もいるかもしれない。
これは訓練にもなるし、良い思考実験になる。
サンライズハートはゴールキーパーのように両手両足を広げ、じりじりとムーニーバニーに近づいた。
「さっきから甘いね、うさぎ。そんなに自信があるなら何か賭ける?」
「ぜ、絶対に賭けないよ!」
「そうっ!」
サンライズハートがフェイントを仕掛け、動く。だが、ムーニーバニーは伸びてきた手を難なく避けると壁に跳ねた。そして追い詰めたはずのサンライズハートを飛び越えて、その後ろに降り立った。
な、何今の? あれが『一歩』?
もう駆けだしたムーニーバニーの背中を追いかける。そこでひなたは気付いた。
違う、青い火のエフェクトすら出てなかった。ムーニーバニーはただの体術だけでもサンライズハートを凌駕している。
ひなたの中で問題に対する解決策が浮かんでは消えていく。何をするにしても、サンライズハートでは絶対に追いつけない。
ぐんぐんと距離が離されていく。
『脱兎』を起こすどころではなく、基礎能力で負けている。ムーニーバニーは走りながらも首を振って、瞬間的にこちらを見てきた。距離だ。うさぎは、小まめに後ろを振り向いて距離を測っている。ムーニーバニーの異常な回避能力の謎がまた一つ氷解した。
ムーニーバニーは常に敵との距離を測ってるんだ。
ムーニーバニーはまたも長方形の下端に辿り着いた。遅れてサンライズハートが到着する。パイプ椅子に座ったアスターが紅茶を淹れながら言った。
「施設は破壊してもよくってよ」
破壊。
それはつまり戦闘行動をして良い、ということだ。
直線距離では絶対に追い付けず、角に追い込んでも体術で逃げられる。こと追いかけっこに関しては、サンライズハートは全てにおいてムーニーバニーに負けている。
では、サンライズハートが勝っているものとは何か?
火力、耐久力、そして武器だ。
歯車が動くみたいに、ひなたの頭の中はどうやってこのゲームに勝つかを想像し始めている。心情的に嫌なものを押しのけ、これに勝つための手段を模索する。そして訓練場の脇にある籠が目に入った。中には訓練用の木刀、そして馬上試合用の突撃槍が入れられている。
視界の端でアスターが頷くのが見えた。
城主の許可が下りた。ムーニーバニーは壁際で律儀に待っている。
ひなたは歯噛みした。
――そうだよ、もともと追いかけて『脱兎』を発動させるための訓練なのに、私はまだ何もできていない。うさぎがあれだけ差し出してくれてるのに、私にはその覚悟がない。
相手を信じられなくて、何が友達だ。
サンライズハートは深呼吸した。その目つきが戦いのためのものに変わった。
籠に近づいて、突撃槍を引き抜くとそれを何度か振るった。速度のないサンライズハートにとっては錘のようにぶつけて先端の重みでダメージを与える鈍器のような使い方しかできない。
「ムーニーバニー、行くよ」
サンライズハートは突撃槍を肩に担ぐと、壁際にいるムーニーバニーにゆっくりと近づいた。




