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Lv.グラハム数で手探る異世界原理  作者: 赤羽ひでお
2 意識、感覚、哲学的ゾンビ
59/95

58 天衣無縫の守護妖精

「よし、今度はもう出て来ないね」


 再び紫竜を障壁内に閉じ込めたフェア。罵声と打撃音は飛んでくるがそれ以外に変化は無い。これでもう脱出は諦めさせたと高を括り、改めてソブリンの方へ向き直る。

 正面は大きく斬り裂かれ一張羅を血で汚し、抉られた右腕は日中なら骨が見えているほどの深手だ。正視に耐えかねる痛々しい姿だが、彼は「好敵手が全力を挙げてつけてくれた傷を癒すなど勿体ない」だとか「この傷の痛みも戦闘の旨みを引き立てる極上のスパイス」などとわけのわからない理由を並べ立てて治癒を拒否する始末。

 フェアには少し、いやかなり、いいや全く、全然、これっぽっちも共感することの出来ない価値観である。結論、ソブリンは変人。


「フェア様、今一度お伺いいたしますが、此度はどういったご用向きで?」


 フェアの認識が残念な方へ転がってしまったことなど露知らず、穏やかに、最初に投げかけた問いを再び口にするソブリン。瞼を閉じ、続ける。


「私の至福の時間に割り込んでこられたからには、相応に緊要な案件なのでしょう」


 穏やかではあるのだが、普段とは様子が違う。発する言葉に静かな圧が込められている。スゥっと開けられた赤い瞳に冷たい光を宿し、フェアを見据えたソブリンが「ですが」と言葉を継ぐ。


「もしもそうではなく、一顧だに値しない些末なものであったなら」


 穏やかだ。穏やかなのだ。それなのに、その穏やかさが逆に怖ろしくなる、肝を素手で直に握り潰されるような感覚に襲われる声。

 それは、この世界を生きるほぼ全ての者が過呼吸に陥って窒息してしまうほどの恐怖に見舞われる、ソブリンの穏やかな威圧。周りの空気に圧し潰されるようにも錯覚させる悪夢の力。


「如何にシン様の腹心であられるフェア様と云えど――」


 真正面からその力に晒されたフェアは。


「どうもこうもないよ!」


 ソブリンの台詞を途中で遮って、小さな身体をずいっと詰め寄らせた。

 怯むどころか威圧に晒された自覚すらなさそうで、キンキンと耳に響く至近からの甲高く大きな声に、ソブリンはのけぞりつつ目を丸くして瞬かせている。


「周り、見て!」

「…………?」


 フェアに促されるがままに、勢いに押されたソブリンが周囲をぐるりと見回す。

 元は大きな鍾塔があったはずのこの場所は、壊れた建物の残骸や瓦礫の欠片すら見当たらない更地へと一変している。

 少し遠くを見渡せばそれらが円形状に堆く降り積もっているのがわかる。俯瞰して見ればまるでここに小さなクレーターを形成しているように。

 ただ一箇所、西側だけは堆積が低く見通しよく開けている。瓦礫も、建物も、外壁も、陸地の起伏すらも無く、遥か遠く地平の彼方まで。


「……おお」


 時間をかけ、じっくりと戦場の夜景を眺めていく中で少しずつ熱を冷まし、ようやく我に返ったソブリンが吐息を漏らす。

 そして、止めは再びのフェアからの言葉。


「戦うんなら、ちゃんと街の方にも気を配ってくれないと、ダメでしょ!」

「これは、面目次第もございません。あまりにもこの戦いが胸を躍らせるもので、つい夢中になってしまいました」


 おいたをした子供を叱りつけるように、ビシッと指を突きつけて一喝するフェア。

 頭を垂れて謝罪を述べるソブリンはしっかり自らの非を認めている。しかしその殊勝な態度に気を許してはいけない。非は認めても反省はしないのがソブリンという男だ。

 と、創造主兼友達兼相棒であるシンなら考えるところだが、直接的な害を被っていないフェアはその辺り寛容で頓着が無い。いや少し違う。その表現は美化されている。正確にはぞんざいという。


「しょうがないなあ。でもでも、これで次からはもう大丈夫だよね」

「勿論です。……と、お答えしたいところですが、不本意ながら確約は致しかねます」

「えー、何でー?」


 注意を払いさえすれば解決するはずの問題に難色を示すソブリン。彼の力をもってすれば、さほど難しいことでもないだろうと踏んでいたフェアには当てが外れた格好だ。眉の形を八の字に変える。困る。


「当然、可能な限り被害抑制に努める所存にございます。ですが遺憾ながら今回の件に際しまして、ひとたび戦闘が始まってしまえば私自身、感情の制御が非常に困難となってしまうことが判明いたしました」

「うーん、そっかー。それはちょっと困っちゃうねー。どうしよっか」


 言葉の内容に反してソブリンの声音は随分と清々しい。これまで知り得なかった自身の新たな側面を発見したことがそんなに嬉しかったのだろうか。

 そうフェアは適当に結論付けるが、この男、実際はただ戦闘時の高揚を思い出していただけである。始末に負えない。

 本題に向き直ろう。これ以上街への被害を出さずに済ますにはどうすればよいか。

 一言釘を刺しただけでは足りないというなら、都度都度フェアが直接障壁を張るか。確実だけど正直面倒くさい。いっそこの小クレーターを障壁で隔離してその中で戦ってもらおうか。狭い――人外基準――からソブリンが嫌がりそう。

 何かもっといい案はないかと首を傾げ考えていると、重傷を負っているとはとても思えない優雅な所作で左腕を振って自らを示したソブリンが。


「そこで一つ、私に妙案がございます」

「え、本当? なになに教えてー」


 これというアイデアが出てこないと考えるのがしんどくなってくる。自然、案があるというソブリンの発言に即飛びつく。

 いとけない仕草と表情でせっつくフェアへソブリンは穏やかに笑いかけ、その考えを伝えてきた。



  ◇◆◇



 一切の光源の無い真の闇というものは、己の存在さえ疑う虚無だ。

 濃淡も無くひたすらに黒一色の世界。方角、奥行き、平衡感覚を失い、足をつけた地面さえ信じることが出来なくなり、遂には自分が何処にいるのかもわからなくなる。

 ただ、外部の音が届くのであればその効果も半減だ。これで声や物音までもが遮断されていたならば、デュークの精神を乱すほどではなくとも、凡庸な人間程度虚無に呑まれていたことであろう。

 それに比べ夜の闇というのは、暗闇と呼ぶには程遠い光の世界だ。

 真暗闇の独房から解放され、デュークは唾を吐いて夜空を見上げる。

 照明が無くとも、星が出ていなくとも、薄雲越しの微かな月明かりがあるだけで、世界はその姿形を雄弁にデュークの瞳へ語りかけてくる。うざったいほどに。


「どういうつもりだよ」


 低く、静かに、感情を押し殺し、詰問というより確認のために、唸るように告げる。


「捕らえたんなら勝負は終いだろ。止めを刺せよ」

「とんでもない」


 左胸を叩いて心臓を指し示すデュークに、それは本意ではないとソブリンが首を振る。


「先程の横槍は私の手抜かりが招いた失態。本来戦況に影響を与えることの許されない私の落ち度。遺憾です」

「…………」


 それが舐めているというのだ。

 横槍がどうした。不意打ちがどうした。二人がかりが何だというのだ。

 そんなことを敗北の言い訳にするくらいなら、初めから不特定多数相手に喧嘩を売るような真似なんぞしていない。見苦しい。

 だがそれら反論は口にせず腹に収める。実質的な敗者に意見を差し挟む権利などありはしない。苛立ちを殺し、デュークはただ黙って耳を傾ける。


「当然、未だこの戦いに決着はついておりません。ひとたび間が空き熱は冷めてしまいましたが、何も問題ありません。戦闘再開の後、再び熱く滾ることでしょう」

(傷の治癒もしねえで、街への被害を考慮しながらか)


 どこまでも他意無く、無意識に虚仮にしてくるソブリンに、デュークは腹の中で毒づく。

 障壁内でも途切れ途切れに二人の話は聞こえていた。ふざけた話だ。

 戦闘中に他の物事へ意識を割くなど、相手に対する侮辱の極みだ。ヴィタンといいこの男といい、これが挑発ならば上手く狙ったものである。

 加えてこの場に現れた妖精は参戦しないつもりらしい。彼女の目的はあくまで街を護ること――そう話を解釈出来ないこともないが、要はデューク相手に二人も必要ないだけだ。こうまで軽く見られたことは無い。

 しかしどれだけ屈辱であろうとも、相手が戦いを望むならデュークに逃げの選択は無い。それだけは己の魂と誇りが許さない。傷つけられていようとも。


「そうかよ」


 屈辱も、悔しさも、怒りも、全て殺して一言だけ呟く。

 感情の発露は戦いの中でだ。何も言うことはない。愛槍を構え、デュークは意識を研ぎ澄ませる。そして紅紫の瞳に見据えた魔人は。


「ですがその前に一つ、準備が必要ですので」


 言うが否や、一瞬にしてデュークの間合いへと侵入してきた。


「――――!?」


 油断は無い。出来るはずがない。その上で彼は、デュークの反応の追いつかないスピードを見せたというのか。

 違う。

 確かに奴のスピードは驚異的と言えるものだ。が、決して目で追えないほどではない。それは実際に戦ったデュークがよくわかっている。

 この男の性格からして今までは本気ではなかったという可能性も考えられるが、これに限っては違う。確信がある。根拠は直前、微かにだが確実に感じ取った外部からの接続感――魔力干渉だ。

 それら体感している現象から、今何が起きたのか、その答えを弾き出す。


(時間減速!)


 特定の対象に流れる時間の速度を低下させる、高難度の魔法。対象の感覚が遅くなるだけの精神属性魔法ではなく、思考も動作もその原理から全てが実際にスローダウンする物理属性魔法だ。無詠唱でここまでの効果を得られる相手に出くわしたのは、神話の怪物紫竜デューク・マゼンタをして初めての経験である。

 また、効果の認識を遅らせるために、魔法連携で隠密魔法行使が使用されている。

 しかしデュークら人外の者共の基準では隠密魔力行使の対策は基本戦術だ。ピアスの魔鉱石に籠められた隠密魔力看破の魔法がその効果を発揮し、デュークは魔力の干渉を知覚し得た。

 効果時間は短いだろうが、切れるまで待ってるわけにもいかない。だがこの魔法の厄介なところは、効果抹消の為の魔法を発動させるまでの時間も相応して延びることだ。

 認識はすれど、対応は間に合わず。


「失礼します」


 声をかけられた直後、胸に鉄球がのしかかるような衝撃が加えられ、両足が地面を離れた。

 掌底。ズンと重い一撃を受けデュークの身体が浮き上がる。すかさずその腕を掴んだソブリンが左腕一本で軽々とデュークを振り回し、猛烈な勢いをつけて真上に放り投げた。


「ぐぉ――ッ!」


 ゴギンという鈍い音が聞こえた。肩が外れる音だ。

 投げ飛ばされると同時に時間減速の魔法は解除され、瞬く間に都市の景色が小さくなっていく。加速から気流の抗力へと負荷が入れ替わりにデュークを襲う間にも地上は見る見る遠ざかり、薄く広がる雲を突き抜け、ようやく勢いが収まってきた頃には雲海を見下ろす高空にまで至っていた。


「野郎……」


 ソブリンの気配を探して首を巡らすが、付近にその姿は見えない。

 まだ目視可能な範囲にいなくとも、すぐに姿を現すはずだ。察するに、街への被害抑制の対策がこれなのだろう。つまりは。


「空中戦か」


 正直得意ではない。地竜族であるデュークの専門分野は地上戦で、空中戦は門外漢だ。だからと言ってそれを負けた時の言い訳にするつもりもないが。


「いえいえ、早合点なさらぬよう」


 デュークの独り言に否定の反応が返ってくる。

 声の方へ顔を向けると、瞬間移動でここへ来たのだろう、ソブリンがデュークと速度を等しくして衣装を激しくはためかせながら夜空を降下していた。


「この状態で戦闘を始めるのも一興ではありますが、それでは十全に力を発揮し得ないでしょう。地竜族であるあなたには」


 もう何度目か。いちいちイラつくことさえ馬鹿らしくなってくるソブリンの無意識の挑発。

 雲に突入し、その姿が隠れたことでデュークは頭に上りかけた血を鎮めさせる。

 わかっている。この男は全力のデュークと真っ向から戦いたいだけで、それ以外何もない。純粋なものだ。


「ですので」


 雲を抜ける。

 薄いだけあって大した時間もかからない。そして。


「――――!」


 その先で目にしたものに、デュークは戦慄した。

 眼下、広がる景色は交易都市エプスノームの街並みではなく、それを全て覆い尽くす淡く黄色い光。


「足場をご用意していただきました」


 空間障壁の魔法によって生み出された、恐ろしく巨大な半透明の隔壁だった。



  ◇◆◇



「うん、よし!」


 空を見上げ、自分の成した仕事に満足して頷く。

 障壁は念を入れてこの都市よりも大分広く展開したつもりだ。戦いの余波が届くこともないだろう。

 これであとは二人の戦いに決着がつくまで障壁の維持に魔力を注ぎ続けるだけでいい。

 攻撃がある度に障壁を張る場合に必要な注意力と手間に比べ、無意識でも続けられる手軽さは言うことなしだ。案を出したソブリンを褒めてあげよう。


「これで存分に戦えるね、ソブリン」


 二人の戦いの場は障壁を隔てた上空へと移された。邪魔になるものは何もない。

 全てが完璧だと思うのだが、何かが引っかかる。忘れていることがあるような気がする。が、気のせいかもしれないし、思い出せないのならどうせ大したことでもないだろう。


「ま、いっか」


 シンの意に反した超ド派手なこの演出が決定的な活躍となり、後日『商都の守護妖精』と呼ばれることになるフェアはそう考え、放っておくことにした。

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― 新着の感想 ―
[一言] こういう物語は好きです。面白く読ませていただいています。 ゲームの世界が現実と融合したらしいが、それでは現実の世界にも異変が起きているのだろうか。現実の世界とゲームの世界では時間の流れが違…
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