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リリアが眉をひそめ、ティナへと目を向ける。ティナもこちらを見ていたようで目が合った。ティナも首を傾げているところから、詳しくは知らないらしい。
――さくら。何か知ってる?
――え? えっと……。ごめん、私もちょっと混乱してる……。キースのお兄さんならつまりこの人が……。えー……。
どうやらさくらも戸惑っているようだ。ただやはり、何かしらは知っているらしい。それなら後ほど聞けばいいだろう。今は一先ず、キースへと目を向けた。
「いでででで!」
ブロソがキースの腕をひねり上げた。キースが悲鳴を上げ、ブロソは無言でキースを蹴飛ばす。地面に倒れたキースは、信じられないといった様子でブロソを見ていた。
ブロソはやはり無言。ただ静かにキースを見つめるのみだ。キースは拳を握りしめながら立ち上がり、最後にティナとリリアを睨み付けてから走り去っていった。それを見送ってから、リリアとティナがブロソへと顔を向けた。
「あの……」
ティナが声をかけると、ブロソは顔を逸らした。それだけで何も言えなくなったティナがうつむいてしまう。リリアは小さくため息をつくと、ブロソへと言った。
「宿に戻りましょう。ブロソ、事情を話してもらうわよ」
ブロソはしばらく身じろぎ一つしなかったが、やがて重々しく頷いた。
宿に戻り、兄の部屋へと向かう。三人を出迎えた兄はとても驚いた表情をしていたが、すぐに事情を察したのだろう、苦笑しつつ三人を部屋へと入れた。
丸いテーブルを囲むように四人が座る。ブロソが兄の荷物を借りて紅茶を淹れて、三人に配った。
「悪いな。さて、どこから話すべきかな……」
兄が腕を組み考え始め、しかしすぐにブロソが首を振った。首を傾げる兄の目の前で、ブロソはおもむろに兜を脱いだ。
燃えるような赤い髪の青年だった。ブロソは口を開き、何かを言おうとして、しかしすぐに苦悶の表情を浮かべ口を閉ざした。
「無理をするな」
兄がブロソの肩を叩き、ブロソは肩を落とした。
「ブロソは少し喉をやられていてな。喋ることができない。無理をすればできないこともないが、激痛を伴うそうだ。だからあまり無理をさせないでくれよ」
「分かりました。それで、ブロソがあのキースという少年の兄で間違いないのでしょうか?」
リリアが聞いて、兄がブロソに視線を投げる。ブロソはゆっくりと頷いた。
「キースがあれほどまでに貴族を嫌っている理由は何でしょうか」
「その前に……。ティナさん。君はどこまで知っている?」
唐突に話を振られたティナは驚きつつも、しっかりとした声で答える。
「実は私もよく知りません。キースは知り合った時から貴族嫌いでしたから……。私が男爵家と知った時は裏切り者と言われてしまいました」
隠していた私が悪いんですけど、とティナが自嘲気味に笑う。兄は難しい表情で、そうか、と頷いた。
「まあ、なんだ。それほど難しい話ではない。さほど時間はかからないだろう。ただし、かなり気分の悪い話だがな」
そうして兄は、ゆっくりと話を始めた。
ブロソとキースはこの町で生まれ、平民ではあるものの特に不自由もなく暮らしていた。二人の仲の良さはその地域では有名だったらしい。兄は弟を守れるように体を鍛え、弟はそんな兄に憧れていたそうだ。
ある日、ブロソは貴族の娘に恋をした。相手の名はフリジア・レスター。この町、レスター伯爵領を治める貴族の令嬢だ。庭で歌を歌っているフリジアを見かけ、惹かれたそうだ。上級貴族に名を連ねる家の令嬢と、平民のブロソ。当然ながら叶うはずのない恋だ。
ただ、どうしても捨てられない想いでもあった。少しでも近づきたいとレスター伯爵家が使用人の募集を始めた時に応募した。本来なら平民の男が雇われるはずがないのだが、ブロソに限っては簡単な面接で採用されてしまった。その時はこれ以上にないほど喜び、今までの人生の中で最も輝いていた時期でもあった。
「本来ならそこで少しは疑うべきだったな」
兄が呟き、ブロソが頷く。
「ね、ねえ、リリア。平民が雇われるのはそんなに珍しいことなの?」
ティナが遠慮がちに聞いてきて、リリアが説明する。
「ほとんどないわね。上級貴族の使用人は、ほとんどが下級貴族よ」
「そうだ。爵位、下級貴族の場合は仕事だな。仕事を継ぐ予定のない子は多くの場合上級貴族の使用人になっている。平民よりも信用できるからな。ただこれは絶対というわけでもない。例えばアルディス家はそれほどこだわっていない。ただし、身辺調査は徹底的に行うがな」
兄がブロソへと視線を向け、すぐにリリアとティナに戻した。
「ブロソの場合はその身辺調査もなかったようだ。俺も詳しく知らないが、フリジア・レスターがブロソを雇いたいとレスター伯爵に願ったそうだ。そうしてブロソはレスター伯爵家の使用人として働くことになり、フリジアの願いから彼女の専属として扱われた」
それからの毎日は幸福そのものだった。想い人の側にずっといられるのだから。フリジアも無理難題を課すことなどなく、平和な毎日を過ごした。時折休みをもらい実家に帰ることもでき、そういった時はキースと夜遅くまで遊んでいた。
ただ、その生活は短かった。
ある日、ブロソはフリジアの私室に呼び出された。フリジアは今まで、一部の使用人にしか私室に入る許可を与えていなかった。そのために、ついに自分も信用されたのだと舞い上がったままの気持ちでフリジアの私室に入った。
フリジアは笑顔で紅茶の準備をしていた。慌ててブロソが代わろうとしたが、フリジアは頑なに拒んだそうだ。
そしてフリジアは言ったそうだ。是非飲んでほしい、と。ブロソは何の疑いもなくそれを飲み、飲み干し、そして痛みに転げ回った。
喉が焼けるようなすさまじい激痛に襲われ、ブロソは必死に助けを求めたが、フリジアは静かに、感情のない顔でブロソを見つめるばかりだった。やがてブロソが意識を失う直前に見たものは、嗜虐的な笑みを浮かべて恍惚の表情を見せるフリジアの顔だった。
「そして気が付いた時には、ブロソは拘束され、簡単な治療だけで屋敷を追い出されたそうだ。これは噂だがな、フリジア・レスターは抵抗できない者を痛めつけることに喜びを覚える人間だそうだ」
「最低の人間ですね」
リリアが吐き捨てるように言う。そしてふと、さくらが静かなことに気が付いた。
――さくら。どうしたの?
――ん? ああ、気にしないで。ちょっと、いやすごく、いらいらしてるだけだから。
そのさくらの声は、リリアですら背筋が冷たくなるものだった。思わず頬を引きつらせながら、さくらへと言う。
――珍しいわね。貴方がそこまで言うなんて。
――ちょっとね。思い出したくないやつを思い出しただけだよ。クソガミみたいなやつが実際にいるとは思わなくて。
――クソガミ?
――あー……。気にしないで。
さくらが誤魔化すように笑い、ようやくその声から険が取れた。さくらが言っていたクソガミというものが少し気になるが、話の途中なので兄へと意識を戻した。
「そのフリジアって人はどうなったんですか?」
ティナが聞いて、兄は目を伏せて言った。
「どうにもなっていない。今も普通に生活している」
「捕まえられないんですか……?」
「無理よ」
リリアが答えると、ティナが驚いて目を丸くした。
「そうだ。無理だ。伯爵家とはいえ、上級貴族だからな。証言だけでは捕まえることはできない。これらの話は全てブロソから聞いたものだ。公には知られていない」
「周りの人は?」
「上級貴族に進んで関わろうとする者はそうそういない。誰しも、我が身が可愛いというわけだ。これについてはあまり責めてやらないでほしい。みんな、家族がいるんだ」
これが貴族同士の問題なら、もっと詳しく調べられただろう。もしくは、正義感のある貴族の誰かが早期にこれを知っていれば、やはり詳しく調べたかもしれない。だがブロソは平民であり、このことが知れ渡る機会すらなかった。全ては過去の話だ。
「これがブロソの身の上だ。酷なことを言うようだが、今となってはどうにもすることができないことだな。それに、フリジアほどの人間は少ないが、似通った話ならまだまだある」
兄の視線がリリアへと向く。リリアはその視線から逃げずに、まっすぐに見つめ返した。兄は薄く微笑み、どこか満足げな表情を浮かべた。
「この話はキースも知っているんですか?」
ティナが聞いて、兄とブロソが同時に頷いた。
「キースの貴族嫌いはここからだな。最初はフリジア個人への憎悪だったようだが、レスター伯爵家へと大きくなり、さらには何も調べようとしない貴族への憎悪になったようだ」
「レスター伯爵家までならともかく、他の、何も知らない貴族を憎むのはおかしいでしょう」
リリアがブロソを見ると、ブロソは無表情で頭を下げた。
「ブロソも何度か話はしたようだが、キースは納得しないらしいな。こればかりはキース次第だからな。関係のない二人には不愉快だろうが、堪えてくれ」
「私は大丈夫です」
ティナが頷き、そしてそこでリリアを見てきた。その理由が何となく分かるリリアは、理解しつつも少しばかり憮然とした表情で言う。
「善処はします」
「はは。まあそれで十分だ」
兄は笑顔でそう言うと、さて、と立ち上がった。どうやら話はこれで終わりらしい。リリアも立ち上がると、ティナと共に扉へと向かう。部屋を出ようとしたところで、リリアは足を止めた。
「ブロソ。一つ聞いてもいいかしら」
ブロソへと振り返り、声をかける。ブロソは首を傾げながらも頷いた。
「貴方はフリジアを恨んでいるの?」
ブロソは一瞬だけ動きを止め、しかしすぐに悲しげな笑みを浮かべながら首を振った。彼の瞳をじっと見つめてみても、そこにあるのは悲しげな色だけだ。リリアは目を伏せ、静かに退室した。
「リリア」
出てすぐに兄が顔を出した。
「少しいいか?」
「はい。ティナ、私の部屋で待っていてもらえる?」
「うん」
ティナがリリアの部屋へと入っていくのを見届けてから、リリアは兄へと視線を向けた。兄は周囲に視線を巡らせてから、リリアへと小声で言った。
「お前はレスターに手を出すなよ」
「はい。そのつもりもありません」
リリアが即答すると、兄は少しだけ意外そうにしながらも安堵のため息をついた。
――本当に何もしないよね?
――しないわよ。私でどうにかなるなら、すでにお兄様がしているでしょう。
リリアは兄の性格の全てを知っているわけではない。それでもこれだけは言える。兄は貴族にしては珍しく正義感がある人だと。だからこそ、好き放題していたリリアを嫌っていたのだろうと今なら思える。
「お兄様は何もしていないのですか?」
試しに聞いてみると、兄は少しだけ迷った素振りを見せたが、さらに声を潜めて教えてくれた。
「アルディスとレスターのメイドを交換した。あの屋敷で何かあれば、すぐに分かるはずだ」
「思い切ったことをしましたね」
「かなり渋ったようだったがな。強行させてもらった。所詮は伯爵家だからな」
兄が冷たく笑い、リリアも楽しげに笑った。
――これってやっぱり血筋なのかな。
さくらが呆れたようにため息をついていたが、リリアは聞かなかったことにした。
壁|w・)面倒な過去話なので長くなりましたがさくっと語らせました。
何か違和感あるところがあればご指摘いただけるとありがたいです。
誤字脱字の報告、感想などいただければ嬉しいです。
ではでは。




