第19話
翌日、ミナの様子がおかしかった。
「今日は……休みたい」ベッドから起きようとしない。
「どこか痛むの?」シャルが心配そうに聞く。
「違う……怖いの」ミナはシーツの端を握りしめていた。
「昨日、夢を見た。歩いている最中に転んで、もう二度と立てなくなる夢」
俺は静かに座った。
「恐いと思うのは自然なことです。転びそうになったら俺が支えます。安心してください。焦らず、少しずつ、できることを増やしていきませんか」
ミナの目に涙が浮かんだ。
「悠真さんが支えてくれるなら……」
震えていた声が、少しずつ落ち着きを取り戻していく。
「もう一回、歩いてみます。ゆっくりでいいんですよね?」
「はい、ミナさんのペースで」
ミナが深呼吸をした。
「転びそうになったら……本当に支えてくれますよね?」
「必ず」
「じゃあ……お願いします」
ベッドから立ち上がる時、俺の方を信じるように見つめていた。
翌日のリハビリ中、ミナがつぶやいた。
「悠真さん、私、ちゃんと歩けるようになったら、グレンさんに家具作りを習いたいんです」
「いい目標ですね」俺は微笑んだ。
「目標があると、リハビリも頑張れます」
「本当に、できるようになるかな……」
「必ずできます。その時を楽しみにしていましょう」
日を追うごとに、歩数は確実に増えていった。
「いつかグレンさんの工房に、自分の足で行くんだ」
その夢が、ミナの支えの一つになっていた。
5日目には5歩、6日目には7歩。
「記録更新が続いていますね」俺がノートに記録をつけながら言った。
「本当に歩けるようになってきた」ミナが信じられないという表情で自分の足を見つめた。
夕方、意外な来客があった。街の治癒師だった。
「噂を聞いてきた」初老の治癒師は驚きの表情を浮かべていた。
「本当に歩けるようになったのか?」
「まだ完全じゃないけど、支えがあれば、歩けるようになってきています」俺は答えた。
「信じられん……私は諦めていたのに。どうやっているのか、見学させてもらえないだろうか」
「もちろん。ミナさん、歩く練習を始めましょうか」
「はい」
「本当に歩いている……」治癒師がミナの回復ぶりに目を見張った。
「これは……どうやって?」
「廃用症候群だったんです」俺は説明した。
「廃用症候群……聞いたことがない」治癒師は首を振った。
長期間体を動かさないと、筋肉が衰えたり関節が固まったりするんです」
「それで、ミナさんが歩けなくなったのですか」
「そうです。毎日のリハビリで、回復してきました」
「リハビリ?」
「筋肉を柔らかくし、関節を動かす訓練です」
「そんな簡単なことで?」治癒師が驚く。
「簡単じゃないわ」シャルが口を挟む。
「毎日の積み重ねよ」
「そうです」リリアも同意する。
「悠真さんは毎日欠かさず、丁寧にケアしていました」
「ミナも頑張ったしな」レオンが付け加える。
「みんなのおかげです」ミナが照れくさそうに言う。
「どこでそんな知識を?」
「えーと……独学です」
(前世の経験とは言えないし)
「どうしました?」治癒師が不思議そうに聞く。
「いえ……毎日ケアすることの大切さを、改めて感じていました」
治癒師は深々と頭を下げた。
「教えてもらえないか。その知識を」
「もちろん」俺は頷いた。
「これが出来るようになれば、多くの人を助けられる」
治癒師は興奮したように続けた。
「実は王都の治療院でも、原因不明で寝たきりの患者が30人はいる。治癒魔法で傷は治ったのに、なぜか歩けない」
「それは廃用症候群の可能性が高いですね」
「彼らも救えるかもしれない……いや、救える!」治癒師の目が輝いた。
「これは革命だ。悠真殿、王都へ来ていただけないか?」
俺は申し訳なさそうに首を振った。
「今はミナさんのリハビリの大事な時期なんです。毎日のマッサージとリハビリを欠かすことができません」
治癒師の顔に失望の色が浮かんだが、すぐに顔を上げた。
そして、ミナの方を向いて深く頭を下げた。
「ミナさん、お願いがあります。私も毎日ここに通って、悠真殿の技術を学ばせていただけないでしょうか?」
ミナは驚いたように目を見開いた。
「私に……許可を?」
「もちろんです。あなたの大切な治療時間をお借りすることになりますから」
ミナは少し考えてから、微笑んだ。
「私の回復が、他の人の役に立つなら……ぜひ」
「ありがとうございます」治癒師は再び頭を下げた。
翌日から、治癒師は毎日集落に通ってきた。
「まず、マッサージから始めます」
俺はミナのふくらはぎに手を当て、筋肉をほぐしていく。
「次は関節可動域訓練です」
膝をゆっくりと曲げ伸ばしする。
「無理に動かさないで抵抗を感じたら、そこで数秒保持して、ゆっくり戻す」
治癒師は熱心にメモを取った。
「一番大切なことを伝えておきます」俺は真剣な表情で治癒師を見た。
「何でしょう?」
「早期のリハビリです。治癒魔法で傷が治ったら、すぐに動かし始めることが重要なんです」
「すぐに?でも、安静が必要では……」
「それが落とし穴なんです」俺は説明を続けた。
「傷が治っているのに動かさないでいると、筋肉が衰え、関節が固まってしまう。ミナさんのように一年も経ってしまうと、回復に何倍もの時間がかかります」
治癒師の目が見開かれた。
「つまり……王都の患者たちも……」
「早く始めれば、もっと簡単に回復できるはずです」
「なんということだ……我々は安静にすることばかり考えていた」
俺は前世の医師の言葉を思い出しながら続けた。
「早期リハビリ。それが廃用症候群を防ぐ最良の方法です」
治癒師は震える手でメモを取った。
「『傷が治ったら、すぐに動かし始める』……これが革命的な考えだ」
数日後、治癒師が分厚い手帳を見せた。
「悠真殿の技術を、私なりに書き留めてみました。確認していただけますか?」
手帳には、細かい図解と共に、マッサージ・関節可動域訓練の手順、力加減、注意点が丁寧に記されていた。
「すごい……これなら他の治癒師にも伝わります」俺は感心した。
「これを王都に持ち帰って、仲間と共有します」治癒師は言った。
「悠真殿、ミナさん、本当にありがとうございます」
ミナが誇らしげに言った。
「私の回復が、王都の人たちの希望になるなんて……嬉しいです」
4週目の朝
「次は支えなしで歩いてみましょう」
「え?」
ミナが不安そうに俺を見上げる。
「無理です……絶対転びます」
「大丈夫。レオン、ミナさんの右側を頼む」
「なぜ俺が……」
レオンが渋い顔をする。
「剣士の反射神経なら、とっさの時に支えられるだろ」
「まあ……それはそうだが」
しぶしぶレオンが位置につく。俺は左側、レオンは前で待機。
「じゃあ、立ってみよう」
ミナが震えながら立ち上がろうとする。膝がガクッと折れそうになった瞬間—
「危ないっ!」レオンが素早く腕を差し出し、ミナを支えた。騎士として鍛えた反射神経が、自然に体を動かしていた。
ミナを支えた瞬間、レオンの表情が変わった。
「……軽い」
「こんなに軽いのに立てないのか」
その言葉には、驚きと同情が混じっていた。鎧を着て剣を振る自分には想像もできない、病による衰弱の現実を初めて実感したのだろう。
「ごめんなさい……」
ミナが申し訳なさそうに謝る。
「謝るな。俺がついている。あ、いや……その……」
「ありがとうございます」
ミナが微笑むと、レオンは照れくさそうに咳払いした。でも、ミナを支える腕はしっかりとしていて、優しかった。
「こんなに軽い体で、毎日リハビリを頑張っているんだな」
レオンが小さく呟く。その声には、今までになかった敬意が込められていた。
「さあ、歩いてみよう」
1歩。
ミナの足が前に出る。
「そうだ、その調子だ」
レオンが励ます。
また1歩。
「いいぞ、続けろ」
「なんだか……」
俺が苦笑する。
「戦場の新兵を励ますみたいだな」
「う、うるさい」
レオンが赤くなる。
3歩、4歩と進む。
「レオンさん、強くて優しいんですね」ミナが嬉しそうに言った。
「別に……普通だ」
その様子を見ていたシャルが、レオンを見直したような表情を浮かべた。
5歩目でミナが限界を迎え、今度は俺が支えた。
「よく頑張った」
「レオンさんのおかげです」
「俺は何も……」
レオンが照れている。
「いや、レオンがいてくれて助かった」




