第9話 突然、ドキドキ視察旅行。
殿下がいまだに、私のことを「レオ」と呼んでいること。
そして、「女だ」と騒がないこと。
それと、私の身体に、具体的な変化がないことなど、さまざまなことををかんがみて、総合的に、「何もなかった」判定を伯母から下された。
それは、よかったのか残念だったのか、よくわからない。
ただ、伯母からは。
「殿下があのように、お気に入り宣言をしたのですから。もうあと一歩ですよ、エレオノーラ‼」
「この視察旅行のあいだに、事を成すのですっ!!」
って、力説された。
もうあと一歩って…。
というか、視察旅行って何!?
ちょっと、聞いてないんだけど!?
ということで、降って湧いたように視察旅行が目の前に。
以前から、決まってたことらしいけど。
私、聞いてなーいっ!!
カポカポと、どこまでものどかな馬のひずめの音。
その馬のくつわを持って、私は歩く。馬の背には、殿下の姿。
「どうした、レオ、元気がないな」
馬上から、声をかけられる。
「歩き疲れたのか⁉」
「いえ、そういうわけじゃないです」
歩くのは、疲れないわけじゃないけど、それよりも心因的な疲労の方が大きい。
まずは、伯母。
この旅行の前にもうるさいぐらい、念を押された。
――アナタなら出来るっ!!
根拠の薄い、励まし。
――なんとしても、殿下のお世継ぎをっ!!
それは、もはや呪いに近い。
次に、この旅行に存在する、さまざまな難題。
伯母は、早く殿下のお手つきになれとせかすけど、ヘンに急いで、バレるほうがマズい気がする。
それにこの随員だもの。うっかりバレたら、とんでもないことになるよね、絶対。
グルッと周囲を見回す。
私たちの後ろには、殿下と同じように馬に乗った、バルトルトさんと、イリアーノさん。他にも騎士の人とか、その他大勢。みんな、男性。合わせて20人ほど。
この男だらけのなかで、私、女を隠していなきゃいけないなんて。
出来るの⁉ 大丈夫!?
着替えとかイロイロ、結構ヤバい。みんなと離れて、チャチャッと済ませなきゃいけない。ほかにも、…ほら、生理的な現象とか、ね。
出来るのかな⁉
殿下をメロメロにするより、こっちのが大変。気ウツになってくる。
「レオ」
殿下の声と同時に、身体がグイッと持ち上げられた。
…って、ええええっ⁉
殿下の馬に二人乗りっ!!
横座りで乗せられちゃって、殿下に抱えられるような格好に。
「少し馬を飛ばしたい」
え!? やっ。だからってっ!!
馬の腹を軽く蹴られる。馬も心得てるのか、一気にスピードを上げる。
どぅわぁあああっ!!
馬っ!! 速いっ!!
乗り手が二人になったことなど、まったく気にせず、ドカカッ、ドカカッと大地を蹴って走ってく。
バルトルトさんたちはついてくるのかと思ったのに、イリアーノさんから、手をヒラヒラと、サヨナラされて見送られた。
「しっかりしがみついてろよっ!!」
殿下、楽しそう。
けど。
(言われなくても、しがみついてなきゃ、振り落とされるっ!!)
飛んでくように流れる景色を楽しむ余裕なんてどこにもない。
右へ左へ、上へ下へ。
身体、わけわからないまま揺さぶられっぱなし。
横座りなんて、不安定な乗り方をしてる分、メッチャ怖い。
「着いたぞ」
…え!?
殿下の言葉におそるおそる目を開ける。
というか。目をつむってたんだ、私。
「うわあ…」
目の前に広がる絶景に心を奪われる。
私たちのいる、小高い丘から眺める雄大な景色。
濃い緑にけぶる森。そして、薄黄緑の絨毯のような草っ原。
草原は牧羊地でもあるらしく、チョンチョンッと小さな白いものが点在している。多分、あれは羊。
なだらかな丘陵地になっているようで、黄緑の草原がうねり、その先には土色の大地。あれは、畑かな⁉ 黄土色の部分もある。あれは、小麦!?
広大な大地に敷き詰められたパッチワークのような景色。
そして、その世界を縁取るのは、薄紫色の山の連なり。
空も深く青く。
まるで、神さまが創られた芸術品のように美しい。
「どうだ、キレイな場所だろう」
「……はい」
いつまでも眺めていたいような風景だ。
「この場所を守ることが、今回の視察の目的だ」
え!? この場所を守る⁉
「ここは、ルティアナ独立の時の、激戦地だったからな」
え!? そうなの!?
そんな戦争があったなんて、思えない景色なんだけど。
「あそこに川が見えるか⁉」
殿下が指さした。
羊たちのいる牧草地のその先、山との間に、小さな川が森の間に見えた。
「あの先は、ローレンシア皇国領、アウスシュッタット辺境伯が治める地だ」
じゃあ、今いるのは、国境間近の場所なの!?
こんな国境ギリギリまで来たことなかったから、軽く驚く。というより、私、王都から出たことなかったんだよね。
「今回の視察の目的は、そのアウスシュッタット辺境伯に会うことだ」
一応の国境は定められている。だけど、いつ、互いの軍が越境するか、わからない。牽制の意味を込めて、定期的に面会したほうがいいのだという。
アウスシュッタット辺境伯。ルティアナ王国と対立しているであろう人。
こんな一枚の絵画のような、素晴らしい景色のなかに、国境という線が引かれているなんて。
そして、その線を描くために、この地が荒らされていた時代があったなんて。
「線なんて、どこにも見えないのに…」
その線のために、多くの血が流れたんだろう。
なんとも言えない感慨にふけっていると、ポンポンと頭を撫でられた。