第3話 誘う四番線ホーム・前編
読者の皆さんは、お盆をどうお過ごしになりますか?
永江麗華に協力することが決まった日の翌朝、草薙はいつもどおり、週末の休み明けの学校に登校していた。昨日、居住区であれだけの騒動があったのにも関わらず、そのことが同級生の間では全く話題に上がってこない。殆どの者が、間近に迫ったゴールデンウィークのことで夢中だった。このことが、永江麗華の言っていた『世界の矯正力』の存在を証明していた。
「草薙くん、おはようー。今日も良い天気だね」
昨日共に事件に巻き込まれた松村も、何事もなかったかのように呑気に挨拶をしてきた。幸いなことに、怪我はしていなかったらしく、草薙は内心でほっとしていた。
「よう、松村。おはよう」
草薙もいつもどおりに挨拶を返したつもりだった。だが、松村には何か引っかかるものがあったのか、怪訝そうな顔で、
「ねえ、草薙くん。私に大事なこと、隠してない?」
と、草薙に顔を急接近させながら詰問し始めた。
「いや、何もない。何も隠してないぜ」
「本当に? 草薙くんは、肋骨が折れていても誤魔化しちゃうからなあ。お父さんも本当に、加減っていうものを知らないから困るわ。だから、門下生が増えないのよ」
松村の言う肋骨の骨折の件は、半年ほど前に、松村の父でもある師匠との稽古中に、受け身を失敗して肋骨に小さな罅が入った時のことを言っているのだろう。あの時は、痛みを隠して、何でもないように振る舞っていたのが、痛みが酷くなった後になって問題になった。それ以来、松村が少し口うるさくなったように草薙は感じている。
それはともかくとして、少しぎこちない誤魔化し笑いを浮かべ、どうにかして煙に巻こうとしていたところに、携帯に着信が入った。液晶画面を見てみると、そこには永江麗華の名前が表示されていた。
「電話だ。悪いけどちょっと待ってくれ」
草薙はそう断って、正門前で電話に出た。電話の向こうから、昨日と変わらない、どこか気取ったような声が聞こえてきた。間違いようもなく、永江麗華の声だ。
「グッド・モーニング! ご機嫌はいかがかな?」
最初は余裕のありそうな、大げさな身振りすら連想できる声だった。しかし、次第に緊迫感が伝わってくる、固い口調に変えながら続けた。
「三方山駅で『侵略者』の痕跡が見つかった。君の協力が欲しい。今日の放課後、三方山駅の改札口に来てくれ」
「放課後? 別に良いけど、今すぐの方がそっちとしては好都合だと思うが」
草薙が永江の言葉に首をかしげていると、松村は訝しげに草薙を睨んでいた。それに気付いた草薙はどう言い逃れするかを考え始めると、
「放課後の方が好都合な案件でね。どうやら忙しそうだから、私はここで失礼するよ」
永江はそう締めくくって、電話を切った。その後、松村を言いくるめ、放課後の三方山駅に行くのに苦労した。
三方山駅の線路は、三方山市の中央を流れる三方山川とほぼ直角に交差している。十分に一回程のペースで電車が止まり、隣町まで数分程度で着くこの線路は、非常に便利な交通手段として重宝されている。特に通勤・通学者の多い夕方はそれなりに混雑する。
そんな混雑した駅前に、草薙と永江は合流した。行き交う人々の喧噪にかき消されないように、二人は意識的に声を少し大きめにし、堂々と作戦会議をしていた。仮に関係のない人間に聞かれたとしても、『世界の矯正力』が働き、聞いた人間の記憶から消えるので問題はない。と、永江から前置きされた。
「さて、では本題に移ろうか。今回の調査は、三方山駅の四番線ホームでの、連続飛び込み自殺についてだ。先行した調査員によると、『侵略者』による『侵蝕現象』の痕跡が見つかったとのことだ。元々私は、この件を片づけるために三方山市に来たわけだが、もしかしたら、あの大男とも関係があるのかもしれないと思い、君に連絡したわけだ」
ここまで言い終わると、永江はスーツのポケットから切符を取り出した。表記されている金額から推測すると、おそらくただの入場券だろう。
「さあ、君も早く買いたまえ。現場は四番線ホームだ」
永江に促されて草薙も入場券を購入し、それから二人は駅の改札口を通り、四番線ホームへと向かった。現場に着くと、三方山駅が三方山市のほぼ中央に位置するだけあって、夕日に照らされた海と山々が一望できた。改札口前とさほど変わらず混雑しているが、永江の言う『侵蝕現象』の痕跡とやらがどこにあるのか、皆目見当がつかなかった。
「永江、痕跡がどうとか言っていたが、それはどこにある?」
通勤客らしい中年の男と肩がぶつかり、睨みつけられながら先を歩く永江を追いかけた。やがて、改札口に繋がる階段とは反対方向、四番線ホームの屋根のない端の方の、あと一歩で線路に飛び込むことになる位置で永江は足を止めた。
「あれを見たまえ」
永江はそこで、目の前の線路のある一点を指さした。そこには赤色の泡のようなものが、なにもない空間から湧き出ていた。草薙はその赤色の泡のようなものに対して、異常なまでの嫌悪を感じた。
「永江、あの赤色の泡みたいなものはなんだ?」
草薙は不気味な赤色の泡を見ながら、部外者の記憶には残らないと分かっていながらも、無意識のうちに小さい声で、永江に聞いた。
「あれこそが『侵蝕現象』の痕跡だ。あれは私達のような『能力者』、または『能力者』になり得る者にしか見えない。そして殆どの場合、『侵略者』が痕跡の付近で縄張りのようなものを築いているのだよ。どうやら、約一ヶ月前から発生している連続飛び込み自殺は、この『侵略者』による可能性が高いようだ」
三方山駅連続飛び込み自殺――。永江の言うとおり、約一ヶ月前から三方山駅で連続して飛び込み自殺が発生し、そのことで三方山市のあちらこちらで最近、悪霊の祟りではないかなどと、噂が立ち始めている。当然、草薙もそれくらいは知っている。
この連続飛び込み自殺の不可解なところは、誰も自殺者が飛び込む前に気付かなかった点にある。それを駅員の職務怠慢と言う者もあれば、やはり心霊現象の類だと言い張る者もいて、議論は紛糾している。
「飛び込み自殺者が、『侵略者』の犠牲者である可能性は十分にある。『世界の矯正力』も、人の死そのものには作用しないから、関係のない人間にも自殺者の死は記憶に残る。だから、人の死は知覚できても、死因については正確に知覚できない。結果的に、謎の連続飛び込み自殺が成立するというわけだ。――さて、敵のお出ましらしい」
永江がそう言うと、赤色の泡の一つ一つが膨れあがり、空間が赤色に染められ始めた。同時に、件の『侵略者』がその姿を現した。
今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。