没落令嬢フランセットは、湖水地方の名産を聞く
鬱蒼とした森を、進んでいく。
樹雨がパラパラと降ってきたが、村で買ったドレスは水滴を弾き返した。
「このドレス、水を吸い取らないのね。昨日おっしゃっていた、撥水加工をしているの?」
「ええ、そうなんです」
耳元で声が聞こえたので、驚いてしまう。これだけ密着しているのだから、当たり前なのだが。声が耳に触れるたびに、胸がドキドキと高鳴っていった。
本当に、ふたり乗りは心臓に悪い。
「どうかしましたか?」
「い、いいえ、なんでも。それにしても、水を弾くドレスなんて初めてだわ」
「通常は男性の外套くらいにしかかけないのですが、昨日、樹雨を気にされていた様子だったので」
「急遽、加工を施してくれたってこと?」
「ええ、まあ」
「そうだったのね。ありがとう」
あやうく、彼の心遣いに気づかないところだった。ささいな内容でも、こうして会話することは大事なのだろう。
「この撥水技術は、湖水地方に昔から伝わるものなの?」
「いいえ、これは私が考えたものです。スライムを加工し――」
「加工し?」
言葉が途切れたので、聞き返す。振り返りたかったが、まだそこまで馬上に慣れていなかった。
「その……スライムを塗ったドレスを着るのに、抵抗はないのですか?」
「別に、なんとも。匂いもしないし、触っても普通のドレスと変わらないわ。こんな技術を思いつくなんて、すごいわね」
「そ、そうでしたか。でしたら、よかったです」
なんでも領民の一部から、スライムを使って防水するなんて気持ち悪い、という声が上がっていたようだ。
「断りもなく、施してしまって申し訳ありません」
「いいえ、大丈夫」
ガブリエルはスライムを使い、さまざまな発明をしているらしい。ただそれは、領地内で使うだけに止めているようだ。
「魔物喰いが禁忌とされている世の中ですから、魔物の利用についてよく思わない者が多いのです。領民でさえ、私に嫌悪感を抱く者もいるくらいですから」
「そうなのね」
「これも、婚約を結ぶ前に、説明しておくべきでした」
「まあ、そうね」
話を聞いたら、別になんてことないと思う。けれども、私が知らなくて、トラブルが発生したときに対処しきれない瞬間があるかもしれない。だから、何事も隠さず話してほしい。
「あなたの妻となったとき、助けられるかもしれないから、なんでも話してほしいわ」
「ありがとう、ございます」
心なしか、ガブリエルの声が震えているように聞こえた。
これまでいろいろあったのかもしれない。今日は気づかなかった振りをしよう。
森を抜けると、広々とした平たんな野原に霧がかかる光景が広がる。
朝は昼間よりも霧が濃いようだ。
「寒くないですか?」
「ええ。あなたが温かいから」
口にしたあと、はたと気づく。くっついているから温かいだなんて、はしたないことを言ったのではないかと。
ドキドキしていたら、背後から笑い声が聞こえた。
「暖房としてお役に立てていたようで、何よりです」
「え、ええ」
あんがい快活に笑うものだと、意外に思う。
こうして馬に乗っているだけで、彼についてたくさんのことを知った。
たぶん、馬車に乗っている状態では、聞けなかった話や気づかなかったこともあっただろう。
いつもと違う行動を取るのは、大事なのだとひしひしと痛感する。
湖に近づくと、大きな看板が立てられていた。
「遊泳及び、ボートでの遊覧は禁じられています……?」
霧がかった全貌が見えない湖で、泳いだりボートを漕いだりする者達がいるのか疑問に思う。
「いたんですよ、それが」
薄曇りの昼下がりともなれば、霧がきれいに晴れる日があるらしい。
なんでも過去にやってきた観光客が、湖でスライムに襲われるという事件が起こったようだ。
看板の下には赤文字で、〝凶暴な人喰いスライム出没、死にます〟と書かれていた。
「昔はスライムに襲われます、注意と書かれていたんです。それでも湖に入る者がいたので、わかりやすい文章に変えたんです」
「そ、そう」
湖水地方と聞いて、何も知らない観光客がやってくることがあるのだという。
「湖水地方といったら、美しい湖、豊かな自然、のどかな景色――と、勘違いして、ボート持参でのこのことやってくるのですよ」
その美しい湖水地方は、国の北西部にある国内でも有名な観光地だ。
どこをどう間違って、この地へやってくるのか。謎である。
「湖からスライム達が顔を覗かせる、霧深い湖を見た観光客は、かならず言うんです。これは湖ではなく、沼では? と」
間違いなく、湖なんだとガブリエルは悔しい気持ちになるらしい。
「湿気でジメジメしていて、湖は沼のようで、観光するような場所は何もない。ここは湖水地方ではなく、ただの湿地帯だ。なんて言われたこともありました」
一年中キノコがどこでもかしこでも生えるような環境のため、否定はできないという。
「そういえば、朝食のオムレツに白トリュフがふんだんに使われていたけれど、ここではよく採れるの?」
「ええ。通常は犬や豚に探させるといいますが、湿った森の土を適当に掘ったら、高確率で見つかりますよ」
「へえ、そう」
秋に大量に採れたトリュフは、魔法保存器の中で保管されているらしい。
スプリヌではどこにでもあるキノコなので、価値はほとんどないという。
領民なんかは、お腹が膨らまないからという理由で食べないようだ。
「我が家では、朝食用のオムレツだったり、オイルに混ぜて香り付けにつかったり。その程度ですね」
「王都のほうでは、白トリュフは高級食材なの。だから、朝食にでてきて驚いたわ」
「そうなのですね」
白トリュフは栽培方法が見つかっておらず、黒トリュフの倍以上の価格で取り引きされる。
最近は各地でむやみやたらと採っていたからか、かなり稀少だとも言われていた。
「たぶん、季節外れのトリュフは重宝されるはずよ」
「なるほど、いいことを聞きました。では、今年の秋に大量にトリュフを採って、時期を置いてから売りさばきましょう」
ほとんど外部の人間と交流しないので、トリュフの希少性に気づいていなかったらしい。
「ここから王都に行った人達も、商売にしなかったのね」
「気づいても、家と連絡を取れなかったのかもしれません。絶縁覚悟で、皆王都に行くというので」
「ああ、なるほど」
モリエール夫人も、嫁いでからは一度も故郷へ戻っていないと言っていた。
皆、覚悟を持って家を出ているのだろう。
「あの、ガブリエル。さっきから思っていたのだけれど」
「なんでしょう?」
「ここ、エスカルゴもかなり多いわね」
「ああ、冬眠から目覚めて、散歩でも楽しんでいるのかもしれません」
湿気を多く含むこの地は、エスカルゴにとって天国のような場所なのだろう。
「そういえば、エスカルゴもここ近年、数が減っているという話だわ」
「へえ、そうなのですね」
「晩餐会で出るときも、ぐっと減ったわね」
「晩餐会?」
「ええ」
「もしや、あれを食べるのですか?」
「食べるわ。スプリヌの人達は、食べないの?」
「食べません!!」
雑菌だらけのカタツムリではないかと指摘されるも、エスカルゴは〝陸の貝〟とも呼ばれる食用のカタツムリだ。
「なるほど。王都の貴族は、あれを好んで食べると」
「そうなのよ」
「ならば、商売するしかないですね」
「きっと高値で売れるわ」
エスカルゴの旬は冬。冬眠にむけて、たっぷり栄養を蓄えるのだ。
「あんなものを食するなんて信じられないのですが」
「おいしいわよ。今度、エスカルゴ料理をふるまってさしあげましょうか?」
「フランの手料理であれば、まあ、食べないこともないです」
嫌悪感を示しつつも、私の手作りだったら食べるというので笑ってしまった。




