第1章ー20 「解決の糸口と、こびりつく違和感(下)」
ログハウスの地下に位置する書庫から、地上へとつながる回廊。どうやら表にある巨大樹の幹の中に当たるらしく、寒々しいという印象は抱かない。木の中に掘られた階段。取り付けられた発光石が、木の階段を優しく照らす。壁に耳を当てれば、気が呼吸をしているのが少しだけ感じられる。よく考えてみれば、この木は俺たちよりもはるか昔から生きている大先輩にあたるのだ。
全長は優に四十メートルは超えているだろう。幹が異常に太いことが気にはなるが、これだけの木に育つまでには何百年かかるのか……それを思うと、どうしてか不思議な気持ちになる。
書庫もそうだが、どうやら俺には、コンクリートで固められた都会よりもこういった木に囲まれる場所が合っているらしい。こういった場所では、少しはましな考えができるような気がする。さっきまでのことをすべて忘れて、会話をすることができる気がする。
「あれってさ、見えてたら対処できんの?」
「わたしなら、まず外さないかなぁ。〝宙に浮いた的〟ってイメージ」
これは、先の戦闘について尋ねた時の返答だ。だよなぁ……と返しはしてみるものの、そもそも自分が一番解っていることなのだから、あまり驚きも落胆もない。どうやら、俺が思っていることは、そのまま弱点と考えてもいいようだ。
魔術師からすれば、近接戦闘型はやはり戦い易いらしい。懐に潜り込ませさえしなければ、一方的な攻撃が可能だからだ。
それに加えて、俺の場合は使えるのがごく限られた刀スキルのみ、魔術は一切使えない。刀の届く間合いに入らなければ、まず間違いなく攻撃は当たらない。おまけに近接戦闘のくせして、接近することが上手いとは言えない。術師にとって、これほど扱いやすい敵はいないというのが雨宮の見解だ。
「……だとしたら、どうやって隙作るか……。雨宮から見て、魔術っていうのはどんなイメージ?」
「んー……、簡単にイメージすると、パソコンのプログラムとか数式に近い……かな」
「ゴリゴリの理数系って感じか……」
「うん。魔法も魔術も、マナの変質作用をベースにしてるから、その理論から逸脱したことはできないしね。だから、死んだ人たちをよみがえらせるなんてこともできないし。そういったものはもう、〝奇跡〟って位置づけかな」
魔術とは、文字の通り「魔の術」。魔法とは、言葉の通り「魔の法律」。「術」と「法」があることからも分かるように、どうやら計算式のようなものが存在するらしい。
物理学のように、化学のように、絶対不変の鋼の決まりが存在する。それに基づいて事象は改変され、魔術が、魔法が発現する。それはつまり、どんなに形が似ていようとも、どんなに簡単そうに見えることでも、「マナの変質作用」から外れたものになるのならそれは絶対に起こらないことを意味する。
そしてそれは、裏を返せばどんなに奇跡的な事象であろうとも、法則にさえ従っているのなら発現が可能だということも暗示している。
初期魔術であれば、そのことをあまり考えずとも感覚で使うことができるらしい。しかし、高度なものになるほど、演算の割合が感覚を超えていく。上級魔術になってしまうと、ノート数ページ分の特殊な演算を脳内でしなければならないらしい。それをできるものが圧倒的に少ない。よって、魔術師・魔導士は特別扱いされているのだ。
「考えることは山ほどあるよ? 上級になってくると、風向き、大気のマナ濃度、気温、湿度、変質させるオドの量とか」
「つまり……それが狂うと――」
「そう。魔術ははじけ飛ぶ。……て言っても、よっぽどのことがないとそんなこと起こらないけどね」
「ちなみに、一番厄介なのは?」
「多分、マナ濃度……かな。演算はまずそれをベースにするから、狂っちゃうとどうしても修正しなくちゃいけないんだよね」
「………………」
「あっ、でも、許容範囲外まで濃度を変えるってほとんど無理だと思うよ? 精密な魔術なら別だけど、大半の魔術は相当許容量があるから――――」
聞いた瞬間、
「いや、できる」
頭の中に電流が走ったような感覚が襲った。
「?」
雨宮は否定する。でも俺には、ひとつ思い当たる節がある。
全部は無理でも、俺の周りだけは魔術を弾き飛ばす方法が。大気中のマナ濃度を、一瞬で変化させる方法が。
「魔術は、所詮はマナの変質作用で生まれる副産物だ。だったら、発動した魔術を含めて別の事象になるように改変すればいい」
「たしかに、そうやって魔術をキャンセルする魔術もあるけど、神谷くんにそれは……」
「できたはずだ。あのときは、確かにできたんだ」
「…………」
そうだ、あの時だってそれをそのまま使ったんじゃない。俺は、魔術の才能がからっきしだった。だからその欠点を、魔法陣と規格外のオドで補ったんだ。
超高度演算は魔法陣で先に済ませ、不確定要素の部分は自身のオドを暴発させて無理矢理に実行していた。あの方法なら、いまの俺でも魔法陣をいじれば充分にできる。
「お前も喰らっただろ? あらかじめ演算をしておけば、使いどころを間違えなきゃ相手の魔法を消せる」
「え? ……そんなことって前に――」
「書き込む魔法陣の形も変わるし、結構大変だけど、できないことはない」
「…………そう、だっけ……」
「いける。今はまだ無理だけど、あの時の魔法陣を見つければなんとか……」
いつしか雨宮と会話をしていたことすらも忘れ、思考が彼方へと飛翔していく。思い出した可能性に、胸が高鳴る。
魔法陣を刻むものは、純白銀鋼を使えば大丈夫だろう。白銀鋼なら、あれくらいの高速演算を数回くらい耐えることができるはずだ。使い捨てることをしなくてもいい。
「神谷くん、その……」
問題は、どういう風に魔法陣をいじるかだ。いまのオレは、魔術制御が下手云々どころではなく魔術の行使すらろくにできない状態だ。もう魔術制御を使うのは考えない方がいい。一体、どうやってその部分を魔法陣に編み込むか……。
「ちょっと、ねえ……」
試すのなら、もう一度初めから魔法陣学を理解しなくてはいけない。前のような半独学は危険すぎる。そうしないと、あの時の暴発とは比較できないくらいの大惨事になる。あの時はオレだけでなんとかなったが、今度はそうはいかない。
演算に使う計算式も変わる。瞬間出力も、魔法陣のデザインも大幅に変えなければいけないだろう。やることだらけだ。だけど、完成させれば戦いの幅が一気に広がる。できることが桁違いに増える。
これならオレも――
「神谷君ってば!」
強めに鼓膜が震える。電気信号が脳へと伝わり、びくりと身体が跳ねる。内側に向いていた思考が一気に周りへと注意を向ける。とたんに、遮断していた情報が脳内へと流れ込んでくる。俺の自我が、この場で覚醒する。
顔を向けてみれば、困惑している雨宮の顔。そこで初めて、雨宮を放置して独り言をつぶやいていたことに気が付く。
「あ、いや、悪い。考え事してた」
「それはいいんだけど……その……」
「?」
雨宮が、話しにくそうな顔をしている。視線をさまよわせ、自身の服の端を握っている。それはまるで、何か知らない人にものを訪ねるような、そんな様子だった。そんな態度を取られる理由が解らず、少し困惑する。
「あのね。いまからすごく変なこと訊くから、勘違いだったら笑い飛ばして」
意を決したように、雨宮がそう言った。
「は? 変って一体何が……」
「さっきから神谷くんが言ってることって――」
『いつの話なの?』
足が止まった。
「…………それ、どういう……」
ひやりと、背筋が凍ったような感覚に襲われる。雨宮の言っていることが理解できず、まるで、雨宮と俺との間に見えない次元の壁があるかのような、そんな錯覚に陥った。いままで仲間だと思っていた人物が、実はお互い別の世界で生きてきた者同士なのだと、近くしていた人物とは全くの別人なのだと発覚してしまったような、そんな恐怖にも似た感情。
「だっておかしいもん。向こうじゃそんなアイテムなんてなかったし、神谷くんも魔法キャンセルなんて使ってなかったでしょ? そもそも、神谷くんは魔法使えてたし」
「…………」
「それに、こっちの世界でわたし、魔法を消すなんてアイテムを神谷くんに見せてもらったことなんてない。それって、本当にいつのことなの?」
「……お前、なに言ってんだよ。それは……」
このまま、いまの口調で笑い飛ばしてしまいたかった。
「それ、は…………」
いつものように、雨宮をからかう時の口調で。その後はまたいつものように、雨宮がむきになって言い返してくる、そう信じて。
思い出す。記憶の引き出しに手をかける。どこでのものなのか、いつやったことなのか、つい最近から順に、記憶をさかのぼっていく。
これだけはっきりとした確信があるんだ。少しボケているだけで、すぐに思い出せるはずだ。
――そうだ、あれはたしか……。
だが、
「……………………いつだ?」
引っかかるものは、何もなかった。
そもそも、その記憶の内容自体が不自然だ。カリバー・ロンドには、魔術キャンセルというような設定はない。設定にない現象を、プログラムの世界で起こすことなでできない。しかしこの世界でのことだと考えてしまうと、もっとおかしくなる。
そもそもの話、俺たちはつい最近この世界に来てしまったのだ。一度下見に来たこともなければ、この世界の存在すらも認知していなかった。それなのになぜ、雨宮さえも知らないようなことを俺が知っているというのだろう。
「……大丈夫?」
「ちょっと待ってくれ。たしか、あれは……」
どうしても勘違いだとは思えず、必死に記憶を漁る。これだけはっきりとした知識なのだ、これに関する記憶が必ずあるに決まっている。そうしないと、この記憶は俺のものではないということになるのだから。
ゲーム内……いや、やっぱりバグを入れてもそんなシステムはなかった。だとすればこの世界に来てから――いや、それはあり得ないか。
だとしたら……。
「……夢、なのか?」
「夢? けど、そんなにはっきり覚えてるものなの?」
「……まぁ、似たようなことは経験してるし。これも、その線が強いかもしれない」
似たようなとはもちろん、あの夢のことだ。
あの夢――八年前の、あの日の夢。視覚どころか感覚まで伴っていると錯覚するほどの、リアルで、冷たい夢。俺に、忘れるんじゃないと語り掛け続ける、戒めの夢。俺が、甘んじて受けなくてはいけない罰だ。
逃げることは許されない。不満を感じるなんてもってのほかだ。だってあの事故は、全て俺の所為なのだから。
「そう、なのかな」
「ていうか、何でそんなにこだわるんだよ。何か思い当たるのか?」
「う、ううん。そういうことじゃないけど、けど……」
「…………なんだよ」
それを聞いても、雨宮はどこか納得できていない様子だ。その様子の方が、むしろ俺は気にかかった。なぜ、雨宮はそこまで食い下がるのかと。
現実にありえないなら、夢としか考えられないはずなのに。そう考えないと、俺の中で人格がふたり存在することになるのに。それか、前世の記憶でもあったのか。
言いにくそうに言葉を探していた雨宮が、再び口を開いた。
「気のせいだとは思うけど、神谷くんが一瞬だけ、その……」
――知らない人に見えちゃったから。
「…………………どゆこと?」
「…………そ、そんなわけないよね! ごめんね。変なこと訊いちゃって」
気のせいに違いないと、そんなはずはないと、雨宮は自分で言った言葉を笑いとばした。無理くりに話が終了させられ、俺は再び歩を進める。いつしか出口に近づいていたようで、発光石のそれとはまた別種の光が、瞳に入ってくるのが感じられた。思わず目を細める。だが、俺の意識はそこにはない。
なぜなら、
――神谷くんが一瞬だけ、その……知らない人に見えちゃったから。
その言葉がずっと、耳に残っていたから。どうしても、馬鹿げたことだとは笑い飛ばせなかったから。
確証はないし、自覚もない。それでも、その言葉はヘドロのように思考回路にまとわりついて、悪臭にも似た何かを放ち続けている。何か見落としているような、何かを忘れているような、そんな予感がして消えない。
もしかしたら俺は、何か大切なものを忘れているのかもしれない。それどころか、なかったことにすらしているのかもしれない。
だとしたら。それは言った何なのだろう。
そのとき、
「ほぅ、これがミレーナの餓鬼か」
そんな声が、耳に入った。思考が現実へと浮上していく。
最中、
俺が感じたのは、すさまじい衝撃と、横向きのGだった。




