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魔法少女コヴェナント  作者: さんどまん
第一章:廃ビルの夜
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第1話 週末のうさぎ

 時刻は金曜日の夜20時。そこは、寂れた街の繁華街。


 制服姿の少女が工事現場の看板に隠れ、身を震わせていた。



 *******



 藤村うさぎにとって、世の中は怖いものだらけだ。


 人が怖い、犬が怖い、車が怖い、飛行機が怖い、お金が怖い、地震が怖い、雷が怖い、大人が怖い、男子が怖い、歯医者が怖い、病気が怖い、ガンが怖い、産婦人科が怖い、老人が怖い、未来が怖い、宇宙が怖い、神様が怖い、将来が怖い、友達が怖い、お母さんが怖い、お父さんも怖い、最近は妹も怖い。


 中学生の頃、全校集会中に地震が起こった。


 うさぎはパニックになって、体育館から飛び出した。


 同じくパニックになった生徒たちがうさぎの後を追うように逃げてきた。うさぎは誰に追いつかれることなく、怒鳴る先生すらあとにして怒涛の勢いで校門を走り去った。そのまま家に帰った。


 翌日、親とともに呼び出しを受けた。災害時の身勝手な行動と、正しい防災意識について反省文を書かされた。


 それから数日経って、若い教師が授業中にうさぎをからかって笑った。


脱兎(だっと)の如く――全校集会の時の、藤村のああいう行動を言うんだ」


 その日から、中学生のうさぎには「脱兎先輩(だっとせんぱい)」という綽名がついた。


 でも、だって、怖いのだ。


 一度でも怖くなると心臓がきゅっとなり、手足が動かなくなる。その場から逃げることだけがうさぎの本能を支配する。


 それだけ全てが怖いならずっと家に引きこもるべきかもしれない。


 うさぎにとっては、ただ家でじっとしていることすらも恐ろしかった。部屋に引きこもっていると、じりじりと自分の将来や人生についての恐怖が湧き上がってくるのだ。おかげで夜は眠れず、日中の授業はほとんど居眠りしてしまう。


 人間関係にも臆病なうさぎは、友達と呼べるような子も少ない。


 うさぎを無害と感じている一軍女子からは「しょうがない子」と扱われ、きっちりした真面目な女子からは「駄目な子」として扱われている。それ以外の子からは無視される。


 そんな中で、唯一の友達を続けてくれている子がみよちゃんだった。


 うさぎは藁でも掴むみたいに、みよちゃんとの友情に縋りついた。


 みよちゃんとの会話には必死に相槌を打った。二人きりで夜遅くまで通話した。みよちゃんの推しの歌い手のライブにも一緒に行った。


 みよちゃんは仲良くなってみると、学校にいる時とかなり性格が違うようだった。みよちゃんはクラスの女子のぎりぎり悪口にならない皮肉を言っては、うさぎの同意を求めた。


 うさぎはよく知らないクラスメイトに申し訳なく思いながらも、みよちゃんに同意した。皮肉をとがめて、みよちゃんに嫌われるのが怖かった。


 二人は最強のコンビだった。


 少なくとも、中学生の間は。




「藤村ってね。中学の頃は脱兎先輩(だっとせんぱい)って呼ばれてたんだよ。面白いよね」


 それは高校生になって、2週間経ったある日の昼休み。


 出来立ての女子グループ五人組の中で、みよちゃんが言った。みよちゃんは全く悪意を感じさせない様子で、うさぎの肩を叩いて笑った。


「あの頃の藤村、マジで脱兎先輩って感じだったよね」


「なにそれ?」


「脱兎先輩?」


 それからみよちゃんは、笑い話に改編されたうさぎの体育館脱走エピソードを語った。話を振られても、うさぎはどもるばかりで何も発言できなかった。みよちゃんによるうさぎのエピソードトークで、少女たちは大いに盛り上がった。


「やばいね、藤村さん。足早いんだ」


 うさぎは、水位が上がってくるのを感じた。


 話が上手な人達の、自然な潮流が生み出される。うさぎの立ち位置が確定する。うさぎはただ五人組の中に埋没する一人になれれば良かった。滞りなく、高校生活を始められればそれで良かったのに。


 中学時代のみよちゃんは、一度たりともうさぎのことを「脱兎先輩」なんて呼ばなかった。むしろ「脱兎先輩」と呼んでくる子たちを毛嫌いしていたはずだ。それなのに、今はうさぎを笑いものにして、あの二人の時にしか見せない高い笑い声で笑っている。


 うさぎは心臓の音を聞かれないように、必死に胸を抑えて愛想笑いをした。場が妙な空気になった。うさぎはこんな時でも、みよちゃんの笑い話を自分が台無しにしてしまうことを恐れた。


 怖い。


 新しい環境でも臆病者と嗤われ、誰も気にかけないような位置に落とされるのが、怖い。でも、それよりも、みよちゃんの機嫌を損ねることが一番怖い。


「あ、あはは……そ、そうなんです。名前にぴったりですよねぇ……」


 会話はうさぎの承認を得て、笑い話に落ち着いた。同時に、新しい環境でのうさぎの位置が決まりつつあった。


 みよちゃんの親友枠で、みよちゃんの言いなり。


 うさぎは安堵のため息をついた。しかし、同時に心臓がまだまだ激しく暴れていることに気付いた。何かが壊れてしまう予感があった。


 それから一週間が経った。みよちゃんはまだうさぎの友達でいてくれた。



 *******



「ていうか、みよちさぁ。藤村さんは今日呼ばなくて良かったの?」


「藤村? 今日はいいかなって。藤村もそろそろ私から離れて独り立ちする時だと思うんだ」


「あはは、それって親心?」


「ふふ、まぁそれもあるけど。藤村いると、あの子かまちょだし私が皆と話せないじゃん? ていうか火事になったら、うちら置き去りにされるからね」


 笑い声が起こる。


 その大きな笑い声は、うさぎの耳にもよく届いた。


 一人ぼっちの放課後をすぐ家に帰りたくなくて、隣町の本屋で立ち読みを終え、マックで時間を潰し、そろそろ帰ろうとして駅に辿り着いた時の出来事だった。


 みよちゃんだ。


 みよちゃんが新しく友達になった3人の女の子と、カラオケから出てくる所だった。


 うさぎは慌てて、近くにあった看板に身を隠した。


「どうする? もう帰る?」


「いや、まだ行けるでしょ」


「みよち、門限何時」


「7時。終わってるよ」


「過ぎてんじゃん。どっか寄ってく?」


「おなか空いたよね、どっか入ろ」


 そう言って、駅の入り口に近づいてくる女子四人組。


 うさぎの心臓は激しく鳴り、膝はガクガクと揺れていた。


 人生でこれほどまで怖い思いをしたことはなかった。今の恐怖に比べれば、中学の地震や歯医者に通う恐怖なんて、ものの数にも入らないだろう。


 うさぎの耳には、四人の足音が近づいてくるのがしっかりと聞き取れた。


 うさぎは、人込みの流れを注視した。


 疲れ切ったサラリーマンや主婦、帰宅する人々の流れ……それらを遮蔽物にして、他の場所へ移動するべきだろうか? 


 ――いや駄目! 


 人の往来は、まばら過ぎた。うさぎは隣町の未開発っぷりに嘆きつつも、看板から身を出さずに隠れられる場所を探した。喫茶店、雀荘、クリーニング店、シャッター、シャッター、シャッター……。


 廃ビル。


 立ち入り禁止のテープが張られ、工事中の立て看が立てられた、解体中のビルがうさぎの間近にあった。


 みよちゃん達の大きな笑い声が近づいてくる。


 ――見つかっちゃう!


 うさぎは駆けだした。そして、砂利と瓦礫の砂地を物音ひとつ立てずに駆け抜けると、薄暗い廃ビルの1階に潜り込んだ。


 すぐ外から笑い声が聞こえてくる。


「ここ何かできんのー?」


「知らんし」


「待って、どっか店ないか探すから」


「早くしてよー」


 少女たちは廃ビルの前で、次に向かう店舗の相談をし始めた。うさぎは息を殺して、鼓動と呼吸がばれないように身体を屈めた。


 廃ビルの闇に同化して、彼女たちがどこかに行くのを待った。女子四人組がどこかに消えるまで、ずっと待ち続けた。涙がぼたぼた零れるのを、腕を噛んで堪えた。


 やがて、外からの声は聞こえなくなった。


 まだ、駄目だ。


 うさぎはよく知っている。気を抜いた時が一番危険なのだ。


 うさぎはきっかり5分待ってから、ゆっくり息を吐いた。


 そして、感情を表に出した。


「……ううッ……ふぐぅッ……ううううッ……」


 埃と粉だらけの白い床に雫が落ちて、黒く染まった。雫は次々と落ちて、床を濡らした。うさぎはまだ腕を噛んで、嗚咽をこらえた。


 もう音を立てても、誰もうさぎに気付くことはないのに、声を立てて泣くのを我慢した。


「うぇッ……ふぐッ……うううッ……! ふぐぅッ……!」


 どれだろう、とうさぎは泣きながら、自分の嫌な理由を探した。


 私が、みよちゃんにべったりで、新しい友達と遊べないから。


 私が、自分勝手な臆病者で、周りを見捨てて逃げる奴だから。


 私が、クズでマヌケで、それでいてまだ自分は大丈夫だとどこかで慢心しているから。


 全部だ、とうさぎは思った。それでまた涙がぼたぼたと流れ落ちた。うさぎは袖に顔を埋め、犬のような唸り声を漏らして泣いた。家にも帰りたくない。明日、どんな顔をしてみよちゃんと話せばいいのか分からなかった。


 この不安を抱えたまま、明日を迎えるのが怖かった。


 うさぎは蹲って、涙と感情が落ち着くのを待った。ずっと待っていれば、うさぎの中の恐怖心は落ち着く。長年の経験から得た恐怖の逸らし方だった。


 待つ。


 待つ。


 待つ……。


「……もしもーし?」


 うさぎは飛び上がった。みよちゃん達がうさぎに気付いて中に入ってきたのかと思った。あまりの恐怖に卒倒しそうだった。


「あ、やっぱり泣いてた。大丈夫そ?」


 相手は、みよちゃんではなかった。この辺りで有名な、私立女子高の制服を着た女の子が、柔らかな微笑みを浮かべ、うさぎにハンカチを差し出していた。


「どしたの?」

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