初回授業
放送が始まった。
黒板の前に立っているのはお父さま、パトリス・フォン・エマールその人だ。
屋敷の使用人は放送される視界に入らないように用意された机と椅子に座っている。
私はカメラの視界に入らないところで待機中だ。
<パトリスの演説>
私はパトリス・フォン・エマールだ。
こういう演説はあまり得意ではないのですが、形式的に必要だと思うので、短い時間だが話したいと思う。
まずは、今回の試みに協力してくれた皆に感謝する。準備は勿論だが、休息日の大事な時間を割いてくれた皆には重ね重ね感謝したい。
エマール伯爵家ではこれまで幾度か文字を領民に浸透させる試みを行ってきたが、文字を教える人間の数が足りず、成功できたことはなかった。
しかし、この魔道具を使うことで、皆に一斉に文字を教えることが現実のものとなった。
皆の中には、文字を覚えて何をすればいいかと思っている者もいると思う。
その疑問は当然だ。
なぜなら、日常に文字を使う機会がなかったのだから。
では、何のために皆に文字を扱えるようになってほしいか。
それについては、これからの仕事の変化がある。
私を含め、エマール伯爵家ではたくさんの研究を行い、農業も酪農も他の仕事も効率化をしてきた。
魔道具を取り入れたり、収穫量を増やすために腐葉土を撒いたり、時によっては魔法も使って仕事が効率化したこともあっただろう。
仕事を効率化した結果、仕事に費やさねばならない時間も自ずと減ってくると思う。
その新しくつくられた時間に何をするのか。
その時間を皆が自由に使うことができると思う。
しかし、時間の使い方の選択肢が少ないと私は思っている。
皆がどう思っているかは人それぞれだと思うが、私は文字が扱えることでその選択肢の幅が大きく広がると思っている。
例えば、本を読むこと、本を書くこと、そして、研究をすることだ。
私は研究することはエマール伯爵家だけの特権ではないと思っている。皆で研究をすることで、生活がよりよくなっていくはずだと私は思う。私はどうあっても一人だ。一人ではたどり着ける研究成果にも限界がある。だからこそ、誰もが研究できる環境づくりの土台として、文字の扱いを広めるこの機会に是非とも自分のものとしてほしい。
文字が扱えるようになった先で、皆の生活が豊かになり、新しい娯楽・趣味にありつけることを願う。
<パトリスの演説・終>
部屋は拍手で包まれた。
ヤベェ。
この後に出ていかなくちゃならないのか。
というか、そこまで見据えての識字率向上だったのね。
そんなの考えてなかったー!!
私は緊張しながらも、カメラの前に立った。
一人でやるよりも、今、目の前にいる使用人に向けて話す感じでいれば、自然になるかな??
後ろの下の方で髪を一纏めにして、簡易的な紳士の正装をうまくアレンジした感じの服を着ている、感覚だと大体100cmいくかいかないかくらいの身長のガキ。今更だけれど、こんなガキンチョの言うこと聞いてくれるのかな。
今更だ。
気合を入れろ!!
<あいさつ>
はじめまして。セシリア・フォン・エマールと申します。
この度は、皆さんのご協力、ありがとうございます。私がこの計画の首謀者です、名前は長いので、セシルと覚えください。
私は皆さんに文字と簡単な数字について教えていきたいと思います。
最終目標は誰でも研究ができるだけの土台を作ることです。
文字を扱えるようになる理由はお父さま、パトリス様が仰った通りですが、少し遠い目標なので、いつ文字を使えるのかを説明したいと思います。
一つ目に、本を読むことができます。
今回の放送の後、定期的に各教会では"絵本"という、絵と文字が書いてある架空のお話を読み聞かせします。司教さんは文字が読めるので、彼らが文字を声に出して読み上げてくれます。同時に絵を見れば、皆さんはそのお話を楽しむことができるでしょう。しかし、この読み聞かせでは自分の好きなお話を自分の好きな時に楽しむことはできません。本を読むということがよく分からない方は是非、読み聞かせに足を運んでみてください。魅力的なお話を聞くことができます。その魅力的な話を楽しむ、それが本を読むということです。
二つ目に、パトリス様に質問ができます。
現在、私が屋敷から皆さんに声を届けているのですが、その中で、パトリス様への質問コーナーという企画をしたいと思っています。それぞれの集落を視察している屋敷の人間に紙にパトリス様への質問を書いて渡してください。ここで読み上げて、本人に答えてもらいます。パトリス様に気になることをなんでも聞いてください。本人が答えられないことは残念ながら無理ですが、できる限り答えます。それ以外でも、領地の皆に伝えたいことがあれば是非、紙に書いてください。私が代わりに伝えます。
三つ目に、手紙を書くことができます。
手紙は自分の代わりに自分の思いを伝えてくれるものです。相手を目の前にしたら恥ずかしくて言えなかったことありませんか?家族への感謝の気持ちを伝えるのは少し恥ずかしかったりしませんか?そういったことを紙に書いて渡すんです。これを手紙と呼びます。きっとその思いを伝えることができるでしょう。
どうでしょう?
皆さんには是非文字を使うことを楽しんでほしいと思います。
まだ実感は湧かないと思いますが、少しずつ文字を生活に取り入れていきましょう。
<あいさつ・終>
うーん、長かっただろうか。
退屈だっただろうか。
心配。
反応が見えないだけに、心配。
これで、難易度が高過ぎたら、もう一度考え直そう。
<オリエンテーション・1>
さて早速ですが、授業を初めていきます。
今日はオリエンテーション、じゃなくて、これから何をやるのかな?ってことを中心に話していきたいと思います。
皆さんに渡されたものは
黒い液体、"インク"というもの。
細長い棒、"ペン"というもの。
何も書かれていない薄い白い紙の束、"ノート"というもの。
文字がたくさん書かれている本、おそらく5冊ずつ渡されているもの、"教科書"というものです。
まずは注意事項です。
1人5冊ずつ用意されている"教科書"は繰り返し色々な人に貸し出して使うので、絶対に汚さないでください。皆さんが使った後に、他の人、例えば皆さんの子供やまだ勉強する年齢じゃない子達が後に使うことになります。
では、ノートを見てください。
私が今持っているものですね。
これは皆さんのものです。
ここに文字を書いていきます。
この時間以外にも使って構いません。
まずは、このノートの表紙、ちょっと堅い紙をめくって開きます。
こんなかんじ。
この中にある白くて薄い紙に書いていきますよ。
このインクの蓋を開けて、この中にペンの先っぽをつけます。
出すときに、余分なインクを落としてから、紙に描きます。
インクが垂れないくらいですね。
まずは好きなように書いてみましょう。
丸でも線でも四角でも、気にせずに書いてみましょう。
<オリエンテーション・1・終>
これで伝わっただろうか??
ちゃんと説明しているつもりなんけど、どうしたって不安になる。
ちょっと時間を空けるために停止していると、
おい!!
ノエルが浮いて現れた。
それに、よりにもよって放送中のカメラの視界に入ってきた。
「お姉さま、ペンはどうやって持つの??」
ノエルは何故か、ペンを持っていた。
幸いなことにインクは垂れたりしていなかったが、これは放送事故だろうか??
「ペンは自由に持っていいけど、持ち方が知りたいっていうなら、確か、オレンジ色の表紙の教科書の最初のページに絵で載っているはず、えっと、こうだよ、7本の指のうち2本を主に使うんだ。お父さまの持ち方をモデルにしているからパトリス式というのよ。」
そこで、気づいてしまった。
ペンの持ち方教えてなかった。
あれだけ練習したのにスッ跳ばすなんて。
ノエル、ナイスパスだよ。
ノエルはカメラの視界から外れずに、パトリス式の持ち方をしたペンをインクにつけて、意味のない線をノートに書きたくった。
これは、放送事故だろうか??
わかりにくくなっただろうか??
知らん。
もう、どうにでもなれ。
次回頑張ろ。
<オリエンテーション・2>
書けたでしょうか??
オレンジ色の表紙の本にはペンの使い方が詳しく絵で載っているので、忘れちゃったら参考にしてください。
さて、皆さんペンを使うことはできたと思います。
これから、ゆっくりと文字を勉強していきますが、今日のところは文字が便利だよ!!ってところを見せたいと思います。
皆さん、事前に教会の洗礼式でもらった紙を用意してもらったのですが、手元にあるでしょうか??
その紙の表側、つまり絵が書かれていない、こちら側ですね。
私が今、サンプルを持っているのですが、こちら側、の一番上にはそれぞれの名前が書いてあるんです。
つまり、それを真似っこすれば皆さんは、自分の名前を書くことができるというわけです。
それをどうするのか?
ノートの表紙、めくる前のところですね、そこに自分の名前を書いてもらいたいと思います。
これを見てください。
私のノートには私が名前を書きました。
今回、ノートは全員同じものを使っています。
だから、どれが誰のか、分からなくなっちゃうでしょう?
でも、名前を書けば、それだけでそのノートがあなたのものだとわかるんです。
それが書いてあるだけで、そのノートはあなただけの世界に一つのものです。
すごいでしょう?
まだ、文字が読める人が少ないので実感は湧かないかもしれません。
でも、自分の文字を覚えれば、自分のがどれなのかちゃんとわかります。
名前は両親からの最初の贈り物とも呼ばれます。
孤児院で現在両親がいない人たちも名前をつけてくれた人はいるはずです。
その名前をより大事にするために自分の名前を書けるようになってみませんか??
時間はいっぱいあります。
表紙に書くのはたった一度の一発勝負ですから、白いページに何度も練習して構いませんよ。
是非、何回も練習して、ノートの表紙にはいい名前を書いてくださいね。
休憩の時間も含めて少しこの放送は中断します。
11(**)分程経ったらまた繋ぎます。
それまで、少しの間だけ、ごきげんよう。
<オリエンテーション・2・終>
ふぅ。
これでよかっただろうか??
すぐに使えること、楽しいことを優先したのだが。
導入としてよかっただろうか。
それが分かるのは生徒、皆の顔を見てからだ。
後半戦へ気合を入れ直しましょう。




