『浅井の仕置き』
えっ?
自宅警備員のくせに張り切りすぎ?
いやだなあ、おじいちゃんが大変なんだ 『孫』 としてはお見舞いに行くでしょ!
これは、夏休みお爺ちゃん家に 『お盆玉』 をもらいに行った話である。
さあ、浅井の仕置きをはじめよう。
とはいえ、やることは鎌刃城を支援しつつ守りを固める。それだけである。
こちらから攻撃はしない。
長政軍の小谷帰還を阻止するだけだ。
俺は、義兄の義治殿にお手紙を書いて送った。
「 義治おにいちゃんへ
拝啓、厳しい残暑が続いていますが、いかがお過ごしでしょうか。
先日、南宮大社へ行っきました。
とても涼しくて、いい所でした。義兄上様も何処か行かれましたか。
避暑先で、賢政くんの事を耳にいたしました。何でも六角家に弓を引いたとか?
日置流の六角家に弓を引くとは、馬鹿な奴ですね。
外祖父の久政殿や従弟達が心配で、あわてて近くまでお見舞いに駆けつけたところです。
どうやら、賢政くんの独りよがりみたいです。
佐和山にいる奴ら以外は、皆 久政殿を支持しているみたいです。
今日は、今井殿が賢政に対して反乱の兵を起こしたみたいですしね。
小煩くて面倒でしょうが、『賢政討伐』頑張ってください。
吉報を待っております。
これから季節の変わり目を迎えます、どうかお体にはお気を付けてくださいね。
敬具
竜興より 」
考えてみれば俺はまだ12さいだ、子供っぽく文章を仕上げた。
ああ、忘れていた!
平井定武殿にも書状を送って、賢政にリベンジしていただこう。
~ ・ ~ ・ ~ ・ ~ ・ ~
翌日
まずは、小谷城へ行くことにした。
3000の兵で小谷城下を訪問した。
その日のうちに、久政派が主導権を握り、快く迎え入れてくれました。
昼過ぎには、久政殿が監禁先の竹生島より帰還した。
「外祖父様、ご無事で何よりです」
「うむ、竜興殿お世話になった」
「いえ、『孫』として当然のことをしたまでです」
「うむ(む)」
感動の再会です! (久政にとっては手痛い失点であろう)
とりあえずは無難に世間話をいたしました。
その間に、浅井方の変事を知った六角家があわてて兵を戻しました。
(義治殿、定武殿が張り切っているみたいです。)
今度は六角家の侵攻です。
肥田城を尻目に佐和山へと進軍したようです。
~ ・ ~ ・ ~ ・ ~ ・ ~
浅井方は、昨日の不慮の戦闘で大騒ぎになったそうだ。
牧田川沿いに南にくだり、焼尾山と鈴北岳との鞍部を越えるルート(R-365・306)。
いわゆる『鞍掛峠越え』で、別働隊2000の兵を多賀に入れている 竹中重元からの報告である。
昨日の夜襲は、彼と多賀貞能の働きである。
兵力の有効活用のために、川並衆の一部に琵琶湖の水運の利権をチラつかせて協力させている。
さすがに、こういう働きでは使いやすい。
もちろん地元の多賀氏の協力も大きい。
「重元は、いい仕事しているなあ」
「ふふふ、左様ですね」
浅井長政は何とか兵を叱咤激励し、朝から鎌刃城を攻めている。
とはいえ、あの城は堅城である。そう容易くは落ちない。
他の備えも必要であるから、長政の攻め手も1万を大きく割り込んでいる。
だいたい6千くらいか?
まあこのくらいであればしばらくは持つ、それで充分だ。
「場当たり的な対応だ、無様だな」
「そうですね、無能と言ってもよいでしょう!」
半兵衛の評価は、手厳しいが正しい。
「鎌刃城攻めにこだわらず、別ルートで何が何でも小谷へ帰るべきだったな」
鎌刃城攻めに気を取られている内に、揺さぶりをかけようかな、噂をばらまくとしよう。
「浅井長政、大損害を出し佐和山にて孤立」
これで、国人衆も腹を決めるだろう。
実際に昼過ぎには、長政の攻撃隊は囲みを解き佐和山城へと引き上げていったようだ。
六角家の襲来を怖れたのだろう。
噂通りとなった訳だ。
1万1千有った長政の手勢は、昨日には8千人を切り、さらに日に日にやせ細ってゆく。
もはや、迂闊に出陣すれば、逃亡者が続出するであろう。
離脱した者も少なくない、分散した小部隊は俺達が拿捕したからな。
兵力は5千を割り込んだかな?
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肥田の戦いの2日後には、佐和山城を六角勢1万5千が包囲し、長政を苦しめた。
さすがに、そう簡単に落城はしなさそうだ。
その間に、俺達は江北の実効支配の準備を整えた。
浅井家はほぼ武装解除状態であるし、当主を虜囚の身から救ったのだ他の選択肢はないだろう。
別に、滅ぼしてもいいんだぞ。
面倒だからしないけれど。
見舞いと称して、母も呼び寄せた。
俺の母は、『近江の方』である、久政の養女であるが、本当は妹だ。
実を言うと、浅井家は女系である。
茶々・初・お江の『浅井3姉妹』が有名であるが、他にも海津3姉妹、蔵屋、阿久姫、京極マリアがいる。
恐ろしく女性が強い。
ぶっちゃけ、久政など『カス』である。
と言う訳で母にお願いし、久政と『お話し』をしていただいた。
お話しの結果……。
浅井政元(12)を擁立して、浅井家当主に据える事となった。
うちの家臣の娘を父義龍の養女として迎え、政元に娶せることとした。
政之も同様に婚約させる。
元々国人連合だし、若い盟主では結束が難しいであろうから、俺が後見に立ってやろう。
なに、母方だが俺は浅井の血をひいている、問題ない。
(政元は飽くまで俺の母方の親族として遇してやろう、所詮は傀儡なのである。)
今回功績のあった、浅井石見守亮親 、海津政元、井口経親、中島直頼、浅見対馬守、今井定清、久徳義時、上坂意信、多賀貞能 、コイツらが評定衆だな。
後は、能力次第かな?
最後のだめ押しで、『新当主への就任祝い』と称し国人衆を招集した。
当主が参集しない家は、新当主『浅井政元』に叛意あるものと見なすとした。
参集出来ない場合は、速やかに新たな者を当主に立てるように命じた。
期限は三日である。
佐和山にいる奴の顔が見物だ。
いわゆる離間の計である。
新たに当主になった者は、俺に従うしかないのだ。
佐和山にいる当主を気にして、『新当主』を擁立出来なかった家を『見せしめ』に取りつぶした。
実務は評定衆が差配した。
(土岐家がわざわざ憎まれ役になる必要はない。)
後は、温情で2日だけ待ってやった。
こうして速やかに、政元を当主とする新体制が発足したのである。
~ ・ ~ ・ ~ ・ ~ ・ ~
さらに数日が経過した。
浅井長政は多くの脱落者を出しながら、佐和山城にて孤立している。
配下の国人衆をいつまで統制出来るかな。
もうすぐ農繁期、刈り入れだ。
長政に味方している国人の分は、俺が刈ってやろう。
臨時収入だ、手空きの貧しい農民を1000人ほど呼び寄せてやろう、借り放題だと喜ぶだろうな。
「なんとも鬼ですね」
ひと仕事を終えた、光秀が言った。
「農民の苦労は尊い、俺は青田刈りなど性に合わん! 稲穂狩りだ、収穫祭りだ。」
百姓には、二割ほど年貢を減免してやった。
つけあがるといけないので、今期だけだと念押しをしておいた。
「土岐の殿様はよい方だと、評判があがった」
ふふふ、元手いらずだ。
長政や六角家の目が『佐和山城』に向いている隙に、湖東を調略する。
今はとりあえず内応の約束だけで充分だ。
「うまく、揺さぶりをかけられたかな」
さあ、収穫も終わったことだし引き上げよう。
半月の滞在の後、俺達本隊は引き返した、後はお任せである。
六角家の人達は、弓の名人です。




