77 侯爵邸の晩餐
侯爵邸に到着し、主要な面子と一通り挨拶を交わして一息つくと、ほどなく夕食の時間と相成った。
案内された食堂のテーブルに並んでいるのは、来客であるシン達をもてなすため侯爵家お抱えの料理人が腕によりをかけ、侯爵領産の食材をふんだんに使用した料理の数々。
「わぁ、おいしそう!」
「そうだな」
フェアが瞳を輝かせ声を弾ませたのは、香ばしい匂いに食欲をそそられたのと、もう一つ。
卓上、シンとデオの席の間には一組の小さなテーブルと椅子が置かれている。体のサイズが極端に小さな妖精フェアのために、ベレスフォード候が事前に用意してくれた彼女専用の席だ。
「ありがとね、侯爵様」
「私からも、お心遣い感謝します」
「お喜びいただけたようで、何よりです」
席に着いたフェアとシンが礼を言うと、ベレスフォード候は微笑みで応じてくれた。
滅多に与えられる機会のない自分専用の席に、いつにもまして上機嫌のフェア。その嬉しそうな顔にデオが目を細めて。
「凄いねえ。食器や小物まで一式揃ってるようだし。もしかして、今回のためにわざわざ取り寄せてくれたのかい?」
「ううん違うわ、元々この家にあったものよ」
「昔はフレシュが使って遊んでたのよね。懐かしいわ」
デオの問いにフレシュが答え、それを補足したのは向かい側に座る落ち着いた青髪の女性――侯爵夫人ジェシカ・S・ハーシュ・ベレスフォード。
「あー、人形遊び用のミニチュアですか」
「ええ。この子が来て間もない頃は、一日中触っている日もありましたね。それだけ気に入っていたのと、まだ私達に心を開いてくれてなかったのと、両方が理由かしら」
「もう、義母様。昔のことじゃない」
「ふふ、ちょっと意地悪だったかしら」
気恥ずかしさに頬を膨らませるフレシュに、ジェシカがくすりと笑って言葉を返す。
「でも、今思うとちょっと不思議なのよね。それ、結構な年代物に見えるのに、人形だけは割と新しかった記憶があるの」
「そうね。人形だけは、子供達のために新しく買い付けたものだったから」
「そうなの?」
「ええ。ドールハウス自体は私がこの家に嫁いできた時からあったものだけれど、肝心の人形だけは無かったのよ。だから、サッチェルが興味を持って触るようになってから、ね」
言われて注意深く見てみれば、ミニチュアの食器は良く磨かれてはいるものの、経年劣化を感じさせるすり減りが目立つ。この場に不要な人形が持ち込まれていないため、比較は出来ないが。
「先々代の折には既に当家で所有していた品でして。長い歴史を持つ侯爵家です。もしかしたら、此度のように妖精族の客人をお迎えする機会もあったのかもしれませんね」
「へえ~、もしそうだったら、何か面白いね」
フェアの反応がいつもと違う。ただ明るくはしゃいでるだけじゃない。どうやらそのミニチュアを昔同族も使ったのかもしれないということが、少しばかり彼女の琴線に触れたようだ。
無論ベレスフォード候の弁はただの憶測なので、そんな機会など無かったのかもしれない。むしろ可能性で言えばそちらの方が高いだろう。しかし、この場においてそんなことは些事にすぎない。
ここでいつかあったかもしれない光景を想像し、思いを馳せる。そうした趣に浸ってみたかっただけなのだろうから。
「済みません、遅くなりました。ほら急ぎなさいラヴィネラ、皆さんお待ちですよ」
「私のことなど待たずに、先に始めてくれても構わないのですが」
「いい大人が、子供のようなことを言うな」
気安いやり取りを交わしながら食堂へやってきたのは三人の男女。スノーファとラヴィネラ、そしてその二人を呼びに行った金髪の青年――ベレスフォード家の次期当主サイクス・ベレスフォード。
この日侯爵邸に滞在している奇石のメンバーはラヴィネラ一人だけだ。サイクス曰く、丁度通りがかる日程が重なるのを知ったスノーファが彼女を呼んだとのことで、二人の仲の良さが窺える。
サイクスとスノーファはホスト側、ラヴィネラがゲスト側の席に着く。ラヴィネラの第一印象に好感を得られなかったフレシュは、彼女と席が隣で居心地が悪そうだ。
全員が揃ったところで、ベレスフォード候が司会役として呼びかけた。
「では、食事にしましょう。本日は教会のシスターも御一緒ということで、聖王教会風に食前の祈りを捧げてからいただくことにします」
それを聞いたラヴィネラの表情がピクリと動く。好意的なものではなく、自分をダシに使われてげんなりした心境が出たものだ。とはいえ、この場の誰もが気づかない程度の僅かな変化に抑え込みはしたが。
同時にまた声を上げるほどのことでもなく、彼女は無言のまま祈りの形式に倣って胸の前で手を組むと、瞼を閉じて侯爵の音頭を待った。
「主よ、母なる大地よ、偉大なる先人よ、今日の恵みを賜り身と心の糧とせんこの食事と祝福に感謝します」
「感謝します」
侯爵による祈りの言葉をラヴィネラが復唱した後、晩餐は始められた。
「義父様、先日は私の無茶な頼みを聞いてくださって、ありがとうございます」
「……伯爵家の件か」
食事が始まって最初の話題を切り出したのはフレシュだ。
竜騒動と同日に起きた伯爵家による襲撃事件。その追及に手心を加えてほしいというフレシュの頼みを、義父である侯爵は検討して折り合いをつけてくれた。
「派閥に関する指揮権はサイクスに委ねてある。礼ならサイクスに言っておきなさい」
「兄様が?」
侯爵家の権限は既にその大半がサイクスへと委譲され、後は書類を通して正式な継承を待つだけという盤石な後継態勢となっている。
そうとは知らず意外な事実に少しばかり驚いたフレシュが兄へと目を向けると、彼は何も変わらず顔色も食事のペースも一様なまま、淀みなく告げる。
「なに、フレシュも辛かっただろう。派閥絡みの厄介事をお前が気にかける必要はない」
「だけど……」
そうは言うが、襲撃の被害を受けておきながらその賠償請求すらおざなりでは、派閥の中から色々と不満の声も上がろうもの。それらを宥める苦労を思うと、フレシュは自分の身勝手な要望が心苦しくてならない。
しかしながら、派閥の実情というものはフレシュの想像も及ばない方向で実に複雑だ。
現状、侯爵派と伯爵派は表面上でこそ均衡を保っているように見えるが、水面下に隠された本物の力関係は侯爵派が圧倒する。その気になれば、伯爵派など一思いに捻り潰せるほどに。
そうでありながら何故この状態を保っているのかというと、侯爵家の持つ力の大きさを周囲に誤認させるためだ。
侯爵家の影響力が今以上に顕著になると、王都周辺の力ある大貴族達が示し合わせて潰しにかかってくる。実際その昔、力をつけすぎて多くの敵を作ったベレスフォード家は、一時没落寸前にまで追い込まれた。
その轍を踏まえ、力を取り戻して以降の侯爵家は同格の敵を用意して対立の構図を作り上げることで、余力を削がれていると周囲に認識させるよう努めている。
当初は現侍従長のヴォルティジュール家が敵役となって均衡を保ってくれていたのだが、ちょっとした手違いからヴォルティジュール家が没落の道を辿ってしまい、その責任を取って一族を侯爵家が召し抱える始末となった。
そしてヴォルティジュール家没落後に敵役として白羽の矢が立ったのが、ルーパス伯ベルグレイヴ家というわけだ。
故に、両派閥による対立は示し合わされたものであり、その実情を知るのは中枢のごく一部に限られる。侯爵派では本家次男のマーシュにすらまだ知らされておらず、王国軍のタットン・ベレスフォード中将や伯爵派ではベンド・ベルグレイヴ少将などの要職を務める人物が、事情を知らない下役に怪しまれないよう苦心しつつ均衡を保つべく取り計らっている。
要するに、非常に大規模な茶番なのである。
しかし良からぬことに、今回の竜騒動で伯爵家の跡取りが落命するという想定外の大事があった。ここで更に襲撃の責任追及を煽って追い込めば、伯爵家もヴォルティジュール家の二の舞となりかねない。
そんなわけで、実のところフレシュの嘆願はサイクスにとって渡りに船だったのである。
「何があったかは知りませんが、そう暗い顔をしていてはせっかくの料理も味が落ちてしまいますよ」
「う……」
極まりが悪そうで食事の手もあまり進んでいないフレシュに、ラヴィネラが軽い調子で声をかける。
そこに皮肉や嫌味といった悪意は全く無く、至って普通に気を遣ってくれたという親切心が感じ取れ、彼女に対して良い印象の無かったフレシュは複雑な気分だ。
「そうですよフレシュ。せっかくお久しぶりにこうして食事をご一緒出来たのですから、もっと楽しくこの時間を過ごしませんと。でないと、勿体ないでしょう?」
「スノーファさん……そうですね」
半面、昵懇の仲であるスノーファの言葉は素直に受け止められ、その温かさにフレシュの心の澱が洗い流されていく。
元々この場では義父らに感謝を伝えたかっただけなのに、それで勝手に気落ちしていては相手を困らせるだけだろう。
「同感だねえ。これだけ贅沢なご馳走を前にして箸が進まないじゃあ、農家とコックが不憫だ」
「うんうん。食べよフレシュ、ごはんとってもおいしいよ」
「もう、私、別にそこまで落ち込んでるわけじゃないのに。皆して気を遣いすぎなのよ」
スノーファに続いてデオとフェアからも慮られ、何ともむず痒い気分になったフレシュが顔を背けて口を尖らせる。
「ふふ、良いお仲間に恵まれたのですね、フレシュ」
「お宅はまるで、フレシュのもう一人の姉のようだねえ」
「そうね。スノーファさんのことは、姉様のように思ってるわ。実際姉様になるんだし」
両者の掛け合いからデオが感じた印象を口にし、フレシュもそれを肯定すると、スノーファは食事の手を止めテーブルナプキンで口元を拭って。
「フレシュがこちらへ迎えられた頃にはもう既に、サイクスを残して皆商都の別邸でしたからね。私がサッチェルやマリアンの代わりになっていたのなら、喜ばしいことです」
「フレシュに限った話じゃないわ。サッチェルやマーシュ、マリアンも、スノーファさんのことは家族同然に慕っているのよ」
「オブライエン家との縁組でスノーファ君を迎えられる巡り合わせは、当家としてこの上ない僥倖でしたね」
「あらあらうふふ、そう褒めそやされては面映ゆくなってしまいます」
客人であるシン達への心証を考慮してのことだろう、夫人はともかく少々誇張気味なベレスフォード候の言い回しに、スノーファは遠慮がちに微笑むと謙遜して受け流した。
「ところで不躾ですが、オブライエン家というと、あの?」
「ええ。あの、オブライエン家で間違いありませんよ」
「なになに、あのって、どの?」
話の流れに区切りがついたところを見計らって投げかけたシンの質問。肝心な部分を指示代名詞に置き換えてもスノーファには問題なく意図が伝わったが、フェアにはわからなかったようでその内容を尋ねてきた。
「オブライエン公爵家。かつてのイーリッシュ公国の元首一族のことだねえ」
「そっか。あの島って昔は人間が暮らす国があったもんね。それじゃあイーリッシュって、昔はお姉さんのご先祖が治めてたんだ」
「ええそうです。女神の盟約の履行で島を竜族に明け渡すまでは」
「で、その選択を迫られたのが『公爵の英断』で有名な当時の君主、チャパラル・オブライエンか」
竜神大戦が終結した直後の当時、七暁神の活躍によって頻度も規模も大幅に縮小したとはいえ、まだまだ世界は竜による脅威に晒されていた。
そんな折に提案された女神による竜族との盟約。これを締結すれば公国の臣民は故郷を失うが、それと引き換えに世界中の人々に平穏をもたらすことが出来る。しかしながら、心情的にも政治的にもその選択は非常に難しかったであろうことは想像に容易い。はっきり言って現実的でない。
それでも、時のイーリッシュ公国君主、チャパラル・オブライエン公はその決断を下し、多くの臣民を先導し、困難を乗り越えて神話の一説にある『女神の盟約』を実現してみせた。
その功績から、後に先述の決断は『公爵の英断』として人々に広く知れ渡り、神話の裏で今日まで語り継がれる有名な逸話となった。
「沢山の公国民の身柄を受け入れて下さった当時のブライトリス王国はじめ周辺国家の懐の深さには、オブライエン家一族の末裔として感謝しておかなければなりませんね」
「そいつは逆だろう。感謝されるべきは、多くの見も知らない他人のために自分達の故郷を差し出したお宅らの方さ」
デオの感覚は当時の多くの人々、ひいてはブライトリス王家もが抱いていたであろうと推察出来る。オブライエン家が今も公爵位を有していることがその裏付けだ。
公爵は原則として王家の血筋にのみ与えられる爵位だが、当時のブライトリス王家はイーリッシュから渡ってきたオブライエン家の公爵位を例外的に認めることで、島を手放した決断に対しての感謝と誠意を示した。
「ご厚意痛み入ります。そのように述べはしましたが、とかく大昔の出来事です。現代に暮らす私としては正直に申しますと、およそ実感に欠けるお話でして」
「それでもさ」
「……え?」
デオの気遣いに謙虚な姿勢で応じ、遠慮するスノーファ。普通ならそれで終わる社交辞令のやり取りと誰しもが思うところだが、予想に反してデオは食い下がった。
その意外な返しにスノーファが目を丸くし、皆の注目を集めたデオが続ける。
「あの盟約を締結させるために、どれほど公国民の苦労があったことか。彼らの譲歩が無ければ人間と竜族は泥沼の戦争になっていた。今ある街や村の何割かは失われていたはずさ」
異常なまでに実感のこめられたデオの語りに圧倒され、スノーファは何も反応を起こせず呆気にとられている。理解が出来ないのだろう。どうしてこの男は、遠い昔の出来事の話にそこまで熱が入るのかと。
「お宅にその実感が無かろうと、更なる災禍を未然に防いだ当事者達を称え敬う気持ちに、変わりはないさ」
無論のことスノーファには知る由もないが、それはデオが――いや、破壊神セト・クレタリアが当時からずっと抱いていた思いだ。
セトは盟約締結に際して何一つ関われなかった。力になれなかった。その時代に居ながら、彼らの活動を知ったのは全てが終わった後だ。そのため、尚更事を成した当事者達へ、強く敬意を払わずにはいられなかった。
「改めて、感謝する」
デオの素性を知るアルゴロイドと侯爵家の面々は、それが七暁神としての言葉であるとわかっている。が、スノーファとラヴィネラの二人はそうではない。特にスノーファの方は、どういった態度を取れば良いのかわからず困惑している様子だ。
「そうですね」
戸惑い言葉を返せずにいるスノーファに代わって、いち早く冷静に口を開いたのはラヴィネラだ。
「主の導きと彼の英断、そして民の献身の上に私達の平穏があるのです。遥か昔日の恩義を忘れずに、今を生きる者達が未来へ繋ぐ。そうして続いていくのが人の世というものでしょう」
そう語る彼女の表情は至って穏やかだ。初対面時とは別人のようなラヴィネラだが、恐らくはこれが聖王教会のシスターである彼女本来の姿なのだろう。
「シーカーチームアルゴロイド。どうやら私の先入観による誤解があったようですね。先程の非礼は謹んでお詫びします」
「なに、気にしちゃいないさ。お互い考え方や目的意識の違いもあるだろうけど、これでそれらのわだかまりは解消されたと思ってもいいのかい?」
「それはどうでしょうね」
謝意は示したものの、ラヴィネラは変わらずそっけない。とはいえそこに負の感情は込められておらず、単に彼女の素の気質なだけだ。
何にせよ、これから仕事を共にする相手の印象が好転したのは、余計な心労も減って喜ばしいことだ。
「まあ、よろしく頼むよ。今度の合同探索、冒険者としてお宅は大先輩なわけだしねえ」
「あなた方も、噂の新星の実力がどれほどのものか、期待していますよ」
(いや、あのー、文句つけられたのも、このチームのリーダーも、俺なんだけど……一応)
ただ一つ、シンそっちのけで何かいい感じに話が締められようとしていることに、目を瞑れば。




