60 隠密行動の才芸
魔王には十二人の忠臣が存在するらしい、と世間一般には言われている。
神話に記されていながらも断定的でないのは、公に顔と名が知られているのが七人だけだからだ。主に魔王の住まう魔王殿にて侍り、尽くす役割を与えられた彼らは表の七臣。残りの五人――裏の五臣は魔王殿の外で人知れず暗躍している、とのことは、他でもない魔王自身の弁による。
主君である魔王シガーに絶対的な忠誠を誓い、白と黒を除いた八彩竜それぞれの右腕を担う地海空六首竜と同等の力を持つ、神話の裏方。
魔煙十二臣――略して魔臣。
(接触は、したくないわね)
サイリは物陰に隠れて遠目に長髪の魔臣ビュテラを窺う。
王都で聖王の補佐雑務に勤しむジノ・フレイザーと同じく、彼女も裏の五臣の一人だ。表向きはローダー卿の令室ピアレス・ローダーの側仕えとして働いている。
『あたしの、出番? ね、サイリ、あたしの力、使う?』
相識交信の魔法でフンス、フンスという鼻息も一緒に聞こえてきそうな思念の言葉を飛ばして来たのはサイリの仲間、ナインクラックの一人。エクスクルーダーのアリス・ウォレスだ。
『ダメよ。アリスの力は切り札の一つなんだから。使うところはもっと慎重に選ばないと』
最悪の場合に備えサイリが保険として呼んできたアリスだが、彼女の力を借りるのは本当にそれ以外で脱することの出来ない、絶体絶命の窮地に追い込まれた時だけだ。
サイリやレトリビューターと違い、アリスのアビリティはまだ相手方に知られていない。ここで使用したとしてそれが露見する可能性は極めて低いだろうが、リスクは冒さないに越したことはない。奴らにはアビリティに関する考察の余地すら与えたくはない。
その結果としてオーム・ベルグレイヴを見殺しにしてしまったのだが、そこに後悔があるのだとしたらそれは己の力不足に対してであって、今もサイリは自分の判断を悔いてはいない。
『うん……わかったぁ……』
アリスの思念がしゅんと萎む。
仲間の役に立って褒められることを至上の喜びとする気質の彼女は、この件でサイリに呼ばれたことで非常に意気を揚げていた。
ところがここまで何度かその機会があったものの頼られることはなく、このままサイリに褒めてもらうチャンスを失ってしまうのではと消沈しかけていた。
『でも、アリスが来てくれてよかった。アリスが後ろにいてくれたから、紫竜や破壊神を前にしても私は気圧されずにいられたわ』
『……そう?』
『そうよ。アリスがいなかったら、聖王の娘への仕込みは失敗してたかもしれないもの』
実際そうなった可能性は低くない。
彼女の存在を知れたのはイレギュラーだ。元々の構想には入っておらず、アプローチの手段も幾分強引なものになった。
多少の無茶はしてでも欲しい手札ではあったが、奴らを相手にするとなると多少の範疇を楽に超える。サイリ一人なら諦めるという選択肢は充分に取り得た。
『あたしの、おかげってこと?』
『アリスと、ジーンのおかげね』
『…………♪』
思念が途切れる。恐らく喜びに浸っているのだろう。
至福の表情で喜びを噛みしめるアリスの愛玩小動物的可愛らしさは殺人級の破壊力だ。今この目で見られないことが残念でならない。見れば良い目の保養になっただろうに。もどかしい。見たい。
(見たい)
激しく押し寄せる欲求を抑えつけ、サイリは何とか理性を保つ。我慢。
そうしてサイリが心の内で戦っているうちに、アリスが思い出したように思念を送ってきた。
『……あれ、そういえばジーンって、どこ行ったの?』
ナインクラック、アファーマーのユージン・グスマン。仲間達からジーンの愛称で親しまれる少年だ。アリスと同様、彼も敵方に顔と名前と能力を知られていない。
オームに事を起こさせるに当たり、サイリの精神簒奪だけでは不足する心配があった。なので万全を期すべく、その能力を頼ってアリスと一緒に滞在中のファーストマーケットからこの街まで来てもらっていた。また、この件で敵方に正体を勘付かれないようなるべく接触は避けたかったので、別行動をとってもらい、やり方は本人に任せた。
そして、頼んだ仕事を終えた彼は。
『もう帰ったわ』
『え、嘘、いつ? 早いよ。あたしと一緒に帰るんだったのにー』
来るときは一緒だったのに自分を置いて一人でさっさと帰ってしまったユージンに、裏切られたとショックを受けたようなアリスの思念。擬音には「ガーン」がうってつけだ。思ってもみなかった仕打ちなのだろう。
『あ、ごめん。私がそう頼んだから』
サイリと行動を共にするアリス――勿論距離を置いて隠れながら――と違い、ユージンのこの街の滞在期間は短ければ短いほどいい。なので仕事が終わり次第街を離れるよう頼んでおいたのだが、その旨をアリスに伝えていなかった。
ユージンがアリスから薄情に思われてしまわないよう一応の弁明はしておく。とはいえ、彼女に連絡も入れずに帰ってしまったことまではフォロー出来ないが。
『うぅ~、帰りは一人かぁ……』
再び萎むアリスの思念。人一倍寂しがり屋のアリスだ。ちょっと考えが足らず悪いことをしたとサイリは反省する。
『それで、どう? 向こうはこっちに気づいてそう?』
『え? あ、うん。そうだね、気づいてはいると思う』
サイリが窺う魔臣ビュテラの様子からは判断つかないが、アリスの返事は断言はせずとも自信を覗かせていた。彼女の方がサイリよりも倍ほどは魔臣と離れていながら、だ。
アリスはその性格や振る舞いからは全く想像つかないが、人目を忍ぶ技能に長けた監視、隠密のエキスパートだ。彼女のアビリティ『知覚排斥』ともすこぶる相性が良い――というのは因果が逆で、主人アランより賜ったその能力をより活かすために、日夜励んで隠密技能を身につけたというのが正しい経緯だ。アリスのそんな努力家なところは、サイリをはじめ仲間の皆もよく知っている。
魔法も同系統の練度を高めており、異変の術者シン・グラリットの現出初日を監視していた五人のうちの一人でもある。これは本来オブザーバーの領分だったのだが、それは言っても仕方ない。次に適任なのは彼女で間違いない。
『今のところ、向こうから事を荒立てる気は無さそうかな。サイリの出方を窺ってる感じ』
『そ。ならさっさと離れた方がいいわね』
ここで魔臣と戦闘になったとして負ける気はない。かといって勝利するのも難しい。短期戦なら尚更だ。
アリスとニ対一なら主導権は取れるだろうが、相手が守りに徹したら二人の火力では短期決着は望めない。仲間を呼ばれたらアウトだ。破壊神もまだ近くにいるだろう。それに何より、わざわざアリスを前に出して彼女の情報を晒す真似など愚の骨頂だ。
相手に争う気が無いのならその気が変わらないうちにと、サイリは魔臣ビュテラから遠ざかり、この場を離れていった。
『サイリサイリ、えっと……うん、やっぱり何でもない』
呼びかけておいて歯切れ悪く話を止めるアリス。何か不都合や差し障ることでもあるのかと、不安にさせる思念の言葉だ。
初めの呼びかけが尻尾を振る子犬のように興奮気味でなければ、だが。
『そ』
アリスに不穏な気配など欠片もない。むしろ真逆の単純な習性だ。
サイリが頭に思い浮かべたのは、何らかの仕事を終える度、いつも褒めて褒めてと期待に目をキラキラと光らせていた彼女の姿。
『ありがと、アリス』
『! ~~~~♪』
再度途切れるアリスの思念。今度の感謝は不意打ちだ。驚きから喜びへと表情を変える彼女を見れば、さぞや癒されることだろう。愛でたい。見たい。
(見たい)
しかしそれは今は叶わない。無念。
◇◆◇
『……行ったようです』
意識を向けていた相手が去って行ったのを確認し、ビュテラ・マーカムは交信相手にそれを伝え、次の判断を仰ぐ。
『追いますか?』
視認はしていないが、相手はナインクラックのマニピュレーター、サイリ・キトラスで間違いないだろう。
この街に来た目的はナインクラックとしてではなく、彼女が所属するもう一つの組織、王国軍の命による異変の調査だ。となると、この場での衝突は望むところではないはず。遭遇を避けたのがいい証拠だ。
『やめておきなさい。その必要は無いわ』
『……はい』
予想していた通りの返答を受け、ビュテラはそれに従う。
納得はしていないが。
ビュテラは常々思っていた。御方々のナインクラックへの対応は甘いと。
奴らは敵対の意思を明確に表明しているのだ。いずれは戦うことになるのだから、先制攻撃を仕掛けてさっさと潰してしまえばよい。奴らの準備が整うまで待ってやる必要などないだろう。
同じような考えを持つ魔臣は多く、共に何度か進言もしたのだが、非はこちらにあるとの理由で受け入れてはもらえなかった。
(シガー様や御方々に、非など……)
相手がこちらを憎む理由は知っている。その発端となった事件のことも。確かに、奴らにとって許すことの出来ない行いではあったろう。
しかしながら当然、主君である魔王シガーをはじめとした七暁神の御方々が、何の理由も無く非道な仕打ちを与えるような真似をするわけがない。
問題となった人物――オブザーバー、ラクター・チェンバレン。この者を放置していたならば、この世界に支障をきたすのだ。御方々にその男を生かしたまま問題を解決する手段は一つだけあったが、それは決して取り得るものではない。故に、あの対処はやむを得ない選択であった。
ナインクラックの首領であるクラッカー、アラン・ハサビスとも簡易的にではあるが話し合い、一度は纏まり手打ちとなった。
だが奴らは合意が口頭のみであったのをいいことに、後になってやはり折り合いがつけられないという勝手な理由で、一方的に反故にしてきたのだ。そんな手合いに配慮してやる筋合いなどない。
『それよりも、付近に討ち漏らしている竜がいないか、しっかり確認しておきなさい。ここから出す被害は注意不足と怠慢によるものと思って』
『確と、肝に銘じて取り組みます。その後、他地区への対応はいかがいたしましょう』
仰せを心に留める。紫竜の召喚した竜もその多くが討伐され、事態は収束が見えてきた。とはいえそう気を緩めたところで、油断による被害を出してしまっては目も当てられない。
また、この地区付近は対応が間に合っていても、戦力の薄いところで被害が拡大していないだろうか。南西居住区などは、そこに住む子供達のことを聖王の息女が気にかけていたと聞いている。大事なければいいが。
『ヴィタンとセトに任せたらいいわ。軍もいるし。何より、異変の術者が加勢してくれてる』
改めてこう聞くと過剰戦力もいいところだ。何故これだけの面子が集う中、紫竜は事を起こしたのだろうか。知らなかったのだとしたら、憐れだ。知っていたのなら、愚かだ。
ただ、御方々が精力的に前線で活動なされている中、自分が早々に引き揚げてしまうのは心苦しいものがある。気にされることはないとわかっていても。
『それに、冒険者達も』
『……トリックスターズ、ですね』
エプスノームの三等級シーカーチームの中でも、抜きんでたポテンシャルを秘める四人組、トリックスターズ。
魔臣仲間も在籍するそのチームの結成、成り立ちには、自由を愛し、縛られることを嫌う御方、守護神リボーが一枚噛んでいる。
『露骨に頼りに行ったらダメよ。私、これ以上リボーに嫌われたら、口を利いてくれなくなりそうだもの』
『失礼ながら、それはご自身の身から出た錆なのでは』
現在ビュテラが仕えている交信相手の女性は、こう言っては何だが、それはもう腹の中が真っ黒で手の施しようがない。
彼女をよく知る人物が話し合いをする際には、それまでに受けた扱いから「何を企んでいるのか」「どんな裏があるのか」と、常に緊張している節がある。相手のそんな様子を察した彼女が、何の裏も無い話でも面白半分に悪巧みを始めるのだから、傍から見ていて可哀そうになってくる。
『あら、そういうこと言うの、ビュテラ』
『あ……いえ……』
まずい、しまったやらかした。余計な本音を伝えてしまったせいで彼女の嗜虐心の矛先がこちらへ向いてしまう。
冷や汗をかき、しどろもどろになるビュテラへ。
『ふふ、冗談よ』
思念で悪戯っぽく妖艶に笑いかけ、ピアレス・ローダーこと女神レプティ・ポリーは戯れを終えた。