第24話 成り上がる猪鬼
オリヴァーさんから引き合わされた〈暁の翼〉は、Cクラスに認定された、男三人、女二人から構成される冒険者集団だった。
このクラス認定は、DクラスからCクラスが一つの壁だそうで、Cクラスともなれば、ひとかどの冒険者集団と言えるそうだ。
武装として、女二人は弓矢も持っているが、基本的に全員が剣士スタイルだ。
ゲームとは異なり、魔法使いや治癒職の神官が冒険者になるケースは滅多に無い。前者は国家に仕えるか、魔道具を扱う魔術師ギルドに所属し、後者は言うまでも無く神殿が囲い込む。従って、魔物退治で必要となる攻性魔法は魔道具、防御や、治癒、回復については、やはり魔道具か、薬師ギルドのポーションでまかなうのが一般的だ。
オリヴァーさんの紹介を受けて、〈暁の翼〉の面々は、男の方は、エッカルト、ゴットリープ、イザーク、女の方は、マルタ、カーヤと名乗った。
「オリヴァーさんのお世話になってる久門光一……いえ、コウイチです。よろしくお願いします」
俺はそう挨拶して、つい、口を滑らせてしまった。
「ええと、男の人がもう一人いたと思うんですが?」
そう、俺は彼らに見覚えがあった。
〈暁の翼〉は、あの小鬼討伐で危うく全滅するところだった冒険者集団だったのだ。
出来過ぎたシチュエーションに、ひょっとして、傍らでニコニコと微笑んでいるオリヴァーさんが仕組んだのかとも考えたのだが、冒険者ギルドを経由したと言う話なので、これは単なる偶然だろう。
ギルドが依頼を受ける場合、派遣する冒険者集団に対する指名制度というモノは無い。
冒険者ギルドの理念の一つが機会均等である。これは、公平性を保つと言う建前もあるが、特定の冒険者に依頼が偏っては、全体の力量が低下すると言う現実的な事情もあるようだ。
「ん? 俺たちはこのメンバーだぜ。たまに助っ人を頼む時もあるけどな。てか、俺たちの事を知っているのか?」
パーティーリーダーのエッカルトさんが訝しそうな表情で言った。二十代後半の、灰色の髪をしたワイルドな印象の青年だ。ただ、どういうわけか、先ほどから、やたらと神経質な仕草で、右耳の後ろに手をやっている。
「あ、いえ、その……」
事情を詳しく説明するわけには行かない。あの時点で、何体かの〈使い魔〉は未認定だったのだから。
口ごもってしまった俺に、すかさずオリヴァーさんがフォローを入れる。
「君たちはある意味有名人だよ。あの小鬼討伐で全滅するところを奇跡的に生還したって……」
「かーっ、勘弁してくれよ、オリヴァー。ありゃあ、俺たちにとって、一刻も早く忘れたい黒歴史なんだぜ」
この世界にも黒歴史という表現があったようだ。
妙なところで感心していると、俺より少し年上と思われる若い冒険者――ゴットリープも短く刈った金髪をかきながら、ぼやくようにいった。
「状況を読めずに撤退するタイミングをミスった、とか、冒険者仲間からは結構からかわれてるんだ」
「あれ、ギルド側のミス。俺たち、悪くない」
スキンヘッドのイザークがぼそりと言う。
田原を凌ぐ巨躯で、鈴音並みに表情に乏しい年齢不詳の男だが、大きな盾を背負ったところを見ると頼もしい壁役といったところだろう。
「そうよ、あの受付のヘマじゃない。討伐対象の場所を取り違えるなんて。ギルド幹部の娘じゃなかったら、締め上げてるところだわ」
そう言ったのは、赤い髪をした姉御肌といった感じのマルタだ。年齢はゴットリープと同程度か。身体にぴったりとした狩猟服に身を包んでおり、引き締まったボディーの持ち主でもあった。
彼女の言葉で、彼らがあの場所に居合わせた事情もわかってくる。
「昔は、ギルドもあんなんじゃなかったそうなんだがなぁ」
なおも右耳の後ろを触りながら、エッカルトさんが諦めたような口調で言うと、もう一人の女性であるカーヤが口を開いた。
「何事も、至高なる神の思し召しです」
あの時は血まみれでわからなかったが、こうして見ると俺より年下に見える。栗色の髪を後ろに結わえた、可愛いと言って良い顔立ちをしていた。
「おや、カーヤは神殿の信者になったのかい?」
オリヴァーさんが面白そうな口調になって言う。
「そうそう。あの〈聖祈の勇者〉に助けられてから、この調子さ。だけど、おかしな事をいうから、神官とは仲が悪いんだ」
マルタが軽く肩をすくめてそう言うと、オリヴァーさんが首をひねった。
「おかしな事?」
「おかしくなんかありません。私は見たんです。至高の神は小さき獣の姿をしておられるのです」
それを聞いた俺は、あやうく「ぶふっ」と吹き出すところをこらえた。
彼女はザガードの事を覚えているらしい。その直後に美穗の治癒を受けたおかげで、記憶が混同してしまったようだ。
(あの子の前では、絶対にザガードを見せないようにしよう)
これ以上、ややこしい事はごめんである。
「おっと、あの時の事はギルドと宮殿と神殿から口止めされているんだった。口止め料も弾んでもらったんで、悪いが、その話題はここまでにしよう」
そう言って、ようやく耳から手を離したエッカルトさんは、雑談を切り上げて本題に入った。
「んで、猪鬼に間違いないんだな、オリヴァー」
「間違いない。アレンの傷跡、そして、使われていた腐敗毒。どちらの特徴も猪鬼固有のものさ」
「腐敗毒を使うやつか。そこまでの知能を持ってるとなると、少し厄介な話になるかもしれねぇな」
「どういう事だ?」
「こいつもギルドには口止めされている話で……まぁ、冒険者仲間では公然の秘密だから言っちまうが。下手をすると、そいつは成り上がる直前かもしれん」
成り上がるとは、ゲームで言えばレベルアップしてステータスチェンジを起こすようなものか。
さすがのオリヴァーさんも初めて聞く話らしく、驚きの表情を隠せないでいた。
「つまり、猪鬼から上位猪鬼になる直前だと?」
「あくまでも可能性だがな」
「なんで、ギルドはその情報を公開しない」
「可能性って言っただろ。成り上がるなんて、滅多に無い話だ。だが、例の〈禍神の使徒〉が現れる頃だろう。ギルド内部に残っている古文書じゃ、三百年前にも、魔物の成り上がりが頻発したらしいぜ。因果関係までは不明らしいがな」
「な……冒険者ギルドは、そんな情報まで隠していたのか」
呆れたように言ったオリヴァーさんだったが、何かに気づいたように、美しい眉を寄せた。
「いや、これは、神殿が出張ったせいだな」
「そうなるな。神殿も元はといえば治癒職ギルドだ。他ギルドの下に立つってのは、特に冒険者ギルドとしては素直になれないってとこなんだろうさ」
そんなオリヴァーさんとエッカルトさんの会話を聞きながら、俺は首の後ろにへばり付いているガノンに、魔物情報を検索させた。
上位猪鬼。
猪鬼の上位種で、筋力は単純比較で一桁も増大する。知覚も増大するようだが、こちらは明確な情報は無い。
極めて厄介な点として、攻性魔法を使ってくる事が上げられる。
なんにせよ、Cクラスと言う、決して低くは無いレベルの〈暁の翼〉でも手に余る魔物であって、最低でもBクラスの冒険者集団が複数、しかも、魔術師や神官の支援が必要不可欠とされている。
「猪鬼でいる間なら、俺たちでも何とかなる筈だが……どうにも、さっきから耳の後ろがジンジンすらあ」
エッカルトさんは再び神経質な仕草で、耳の後ろに手をやり出した。
「こないだの小鬼討伐でも、こんな感じだったんだ」
それは、ベテランが持つ、研ぎ澄まされた直感だったのかもしれない。
不意に。
森の奥から、俺の耳にも届く、凄まじい咆吼が聞こえてきた。
そして俺は、魔物を監視していた偵察ドローンコンビが脳裏に送り込んできた、その光景を見た。
三匹の猪鬼のうち、ひときわ大きな個体が、咆吼と共に魔道的な光に包まれていたのだ。
(こ、これが……成り上がりか)
ずんぐりむっくりな体型に、不細工な猪に似た顔を乗せた猪鬼であったものが、より強大な体躯で、より凶暴な面構えとなっている。
角の数も二本であったものが、三本に増えていた。
上位猪鬼に変じた個体は、同族であった二匹の猪鬼を瞬時にして引き裂き、殺してしまった。
これは、成り上がることで別種族となった為か、あるいは、自分と同様に成り上がってしまう事を忌避したせいであろうとは、後でオリヴァーさんから聞いた話だ。
そして、その嗅覚もレベルアップしたようだ。ひくひくと鼻を動かすと、こちらの方をまっすぐに睨んできた。
その凶暴きわまりない眼に、劣情の火が灯ったようにも感じられた。
猪鬼は人間を襲う時、男は即座に殺すが、女は散々に陵辱した上、犯した状態で生きたまま喰らうと言う、極めてえげつない性質の持ち主だ。
さすがに要討伐対象とされるだけのことはあるわけだが、上位猪鬼は、そちらの方も(悪い方向に)レベルアップしているようだ。
そして、ここには三人の女性がいる。
「こいつは、まずい状況だぞ」
「とっとと、逃げよう。リーダー」
俺の脳裏にある映像が見えているわけではないが、危険なものを察知したのだろう。エッカルトさんとゴットリープは、あっさりと逃げる事を口にした。
冒険者は騎士でも軍隊でも無い。その至上命題のひとつは生き延びる事だ。
戦略的撤退とか、転進などという表現で取り繕うこともないし、分の悪い戦いに身を投じる事も無い。
従って、その決断は速やかなものだと言えたが、それでも遅かったかもしれない。
密集している木々を次々とへし折りながら、上位猪鬼が凄まじい勢いでこちらに疾走してくるのが、ローグが中継してくる映像に見えた。ザガードには劣るが、それでも信じられないスピードだ。
これだけの圧倒的なパワーとスピードをもって正面から迫ってくる相手に、俺の〈使い魔〉で何ができるだろうか。
「そうだ、毒矢なら……」
ドレイグは還してしまったが、毒液を詰めた瓶が背嚢の中にある。
ともあれ、俺はここで、あいつの足止めを試みる事にした。
「オリヴァーさん、先に逃げて下さい」
「莫迦をいうな。今の君では……」
「そろそろ、麗香が俺の動向を確認する頃合いです。そうなれば、鈴音が――〈勇者〉の中では最も俊足のあいつが救援に来てくれます。大丈夫、足止め程度なら、何とかなります」
「お前、成算があるのか。なら、俺も残る」
そう言いだしたのは、スキンヘッドの巨漢イザークだった。
「イザーク、お前……」
「エッカルトとゴットリープは女達を頼む。俺、鈍足だから、どのみち逃げられない。大丈夫、時間稼ぎするだけ」
エッカルトさんは、しばし、考えていたようだが、決断は早かった。
「俺もここに足止めとして残る。ゴットリープはマルタとカーヤ、そしてオリヴァーを連れて先にいけ。そして、ギルドか騎士団に救援の連絡をするんだ。言い合っている暇は無い、急げ」
有無を言わせぬ口調は、さすがにリーダーだった。
そして、ゴットリープも即座に応じた。
「わかった。マルタとカーヤ、急いで救援を求めにいくぞ。王都の近くに上位猪鬼が出たんだ。一刻も早く知らせなきゃならないし、証言は複数ないと、ギルドや騎士団は動かない」
「ええ」
「わかったわ」
マルタとカーヤも、無駄な逡巡はしなかった。
そしてオリヴァーさんは、真剣な表情になって俺に言った。
「死ぬなよ、コウイチ。君が死ねば、〈禍神の使徒〉に対抗できる者がいなくなる。君の義妹達を守る為にも、ここで死ぬんじゃないぞ」
「わかってます。これでも俺は勇者です。ま、〈仮称・召魔の勇者〉ですけどね」
俺のわざとらしい軽口に、オリヴァーさんはにこりと微笑むと、素早く動いた。
「え?」
頬に残る感触に、俺は思わず呆けてしまった。
「家族への、いってらっしゃいのキスだよ。後でお帰りのキスもさせてくれよ」
そう言って、オリヴァーさんは冒険者の三人を追って走り出した。
「へへぇ。あの男嫌いのオリヴァーにえらく気に入られてるな」
「男と思われてないんでしょ」
からかうような口調のエッカルトさんに、そう言って返すあたりは、俺も逞しくなったということだろうか。
ともあれ、ヴァルガンに弓矢で応戦させるとしても、あの上位猪鬼を覆う毛皮はかなりの剛性があるようだった。
かなりの魔力を上乗せしないと、ヴァルガンの豪腕でも、矢を貫かせるのは難しいかもしれない。
そうなると、他の〈使い魔〉に割く魔力も節約する必要がある。
俺は、召喚していたローグ、ザガード、ガノンを速やかに還した。
ちなみに、今では還すだけならポケットの中の魔法陣は不要だ。俺の意思に反応して、首筋にいたガノンが、魔力で描かれた魔法陣の中に還っていく。
それを見たエッカルトさんが驚いたように言った。
「コウイチ、お前、何者なんだ?」
「これでも、異世界から来た〈勇者〉ですよ。正しい称号は、まだ不明ですけどね」
「そいつは頼もしいな。伝説の〈勇者〉を見習いで雇えるなんざ、幾多ある冒険者集団の中でも俺たちくらいだぜ」
そういった軽口の応酬を交わしながらも、エッカルトさんは手を止める事なく、荷物の中からいくつかの魔道具やポーションを取りだした。
イザークも同様にして、ポーションをすぐに取り出せるよう、背嚢から腰の物入れに移していく。
俺も背嚢を下ろして、中から弓矢と毒の瓶を取りだした。
「来る」
イザークが短く言うのと、森の木々を薙ぎ倒して、上位猪鬼が姿を現すのは同時だった。
足止めに残った俺たちの姿を認めるや、魔物はひときわ凄まじい咆吼をあげた。
その瞬間。
俺は理解してしまった。
こいつには足止めも駆け引きも無駄だと言う事に。
その咆吼は風の攻性魔法の発動だったのか、俺たち三人はひとたまりも無く吹き飛ばされてしまったのだ。
他の二人が、どうなったのかはわからない。
そして、俺は、先に逃げ出したオリヴァーさんのところまで吹き飛ばされたのだ。
驚くべき偶然か、あるいは、上位猪鬼の、魔物としての直感に基づく意図的なものか。
「え?」
走っていたオリヴァーさんは、いきなり目の前に降ってきた俺に驚いたようだった。
「風の高位魔法!? さすがは上位猪鬼ということか」
その天才的な洞察力で事情を察したように呟いたオリヴァーさんは、覚悟を決めた表情になって他の三人に向かって言った。
「君たちは早く行け。今度は私が足止めする」
その「足止め」が何を意味するのか、明白すぎるほどに明白だった。
息をのむ冒険者達に、オリヴァーさんは重ねて促した。
「私が一番足が遅い。行ってくれ」
俺に背を向けてそう言ったオリヴァーさんの表情はわからなかったが、三人の冒険者は唇をかみしめると再び走り出した。
それを見送ったオリヴァーさんは、困ったようにため息をついた。
「やれやれ、こんなことなら、荷物を捨てるんじゃなかったな。ま、身を軽くする為、という判断は間違っちゃいなかった筈だけどね」
俺は何かを言おうとしたが、俺の口からは血の塊しか出てこない。
身体中が凄まじい激痛に覆われ、即死しなかったのが不思議なくらいである。
「気休めは言わないよ。見たところ、全身の骨が砕けているし、内臓もやられているようだね。正直、薬があっても、私には何もできないかな。本当は早く楽にしてあげるところなんだけど、一縷の望みがあるからね」
いつもの飄然とした態度を装っているが、その語尾の震えは俺にも感じられた。
そうして、オリヴァーさんはゆっくりと歩き出した。
倒れた俺の傍らを過ぎ、上位猪鬼が迫ってくるであろう方向へと。
「運良く〈光輝の勇者〉に見つけてもらい、そして、〈聖祈の勇者〉の治癒が間に合ったら……シャルロッテの事は頼むよ」
身動きもできない俺は、彼女の後ろ姿を見ることしかできない。
麗香が遠見の魔法で俺の状況を把握するまでの時間を、自分を生け贄にすることで稼ぐつもりなのだ。
(だめだ! だめだよ、そんな事は)
気を失いそうになるところを必死で堪えて、俺はひたすら考えた。
(そう……だ。ローグだ。あいつに……オリヴァーさんを……運ばせて……)
腕が動かないので、魔法陣を取り出せない。
こうなれば、このままであいつを呼ぶまでだ。
途切れそうになる意識の中で、俺は召喚魔法を発動した。
「な、汝と……我の、盟約……の元に……」
気力を振り絞って、最後の詠唱を完成させる。
「出でよ、ローグっ!!」
絶叫と共に、馴染みとなった感覚が丹田に沸き起こる。
その感覚は、ポケットに入ったままの、つまり、丹田に重なる位置にあった魔法陣と呼応したようだった。
魔力の発動が、今までに無い何かに変わるのを感じて――俺は意識を失った。




