48 混血
「――とまあ、この辺りが僕の知る海底神殿の概要ですね」
召喚竜掃討へ戻らなければと、この場での話を突っぱねようとするシンに対し、何がそこまでさせるのか、男は半ば強引な形になってまで情報を提供してきた。
説明を受けるからにはしっかり頭に入れておこうと無言で耳を傾けていたシンは、話を聞き終えて渋面する。
「マジか……厄介極まりないな」
「でもまあ、兄さんならきっと問題ないでしょう。大丈夫ですって」
「適当なこと言ってんじゃねえよ。俺はここで一発魔法放っただけだぞ」
その難所を攻略するのが自分ではないからといって、いい加減なものである。今の話を聞いて楽観出来る要素がどこにあるというのか。
「ありゃ、意外と慎重なんですね。プレイヤーなんてのは大概自信過剰なもんですが。それでもって足元をすくわれるところまでがテンプレ」
「お前な……」
気楽な発言で油断を誘った上でのその言い草にジト目になるシン。罠張ってきてんじゃねーかこいつ。
ともあれ、ようやく話に区切りがついた。大分時間を食ってしまったが。文句の一つくらいは言っておきたい気もしたが、まあいいかと腹に収めて。
「それじゃあ俺は竜の討伐に戻る。お前はもう襲われないように安全な場所に避難しとけ」
そう告げて踵を返し、立ち去ろうとするシンに。
「それからも一つ、プレイヤー連中が一番欲しがる、知りたがることですけども」
「……ぁあ?」
尚も引き留めようとする男にいよいよ不満が溢れ出し、苛立った毒々しい声を上げて睨みつける。
「いい加減にしろよ、お前。だらだら話し込んでる時間はねえっつってんだろ」
怒気を孕んだ圧を受け、男は口を閉じシンを見る。
(何なんだ? こいつ……)
何かおかしいとシンは男の反応の違和感に眉根を寄せる。
今発した言葉には多少なり威圧が含まれていた。神話の怪物八彩竜さえ赤子扱いする力を備えたシン・グラリットの威圧だ。
勿論極端に委縮させないよう意識して抑えてはいた。が、それを差し引いても充分な威嚇となったはず。
しかし男に怯んだ様子はない。言葉は止めたがシンを映す薄紫の瞳に怯えの色は見られない。それどころか数瞬の沈黙を挟んだ後、男はシンの意向を無視して話の続きを口にしてきた。
「現世への帰還方法について、僕が知っていることをお話ししましょう」
「! ……いや、ちょっと待て」
根本的な問題である重要案件に突っ込んでこられ、無視することも出来ずに反応する。
「はい、どうしました?」
「俺の知ってるプレイヤーは、帰還方法は無いようなことを言ってたぞ」
デオから聞いた話を思い出す。
現世では、ゲームに入ったまま意識が戻らないという問題そのものが起こっていないという、にわかには信じ難く、受け入れ難かった話だ。その話が事実であったとして、帰還を諦めたわけではないが。
「この識世にもう大分馴染んでいる感じの奴だ。たぶんこっち来て相当経ってる。戦闘するところを見たことはないけど、間違いなく腕もたつ」
「へえ、その人、本当に信用出来るんですかい?」
「お前よりはな」
即答。
男としても会ったばかりの相手であり、その返答自体は予想外というものでもないだろう。が、間を置かずに迷いなく不支持を告げられ、多少気勢を挫かれた様子を見せる。彼の「うっ……」という表情に多少の小気味よさを感じて、シンは言葉を続けた。
「けど、そいつの話を全部鵜呑みにしてるわけじゃない。まだ事実確認は出来てないし、他の情報も色々と仕入れて比較検討もしたいしな」
「ああ、それでしたら――」
「ただ」
男が話の流れに乗ろうとしてきたところで言葉を遮る。
キッと視線を鋭くし、明確な拒絶の気配を放って。
「話をするならこの事態を片付けた後だ。今はそんな暇はない。それくらい、お前もわかってると思ったんだけどな」
これ以上は相手にしていられないと、一方的に会話を打ち切って踵を返した。
これほど強硬な態度を取ったにも拘らず、聞く耳を持たない男が背後から。
「七暁神が皆プレイヤーだってことは知ってますよね」
「…………」
話の流れからして、七暁神――或いはそのうちの誰かが、現世への帰還について何かしらの情報を握っているということだろう。そんなことは聞くまでもなく可能性として頭に入れてある。無視だ。召喚竜討伐の続きへ向かおう。
「中でも中心人物の『黎明の旗手』聖王シモンは、この世界に関する様々な情報を秘匿してるらしいって話ですよ」
「…………」
無言で歩を進めるシンの後ろについて、聞いてもいないことを勝手に喋る男。
無視を貫くシンではあるが、本当に話を聞く気が無く男を撒こうと思っているのなら、それは造作もないはず。瞬間移動や空間転移の魔法、或いは単純に脚力に任せて。
しかしシンはそれをしようとしない。というより、男を撒くという選択肢が行動の候補に挙がっていない。意識から外れてしまっている。
それだけ男の話が興味深いものだからだ。
理性では話に耳を傾ける時間を惜しんでいるつもりでも、意識の水面下では彼の提供する情報を欲していた。シンにその自覚は無く、無意識の心の葛藤が表面化されたものがこの行動である。
「それでその聖王シモンに繋がる人物が、この交易都市エプスノームに居るんです」
「…………」
魅力的な話にも聞こえるが、七暁神へのアプローチは急ぐことでもないし、手段も考えている。デオも何らかの情報は持っているだろう。
と、やはり無視していたところで。
「ベレスフォード侯爵家の末女、フレシュ・アンリ・ベレスフォード。彼女が養子であることはそこそこに知られていますが、ここだけの話、血の繋がった実の父親がなんと聖王なんだそうです」
「……はあ!?」
思いがけないところで飛び出て来た見知った名前に不意を突かれ、反射的に振り返って聞き返す。意味を呑みこめない。
「いやおい、そりゃどういうことだ? 聖王の実子って……あの娘が? そうなると……んん? だったらその前に『聖王の悲劇』が……」
聞かされた話をどう整理したらいいのかわからず、シンは言葉を繋げて錯綜した情報を多少なり纏めようと奮闘する。
足を止めて話に食いついて来たその様子に、男が口元に黒い笑みを浮かべたことにも気づかずに。
「大体あの娘にそれを匂わすような素振りなんてあったか? ……あ、名前を確認されて狼狽えてたのって、もしかしてこっちが理由か? てことはデオの奴は最初から……」
「おーやー、もしかして面識ありました?」
「……一応、知人だ」
声をかけられて一旦思考を止める。男の様子からして虚偽の情報である可能性は低そうに見える。どちらにしろ事実確認は必須だが。
「おーそりゃまた都合のいいことで。兄さん、持ってますねえ」
「うるせえよ。くっそ、ちょっと整理しきれねえ。疑問点が多すぎる」
「どーぞどーぞ、聞いてください。僕が知ってることなら何でも答えますよ」
男が晴れやかな表情で質問を促してくる。
召喚竜に蹂躙されている都市の現状を忘れたわけではないが、この話をこのまま放っておくのは気がかりで落ち着かない。無理だ。
何から聞こうか。そう疑問点を洗い出そうとしたところで。
(…………!)
目を見開いてはたと止まる。浮かんできたのは、新しい疑問点。それまでにあったものとは別視点からの着想。
そして、最重要。
「……母親」
ぽつりと、口元から呟きが漏れる。
声が小さくて聞き取れなかったのだろう、疑問符を浮かべる男にばっとシンは顔を向けて。
「彼女の母親って、誰だ?」
七暁神の中の女性――女神か、閃神か。いや、そのどちらかであれば先に言及されているだろう。ならば別のプレイヤーか。それとも――
「あーすいません、母親については僕、詳しくは知らないんです」
「それは、プレイヤーじゃないってことか?」
「そうですね。プレイヤーではないです」
「てことは――」
個人の特定までは必要ない。重要なのは彼女の母親がプレイヤーか否かというその一点。そして、男の返答に間違いがないのであれば。
「――フレシュ・ベレスフォードはプレイヤーとNPCの混血か!」
重大な事実――という確証はまだないか――の発覚に思わず声が大きくなる。
NPCには意識が無いという話だ。自分以外のプレイヤーの意識の有無は現世と同様確認のしようがないが、NPCとプレイヤー、この両者が一線を画す存在であることは疑うべくもない。
では、その混血である彼女はどうなのか。現世と識世、二つの世界に縁のある彼女はどんな存在といえるのか。
意識の有無は? 現世との繋がりは? 純粋なNPC並びにプレイヤーとの相違点は?
様々な疑問が頭に飛び交う中、シンはふと目にした男の様子に意識を奪われる。
「……どうした?」
「え、いやあ、意外なとこに食いつくなあと」
「意外?」
その感想が嘘でないことはわかっている。
シンの反応に虚を突かれたように目を点にしていた男の様子は、意外なものを見たという反応に相違ない。
だからこそ、シンの目にはそこが奇妙に映った。
「俺が興味を持つのが、そんなに意外か?」
これはともすれば、世界の根幹へ近づく手がかりとなるかもしれない情報だ。全く興味を示さないプレイヤーなど、いたとしても少数派ではないだろうか。
「え、何か僕、おかしいですか?」
シンの質問に対し当然だとでも言いたげな男は、自分のどこが怪しく思われているのかも理解出来ていない様子。
その反応を受けて更なる違和感を抱いたシンは、浮かび上がった一つの疑念を口にする。
「……お前、本当にプレイヤーか?」
「いやいや、僕がプレイヤーを騙ってどうするんですか。何か意味なんてあります?」
何を言い出すのかとパタパタと手を振って否定する男。間を置かない返答に動揺は見られない。
反論も尤もであり、プレイヤーを騙る理由はシンには見いだせない。が、理由など自分の知らないところで生まれているものだろうと直感が告げている。
「まあ確かに。それでお前が何を得するのかはわかんねえけど、確認してみりゃ済むことだ」
「確認?」
「日本の歴代の総理大臣、三人挙げてみろ」
プレイヤーであれば大半の者は答えられるであろう、現世の一般教養を問う。
逆にNPCであれば正答はほぼ不可能といえる。何せプレイヤーからゲームとは無関係のその情報を、予め聞いておかなければ答えようがないのだから。
「……えーと、すいません、政治には疎いので」
案の定、男は答えることが出来なかった。
だがここで確定させるにはまだ気が早い。男の言う通り政治に無頓着なだけかもしれない。総理大臣が政治関連の名詞であることは知っていたようだし――とはいえ、一人も名前を挙げられないというのは大概だが。
「それじゃあ戦国時代の大名か武将、三人挙げてみろ」
同様に、一般に広く知られているところを別分野から出題する。聞かれた男は困り顔で頭を掻いて。
「いやあ、歴史にも興味無くて……僕、学のない人間でして」
「そうか……まあ、俺も関心の薄いジャンルの知識なんて無いに等しいもんだしな」
またもや一人も名前を挙げられない男。彼をフォローする言葉とは裏腹に、これはもう間違いないと確信したシンはダメ押しに。
「じゃ、今までに発売されたゲームハード機、三つ挙げてくれ」
「んー……えーと、すいませんそれも――」
「興味が無いとは言わせねえぞ。お前が本当にプレイヤーなら、触ってないわけがないんだからな」
二度の設問を受けた時と同様、無知を装ってかわそうとする男にピシャリと告げて逃げ道を塞ぐ。
「…………」
男も話を続けていくうちに誤魔化しきることは諦めていたのだろう、観念して薄紫の長髪をかきあげながら、ふうー、と大きく息をついた。
「ここまでですかあ。まあ、それなりに役目は果たせたかな」
「何のつもりだ。何者だ、お前?」
「ああ、そういえば自己紹介がまだでしたね」
追い詰められているはずの現状で、開き直りとも違う余裕を保ち続ける男がシンの瞳を見据えて。
「僕は地竜族の頭目、紫焔竜エリック・フクシャ。よろしくどーぞ、異変の術者シン・グラリットさん」