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『浅井長政という男』

お待たせしてスミマセン。

早速どうぞ。



浅井家という者達は、万年野党である。


ちいさな善意から始まった、正義の集団である。

それは良い。

成り上がりで、勢力が小さいゆえに、体制側から見ると野党である。


 野党であるがゆえに、与党に勝てない。

勝てないから、勢力は小さいままである。


たまにチャンスを見計らい、正義ヅラしてイイ線まで行くのだが……、弱小であるがゆえに勝てないのである。


そして、正義とは勝った側の称号である。



 このような状況が数世代も続くと、もはや勝ち負けよりも体制に反抗することに生き甲斐を感じるという。

マゾ集団が出来上がる。


日常に喜びを見いだせず、現状に不満をため込み、後先考えないで暴発する。

まことにもって、困った奴らである。


それが、与党側の浅井家に対する認識というものだ。


《 立場が違えば、見えてくるものはまるで違うものだと、七重八重の中の(ひさまさ)が嘆いている。 》





 体制側の人間という者は、基本的に寛容である。

民衆を支配するのであるから、硬軟とりまぜ支配するのは当然で、戦に巻き込まれた民衆に無体な事をしない。


つまり、浅井家の軍勢を追い散らすことはしても、残された民衆を皆殺しにするようなことは守護としてあり得ないのだ。

精々が、浅井側のしょぼい砦を壊すか、焼き払うぐらいである。


 それをいいことに、奴らは危なくなるとすぐに逃げだし、戦が終わりほとぼりが冷めるとひょっこり戻ってくる。

いわゆるゲリラ戦法を用いるのである。

まあ、ゴキブリ並みにしつこいのだ。




 体制側から見ると、奴らは 『 護るべき者を持たず、頭でっかちな卑怯者 』 なのである。


そして、土岐家もまた体制派である。



「あ~やっぱり賢政は挙兵したか~」


 史実と違って、浅井賢政はギリギリまで牙を隠していた。

俺に言わせれば隠しきれていなかったのだが、まあそれは置いておく。



つまり、1560年5月。


浅井賢政は、今川義元の挙兵に乗じて蜂起したのである。


史実と異なってしまっているのは、俺のせいかも知れない。

俺が竹中重元を引き抜き犬山の担当にしたこと。

土岐家・六角家の婚姻同盟を成立させたことで、事情がかなり変わっているのである。

それでも、浅井賢政の心の内は変わらなかったようだ。



 奴は国人衆と共謀し、父親の久政公を監禁し当主の座を奪った。

正室の平井嬢を実家に送り返し、呆れることに六角家に対して宣戦を布告したのである。

名前まで気にくわないらしく、賢政を長政と改名した。


長政も用意周到に水面下で活動していたらしく、長政に同調する六角家の家臣がいたのである。

浅井氏との国境に近い肥田城の高野瀬氏である。




― 小谷城―


「ふん、ようやくこれで儂の自由になった」

父、弟を監禁した感想がこれである。


 六角家に媚びへつらう親父殿らには、正直呆れてしまうわ。

儂が、浅井家の実権を握ったからには、祖父亮政公のように国人衆を纏め上げ正義の鉄槌を六角の犬どもに食らわせてやる。


六角といえど、所詮は寄り合い所帯である。

主家に不満を持つ国人衆を、地道に取り込んでいけばいいのだ。


世の中不満のない奴なんていない、儂が行動を起こせば必ずついてくるのだ。


 以前から遠藤直経らを介して、秘密裏に調略を仕掛けていたのだ。

調略の相手は、肥田城主の高野瀬秀隆である。

秀隆は父頼定が六角氏に従軍して戦死したにも関わらず、恩賞がないことに不満を抱いていたようだ。


六角氏の処遇に不満を抱いていた高野瀬秀隆は、儂(長政)が独立を果たすと浅井方に転じた。


「ふふふ、直経よ! こちらの惑通りではないか」


「左様でございますな」

長政の傍らに影のように従う男、彼が『遠藤 喜右衛門尉 直経』である。





― 宇曾川南岸 ―



 夏の盛りの熱い中、肥田城という規模の小さな城をおびただしい軍勢が取り囲んでいた。

じりじりと焼け付く日差しが、甲冑を焦がす。

蟻の這い出る隙間もないとは、この事であろう。



 六角軍の軍勢は、遠巻きに肥田城を囲んでいる。

肥田城を攻める六角勢は、城攻めの準備で周囲に柵と堀を築いているところだ。


北は宇曾川、西は琵琶の海

肥田城の東側に、第一軍、蒲生定秀・永原重興・進藤賢盛・池田景雄

西側に、第二軍、楢崎壱岐守・田中冶部大夫・木戸小太郎・和田玄蕃・吉田重政

南側の中央の本陣に、六角義治・後藤賢豊が陣取る。



《あからさまな、オーバーキルである。》


 現在、三好家と対立姿勢を取りつつある六角義賢にとって、高野瀬氏の離反は由々しき事態であった。

後方を浅井に扼されては、おちおち遠征が出来ないのである。


 すぐさま2万5千の大軍を率い、肥田城を囲んだ。

うかうかすると、他の国人衆が浅井に同調しかねないのだ。

よしんば同調せずとも、『同調するぞという選択肢』があるだけで、国人衆はこちらの足元をうかがいつけあがるものなのだ。


まったく頭が痛いことである。


 久政は云うことを聞いてくれたのに、息子は厄介である。

せっかく元服の際に、儂の諱まで与えて厚遇を約束してやったのに……。

ヤツめ、嘲るように、長政と改名しおった。


 しかも、よりによって娶せたばかりの重臣の平井の娘を送り返してきたではないか。

はなから、六角家と戦うつもりなのだ。 奴は狂人である。



 大軍で囲み高野瀬氏を屈服させる予定だったが、向こうもこちらの意図を見抜いたようだ。

浅井長政の後詰めを待つ構えである。思わぬ長対陣になってしまった。


 浅井の軍勢が後詰めの為にこちらへと押し寄せてくると云うのは、勝負を決める戦いが出来るということである。

正直、武将としては面白い展開である。


 しかし、被害を許容出来ない義賢にとってはなんとも困った事態である。

本音を言うと、賢政の反抗は義賢にとって想定外の出来事であるのだ。


 ここで、本格的な戦いを演じてしまうと、今後の京への出兵がつらくなってしまう。

国人衆に対してむやみやたらに、軍役を課せないのである。


毅然とした態度を取りつつも、暗澹たる心もちの義賢であった。

義賢にとって、浅井長政はしょせん路傍の石なのである。



義賢の脳裏には、宿敵の三好勢の諸将の存在しか映っていなかった。



バタフライエフェクトを考えたら、なかなか史実とのすりあわせが難しくなってしまいました。


1560年春の時点で、史実との違いに気が付いた人はさすがです。

浅井検定(ひさまさver)、2級を差し上げましょう。

『長政?はつらいよっ』シリーズでは『肥田の水攻め』の経緯が史実とかなり違いますからね。

『肥田の水攻め』と『肥田城・野良田の戦い』は、同一視出来るほど関連していますけれども、次期が違うんですね。

史実では、義賢が『肥田の水攻め』で大コケしてしまってます。

この世界では、水攻めはしないようですね。


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