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第44話 牛頭鬼と五つ目の化身

主人公→宮廷召喚術師→主人公 の視点となります

 不意にグロムからの反応がかえってきた。

 やはり、古文書とされる夥しい石碑は水底に移っていたようだ。

 角鮫もどきは、そこが水中であるならば、光量に関係無く飛龍もどきに匹敵する視認能力を発揮する。

 正確には、陸上の生き物が「見る」のとは異なる原理で視覚情報を得ているようだが、かなり広い範囲に点在しているらしい石碑は、グロムと言えども全て見て回るには結構な時間がかかりそうだ。

 とりあえず、その視覚情報を全てガノンに記憶させる事にして、俺は自分自身の行動を考えた。


「そうなると、水もあるわけだし、ここに腰を据える事になるのかな?」


 折角の迷宮ダンジョン探索だが、早々に目的を果たしてしまったとすれば、何だか拍子抜けである。

 いや、考えてみれば、石碑が全てここにあるとは限らない。

 滅多に無い機会を与えられたわけだし、可能な限り探索を行うべきだろう。

 失われた知識が記された石碑があると言うことは、この〈ビブリオ〉と言う特殊な迷宮ダンジョンは、それこそ、オムーと言う古代文明の時期から存在する可能性もある。

 ひょっとしたら、石碑以外にもオムー文明の何か、それこそ、お宝があるかもしれないのだ。


「それに、あの牛頭鬼ミノタロスの事もあるしな」


 この〈ビブリオ〉がオムー文明から存在しているものだとすると、あれもその時代から生き続けていることになる。

 さすがに不老不死にして不死身と言われる伝説級の魔物だと思うが、しかし、本当にあれは魔物なんだろうか?

 いや、そういう魔物でもなければ、超古代文明の頃から生き続けるなどという芸当はできないわけだが、間近で見た印象と何か噛み合わないものがある。

 その違和感が何に由来するのかは自分でもわからないのだが。


実装試験体アオスフューラー!?)


 唐突に、その単語が脳裏に浮かんできた。

 それが意味するものは不明だが、何かがあの『魔物』を指して、そう告げているような気がする。

 ――いや、何か、じゃないな。


「ガノン、お前か?」


 そう、あの牛頭鬼ミノタロスを魔物では無く実装試験体アオスフューラーなる存在と認識しているのは、スパコン並みの演算能力と記憶力を持つスライムだった。

 俺と感覚を共有する〈使い魔〉の中でも、特にこいつの場合、記憶領域や思考領域をも共有するところがあるので、こういう錯覚があるのだろう。

 定位置のうなじから右の掌に移動させたガノンを見つめながら、俺は尋ねてみた。


「お前、何を知ってるんだ?」


 しかし、そう問いかけても、スライムはぷるぷると震えているだけである。

 記憶力や演算能力は並外れて凄いやつだし俺の言う事は完全に理解できるようだが、その逆方向の意思疎通となると難しいらしい。

 単純な要望は伝わってくるのだが、込み入った内容となるとどう伝えて良いのか困惑しているようなのだ。

 人間の言葉は分かっても、思考体系が根本的に異なる為に、自分の意思表示として組み立てる事ができないのかもしれない。

 例えば、辞書を片手に英文は何とか読めても、英作文となると話は別とか。

 あるいは「薔薇」とかの漢字はすんなり読めても、手で書くのは無理とか。

 そのあたりは、俺にも身に覚えがある話で、それと似たようなものなのだろう。

 何にせよ、俺が思っていたよりも、遙かに膨大な知識を有している可能性も出てきたガノンだが、それを引き出すのは容易ではないようだ。


「ひょっとしたら……」


 こいつに通訳させる事ができれば、牛頭鬼ミノタロスと意思疎通するのも可能ではなかろうか。

 そんな事を思い浮かべたが、その思惟はザガードからの警報で中断せざるを得なかった。

 当の牛頭鬼ミノタロスが、ついに間近に迫ってきたのである。



    ◇◆◇



 こっそりと宮殿に戻り、大急ぎで着替えて身なりを整え、何事もなかったのように定例となっている朝食会に向かう途上で、私は見覚えのある顔に出くわした。


「エレオノーラ様、おはようございます」

「あら、お久しぶりね」


 たしか、召喚されたばかりのコウイチにつけられた侍女で、セリアと言う名前だった筈だ。


「元気にしていたかしら」

「はい、おかげさまで。エレオノーラ様もお元気そうで何よりです」


 お世辞にも綺麗と言える顔立ちでは無いが、大人しそうなところが侍女としては長所といえるだろうか。

 男性から見ると異論はあるかもしれないが、そばに控えさせるにはこのくらいの方が気が楽に思える。

 そんな私の評価は、しかし、彼女の次の言葉で大きな修正を強いられることとなった。


「と言いますか、いささか、お元気に過ぎましょう。まさか、宮廷召喚術師ともあろう方が、明け方早々に、あのようないかがわしげな連中の住む界隈においでになるとは」


 それを聞いても、とっさに動じるところを見せなかった自分を、私は褒めてやりたかった。

 私の行動を気づかれずに監視していると言う事は、彼女の正体はひとつしかない。


「あなた……監史ヴァーシェだったのね」


 要人警護と監督査察を兼務する監史ヴァーシェだが、近年では宰相直属の密偵と言う役割に比重が置かれていると聞いている。

 まぁ、彼女が監史ヴァーシェだとすれば、予定せざる八人目だったコウイチに割り当てられたのも、今にして思えば納得できようというものだ。

 そして、コウイチが脅威とはなり得ず、召喚師としても無能に近いと判明した時点で異動になったのも、してみれば道理ではあったのだ。

 ただ、分からないのは、密偵に近い位置にある監史ヴァーシェが、自らの正体を明かした点である。

 そんな疑念を読み取ったかのように、セリアはすました顔で言った。


「私は宰相閣下よりも、軍務卿に近い立場におりますので」


 どうやら監史ヴァーシェも一枚岩とは言いがたいらしい。

 神殿長ディーハルトが何事かを企んでいると知った時、オリヴァー卿の身に危険が及ぶ可能性について相談に行った心当たりの一人が、軍務卿たるジークベルト将軍だったのだ。

 将軍としては、さすがに表立って動く事はできない代わりに、こうして監史ヴァーシェの人事に干渉したのだろう。

 つまり、私自身が動くための弊害を軽くしてくれたのだ。


「とは言え、あのような場所で万が一の事があれば我々もお叱りを受けますので、御自重いただければと」

「あら、知らないの? 先代に拾われ、養子にしてもらうまでは、私もあの手の界隈で育った人間なのよ。その経験で言わせてもらえば、あそこは柄が悪いけど、心底荒んだ人間は少ない方ね」


 この告白には、さすがの監史ヴァーシェも鼻白んだようだった。


「……意外でしたね。宮廷貴族のご令嬢達からも銀の淑女と評判の、宮廷召喚師エレオノーラ様にそのような過去があったとは」

「それはもう、先代から散々に仕込まれましたもの」


 そう言って、口元を扇で覆いながら、ほほほ、と笑って見せる。

 実際、礼儀作法や立ち振る舞いに関する師匠のしごきは半端ではなく、本道たる召喚魔法の修行よりも大きな比重をおいていたと思われる節があった。

 その反動からくるあれやこれやで、兄弟子であるマチアスには色々と迷惑をかけたかもしれない。

 そんなマチアスも幸せな家庭を築いており、妹分としては安堵するところだ。

 ちなみに我が兄弟子の奥方は、あのブラーシュ男爵家に連なる女性だ。

 見た目こそ可愛らしいが、噂に違わぬ気の強さは何度か目の当たりにしている。

 それでもマチアスが円満な関係を維持できたのは、私に鍛えられた忍耐力が大いに寄与している筈だ。

 とは言え、夫婦喧嘩の仲直りに「エレオノーラのアレに比べれば、君のなんて天使の囀りだよ」などと、私を引き合いにするのはどうかと思う。

 あれは、当時の宿舎の外まで聞こえるくらいの大喧嘩――厳密には一方的にマチアスがやられているところに、慌てて駆けつけた時の事だったか。

 まあ、あの時のマチアスの物言いは許せるとしても、居合わせたバルテルの暴言にはさすがに我慢できなかった。


「エレオノーラって、本気で怒ると召喚獣も怯えるくらい凶暴になるからねぇ」


 とは、いくら何でも失礼だろう。

 思い出すだけで、いまだにこうして怒りがこみ上げてくる。

 確かに、隷属の印を刻んでも行儀の悪い召喚獣に、私が言い聞かせて、従順にさせた事が幾度となくあるのは否定はしない。

 だが、慈愛の心で接すれば、異界の存在とて分かってくれる筈なのだ。

 なのに、それを言うに事欠いて、何という言いぐさだろうか。

 自身の召喚師としての修行不足を棚に上げ、女性に対するデリカシーに欠ける言動をした弟分を、その場で躾け直したのは言うまでも無い。

 以来、そのような事は二度と口にしなくなったので、亡き師匠に成り代わっての、姉弟子の義務は果たせたと思う。

 時期を同じくして、あの奥方も大人しくなったそうだが……。

 いや、追憶に没頭している時では無かった。

 気がつくと手にしていた扇が、どうしてか粉々に砕けてしまっていた。

 それ以上に分からないのは、泣く子も黙る監史ヴァーシェが腰を抜かしたように座り込んでいることだろう。

 しかも、顔色は蒼白となり、引きつった表情を浮かべているではないか。

 マチアスやバルテルも、結構な頻度でこんな顔を見せるのだが、何事があったのかはどうしてか答えようとしないのだ。

 そう言えば、確かあのコウイチも、幾度かこんな顔を見せたと記憶している。

 まぁ、それは些末な話だろう。

 ともかく、わざわざセリアが声をかけてきたのは、宮殿を抜け出した苦情を言う為ではなかろう。

 そう思って尋ねると、セリアは深呼吸をひとつした後、若干、震える声でこう言った。


「あ、あの、朝食会がお済みになった後で結構ですので、す、少しお時間を頂けますか。その、しょ、紹介したい者がおりまして」


 何でも、ジークベルト将軍の子飼いだった人物で、諸々の事情で近日に宮殿を追われる立場にあるようだった。

 騎士爵の身分も剥奪され、投獄されていたそうだが、将軍はそれを奇貨として、行動に制約の無くなった彼を私に引き合わせたいとの旨らしい。

 そのヴェルナーなる男は、面倒な制約に縛られる事の多い私に代わって、きっとオリヴァー卿の役に立ってくれることだろう。

 そう思った私は、彼女の申し出に喜んで承諾の返事をしたのだった。



    ◇◆◇



 再び姿を顕した牛頭鬼ミノタロスは、最初に見たときとは明らかに外見が異なっていた。

 俺より若干低かった筈の背丈は三メートルほどにもなっており、筋骨隆々たる全身を針金のような剛毛が覆っている。

 一瞬、別の個体かと思ったが、胸に膨らみがあるし、何よりも腰につけているベルトのバックルに相当する部分の紋様は最初に見たのと寸分違わぬものだった。

 この手の魔法具に刻まれる紋様は、魔導的な要因で全く同じものは無いとオリヴァーさんから教わっている。

 何らかの輝きを帯びている点が異なるが、その紋様のデザイン自体は同じものの筈だ。

 インテリアデザイナーをやっている母さんの影響か、その手の差違はなんとなくわかるのだ。

 いや、そんな悠長な事を考えている場合じゃ無かった。

 あの形態に対しては、ヴァルガンの矢もドレイグの痺れ毒も足止めにすらならないものと思われた。

 俺は咄嗟に、お腹のポケットにある魔法陣を裏返し、使い魔を全ていったん還した。

 そして、地底湖の中に駆け込み、胸元まで浸かるくらいの深さで立ち止まった。

 不死身と言われる伝説級の相手に通用するかどうかは不明だが、渾身の魔力を込めてのグロムによる一撃以外に、この局面を打開するすべは無いように思われたのだ。

 だが、牛頭鬼ミノタロスの行動は俺の予想を遙かに超えていた。

 その節くれ立った手を目の前にかざすと、その掌に闇色の塊が生じたではないか。

 一瞬、どういうわけか、アヌビス神みたいなやつのビジョンが浮かんだが、それは焦燥からくる錯覚だったかもしれない。


「こいつ、闇魔法を使うのか!? だとすると、ここはまずい」


 唐突的に開催されるオリヴァーさんの講義に、属性魔法の分類なるものがあった。

 地、水、風、火の四大元素は、陰陽――闇と光に近しい属性に分類され、地と水は陰気、即ち闇属性と相性が良いとか何とか。

 つまり、俺の周囲の水が、瞬時に闇へと属性変換を起こしたのは、そうした原理に基づいたものだ。

 何をするいとまもなく、俺は闇に捕らわれてしまった。

 小鬼ゴブリン討伐において、〈冥闇の勇者〉である郷田は、集団戦における闇魔法を披露して周囲の度肝を抜いて見せたわけだが、一対一の戦いにおける闇魔法は下手な威力の攻性魔法よりも脅威となる。

 何しろ、この闇魔法ときたら、防ぐ手段が非常に限られるのだ。

 この系統の魔法をものともしないのは、〈光輝の勇者〉である麗香くらいなものだろう。

 ともあれ、この状態では目標を定められないので、グロムでの一撃を放つどころじゃない。

 ローグやザガードの偵察ドローンコンビを呼び出しても、こうして闇に絡み取られた状態では、その優れた情報収集能力は封じられたままになるはずだ。

 どうしたものかと焦燥していると、その闇によって引き寄せられているような感覚があった。


「や、やばい。このままじゃ、痛恨の一撃がくる」


 つか、あんな魔物に一発もらえば、それだけで間違い無く即死できる。

 牛頭鬼ミノタロスが持っていた巨大な斧を思い出し、俺は焦りまくった。


「ええと、視覚や聴覚が無くてもOKなやつ……」


 雑草もどきでは、斧との相性が悪すぎる。

 そうなると、俺に残されたのは一択しかないことになる。

 やられキャラの代名詞でもあるスライムが、伝説級の魔物相手にどこまで使えるかは不明だが、元々は視覚や聴覚を持ち合わせず、その分、気配を察知する能力は優れているこいつなら、闇魔法に捕らわれた状況下でも何とかなるかもしれない。


「出でよ、ガノン!!」


 俺の召喚に応え、臍下丹田から馴染みとなった感覚がじわりと広がっていった。



    ◇◆◇



 意識が途切れたのは一秒にも満たない時間だったようだ。

 ガノン・フォームとでも言うべき形態となると同時に、喪失していた前回の記憶も蘇ってきた。

 今回、神酒ソーマは無かったが、他の連中とは異なり、この無殻ウーエントの形態においては演算能力に優れるガノンによる全開でのフォローが可能な為、何とか久門光一としての自我を保っていられるようだ。

 だが魔法による闇は、〈装魔の勇者〉として顕現してもなお、俺を捕らえたままである。

 犬鬼コボルトの上位種が操るものとは、桁が違うと言うことだろう。

 もっとも、元々が視覚や聴覚を持ち合わせていない無殻ウーエントには、こうした闇魔法はあまり意味を成さない。

 ただ、久門光一としての自我にとっては、視覚と聴覚を長時間遮断される状態が続くと精神失調をきたす恐れがある。

 そこで、今まで俺が見ていた光景と、無殻ウーエントが気配として捉えている情報を組み合わせ、その驚くべき演算能力で演繹的に描画することで、俺は擬似的に視覚を得る事にした。

 原理は全く異なるが、例えるならば、超音波の反射や透過の強弱から物体の内部を画像として評価する超音波映像を、さらに高度に具象化したものが、現在俺が見ている『光景』と言う事になる。

 そんな俺の『眼の前』で、聖双角セラピス――正確には、それを召喚状態にある実装試験体アオスフューラーは、長大な斧を振り上げたまま、驚いた様子でその動きを止めていた。

 そう、この〈ビブリオ〉の主とされているこれは牛頭鬼ミノタロスなどではなく、無殻ウーエント同様の究極上位種たる聖双角セラピスだ。

 これを伝説級と評したガイナス導師の見立ては、その意味では正しかったと言えるだろう。

 確かに牛頭鬼ミノタロスも驚くべき頑健さと剛力を誇る魔物だが、この聖双角セラピスは桁違いだ。

 この究極上位種に比べれば、牛頭鬼ミノタロスなど生まれたての仔牛よりも脆弱と言って良いだろう。

 そして手にしている斧も、神鋼オリハルコン製のとんでもないシロモノのようだ。

 もっとも、いかな剛力でそれを繰り出されようが、今の俺にダメージを与えることはできない。

 傍目にはのっぺらぼうな半透明の人型に見えるこの形態は、耐衝撃魔法の紋様が分子レベルで組み込まれたジェルで構成されており、その剛性の弾力に富んだボディーには、厚みはあれど鋭利さに欠ける斧では刃が通らないのだ。

 たとえ力任せに叩き切れても、アメーバ並みに元来が不定形な無殻ウーエントには意味の無い話である。

 その長大な斧を振り上げた格好の聖双角セラピスが、呆れたような口調で話しかけてきた。


無殻ウーエント!? なんじゃ、貴様か」


 むろん、これも通常の音声では無く、聖双角セラピスの放つ思念か何かを、聴覚情報として俺の意識に再現させたものだ。

 スライムもどきの状態ですら、多人数の唇の動きを解析し、字幕表示させたガノンにとっては、この程度は児戯にも等しいだろう。

 ともあれ、この聖双角セラピスは、無殻ウーエントを知っているようだ。

 つまり、初代とは知り合いと言うことになる。

 余計な争いを避ける為にもそのまま初代を装うことにして、聴覚情報の逆のプロセスでもって、俺は聖双角セラピスに返答した。


「よお、久しぶりだな」

「何を言っておる。ほんの少し前に会うたばかりじゃろ」


 記録の保管を目的として、時空魔法により試作的に造られた〈ビブリオ〉の管理者は、そこで自分が斧を振り上げたままと言う事に気がついた様子で、ゆっくりとそれを降ろすと、軽く首をかしげて言った。


「あ、いや、たしか貴様の人間態が変わっておったな。外ではそれだけの時間が経過しているのか。この〈ビブリオ〉と共に、繰り返し再構築されるのでなぁ。全くわからんわい」


 その表現は不正確だ。

 再構築されるのでは無く、再構築していると言うべきだろう。

 維持の為の魔力を三日分しか持たない『ここ』は、その時間が経過した時点で消失してしまう。

 だが、管理者に設定された聖双角セラピスの、その不死身と言えるほどの回復力を時空魔法に利用することで、再構築と維持がなされる魔導的な仕掛けが作られている。

 初代の知識によれば、その試験の為に造られた亜空間が、この〈ビブリオ〉なのだ。

 ただ、しょせんは試作品に過ぎず、再構築に微妙な揺らぎがあるようだ。

 そのせいで、管理者たる聖双角セラピス実装試験体アオスフューラーと、保管対象たる石碑という、明確に設定されたもの以外は、その構造を著しく変えてしまうのだろう。

 そんなこととは知らぬ実装試験体アオスフューラーは、不機嫌そうに呟いた。


「それにしても魔導学者どもめ、いつまで貴様をいじくり回せば気が済むのかのう。おかげで、全く気がつかなんだわい」


 魔導学者と言う連中は、初代に対して整形を始めとするあれこれを繰り返していたようだ。

 オムー文明における実装試験体アオスフューラーへの扱いとは、そんなものだったのだろう。


「しかし、若くはなったが、ずいぶんと間の抜けた人間態にされたものじゃな。前の方が渋い男ぶりじゃったが……あ、いやいや、今のもそんなには悪くはないと思うぞ、うん」


 間が抜けてますか、そうですか。

 まぁ、悪くないと言ったから、よしとしよう。


「して、貴様が来たのはどういうわけじゃ? ひょっとして、『ここ』の試験は、もう終わりと言うことかの」


 実装試験体アオスフューラーの口調が期待に満ちたものになる。


「妾もいっしょに再構築されるおかげで、飽きて倦み疲れると言うことはないようじゃが。しかし、あまりに長期に渡ると流行ものに遅れてしまうでのぉ」


 既にオムーが滅びた事も気がつかず、この実装試験体アオスフューラーは悠久とも言える年月の間、微妙に異なる三日を繰り返してきたのだろう。


「そう……だな。ちょっと予定より長くなったかもしれないが、もう、終わりと言う事だな」

「そう言われてもピンとこんな。どうやら再構築されたばかりのようでな。主観的には試験開始から数刻とたっておらんのじゃ」

「それはある意味、ラッキーだったんじゃないか」

「ふむ、確かにそうかもしれんのう。ふふふ」


 その言葉とともに、笑いの波動が伝わってきた。

 この実装試験体アオスフューラーは、初代とどのような仲だったのだろう。

 ガノンの演算能力で思念波を偽造し、初代になりすましている事実に胸が痛むが、それは後で謝り倒すしか無い。

 ともかく、この無限牢獄から、一刻も早く解放してやるのが最優先だろう。

 見知った何もかもが、既に無くなっていることにはショックを受けるだろうが、それでも今の状態を続けることよりも数段マシな筈だ。

 それは同時に、冒険者ギルドの重要な隠し札である〈ビブリオ〉の喪失と言うことにもなるが、たぶん、オリヴァーさんは許すだろう。

 あの人が許すなら、他の連中からとやかく言われても、俺は気にしないことに決めている。

 逆に〈ビブリオ〉を存続させる為、この虜囚を放置したと知れば、そっちの方が怒られそうな気がする。


「では、この試作亜空間たる〈ビブリオ〉を停止させるとするか」


 そう宣言する実装試験体アオスフューラーが、続けて口にした言葉に俺は固まってしまった。


「そうじゃ、魔導学者どもから暗証番号ケンヴォルトを受け取っておるじゃろう。それを教えてくれ」

「え……」


 あり得ない話だが、ガノン・フォームの顔面に、びっしりと汗が浮かんだような気がした。


「どうした、暗証番号ケンヴォルトじゃ。早う教えぬか。それが無いと解除出来ぬでは無いか」

「え、ええと……」


 さすがにガノンの記憶領域にも、その情報は無い。

 俺は何とか取り繕おうとして……失敗したようだ。

 その瞬間、何かを察知したのか、実装試験体アオスフューラーの態度が一変した。


「貴様、あやつでは無いな!? おのれ、妾を謀ったか!!」


 聖双角セラピスの両眼が憤怒に輝いた。

 そして、その口から地響きのような咆吼が放たれる。

 それは亜空間〈ビブリオ〉における、究極上位種同士の戦いを告げるゴングのようにも聞こえた。

次回更新は6/26 8時予定です。

【6/29 訂正】 間違えました(汗)

次回更新は7/3でした(大汗)

『第45話 難解なる世界』

『第46話 闇が奪うもの』

の分割同時更新となります。

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