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第37話 酒宴、再び

間に主人公以外の視点が入ります。

 ビジュアル系な二人と女装した美少年を手始めに、次々と出てきた美青年、美少年どもを残らず昏倒させた俺は、その後、美穗の部屋で正座して、麗香の説教を聞く羽目になった。

 兄の尊厳も何もあったものではないが、ちょっとやり過ぎた自覚があるので、大人しく拝聴する俺だった。


 そんな俺を笑いをこらえて見ていた美穗は、俺が恨めしげに横目で見ると、軽くウィンクして、声を出さずに形の良い唇でこんな言葉を形作った。


『後で、慰めて、あ・げ・る』


 もう一人の義妹である鈴音は相変わらず無表情だったが、その端正な顔に浮かんだように見えた苦笑の波動は、なんとなく好意的な成分を多く含んだもののように感じた。


「まぁ、そんなことになっていると知らずに、こちらへお呼びだてした私にも非がありますので、ここまでにしておきましょう」


 ようやく、麗香の舌鋒が柔らかなものになった。

 俺も、そろそろと正座をくずして、胡座をかいた。


「それにしても〈紫の騎士団〉の親衛隊ですが、見た目はともかく、腕もそれなりだった筈です。それを全員、しかも無傷で昏倒させるとは、いったい何をしたのですか?」


 説教はしたものの、母さんから、俺がその手の荒事には無縁と知らされている義妹達には意外でもあったのだろう。

 麗香が小首をかしげ、鈴音の顔にも興味深げなものが見えたような気がした。

 感覚の共有まではともかく、ある程度は明かしても良いだろう。


「俺の召喚獣――正確には〈使い魔〉と言うものらしいんだが、その使い方に習熟したと言えばいいかな。ほら」


 そう言いながら俺が右腕を掲げると、装備に潜んでいた大鬼もどきが、ぬっと顔を突き出してきた。

 麗香、美穗、鈴音が一斉に目を丸くする。

 実際には、親衛隊連中を昏倒させたのは、ほとんどドレイグの麻酔やグロムの強力な放水だったわけだが、雑草もどきのうねうねとした触手は気味悪いだろうし、メダカサイズな角鮫もどきは小さすぎてわかりにくいだろう。

 俺にはわからんが、シャルロッテちゃんがおままごとの相手にするくらいだから、女性には受けがいいかもしれないと、こいつを出して見せた次第だ。


「この装備に〈使い魔〉を潜ませると、色々とパワーアップするみたいでね。ついでに言うと、俺も〈勇者〉の一人だったと言ってくれる人もいるよ。といへる何とか……ええと、〈装魔の勇者〉だってさ」

「それが事実なら、宮殿にお戻り頂きたいものですね」


 麗香がそんな事を言ってくるが、俺は苦笑して首を横に振った。


「〈勇者〉といっても、ご覧の通り、せいぜいが装備に〈使い魔〉を潜ませる程度だよ。だから〈装魔〉なんだろな。とてもじゃないが、〈七大の勇者〉には及ばないよ。それに冒険者に登録したばかりだし、少し、そっち方面で鍛錬してみようと思ってね」

「冒険者? ならず者の集団と聞きましたが」

「少し荒っぽいし、礼儀作法とはほど遠い感じだけど、いい人もいるよ。ともかく、今は、それが俺の立ち位置さ。まず、そこから始めようと思う」


 俺は今回手を借りた経緯を簡単に説明した後、三人の義妹達に向かってはっきりと言った。


「必ず、みんなを元の世界へ返す。その為にも、冒険者稼業をやって、この世界の事をもっとよく知ろうと思うんだ。その、〈禍神の使徒〉は任せるしかないけど、俺はそっちの方でみんなの役に立とうと思う。この世界にやってきた八人の中で、たぶん、それは俺にしかできない事だから」


 それは初めて口にする、俺の宣誓でもあった。

 俺の本気が伝わったのか、美穗は少し目を潤ませ、鈴音の口元が笑みをつくったような気がした。

 そして麗香は、ひどく穏やかな視線で俺を見ていた。


「わかりました。頼りにしてますよ……」


 そう言った麗香の口から、続けて出た言葉は小さすぎて俺の耳には聞こえなかった。

 ザガードにしか聞こえなかったのだ、「お兄さん」と言う言葉は。


 その後、色々と情報を交換する予定だったが、時間切れとなってしまった。

 三人ともびっしりと予定が組まれており、その隙間を縫うようにして、この時間を作ったわけだが、黒装束集団と親衛隊に時間を取られたせいで押してしまったのだ。

 麗香のお説教も親衛隊が元なので、そっちにカウントすべきだろう。

 美穗が慰めると言ってくれたのもパーになったが、まぁ、それは気にしていない。いや、本当に。


 しかし、黒装束連中はさておくとして、親衛隊に関しては少し考えなければならないだろう。

 俺程度にやられるようでは、美穗の身辺護衛を任せるには心許ない。

 もう少し鍛えてやったほうが良いに決まっている。

 そんなわけで、俺は別れ際に美穗に耳打ちした。


「美穗、さっきの説明に出てきた店のマスターはAクラスの冒険家でね。腕は確かみたいだから、親衛隊を修行に行かせたらどうかな?」


 何食わぬ顔で腐女子な義妹に吹き込む俺は、あるいは黒いオーラを発散していたかもしれない。


「ただ、美青年や美少年を愛でる趣味がある人なんだけど……」


 案の定、美穗は目を輝かせて食いついてきた。


「そ、そのお店の名は?」

「たしか『目覚めたおとこ達』だったかな」

「素晴らしい名前ね! わかった、きっと修行に行かせるから」


 俺は大きくうなずき、店の詳しい場所を教えた。

 これで親衛隊の彼らも、一人前のおとこになる筈だ。ガイナス導師も喜ぶだろうし、何よりも可愛い義妹である美穗も念願が叶うと言うものだ。

 そう言えば猪鬼オーク騒ぎで施してくれた治療の礼を、あの時はうっかりと言いそびれていたわけだが、これでその代わりくらいにはなっただろうか。


 その後、〈白の騎士団〉の一人を案内につけてもらい、俺は再び宮殿をあとにした。

 黒装束どもは、他の騎士がいるところでは手が出せず、その上、勝手に宮殿の外には出られないらしい。歯噛みして俺を見送っていたのが、はっきりと感じられた。

 そんなわけで、俺としてはそれなりに溜飲をさげることができたのだった。



    ◇◆◇



 バルテルに洗いざらい白状させ、自分に誤解があった事を悟った私は、日も暮れた頃にようやく宮殿に戻った。

 久方ぶりの休日の使い方としては微妙なところだが、あの方の為だったのだから、よしとしよう。

 全てが終わったタイミングで顔を出すことになったマチアスは、ぐったりとしたバルテルを介抱しながら呆れていたようだった。


「だから、もう少し深く考えるようにと言っているのに」


 などとも言っていたが、あの頃の思いは私にとって大切なものだったのだ。

 それは、あの方が女性とわかった今でも変わらない。

 私にはそんな趣味が無いので、もはや恋愛感情はないとしても、その代わりに素晴らしい友情を育めるかもしれないという予感がある。

 あるいは、私はそちらの方を望んでいるのかもしれない。

 何しろ、女の身で宮廷召喚術師などという役職についたものだから、色々と苦労が絶えないのだ。そうした諸々を語り合える相手を、私は欲していたようだ。

 その意味では魔術師長のドロテア殿も同様ではあるが、あの方には夫がおり、既に三児を産んだ経験の持ち主でもある。


(偉大な先達ではあるけれども、友人と言うにはいささか恐れ多いのよね)


 そんな事を心の中で呟きつつ、宮殿の廊下を歩いていた私は、はっとして柱の陰に身を隠した。

 辺りを窺っていた神官長ディートハルトは、そんな私には気づかなかったようで、隠れるようにして、一緒に居た少女をある部屋に連れ込んだ。

 まさか、不埒な真似を、と思ったのは一瞬だった。

 少女の着ていた紫色のドレスは、〈聖祈の勇者〉が侍らせていると噂の、美青年、美少年で構成される親衛隊の一員のものに違い無い。

 つまり、美少女に見えたが、あれはれっきとした少年であろう。

 そして、俗物であるディートハルトには耽美系の趣味は無い筈だ。

 好奇心にかられ、私はこっそりと歩み寄り、その部屋の扉の前で聞き耳を立てた。

 小さい頃から、こうした音を忍ばせてのあれこれは得意なのだ。

 兄代わりとして、その当時より色々とふり回されたマチアスの、苦虫を噛み潰したような顔が脳裏に浮かんだが、とりあえず、それは無視する。

 そんな私の耳に、扉の向こうからディートハルトの焦るような声が聞こえてきた。


「ね、念の為にもう一度聞くぞ。〈装魔の勇者〉と、確かにそう言ったのだな」

「はい、神官長様。ぼくの『耳』のことはご存じでしょう。聞き違える事はありません」

「むむむ。あの八人目が……何という事だ。まさか、当代の『蝕』で〈魔を鎧いし者トイフェル・リュストゥング〉が現れるとは。いや、一人多く、対としての数が完璧だった時点で、それと気づくべきだったやもしれぬ」

「あの、神官長様? それはいったい……」

「我らの至高なる神への、信仰に関わる問題だ。それ以上の事はお前が知る必要は無い。くれぐれも他言無用だぞ!」

「心得ております」

「こうしてはおれぬ。近隣諸国の神殿とも連絡を取り、善後策を講じねば」


 ディートハルトが出てくるのを察して、私は急いでその場を離れ、先ほどの柱の陰に隠れて息を殺した。

 部屋から出てきたディートハルトと親衛隊の少年は、私が隠れている柱とは反対側の、礼拝堂のある神殿区画の方へとそのまま向かって行った。

 あの少年は耳が良いらしいが、幼い頃から鍛えに鍛えた私の方が一枚上手だったようだ。

 それにしても、先ほどの耳慣れぬ言葉は何だったのだろうか。


「〈装魔の勇者〉? それに〈魔を鎧いし者トイフェル・リュストゥング〉と言っていたかしら」


 どうやら、八人目の若者であるコウイチに関わるもののようだ。

 そうなると、オリヴァー卿も無関係ではいられない筈。

 何にせよ、神殿の長であるディートハルトが相手となると、宮廷召喚術師としての経歴が浅い私では手に余る。

 先代でもあった師匠が存命であればともかく、今の私がこの手の問題について頼るとすると……。

 自分の部屋に戻る道すがら、バルテルから聞き出した事柄を整理して、私は心当たりをふたつほど候補にあげたのだった。



    ◇◆◇



 オリヴァー宅に帰り着いた俺は、そのすっかり様変わりした状況に唖然とした。

 見覚えの無い武具やら何やらが壁に掛かっているのはともかく、6畳くらいだった筈の居間が倍近くまで広くなったのはどういうわけなんだ。

 しかも、人数が増えてるし。


「お帰り、コウイチ」


 そう言ってにこやかに出迎えてくれたオリヴァーさんとシャルロッテちゃんの後ろで、マルタが「は~い」と手を振り、更にその横ではカーヤがペコリと頭を下げている。


「こ、これって、どういうことですか?」

「空いていた隣に引っ越してきたんだそうだ。知らない仲でもないし、往来も面倒なんで、土属性の魔法具で間の壁を動かして、間取りを変えたと、そういうわけさ」


 オフィスなんかでの間仕切り変更は、俺も母さんの事務所で見聞きした事はあるが、魔法の存在するこの世界では、住居でもそれが可能なようだ。

 じつはアンベルク庶民の住む集合住宅では珍しい話でも無いそうなのだが、それはともかく。


「な、何で? 引っ越しって……あ」


 俺はマルタが別れ際にそんな事を言っていたことを思い出す。


「例の取引よ。建前上はフィンレイの名を借りてるけど、ちょっと目端の利く連中なら、あんたの、つまりはオリヴァーの事を突き止めるのは難しい話じゃないわ。そうすると、欲に目がくらんだ連中が何をしでかしてくるか分からないでしょ。だから、引き続きの護衛も兼ねて、あたしとカーヤが近くに越してくる事にしたわけ。同居みたいな形になれたのは僥倖だったわ」


 とマルタが言うと、オリヴァーさんも、しなやかな指で形を良いあごをかきながら言った。


「うん。マルタに指摘されるまで、その可能性に思い至らなかったよ。いや、頭でっかちな自分を痛感したね」


 物欲の薄い人間は、強欲な人間の感情を理解できないし、その逆もしかりと言うことだろう。

 マルタの主張もうなずけるものだし、オリヴァーさんやシャルロッテちゃんも賑やかになって嬉しそうだ。


「そうすると、俺は隣に住めばいいわけですね」


 間の壁を動かしたと言う事で、かなり狭くなっただろうが、俺一人が住むには充分だろう。座って半畳、寝て一畳とも言うし。

 何にせよ、これで本来は女性だけだった住居に、男である俺が居候すると言う、あまり宜しくない形態が改善されるわけだ。

 ちょっと残念な気もするが、これはこれで妥当な話だと思う。


「何を言ってるんだ。間の壁は向こうまでくっつけてしまったぞ。だいたい、君は私の家族なんだから、これからもいっしょに暮らすに決まっているだろう」


 俺の言葉を聞いて憤然となったオリヴァーさんは、そこで少し上目使いになり、悲しそうに言った。


「それとも、私の家族でいるのが嫌になったかい?」

「と、とんでもありません。是非とも、家族でいさせて下さい。お願いします」


 慌てた俺がそう言うと、オリヴァーさんは実に嬉しそうな表情になり、同様に笑顔になったシャルロッテちゃんと顔を見合わせた。

 これは気を回しすぎて失敗したようだ。反省しよう。


「そうよ。それにあんたが出てったら、意味ないじゃない。あの五本角までいなくな……」


 慌てて口をつぐんだマルタだったが、おかげで魂胆が見えてきた。

 オリヴァーさんへの護衛と言うのは嘘ではないようだが、それ以上に昨夜で味をしめたと、そう言う事なのだろう。

 何しろ、ここに居れば、旨い飯と、滅多に飲めない旨い酒にありつけるのだ。

 僥倖だったなどと言っていたが、隣が空いていたのは、昨日のうちに分かっていた筈だ。

 何ともちゃっかりしている女冒険者には呆れるしかないが、しかし、悪くない話でもある。

 確かにマルタの言う通り護衛は必要だと思うし、Cクラスの冒険家が買って出てくれるならありがたい話だ。

 俺には酒の善し悪しなどわからんので、それで護衛料代わりになるなら安いものかもしれない。

 たしか護衛料の相場は、長期ともなれば、最低でも銀貨ジルバ単位にはなると、冒険者ギルドの資料には記されていた筈だ。

 とは言え、一応は釘を刺しておくのも必要だろう。


「今夜は引っ越し祝いとして大目に見ますけど、明日からは酒量を制限させてもらいますからね」

「な……」

「ふむ、当然だな。飲み過ぎは良くないし、シャルロッテの教育にも影響がある。私も反省したよ」


 抗議しかけたマルタの機先を制して、オリヴァーさんが相づちを打った。

 さすがに、その正論には逆らえないようで、マルタは不服そうに押し黙ってしまった。


「だが、週に一回程度なら多少の羽目を外しても良いだろう? むろん、昨夜のように、意識が無くなるまで飲むような事は控えると約束しよう」


 どうやら、オリヴァーさんは、夕べの事は覚えていないようだ。

 なんとなく自覚はあるらしいけれど。

 俺はしばし考え、まぁそれぐらいならよかろうと、うなずいた。


 その夜は、マルタとカーヤの引っ越し祝い、そして、俺が冒険者となった記念を祝って、これまで洞窟に蓄えた食材を全て放出しての宴会になった。

 シャルロッテちゃんが先に寝付いた後は、予想通りにどんちゃん騒ぎに突入した。

 ヴァルガンが追加で編んだ壁掛けによる消音効果がなければ、シャルロッテちゃんの就寝妨害は言うまでもなく、確実に近所迷惑になっただろう。

 例によってヴァルガンが蝶ネクタイを締め、今回はマルタがあらかじめ用意したフルーツを使っての各種カクテルだ。

 前回は試行錯誤もあったわけだが、それを踏まえて、氷の魔法具や炭酸水コーレンゾイレの類いと共に、ホワイトブランデーと合うものを厳選したとのことで、俺としてはその酒飲み根性に呆れる他は無い。

 そういや「これは冷やした方が」とか、「こっちは炭酸で割った方が」とか何とか言ってたもんなぁ。

 さすがにこの世界に存在しないシェイカーまでは用意されなかったわけで、ステアーするかフロートするしかないが、それでも前回よりバリエーションが増えたっぽい。

 それにしても、オリヴァーさんやマルタはともかく、俺より年下らしいカーヤまでが、いっしょになってグラスを傾けているのは、正直いかがなものかと思うのだが。

 まぁ、ここは現代日本ではないのだから、俺がとやかくは言うまい。

 そのカーヤは、黙々とした一定のペースでグラスを空けているが、いっこうに顔色や態度が変わらない。

 オリヴァーさんやマルタより、相当に強いのだろう。

 それはそれとして、マルタが俺にまで勧めるのは困ったもんだ。


「俺の世界では、まだ飲酒は認められていない身の上なんだよ」


 そう言ってきっぱりと断るのだが、マルタはしつこかった。


「冒険者になったお祝いじゃない。それとも、あたしの酒が飲めないってのぉ」


 うるさい、酔っ払い。だいたい、お前の、じゃないだろ。


「そうは言うが、君の世界でも、慶事には大目に見られると聞いたぞ」


 オリヴァーさんまでがその尻馬に乗っかってきた。少し飲み過ぎじゃありませんかね。

 とは言え、お正月のお屠蘇とか、雛祭りの白酒とかは、俺くらいの年齢でもOKだったかな。

 クリスマスのシャンパンもどきにも、少しだけアルコール分が含まれているものもあったと記憶している。


「んじゃあ、ちょっとだけ」


 俺はしょうがないと、ヴァルガンから数滴だけを垂らしたグラスを受け取り、一気に(?)空けた。

 それを見た女性陣が、ちょっと白けた表情になったが、そんなこと知らんわい。

 まったく、こんなシロモノを、よくあれだけ景気よく飲めるもんだ。


「コウイチ、ちょっと来たまえ」


 そう手招きする部屋着姿のオリヴァーさんに、俺がうかうかと近づいたのは、学習能力が無いのではなく、少しぼうっとしたせいである。

 そして、再び変形スリーパーホールドを決められたのも、オリヴァーさんの優れたグランドテクニックによるところであると主張したい。

 ともかく、今度の俺は毅然として、不埒な振る舞いをするオリヴァーさんに抗議した。


「にゃ、にゃにをしゅるんでしゅか」


 少し舌が回らないが、これは弾力に半分口を塞がれているせいだ。


「君のあれはな。飲むんじゃなくて、舐めるというんだ」

「しょ、しょんなきょと、いったって……」

「しかも、あれしきでこんなに酔っ払うとは。君は、こっちまで鍛錬が足りないな」


 抱え込んだ俺の顔を見下ろすオリヴァーさんの表情が、獲物を捕らえた猫そっくりになった。

 つか、この人も相当に酔ってるよ。控えるとか言ってたのは誰だ。


「ま、こんなものは量をこなせば慣れる」

「い、いえ、もう結構れす」

「しょうがない。私が飲ませてやろう」


 オリヴァーさんは、そう言うなり、空いた手でグラスを口につけ、一気に傾けた。

 そして、俺の顔の向きを少し変え、桃色に染まった美しい顔を覆い被せてくる。


「むぐ」


 柔らかく暖かいものが俺の口に押し当てられ、何かが唇をこじ開けた、その次の瞬間。

 芳香のある刺激的な液体が、一気に口腔に流れ込み、俺はそのまま嚥下してしまった。


(ノーカン。これ、人工呼吸と同じでノーカンだから)


 自分の身に何が起こったか、ひどく混乱してわからないが、脳裏に浮かんだのはその思惟だけだった。


「うひゃひゃ。今度は、あたしもやるぅ~」

「うむ、遠慮はいらんぞ。存分にやりたまえ」


 面白がっているマルタの声と、それに続いて満腹になった猫を思わせるオリヴァーさんの声が聞こえた。

 くるくると回りだした視界に、今度はマルタの顔が大写しになったようだった。

 そして先ほどとは微妙に異なる柔らかいものがきて、先ほどと同様の刺激的な液体が注ぎ込まれた。


(ノーカン。これもノーカンだって)


 その液体も嚥下した俺の脳裏には、誰かに言い訳するような、そんな思惟が繰り返されるだけだった。


「ねぇ。カーヤも参加しない~?」

「申し訳ありませんが……」

「あー、あんたって、アレだったわねぇ」

「ええ。この身は、あの小さき獣なる至高の神に捧げたものです。マルタさんのように、奔放に振る舞うわけにもいきません」

「それだけ飲んでも真面目だわねぇ。でも、事実を知ったらどうなるかしらん」

「はい?」


 そんな会話を耳にしながら、これ以上飲まされるのは危険という思いが強くなってくる。

 多少の未練はあったが、俺は自分を捕らえている柔らかく魅力的なものから、何とか脱出しようともがいた。


「はううっ」


 安産型の下敷きになっている手が、どこか非常にまずい場所に当たったようで、そんな悩ましい声と共に、俺の首を押さえている腕が軽く痙攣し、緩んだのを感じた。


(今だ)


 俺はその機会を逃さず、速やかに身体の自由を取り戻した。

 なんだか、色々と当たったり、触ったり、巻き込んだりしたようだったが、それどころではなかった。

 とにかく、視界が狭くなり、しかも回っているような感覚がある。

 決して致命的と言うわけではないが、しかし、急いでこの状態は緩和しなければならない。


「ガノン! ドレイグ!」


 思考が定まらぬまま、俺は無殻ウーエント)界樹ユグドルの名を呼ばわった。

 そして、俺のコンディションを無殻ウーエント)が分析すると、それに基づく必要な成分を界樹ユグドルが合成し、即座に触手を伸ばして首筋に注入してきた。


 ――多少は酔いが醒めてきたのを感じた俺は、スライムと雑草もどきに礼を言いつつ、頭を軽く振った。


(あぶねー。危うく……するところだった)


 そんな思惟が脳裏に浮かぶが、何が危うかったのか、自分でもよくわからない。

 ともかく、神鬼デモノスが造った神酒ソーマは、普通の人間ならばともかく、俺がいちどきに摂取するには注意が必要……て、神鬼デモノスって、何だっけ?

 どうも、まだ少し混乱しているようだ。


 無謀な一気飲みで、急性アルコール中毒で亡くなったケースもある。

 さすがに苦言を呈すべしと、俺はオリヴァーさんを睨もうとして、そして慌てて目をそらした。

 少し強引に変形スリーパーホールドを脱したせいか、その拍子にほどけたらしい長帯が、マルタを巻き込んで妙な具合に絡まっていた。

 酔っ払いな女冒険者が、変に足掻いて余計に悪化したのだろうが、何をどうしたら、あれほど器用な状態になるのか見当もつかない。

 カーヤが何とかほどこうとしているが、オリヴァーさんもマルタも、色々とまくれ上がり、ずれまくって、完全にアウトな状態だ。

 焦った俺は、急いで大鬼もどきに命令した。

 そのヴァルガンの手によって、数分後に解放された二人は、上々だった機嫌が急転直下していた。


「もう、すっかり白けちゃったじゃない。飲み直しよ」


 マルタがそう主張しても、俺が反対できる雰囲気ではなかった。


「うむ。このままでは蛇の生殺しだからな。徹底して飲むしかあるまい」


 控えるとか言ってたはずのオリヴァーさんも、マルタに同調している。

 てか、蛇の生殺しってどういう意味なんだろ。

 酔うと白い肌がうっすらとした桃色に染まるオリヴァーさんだが、今はもう少し紅色が濃い感じだ。妙に目が潤んでいるし、息も荒い。

 片手を挟むように女子座りした腰をもぞもぞとさせながら、何かを誤魔化すように、もう片方の手で結構速いペースでグラスを空けている。

 意見しようと思ったが、ちょっと躊躇われるものを感じた。


「こら、コウイチ。恩を仇で返した詫びに芸やってみせろ、芸」


 完全に眼の据わったマルタがそんな事を言い出し、オリヴァーさんもうなずいていた。

 記憶が曖昧で、恩を仇で返したの意味が不明なのだが、なんとなく逆らいがたいものを感じて、俺は〈使い魔〉を使った芸を披露し始めた。

 ひょっとしたら、俺も、まだ酔っていたかもしれない。


 グロムを使った水芸はやんやの喝采を浴びた。

 火吹き芸のような、ローグのブレスもどきは、まぁまぁ受けた。

 ガノンを使って、難しい計算を即時に解いて見せたのは、あまり受けなかった。

 ドレイグによる蝕手芸は、若干ひかれてしまった。ネット動画で見た南京玉すだれなる芸を真似てみたわけだが、うねうねとしていては意味不明だったかもしれない。

 ヴァルガンは給仕役だからパスさせるしかない。

 ――となると、残りはあいつしかいないか。ま、飲ませれば何とかなるだろう。


「ザガード、好きなだけ飲んでいいから、いつものやつを踊ってみせろ」


 例の踊りを披露すべく、俺は剣牙狼もどきを……。

 その瞬間、しまった、と思ったが遅かったようだった。


「あーっ」


 召喚されたザガードを指さして大声をあげ、目を丸くしているカーヤを見ながら、また面倒の種を増やしてしまったと、俺は激しく後悔したのだった。

感想欄でご指摘頂いた通り、引っ越して来ちゃいました。

次回更新は4/3 8時。

誤字のご指摘が有りましたので、訂正しました。

ご指摘、ありがとうございました。

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