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第28話 中央市場

 金尾狐の毛皮で造られたコートや襟巻きの値段を見た俺の様子を見て、オリヴァーさんは少し訝しげな表情になった。


「ん~、結構な値段という割に、ずいぶんと冷静だよね。意外に大物だったんだなぁ」

「いえ、その、なんと言うか」


 実を言えば、この世界の通貨がよくわからないので、金貨ゴルダとか、銀貨ジルバとか言われても、今ひとつピンと来ない。

 おそらく高価なんだろうなとは思うのだが、つまるところはそれだけである。

 ちなみに、毎日の食材やら何やらも、お店でオリヴァーさんが何かを支払っているのを見たことがない。どうも、薬代を現物での分割払いで受け取っているようなのだ。

 おかげで、オリヴァーさんの本業にしてからが、俺には相場がさっぱりである。

 正直にそう言うと、オリヴァーさんは決まり悪そうな表情をした。


「そういえば、その辺りの説明をしてなかったな。ええと、まともに支払うと……一日当たりの食費が鉄銭アイゼにして、おおよそ千五百くらいかな?」

「お母様。千八百です」


 シャルロッテちゃんが、冷静に母親の誤りを指摘してくる。


「うっ。そ、そうだったか」


 美しい顔を引きつらせるオリヴァーさんを見上げて、幼い娘はため息をついた。


「ママもこぼしていました。お母様は物知りだけど、身の回りの事は何でも大雑把だって」

「うむ、すまん」


 オリヴァーさんは自覚があるようで、血の繋がらない娘に素直に謝っている。

 この人が薬代をきっちりと取り立てないのは、その辺りにも原因がありそうだった。


 さて、アンベルクの庶民には一番馴染みのある鉄銭だが、これは厳密には通貨では無く、半ば物々交換で成り立っている庶民経済における割り符のようなものらしい。

 俺たちが住んでいる界隈での、値段の張らない食材や日用品などはこれでも支払いが可能だが、ギルドが管理する商品取引――例えば魔法具や武具の購入は国家が発行する正式な通貨が必要になる。オリヴァーさんが生業とする薬師の代金も、本来はこの範疇だ。

 最小単位が銅貨クプハで、一枚当たりが鉄銭アイゼにすると千くらいだそうだ。

 つまり、先ほどシャルロッテちゃんが言ったとおりだとすると、エンゲル係数高めな庶民の生活費は、一日当たりがおおよそ銅貨二枚から三枚と言うところか。


「ええと、ざっくり言うと、俺たちの世界で言うところの千円札が、こっちでの銅貨クプハって事かな?」


 オリヴァーさんの説明によれば、銅貨百枚に該当するのが銀貨ジルバで、更に銀貨百枚で金貨ゴルダになるとの事だった。


「つまり、銀貨ジルバが十万、金貨ゴルダが……いっせんまん?」


 もう一度、金尾狐の毛皮で造られた各種の品についた値札を見る。そこには景気よく、銀貨や金貨の表記があるのをあらためて認識した。


「ほえぇ」


 俺の表情が、ようやく期待した通りのものになったらしく、オリヴァーさんがドヤァな顔つきになる。


「日頃、尻の下に敷いている品の相場が理解できたかね」

「ええ、まぁ」


 ちなみに、目の前で大層な値札をつけている品々よりも、俺が尻に敷き、寝るときに涎を垂らしているあっちの方が、見た感じ遙かに上物に見える。

 たぶん、目の前のこれらは、相当に老いた金尾狐を仕留めたものではないかと思われた。


「そうだな。依頼しておいて何だが、あれを売りさばくのは、〈暁の翼〉の連中には少し荷が重かったかもしれんな」


 オリヴァーさんも、しなやかな指で形の良いあごをかきながら言った。

 先日の夜、盗賊どもを引き渡すついでに、二枚ほどの毛皮をローグに持ってこさせ、見本として彼らに渡しているのだ。

 このぶんだと、その見本だけでもかなりの取引額になるはずだ。


「まぁ、儲けるのが目的じゃ無い。君が――〈装魔の勇者〉が今後活動するには、色々と資金が必要になる筈だ。その為なら、多少は買い叩かれても、有力な商人とのチャンネルができれば問題無いさ」


 淡々とした口調で、そんなことを言うオリヴァーさんに対し、不思議な人だと言う思いをあらためて強くする。

 言動には色々と問題のある人だが、少なくとも金の亡者とはほど遠い女性である事は間違いない。

 俺がこれだけの値がつく品を大量に所持していると聞けば、多少は目の色が変わっても不思議は無いのだが、そうした気配が全く見えないのだ。


「ええと、オリヴァーさん自身はお金が欲しくないんですか」


 思い切って聞いてみると、少し考え込むふうだった。


「そう、だな。シャルロッテが大きくなって、学術院で学びたいと言いだしたら、その費用が欲しくなるだろうね」


 つまり、本人は今の生活で満足していると言う事だ。


「その……もう少し広いところに引っ越したいとか?」

「それもシャルロッテ次第かな。もう少し大きくなって、体つきも女らしくなってきたら、さすがに今のままじゃまずいかもしれんが……いや、本人は既に嫁ぎ先を決めているようだから、無問題かな」


 そう言いながら、オリヴァーさんがシャルロッテちゃんを見ると、本人も少し顔を赤らめてうなずいている。

 なんにせよ、母親とはタイプが異なるが、シャルロッテちゃんも大きくなればかなりの美女になることは間違い無いだろう。そんな彼女には、既に心に決めた相手がいるわけか。

 じつに微笑ましくも羨ましい話だが、しかし、近所に該当する男の子がいたっけかな。あの界隈では子供の姿って、めったに見かけた事はないのだが。

 ともあれ、義妹達を元の世界に還す以外にも、俺にはやらなければならない事が増えた事になる。

 俺の勇者としての力量は未知数だが、〈禍神の使徒〉の脅威を取り除く為に全力を尽くすつもりである。

 シャルロッテちゃんとの約束通り、彼女を初めとする幼い子供に希望に満ちた将来を与える事、それは年長者として当然の責任だろう。


 そんな決意を新たにした俺を、気がつくと、母娘が呆れたような視線で見ていた。

 そして、二人してヒソヒソと内緒話を始めた。


「どうも、『将来の責任』に関する認識に齟齬があるようだな」

「そのようですね」

「娘よ。道は険しいぞ。相手はいろんな意味で手強く、そのうえ、ライバルには伝説の勇者も控えているのだ」

「お母様も負けないで下さい。できれば、いっしょにウェディングドレスを着たいのですが、そこは先にお譲り致します」

「いや、私はだな」

「おっしゃりたいことはわかります。ですが、それではあまりにも勿体ない。お母様も忌避感を覚えておられないようですし、これは希有な相手かと。それに、妹か弟が欲しいと思っていましたし……あら、シャルロッテが第二夫人になったら、その子は義理の子供にもなるのでしょうか」

「はて? 私にもわからんな。少なくとも法典に該当する記載は無かった筈だ。ふむ、王国の法典局が慌てるのを見てみたい気もするな」

「その意気です、お母様」


 切れ切れにそんな言葉が聞こえるが、全く意味不明だ。

 俺が首をかしげていると、後ろから聞き覚えのある声がした。


「あら、奇遇ね」


 振り向くと、そこにいたのは〈暁の翼〉の女冒険者マルタだった。経理担当のゴットリープもいっしょである。


「伝手が無いなんて言ってたけど……いや、さすがと言うか、油断できないと言うか」


 ゴットリープの思わせぶりな口調に、俺はピンとくるものがあった。

 ここの主人が、例の目録の品を売却する、その商談相手なのだろう。

 オリヴァーさんが少し慌てた様子で弁明した。


「いや、偶然だ。ここには品を見に寄っただけだよ。この〈装魔の勇者〉に相場を教える為にね」

「本当かな」

「むろんだとも。私はここに知己はいないし、そちらの商談に口を出すつもりも無い」


 後で聞いたのだが、税逃れの為に商品の売買に冒険者を介在させる輩がいるそうなのだ。

 一般には冒険者は獲物を冒険者ギルドに引き取ってもらい、その中から採取時のリスクを考慮した上納金として税を払う事になる。

 ただし、冒険者ギルドの事務が追っつかない事もあるので、冒険者が商人と直に取引する事自体は認められている。

 この場合は、事後にリスク査定される事となり、上納金も後払いとなる。

 こうした商人ギルドと冒険者ギルドの管轄の相違からくる制度を悪用して、ギルドに支払うべき上納金を誤魔化すケースがあるわけだが、言うまでも無くバレればただでは済まない。

 額が少なければ黙認されたりもするようだが、この手の事案では、たいていは大きな金額が動くものだ。

 本来は、関わった冒険者、商人ともに処罰の対象となるが、こういった事に手を出す商人は狡猾で、冒険者だけが罪を被る例は暇が無いとか。

 なので、オリヴァーさんの弁明を聞いてもゴットリープの表情と声から疑念の色が消えなかったのは無理も無いが、マルタがあっさりと結論を出した。


「オリヴァーが、そんなことするわけないじゃない。それに彼女がその気なら、こんなとこで私達に見つかるようなヘマはしないわ」

「う~ん、それもそうかな」


 納得したのかどうか、微妙な表情のゴットリープは、例の見本が入ったと思しき荷物を抱えて奥の方に歩いて行った。


「すまないね、マルタ」

「ま、こっちも取引を受けたわけだしね。それは最後まできっちりとやるわよ」


 礼を言うオリヴァーさんに、マルタが済まして応える。


「あと、この取引にはフィンレイの名を借りたから。ゴットリープにはああ言ったけど、あなたが万が一にも私達を嵌めたんなら、覚悟しておくことね」

「まさか。それに大陸に名だたるSクラスを敵に回すような事はしないさ」


 オリヴァーさんは真面目な口調でそう言うと、懐かしそうな表情を浮かべた。

 さすがに学術院で教鞭を取っていただけの事はあって、そのSクラス冒険者とは多少の面識があるようだ。


「そうか、フィンレイか。元気にしてたかい?」

「手紙には元気でやってるって書いてあったから、そうなんじゃない。今いるところはプレニツァだそうよ。何でも、〈禍神の使徒〉に関する新たな石碑が見つかったんですって」


 その地名には覚えがある。たしか、麗香や鈴音が行っているところだった筈だ。

 そういえば、あれからどうなっているのだろう。

 あまり長期間に美穗を一人にするのは、少しまずいと思うんだが。

 ちなみに、アンベルク、及び近隣諸国では、伝書鳩ブリフ・ターベを使った郵便制度が整備されており、〈光輝の勇者〉が操る『めーる』ほどではないが、それなりに遠距離との通信は可能だったりする。


「プレニツァか。少し遠いな」


 オリヴァーさんがそう言いながら俺の方をちらりと見たが、ローグを放つにも、さすがに隣国は遠過ぎだ。

 俺の表情から察した様子で、美貌の薬師は軽く肩を竦めると「他のも見て回ろうか」と、娘の手を引いてすたすたと歩き出した。


 そこは、女性向けのアクセとか化粧品を置いているところだった。

 オリヴァーさんの本分である治癒職としての薬師とは少し領域が異なるが、化粧品には一部の薬草も使われているので、そっち方面の相場も知っておいた方が良いと思ったのだろう。

 その中に、結構な人だかりがしていている場所があった。

 その商品の値札には、「売る気あるのか」と突っ込みたくなるような金額が記されており、大勢の女性が諦めきれない渇望の視線をいつまでも注いでいる。

 オリヴァーさんが感嘆しつつも、半ば呆れたように言った。


「ほほう、珍しいな。クロルの実か。人寄せとしてはこれ以上のものは無いが、しかし、少し効き過ぎのようだな」


 店員らしい女性が二人がかりで交通整理に努めているようだが、完全に人の流れが滞ってしまっている。

 その『クロルの実』なるものは、小さな瓶の、更に底の方に薄く敷かれた、粉末みたいなものだった。


「あの粉末が? てか、あんなにして売るものなんですか」

「まぁ、そうだな」

「あれじゃあ、折角の食感も台無しですねぇ」

「……参考までに教えてもらえるかな。どんな食感なんだい?」

「簡単に囓れるほど柔らかいんですが、微妙にキュッとした歯ごたえがあります」

「…………それで?」

「………………他にはっ!?」

「ん~、味はあっさりしてますかね。おかげで、何個食べても飽きない……」


 はっとなった俺は慌てて口を押さえたが、既に遅かった事は言うまでも無い。


「コウイチ、少し詳しく聞こうか。確か、その話は初めてだったと思うしな」

「そうね。あの目録以外にも商品があるのなら、是非とも知りたいわ」


 そう穏やかな口調で言いながら、両脇から、もの凄い力で俺を捕まえるオリヴァーさんとマルタの眼光が怖かった。

 気のせいか、そんな俺を見上げるシャルロッテちゃんのつぶらな瞳にも、底光りするものがあるように見えた。

 じつはオリヴァーさんには、これまでの事を洗いざらい話したときも、クロルの実に関しては伏せていたのだ。

 俺の置かれた状況には基本的に関係の薄い事柄だったし、何より、アレが絡んだ時に性格が一変した、宮廷召喚術師エレオノーラさんの例もあったからだ。


(美人だろうが、変人だろうが、幼かろうが――三次元の女は怖ひ)


 そんなこんなで、その店を出て、屋台が並ぶフードコートのような場所までを、二人の女性に挟まれて歩くことになった。

 オリヴァーさんは言うまでも無いが、マルタも端正と言っていい顔立ちなので、知らない人が見たら両手に花と見えた事だろう。

 俺としては、看守に挟まれて拷問部屋に連行される、哀れな囚人のような気分だったわけだが。


 いくつかのテーブルと椅子やベンチが置かれた場所に着くと、マルタがシャルロッテちゃんと共に、飲み物と軽食を売る屋台へと向かった。

 一方のオリヴァーさんは、俺の腕を離さないままにベンチに並んで座った。

 この頃には、がっしり掴むと言うよりは、優しく抱きかかえるといった感じになっており、おかげで美穗には及ばないものの、なかなかに結構なボリュームの弾力が……いや、そうじゃなくて。


「金銭に目の色を変える事の無い、できた人だと思っていましたが」


 多少、ふくれっ面になっている自覚のままにぼやくと、オリヴァーさんは苦笑交じりに謝ってきた。


「いや、すまん。つい、な。私も未熟者だと言う事を自覚したよ」

「胸は未熟どころではなさそうですけどね」

「ははは。コウイチも言うようになったな」


 俺らしくないセクハラまがいの言葉だったが、美貌の薬師は一笑に付した。


「その調子だ。君はこっち方面も鍛錬不足のようだしな」


 不意に、その口調が真剣なものになる。


「私の主観だが、君の場合は潔癖と言うよりも苦手意識が強いようだな。だが、見た目は人間の女性と変わらない魔物だっているぞ」


 オリヴァーさんが言うのは妖鳥ハーピーとか妖蛇ラミアの類いだろう。

 魔物の一部には、攻撃の手を鈍らせたり、魅了チャームの魔法をかけやすくする為に、美しい女に擬態するものがいる。

 それらは、乱暴な事を言えば、新宿二丁目に出没する『美女』のようなものだ。あくまでも見かけだけなのだ。


「〈装魔の勇者〉が、あの手の魔物にやられるなど、情けないところを見せないでくれよ」


 オリヴァーさんの言う事ももっともだが、ある意味では、女性の方が魔物よりも怖いんじゃなかろうか。

 そんな事を考えていると、聞き覚えのある異音が俺の耳朶を打った。

 それは先日の、猪鬼オーク上位猪鬼ハイ・オークへ成り上がる時に出現した魔法陣が、空間を歪ませる響きと同質のものであった。


次の更新は2/21 8時です。

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