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王はリリアを幼い頃から知っている。彼女の物心がつく頃になるとさすがに控えるようになったが、王はよく赤子のリリアを訪ねていた。娘のいない王にとって、気の置けない友人ともいえるケルビン・アルディスの娘は王にとってもかわいい娘同然だった。だからこそ、王はリリアを、他の者よりもよく知っているつもりだった。
だが、こんなリリアーヌは、知らない。凄絶に、不気味に嗤うリリアーヌなど、見たこともない。
ケルビンやアーシャへと視線を投げれば、彼らも顔を青ざめさせ、ただただ驚きに目を見開いていた。どうやら二人もこのようなリリアーヌは知らなかったらしい。
リリアはその笑顔のまま、口を開いた。
「陛下」
呼びかけられ、王はどうにか口を開く、なんだ、と。その短い言葉でも納得できたのか、リリアは笑顔をより一層深めた。
「何があれば、誰の言葉があれば、私の無実を認めていただけますか?」
まだ諦めていないのか。王は驚きにわずかに目を瞠り、すぐに表情を隠して言う。
「物となると、難しいだろう。誰かが裏で何かをしていたとしても、その証拠が残っているとは思えない」
「証言では?」
「当事者に当たるリリアーヌとフリジアの関係者の証言は、どのようなものであっても認められない。第三者が知ることも、不可能に近いだろう」
なるほど、とリリアは頷き、そして言う。
「では精霊なら?」
リリアの言葉に、王が怪訝そうに眉をひそめた。
「精霊の言葉なら十分すぎるほどだが……。残念ながら、精霊が見える者たち、魔導師の中にアーシャ・アルディスがいる。彼女の影響がないとは言えない。故に、認められない」
「精霊から直接聞ければ、問題はないということですね」
何を言っているのか、と王は目を細めた。精霊を見ることができるのは魔導師だけであり、声を聞くことができる者はさらに少数だ。才能のない者はどちらもできず、王にも魔導師の才能はない。
「答えてください。精霊から直接聞くことができれば、十分ですね?」
訝しげにしながらも、王は頷いた。
「我々でも見ることができ、聞くことができれば、問題はない」
「はい。言質は取りましたよ」
リリアが笑顔を深め、そしてその笑顔をアーシャへと向けた。アーシャは信じられないものを見るかのように娘の顔を見ていたが、お母様、とリリアに呼ばれるとはっと我に返った。
「大きめの紙と何か書くものはあります?」
「ええ……。少し待ちなさい」
アーシャが自身の後ろに並ぶ魔導師たちに指示を出すと、すぐに紙が用意された。子供ほどの大きさがある紙で、渡されたその紙をリリアは床に広げた。続いてアーシャに差し出されたペンを受け取り、紙に魔法陣を書いていく。
本来なら、このような行いは認められない。誰かが止めるべきだ。だが誰も、王ですらもそうすることはできなかった。リリアの異様な雰囲気に呑まれていた。
「できました」
魔法陣を書き終えたリリアが立ち上がる。その魔法陣を見てみるが、少なくとも王には見覚えのないものだ。魔導師たちも見たことのないものなのか、誰もが首を傾げていた。
リリアが魔法陣の隅を軽く叩く。だが何も起こらない。本来なら仄かに光り始めるそれは、書き終えた時のまま何も起こっていなかった。失敗か、と思った直後、王は我が目を疑った。
魔法陣の上、床から少し離れた場所に、小さな子供のようなものが浮かんでいた。人の拳大ほどの大きさしかないそれは、質素な衣服を身に纏い、その場に浮かんでいた。
まさか、と思いながらも、王はアーシャへと問うた。
「アーシャ、あれが、まさか、精霊なのか……?」
問われたアーシャが大きく目を見開き、王へと振り返る。
「まさか、見えていらっしゃるのですか?」
「ああ。小さな子供のようなものが見える」
「はい……。間違いなく、精霊です」
王とアーシャの会話に、リリアは満足そうに笑みを深めた。周囲を見渡し、言う。
「見えていない方はいらっしゃいますか?」
誰も、何も応えない。目の前の、多くの者が初めて見る精霊に目を、心を奪われていた。
「誰もいらっしゃらないようですね。では、精霊様」
リリアが呼びかけると、興味深そうに周囲を見回していた精霊がリリアへと振り向いた。リリアが続ける。
「聞きたいことがあります。私のお願いを聞いていただけますか?」
リリアの言葉に、精霊が頷く。
「もちろん。君からの『お願い』には応えるように大精霊様から言われてる。何でも言って」
思わず、王は息を呑んだ。大精霊が直々に、リリアの願いには応えるように言っているらしい。何故、と思うのと同時に、数ヶ月前のことを思い出した。年始の、アルディスの屋敷の地下でのことだ。大精霊がリリアへと近づき、じっと見ていたようだったが、やはり何かがあったらしい。
だが理由も何も分からない。今、何が起きているのかも王には分からない。
「ここから遠い場所のことは分かりますか?」
「僕は分からないけど、他の誰かなら分かるかも。心配しなくても、僕たちは常に連絡を取り合えるから、世界のどこの精霊ともお話できるよ」
「では、フリジア・レスターがどこからアルディスの刻印入りの手紙を手に入れたか、聞いていただけますか?」
まさか、と王は絶句した。そんなことまで分かるものなのか、と。いくら様々な場所にいる精霊とはいえ、そのようなことまでは分かるはずがない。
「うん、いいよ」
だが精霊は、あっさりと引き受けてしまった。凍り付く周囲の人間など気にも留めず、精霊が言う。
「はい分かった。アルディスからレスターに滞在している人がいるよね。フリジア・レスターはその人の部屋に忍び込んで荷物を盗んだみたいだね」
その場にいる全員が、一斉にフリジアへと視線を向ける。圧力すらも感じられるだろう視線の集まりに、フリジアは蒼白になり、震え出した。
「私からフリジアへ送ったとされる手紙があるのですが、誰が書いたか分かりますか?」
「ああ、それなら僕が知ってる。フリジアが書いてたよ。自分宛に手紙を書くっていう不思議なことをしていたから、みんなで見てた」
本当に。この精霊はどこまで知っているのだろうか。今やもう、フリジアだけでなく、貴族の大勢が顔を青ざめさせている。当然だろう。秘密裏に行っていたことも、彼らには筒抜けなのだから。
「なるほど。よく分かりました」
「もう終わりかな?」
「そうですね。では最後に一つだけ。先日、ティナ・ブレイハが刺されてしまう事件がありました。この件に関して、私は何かしら関わっていますか?」
「関わってるよ」
さらりと精霊が告げて、え、とリリア自身が固まった。王たちもまさかリリアが自分の首を絞めるとは思わず、呆気にとられてしまう。精霊が続ける。
「ティナ・ブレイハのこと、治療したでしょ? あ、ちなみにあれも僕ががんばったよ。僕一人だけじゃないけどね。すごいでしょ」
「え? あ、はい……。そうですね……。ありがとうございます。ですが、すみません、そういうことではなく、刺されるまでに、私は関わっていますか?」
「関わってないね」
リリアが安堵のため息をつき、ありがとうございますと頭を下げた。
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ではでは。




