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 そうこうするうちに、ビル下の道路から重く響くエンジン音が聞こえてきた。伯父だ。彼は金に明かせて何台も高級車を持ち、地下駐車場も台数分借りている。


 しばらくしてエレベーターホールから、足音が近づいてきた。と、紫子が立ち上がり、あらぬところを向いて、手招きするしぐさをした。……何のおまじないかと思ってそちらを見ているうちに、伯父が扉を開けて入ってくる。


 紫子はその目の前に立ち、また深々とお辞儀をした。見慣れぬ顔に、伯父は不審がって唇をへの字にした。


 「あなたが塚堂先生ですか?」紫子は名乗らずいきなり切り出した。


 「……そうだが、君は?」


 「ここに何がいるか見えまして?」紫子はぽっと何もない頭上を指差した。


 「はぁ?」


 「こちらは?」紫子は今度は足元を指差した。


 伯父は何を言われているのかさっぱりわからないようで、今度は口をあんぐりと開いた。


 すると紫子は、はぁ、とひとつため息をつき、「ダメね、フェイントを入れる必要なんてなかったですわ」ポケットから携帯電話を取り出すと、どこかへ連絡を入れるのか、メールを打ち始めたようだ。


 「なんだ失敬な。君はいったい何者だ」会話中にいきなりメールである。なんだかんだで平成生まれだな。四十がらみの伯父が怒声を挙げるのも無理からぬ態度だ。


 もっとも彼女としては、さっきのこんにゃく問答の出来損ないのようなやりとりで用件はおしまいで、もう話す必要はないらしかった。紫子はちらとだけ目線を上げて、義務的にその問いに答えた。「申し遅れました、わたくしミーディアムユニオンから参りました、沢野瀬紫子と申します」


 「ミーディアムユニオン?!」


 それを聞いたとたん、伯父は顔を赤くし、青くし、上を向き、下を向き、手をあたふたとさまよわせた後、───まず、紫子の手から携帯電話をもぎ取り、部屋の隅にあった自動運転のシュレッダーに向けて投げつけた。投入口に薄型の端末を吸い込んだシュレッダーは、がりぎりぼりと不快な音を立てて動き出す。さすがに砕ききれなかったと見えて途中でぷしゅうと止まったが、あの携帯はもう使い物にならないだろう。


 「何をするんで」すの?! を最後まで言わせず、伯父はその口にハンカチを押し込んだ。そのまま小脇にひっかかえると───意外に馬力あるな伯父貴!───、「おまえもついてこい!」叫んで事務所を飛び出していった。


 オレには、彼がなぜ突然パニクり始めたのかさっぱりわからなかった。戸締りをしてから後を追うと、ついてこいと言ったくせに、エレベーターはオレを待たずに先にさっさと下りていた。……駐車場のある地下階で止まっている。


 駐車場に向かうと、伯父は、普段乗り回している外車ではなく、目立たない国産の軽の後部座席に紫子を押し込んでいた。そのときには、彼女はすでに猿轡をかまされ後ろ手に縛り上げられていた。


 「ちょっと伯父貴、これはいくらなんでもまずいんじゃねぇの?!」言い訳かもしれないが、オレはちゃんと伯父を制止したのだ……だが逆に、助手席に引っ張り込まれた。「いいからお前も乗れ!」


 乗った途端に、シートベルトを締める間もなく、アクセルが踏み込まれた。舌を噛みそうになる勢いで軽は地下から市道へ飛び出す。ちょうど通りかかったスクーターが横っぱらにぶつかりかけ、危ねぇじゃねぇかと拳を天に突き上げる姿がバックミラーに映ったが、それもすぐに豆粒になった。


 片側三車線の大通りに出て、車の流れが落ち着いたところで、伯父はようやく口を開いた。


 「なんでその娘を事務所に引っ張り込んだ?」


 「いや、なんか、マスコミ関係者みたいなこと言ってたし」


 「マスコミ?」伯父は一瞬沈黙し、……さらに激しく激高し、怪しげな毛髪がずれそうな勢いで頭をかきむしった。「貴様、うちで働いててミーディアムの意味も知らんのか!」勢い余ってアクセルを踏み込んだらしく急加速、追突しかけて急ハンドル、スピンしかけて激しく蛇行し、あちこちでクラクションが鳴る。後方でどがちゃがと破滅的な音がしたようだが、伯父は気にも留めず通りを突っ走っていった。


 「メディアの単数形……」


 「バカ! 霊媒師のことだ!」……後から調べた。ミーディアムとはもともと『中間に立つもの』という意味で、仲立ち、媒体、というのが本義らしい。つまり報道もそうであるし、神と人とをつなぐ霊媒師のこともそう呼ぶのだ。「その娘は本物の霊能者なんだよ!」


 「え……」さっきのこんにゃく問答は、霊が見えるかどうか確認していたのだそうだ。足元に犬の霊か何かを呼び寄せていたらしい。


 「最近、そういう本物の霊能者が結託して、我々のようなインチキを追い出そうと画策しているのだ。それがミーディアムユニオンだ。気をつけていたつもりだったが、こんな子供を使ってくるとは。さすがに油断した」


 ……あ、インチキだと自認しているのね。


 ……てゆーか、それは正常な自浄作用じゃないのか?


 ……てゆーかてゆーか、つまりその、「……霊能者って本当にいるんだ」


 「バカ! いるに決まってるだろうが! 本物がないのに偽物になりきれるわけないだろ!」……そういう問題なのか? 「オレだって以前はちゃんと見えたんだよ。二十代になってからかな、急に霊が知覚できるようになった」


 車は郊外へ向かっていた。道路が空いて、伯父はなおスピードを上げる。


 「だが俺の力は人前ではさっぱり発揮できなかった。だから誰にも信じてもらえなかった。自分に何が起きているのか、どうすれば信じてもらえるか知りたくてオカルトに傾倒したんだ。結局、霊能力が発揮できたのはその頃だけで、学んで身についたのは金儲けする手管だけだったがな」


 「伯父貴の昔話を聞いてる場合じゃなくってさ」窓の外はどんどん人家がまばらになっていく。他の車とすれ違うことも少なくなった。「本物の霊能者に知られたらマズいのはわかったよ。だからって、こんな拉致ったりして……なぁ、今どっちへ向かってんだよ!」


 「俺の工場だ。あそこなら人は来ない。そのお嬢ちゃんにはそこでしばらく大人しくしていてもらって───その間に俺は高飛びの段取りを整える」


 そういえば聞いたことがある。伯父は以前、心霊スポットとして有名だったある工業団地の廃工場を、安く買い叩いたのだ。車は、その工業団地の専用道路に入っていった。


 そこはいわゆるバブルの遺産で、今は造成された台地全体が廃墟と化している。企業誘致はまるで進まず、進出したわずかな企業もすぐ撤退してしまい、広大な更地に、誰もいない建物が、ぽつん、ぽつんと寂しく並んでいる。


 なにぶん田舎なので、誘致がうまくいかなかったのは土地神様のたたりとかいう話が独り歩きを始めた。じきに冒険気分でやってきた地元の若者が霊を見たと騒ぎ出し、そこは心霊スポットになったというわけだ。


 「その、霊を見たと騒いだ最初の若者ってのが俺だよ」伯父は言った。「あの頃は霊が見えたし、話もできた。……ここを買ったのは、自分専用の記念碑みたいなもんだ」


 今も廃墟探検の若者が稀に訪れるらしいが、肝試しの時期には早い。初夏の平日の昼間となると、人の気配はまったくなかった。


 さらに、到着してわかったのだが、伯父は門やフェンスを頑丈に作り直しており、蟻の這い入る隙間もなかった。記念碑というのも本当だろうが、仕事上、ヤバい事態に遭遇しても二三日身を潜めていられる隠れ家、って方が正味のところだろう。


 工場の中でいちばん大きい棟は、安普請だったらしく、今はもう壁破れ鉄骨は錆びつき、草むす哀れな廃墟となっていた。だが伯父は、離れて立つコンクリート製の棟に車を寄せた。そちらはまだ、しっかりと建っている。


 扉は、取っ手に鎖を巻き、南京錠をかけて閉ざしてあった。伯父が鍵を取り出し、がっちゃんと開けた。中に入ってみると、百畳くらいは軽くある、体育館のようにがらんと広い作業部屋だった。出入り口は一ヶ所だけで、ドアがもう一つあるなと思って開けてみたらトイレだった。窓ははめこみの天窓だけ。後はコンクリの壁の高い位置に換気口がいくつかあるだけだ。


 もともと、精密機器か危険物か、職員の入退出制限が必要な物品を扱う場所だったのだろう。密閉性や断熱性が高い構造とみえて、手入れしていないわりに、中は意外にきれいだった。電気と水道も生きており、冷房こそないが、換気はできていた。入ってしばらくすると、埃臭い淀んだ空気はきれいさっぱり抜け出てしまった。


 ミーディアムユニオンがどういう組織なのかは知らない。だが、伯父がとっておきの隠れ家まで使い、他人に気を配る余裕をすっかりなくしているところから見て、よほど度し難いのだろう。


 「目を離すな、何もさせるな、本物の霊能力者はどんな術を使ってくるかわからん」抱えてきた紫子を床に横たえた後、伯父が言った。「とにかく俺は一度戻る。知り合いに頼んで、足がつかないように逃げる算段を整える」


 「またヤクザに貸し作んのかよ。まずくね?」


 「おまえが気にすることじゃあない」


 伯父は、不自然に髪が豊かな頭をかきながらあたふたと外へ出て行き、がっちゃんと鍵をかけた。


 ……あぁそうさ、伯父は他人に気を配る余裕をすっかりなくしていた。


 たったひとつの入り口しかない建物を、外から南京錠で閉ざしたのだ。───えーと、オレ、まだ中にいるんだけど。そうされるとオレも出られないんだけど!


 だが伯父は、振り返りもせずに軽に戻ると、オレと紫子を山奥の廃工場に残して走り去ってしまったのだ。


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