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男は一瞬唖然とした後、目を吊り上げた。
「反省の色がない。やはり、処罰の必要が……」
「それでは話が違うと思いますが?」
父の声。男ははっとしたように我に返り、しかし怯むことなく父を見据えた。
「ですが反省の色がない以上、仕方がないと思いませんか? アルディス公爵」
「私の意見は述べたはずですがね。何も問題はない行動だと。一先ず直接話を聞く、ここはそれだけの場だったはずですが? ジニアス公爵」
公爵二人がにらみ合う。いくら非公式の場とはいえそんなことをしていいのかと内心で呆れながら、リリアは王へと視線を移した。王は無表情にその二人を見ている。その王の口元が、わずかに動いていた。小刻みに、笑いを堪えるように。
――え?
さくらが疑問の声を発するのと同時に、扉がノックされた。小さな音だったが、リリアにはよく聞き取れた。そうして扉が開き、誰かが入ってくる。
「失礼致します」
レイの声だった。
全員が声の主へと視線を投げる。一部の者は驚きに目を開き、多くの者は立ち上がり、叫んだ。
「誰だお前は! 誰の許しを得てこの部屋に入った!」
リリアはその様子を静かに観察する。おそらくは、怒りを出したものはレイの事情を知らぬ側、驚いている者が事情を知っている側だろう。
レイは怒声を受けつつも、にこやかな笑顔で言った。
「陛下と殿下の許しを得ています」
立ち上がっている者が目を見開き、王と王子へと目を向ける。王は忍び笑いを漏らしており、誰もが困惑していた。
父が王へと小声で何かを囁いた。そしてわずかに頬が緩む。仕方がない、というような苦笑だった。
「ああ、自己紹介がまだでしたね。非公式の場、と聞いておりますので簡単に済ませますが、レイフォード・クラビレスといいます。あまり表には出ないので初めてお目にかかる方もいらっしゃいますね。クラビレスの第三王子と言えばご理解いただけますか?」
立ち上がっていた者たちが目を瞠り、絶句する。彼らの視線はレイを捉えていたが、やがてその手元に落ちた。レイの持つ、小さな紙包みに。
「それは何かな?」
王が楽しげな声で問いかける。レイも楽しげな笑みで答えた。
「お饅頭です。持ってくるべきではないとは思いましたが、買い物をしている時に突然呼び出しを受けまして。お店の人にとても驚かれましたよ」
「ほう。甘い香りだ。少し興味があるのだが、場所を教えてもらっても?」
「皆様が南側と呼ぶ場所ですね。興味があるのでしたら、良ければ僕がこの後に行ってきますよ」
――何だこの茶番。
さくらの呟きにリリアが苦笑する。先ほどまでの空気は霧散し、誰もが困惑の色を隠せないでいた。
「いや、私も共に行こう。案内を頼めるかな?」
「はい。喜んで」
誰もがぎょっと目を剥いて王を見る。王はその家臣たちに、不思議そうに首を傾げた。
「どうした? 皆は気にせず議論を続けるといい。私は少し出かけてくる」
「お、お待ちください! 陛下ともあろう方が、あのような場所に行くなど……!」
「ふむ。それはつまり、私を愚弄しているのか?」
感情のない声だ。威圧感も何もない、ただただ静かな問いかけ。それだけだというのに、問われた者は押し黙り、蒼白になった。
「私の決定に異を唱え、私が治める土地を貶し、私の邪魔をするというのだな?」
「い、いえ。そんなつもりは……。ですが、ここは……」
「何を勘違いしているのかは知らぬが、私はリリアーヌの行動を咎めるつもりはないぞ」
王が立ち上がり、懐から小さな袋を取り出す。何をするのかと思えば中から金貨を取り出した。
「レイフォード殿。その菓子は金貨で買えるかな?」
「銅貨で十分です。むしろ金貨なんて渡すと店の人が困ります。やめてください」
そのやり取りを周囲の者は唖然とした様子で見ていたが、やがて慌てたように、ジニアス公爵と呼ばれた男が言った。
「お待ちください、陛下! 咎めるつもりがないというなら、なぜこのような場を……」
「ん? いやなに。リリアーヌと話をさせてやらねば納得しそうになかったからな。お前たちの嘘偽りない言葉を聞きたかったためでもあるが」
そこで王は、少しだけ遠い目をした。
「あの場への買い物は、私の秘密の楽しみだったのだがな。正面切って否定されるとは思わなかった」
その王の言葉に、全員が顔を青ざめさせた。慌てたように、口々に叫ぶ。
「まさか! そんなつもりはありません! 私も実はあの場所へはよく買い物に行っていまして! ええ、とても素晴らしいものが売っていますから!」
「私たちもこれが終われば、寄ろうと思っていたのです! ええ、もちろん!」
「ふむ。そうか? では私はもう少しリリアーヌとレイフォード殿と話をしたい。すまないが饅頭を買ってきてくれ。頼めるか?」
「畏まりました!」
「よく行くというなら、その、なんだ? おすすめ、と言えばいいか? あるだろう? 是非皆の好みを知りたいのだが」
「は! 今すぐに!」
失礼致します、と口々に叫び出て行く貴族たち。そのあまりの掌返しにリリアは呆然としてしまった。王子が頭を抱え、レイはいつの間にか部屋の隅でうずくまり、小刻みに体を震わせている。どう見ても笑いを堪えていた。
出て行く者がいなくなり、リリアは残っている者を確認する。王と父、王子、レイはもちろん、ジニアス公爵も残っていた。
「さて、リリアーヌ」
王の声。リリアが王へと視線を向ける。王は柔和な笑顔を浮かべていた。
「これで堂々と買い物ができるだろう?」
その言葉でようやく気が付いた。王はリリアが今後も行動しやすいように、あのような芝居を打ったらしい。
「許しを与えるだけなら簡単なのだがな。ここで許しを与えても、民たちは知る由もないだろう。また騒ぎになり、問題にしようとする者が出てくるだろうからな。これであの者たちは共犯だ。何も言えまい」
くつくつと楽しげに笑う。父とジニアス公爵は疲れたようなため息をついた。
「まったく……。よくもまあ、くだらないことを考えつくな、お前は。本当に、昔から変わらない」
「まあいいだろう、アルディス。俺も久しぶりに楽しめた」
父とジニアス公爵が笑い合う。先ほどまでの険悪な雰囲気は全くない。どうやら全て演技だったらしい。
「ついでに教えておくが、あの者たちを引き連れていったのはアグニス侯爵だ」
王の言葉に、リリアは記憶を探る。率先してここにいた貴族たちを率いて出て行った男。言われてみれば、見覚えがある。クリスの父だ。
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ではでは。




