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アルディスの屋敷に帰ってから一週間。朝食の席で兄がリリアへと言った。
「リリア。今日は少し時間が作れるから街へと買い出しに行こうと思うが、来るか?」
もちろん昼からだ、との兄の言葉に、リリアはどうしようかと少し考える。他の予定があるわけではないが、わざわざ自分で行かなければならない買い物も特にない。
「ちなみにお兄様は何のために? 直接行かなければならないものなのですか?」
「よくぞ聞いてくれた!」
兄が、クロスが立ち上がる。目を丸くするリリアの隣では、事情を知っているのかティナはため息をついていた。
「先日から腕のいい鍛冶士が来ていてな! 新しい剣を頼んでおいたんだ! 今日受け渡しの約束をしている! 評判がとても良かったからな、ああ、楽しみだ! というのも、実は俺の剣だが……」
クロスは剣を語らせると長い。それ故に極力この話題は避けていたのだが、まさか買い物の理由が剣だとは思わなかった。戦争などはるか昔の出来事で今は平和そのものだというのに、物好きなことだと思う。
「ティナ。貴方は知っていたみたいだけど、いつ聞いたの?」
「え? あ……。二回ほど、一緒にお茶を飲んで、その時に……」
「へえ……」
母とテオからにしか呼ばれていないと思っていたのだが、どうやら兄にも呼ばれたことがあったらしい。
「リリア、その、あれは……」
「放っておきなさい」
クロスは今もよく分からない話を続けている。家族の誰もが一度は経験があるので、特に驚くようなことはなく、むしろ平然と食事を済ませていた。父にいたってはすでに仕事に向かってしまっている。
「付き合っても時間の無駄よ。勉強するわよ」
「い、いいのかな……?」
リリアが促すと、ティナは困惑しながらも着いてきた。
その場に残っていた使用人の話では、家族が一人もいなくなってからも一時間以上話し続けていたらしい。ここまでくると少しばかり尊敬してしまうのは何故だろうか。
さくらの希望もあり、買い物には同行することになった。
昼食後。リリアは兄に連れられて馬車に乗った。上級貴族の屋敷の周辺は、特別な試験に合格した一部の商人しか商店を開けない。そのため買い物をするとなると、少しばかり屋敷から離れることになる。そうしたことから、上級貴族の屋敷が建ち並ぶ区画はいつも静かだ。
商店の並ぶ区画は当然ながら賑やかだ。多くの人が行き交い、商人が声を張り上げる。多くの上級貴族はこの喧噪を嫌って自ら買い物に来ることは少ないのだが、一部の物好きはむしろ好んで訪れる。リリアを除くアルディスの面々も物好きな方であり、今ではリリアもそうだと言える。
王家指定の敷地に馬車を預け、リリアは兄と共に街へと入った。
そしてすぐに、
「俺の買い物に一緒に来ても暇だろう。好きに回ってくるといい。二時間後に馬車で合流しよう」
そう言ってリリアを置いて行ってしまった。
――私が一緒に来た意味はあったの?
――まあまあ。それより私たちもお買い物しようよ。こっちにも美味しいお菓子があるだろうし。
――さすがにここではあまり買えないわよ。
兄が去っていった方を一瞥して、リリアは食べ物を多く販売している区画へと足を向けた。
周囲の視線。囁き声。リリアが行くところには必ずつきまとうものだ。これは気のせいなどではなく、今までのリリアの行いから来るものだ。周囲に視線を巡らせれば、多くの人と目が合い、逸らされる。あからさまな陰口もあるし、中にはわざわざ聞こえるように言っている者もいる。
以前は気にもしなかった。下の人間の嫉妬だと笑い飛ばしていた。だが今だとやはり気になるものだ。向けられる感情に良い物など一つもなく、全てが悪感情なのだから。
――リリア。大丈夫?
さくらの気遣わしげな声に、リリアは硬い表情で頷いた。
――大丈夫よ。ありがとう。
――ん。無理はしないようにね。
声しか聞こえないとはいえ、さくらが常に側にいてくれることがとても心強い。一人なら、間違いなく逃げ出していただろう。
――お兄様が一緒ならと思ったのだけどね。
――剣だけであんなに変わるなんて。何がいいのかな。
――同感ね。理解できないわ。
さくらと軽口を交わしながら、ふと視界に入った屋台に興味を覚え、そちらへと向かう。果物を売っている小さな屋台だ。
――何か希望はある?
――苺! みかん! リンゴ! 甘いもの!
――じゃあレモンで。
――なんで!?
冗談だ、と笑いながら苺の入ったかごを手に取る。屋台の人に声をかけようと顔を上げると、引きつった表情の初老の男と目が合った。
「もしかして、あんた……。アルディスの……?」
「質問の意図が分からないわね。何を聞きたいのよ」
「ひっ……! すみません、貴方はリリアーヌ・アルディス様でしょうか……?」
老人の問いに、リリアは眉をひそめ、改めて周囲を見る。相変わらずリリアと目が合うとすぐに逸らしてしまう者が多いが、それでもどこか、今までと少し違うような違和感がある。リリアを怖れて目を逸らす、ではなく、見られていることに気づかれたために逸らしているようだ。
「確かに私がリリアーヌですが」
老人にそう答えると、大きく目を見開き、そしてすぐに頭を下げてきた。
「これは、大変申し訳ないことを……! その、お化粧をされておられないようで、気づかずですね……。どうかお許しを……!」
老人の態度に、リリアは目を白黒させた。まだ何もされていなければ、こちらも何もしていない。それなのにどうしたのだろうか。
――日頃の行いだね。最近の、じゃなくて前までの。
――ああ、そういうことね……。まあ、仕方ないわね。
リリアを認めてくれたのは、まだ一部の人だけだ。それは分かっていたつもりだが、こうして態度で示されると不愉快に思うと同時に、それ以上に悲しくなった。がんばってきたつもりではあったが、まだまだ足りないらしい。
気を取り直して、リリアは軽く首を振った。老人へと苺の入ったかごを差し出す。
壁|w・)お兄さんは剣を見てうっとりしています。
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ではでは。




