第五話 子作りは始めたのか?
「一つお願いがございます」
「願い? 言ってみろ」
「私は……私は……」
時は戻ってエマが皿を割ってしまった夜のことである。言ってはみたものの、なかなか願いを口にしない彼女の姿に、マツダイラはただならぬ決意のようなものを感じていた。
「俺に出来ることなら叶えてやるぞ」
「いえ、旦那様にしか出来ないことです」
「なら勿体つけずに言ってみろ」
「本当に……本当に叶えて下さいますか?」
「俺も男だ。一度口にしたことは曲げん」
「では、申し上げます」
エマはその場で居住まいを正し、マツダイラの顔を真っ直ぐに見つめる。
「私を……私を旦那様の妻に……」
「え?」
「私を旦那様の妻にして下さい!」
何となく、いずれは自分が彼女を娶るのではないかという予感がしていた。だがそれはまだ先のことと、身勝手に決めつけていたのは他ならぬマツダイラ本人である。それがこのタイミングで、しかも女であるエマの方から告白されてしまった。それも彼女の望みを叶えると約束した上でのことだ。
「いや、あの……」
「わ、私ではお嫌ですか?」
「い、嫌ということはない。ないが……」
「それとも、旦那様には他にお心に決めておられる方がいらっしゃるとか」
「それはない。それはないぞ」
「では……!」
「わ、分かった。お前の気持ちは素直に嬉しい。だが俺にも心の準備というものがある」
強面男の乙女な言葉は、聞いててあまり気分のいいものではないと思う。
「でも……」
エマはそこで表情を曇らせた。
「でも、何だ?」
「私は陛下のお怒りを買って、明日にも首を落とされるかも知れません」
「いや、それはないと思うぞ」
「そうなれば、好きな殿方に抱かれることもなく、生娘のままこの世を去ることになります」
「だ、だからそれはないと……」
「お願いでございます! 今夜……今夜私を旦那様のものに!」
言うとエマはそのまま彼の胸に飛び込む。こっちの話はまるで聞こえてないようだ、とマツダイラは思った。それでも、柔らかくて温かくて、甘い香りのする彼女を思わず抱きしめてしまう。それは彼もまた、彼女に対して同じ想いを抱いていたからに違いない。
「エマ」
「旦那様……」
ふと名を呼ぶと、彼女は腕の中で彼を見上げ、そしてそっと瞳を閉じる。こうなればもう、応えてやるしかないだろう。いや、そんな不遜な気持ちは欠片もない。その姿は、これまで見た彼女の中で最も魅力的だった。だから、二つの唇が重なるのは必然だったのである。
そうしてどれだけの時が過ぎただろうか。互いが惜しむように唇を離すと、マツダイラは彼女をしっかりと抱きしめた。
「俺もお前が好きだ。この気持ちに偽りはない」
「旦那様……嬉しいです」
「だがエマ、きっと大丈夫だ。陛下はそのようなことで人の首を刎ねたりはなさらない」
「でも……でも!」
「少しは俺を信じろ。これでも陛下が王位を継がれる前から側に仕えているのだぞ」
「どうしても、今夜はだめですか?」
「いいとかだめとかではない。俺はもう少し、お前と今の生活を続けたいんだ」
「本当に、他に好きな方はいらっしゃらないんですね?」
「俺をよく見てみろ。仮にそんな女がいたとして、この顔が女に好かれるとでも思っているのか?」
「私は好きになりましたよ?」
「お前はどうかしているのだ」
そんなことを言いながら、マツダイラは再び唇を彼女のそれに重ねた。
「と言うわけでして……」
「あら!」
「まあ!」
傍らで話を聞いていたユキたんとサッちゃんも顔を赤らめている。他人の、しかも身近な人間の恋バナというのは聞いてて楽しいものだ。それも本人の悩みが明後日の方を向いていたら尚更である。
「で、何をそんなに思い詰めているのだ?」
「いえ、仮にも彼女は王妃殿下が花嫁修業にとお連れになった城の者。それを私が……」
「何だ、そんなことで悩んでいたのか」
「そ、そんなことって……」
「マツダイラ、お前は本当にユキがエマを花嫁修業のためだけに連れていったと思っているのか?」
「はい?」
「考えてもみろ。お前ほど花嫁修業の相手に相応しくない男がいると思うか?」
「ま、まさか……!」
「エマさんは最初から本当の花嫁修業に行っていたのですよ」
マツダイラ閣下はこれでもかというほど真っ赤になって、全身をワナワナと震わせていた。いくら相手が平民の娘とはいえ、王妃が預けた城のメイドだ。それを娶りたいというのは、さすがに勇気が必要だっただろう。ただ、神妙な表情での相談というのがこれだったのだから、気の毒だが滑稽としか言いようがない。
「それでマツダイラ、子作りは始めたのか?」
「こ、こづ……ま、まだに決まっております!」
「何だ、奥手だな」
「あら、陛下がそれを仰いますか?」
ユキたんがおかしそうに笑いながら言う。
「私も思いました。あの頃の陛下もなかなか奥手ではなかったかと」
「さ、サトまで!」
これは薮蛇だったようだ。
「と、とにかく! エマ殿を娶っても構わないということですね!」
「娶る?」
「きゃあ!」
「ではもう一度エマを呼んでこさせるか」
「そ、その必要はございません! 失礼致します!」
言うとマツダイラ閣下は、メイドさんが扉を開けるのも待たずに自分で出ていった。何やら面白いことになってきたぞ。俺がユキたんに目を向けると、彼女は小さくガッツポーズを決めているところだった。




