第23話 大きな転機
感想欄にて、植物系の名前が異なる旨、ご指摘を頂きました(汗)
ありがとうございました。
王都から少し離れた森。
数年前に小鬼が巣くっていた場所だったそうで、それらが討伐されて以降も滅多に足を踏み入れる人はいない。狡猾な小鬼の仕掛けた罠が至るところに残っており、それらが完全に朽ち果てるまでは、危険地帯と目されているのだ。
「それに、小鬼の匂いが完全に消えるまで、割の良い鹿やウサギの類いは寄りつかないしね。狩り場としては最低ランクかな。おかげでギルドもここいらは管轄外としているよ」
そうオリヴァーさんは教えてくれた。
ギルドの管轄外という事は、ここで取れた獲物については、ギルドへの上納金は免除されると言うわけだ。
従って、上納金や税を納める余裕の無い人々の中には、アレン達のように罠の危険を冒してまで、ここに狩りにくる人間も少なくない。
「とは言え、アレン達のような連中は少数派かな。小鬼の仕掛けた罠は、見つけるのが困難だし、洒落にならないシロモノが多くてね」
そう言いながらオリヴァーさんは、マントの前を緩めて、その下に着込んだ服を露わにした。
コルセと呼ばれる、この世界の女性が着る一般的なワンピースだが、その光沢が通常のものと違っている。斑土蜘蛛の糸を使ってヴァルガンに作らせたものだ。
この素材は、耐久性と耐衝撃性に優れているので、本来は部屋着よりも外出着に向いている筈だ。
さて、俺とオリヴァーさんがここに来たのは薬草の採取と、そしてアレンを襲ったやつの正体を見極める為だ。と言っても、俺達が森の中に分け入る必要は無い。
俺はローグとザガードの偵察ドローンコンビを召喚すると、森の中を探索するように命じた。残った俺達は、薬草の採取に取りかかった。
ただし、目的は薬を造る為では無い。
あれから、ドレイグの出す各種毒液を分析したオリヴァーさんが、それらを希釈し、混合する事でいくつかの薬となる事を発見した。
そして、俺の〈使い魔〉の特徴である、妙に器用なところは、ドレイグも例外では無いようだった。
この雑草もどきは、自分の毒液の成分比率を自在に変える事が可能で、オリヴァーさんの出す処方に応じて、即座に各種薬液を抽出して見せたのだ。
それどころか、ガノンと組んで、オリヴァーさんの所持する植物由来の薬の成分を分析し、コピーする芸当すら持ち合わせていた。
オリヴァーさんは感心すると言うより、呆れ果てたような声で、そんなドレイグを評した。
「いやはや、実に多彩なものだ。王国中の薬師が集まったところで、この〈使い魔〉には適わないだろうね。あるいは、治癒魔法すら凌駕するかもしれないぞ」
治癒魔法と一口に言うが言えば、その内実は体力回復、毒消し、傷の再生などに細分化しているのだそうだ。
その使い手である神殿の魔法使い、つまり、神官にも得手不得手があり、たいていはどれかに特化しているのだと、オリヴァーさんは語った。
「確かに、HP回復と毒消しでは呪文が違ったりしますもんね」
俺はプレイしたことのあるゲームを思い出しながら言った。
つまり、この世界における神官は、回復系呪文のうち一種類だけに特化した『治癒職』ということだ。
「HPと言うのが何だかわからないが……まぁ、理解してくれているのかな。ただ、至高の神に仕える神官が全能では無いと知られるのは神殿の権威を損なうと思っているようでね。神官が治癒魔法を行使する場合、不得手な分野を補うように複数であたるのが一般的だね。つまり、結果としては不要な人手をかけるわけだ」
オリヴァーさんは大きな溜息をついた。
「だから、神殿での治癒にはお金がかかるし、市井の民は滅多にその恩恵を受けられない。もっとも、そのおかげで薬師なんていう技能で生計を立てられるわけなんだけど」
むろん、〈聖祈の勇者〉は別格だ。
美穂の治癒魔法はあらゆる病や怪我を癒やし、全ての状態異常を正常化する。文字通りのオールマイティーである。
「ただね。治癒魔法である限り、いや、治癒魔法だからこそ、〈聖祈の勇者〉でも治せないものはあるんだ」
その時、オリヴァーさんの綺麗な顔に悲しそうな表情が浮かんだように見えた。
「しかし、君の〈使い魔〉なら対処は可能だ。そう言うわけで、もっと色々と覚えて貰わないとね」
次の瞬間、いつもの調子で柔やかな笑みを浮かべたオリヴァーさんが言いだしたのが、つまり、俺達がここにいる理由だった。
要するに、この薬草の採取は、ドレイグに薬成分をラーニングさせる事を目的としたものだった。
「幸いにして、薬師ギルドが押さえている場所にしか生えない薬草については、同じ効果の成分を君の〈使い魔〉は持っていたからね。後は、ここいらと、もう一つの場所に自生する種類を押さえれば、まぁ、だいたいのところは網羅できるかな」
と、オリヴァーさんは言った。
つまり、ドレイグの薬師的パラメータはカンスト寸前なレベルと言う事だ。
同時に、俺自身も薬草について覚えるように命じられた。採取作業という肉体労働のおまけ付きだ。
「君はどうも〈使い魔〉に頼り過ぎだ。〈使い魔〉はあくまでも君の付属物であって、勇者となるのは君自身なんだからね。当分、スライムによる記憶補助は厳禁するよ。ああ、スライムに覚えさせる事自体は構わないけどね。それと、どうも運動不足のようだし、この機会に身体を動かしたまえ」
そんなわけで、俺はガノン、ドレイグといっしょになって、薬草採取の実習をやらされる事になったのだ。
ちなみに、ガノンは直接に音声を聞き取る事は苦手のようだが、唇を読むことは得意だ。つまり、オリヴァーさんの説明を『見て』ドレイグに伝えているのだ。ドレイグはそれに従い、順調に薬草を採取し、ガノンと協力して分類しているようだった。
一方、物覚えの悪い生徒――俺にとって、オリヴァーさんは、なかなかに厳しい教師だった。
説明は丁寧で分かりやすかったし、頭ごなしに叱るような事はしなかったが、いい加減な事は許さなかった。
勘も鋭いようで、各薬草の見分け方について、オリヴァーさんから問われた時、つい、ガノンと『接続』しそうになった瞬間、「コウイチ君」と俺を呼んだときの表情は、実に恐ろしかった。条件反射で正座した俺に、オリヴァーさんはこう言ったのである。
「私の言う事が聞けないのなら、二つ選択肢をあげるよ。君の『覗き』の件についてエレオノーラにバラすのと、君の義妹――〈光輝の勇者〉が遠見している時に裸で抱きつくのと、どっちがいい?」
どっちもごめんである。
俺はオリヴァーさんの許可が下りるまで、俺が『接続要求』を出しても無視するようにガノンに言い含めて、あらためて各種薬草を睨み付けた。
オリヴァーさんは満足げにそれを眺めて、これからのカリキュラム――勇者としての修行について、口にした。
「君は知識もそうだが、体力的にもかなり問題があるな。アレンを治療した時、あっさりとはね飛ばされていただろう。君の勇者としての資質がどのようなものかは不明だけど、あんな調子じゃ、〈禍神の使徒〉に対抗できないよ」
鍛錬を示唆するオリヴァーさんに、どちらかと言えば、身体を動かすのが苦手な俺は説得を試みた。
「ええと。きっと、俺は魔法系なんじゃないかな、と思うんですよ」
「魔法系ならなおさらだ。魔力の根底は精神力。精神力を養うには体の鍛錬だよ。知ってるかい? 魔術師長ドロテアも日々の鍛錬は欠かさないそうだし、下手な騎士より腕っ節も強いんだよ」
魔術師長ドロテアは妖艶と言う印象のある女性魔道士だったけど、あの黒いローブの下はムキムキマッチョなのだろうか。
「なんだか、失礼な想像をしているようだけど、ドロテアは立派な淑女だよ。そして、三児の立派な母親でもある。シャルロッテの為にも、私の見習うべき女性像と言えるかもしれないね」
「え? お子さんがいるんですか。……って、既婚者だったんですか?」
「知らなかったのかい? まぁ、彼女の夫は身体が弱っているから、連れだっているところはあまり見ないだろうけどね」
田原は知っているのだろうか。
いや、あいつなら、人妻と聞けば、なおさら意欲をかき立てる気がしないでもない。根拠の無い偏見だけど。
「しかし、いっしょに外出する事もできないような身体の弱い旦那で、よく三人も子供ができたもんですね」
「それが魔道士の魔道士たるところさ。詳しくは知らないが、宮廷魔道士の役割には、王族の後継者誕生にも関わる子作りの秘技が含まれると聞いた事があるよ。現在の王位継承者がクララ王女だけなのは、アドモンド国王がそう望んだからだね。理由は全く不明だけど」
俺の疑問にそう答えたオリヴァーさんは、そこで少し考え込むふうだった。
「それにしても、国母たる王妃が産後の肥立ちが悪くて亡くなったのは……いや、まさかね」
などと、よくわからない事を呟いている。今後、アンベルクの王族に関わる事などありそうもなかったが、何となく気になったので、俺はもう少しの説明を求めようとした、その時である。
探索に放った偵察ドローンコンビが、魔物の発見を知らせて来たのだった。
薬草の採取は中断となった。あらかたは完了していたので、不足分は別の場所で補えると言う事もあった。
それよりも優先すべきは、魔物だった。かなり離れた場所にいるので、今すぐに襲われるなどと言う心配はしなくて済むようだが、放置しておいて良いものでもない。
ちなみに、魔物については、全てに対処が必要かというと、そういうものでもないようだ。斑土蜘蛛などのような、人間の生活圏から離れた場所から出てこない魔物などは、素材の採取でもなければ基本的に放置である。
極端な話、例えば野生のシロクマは危険な猛獣だが、北極圏でその所在地が判明したからと言って、日本で普通に生活するぶんには対処の必要など考えもしないだろう。ようするに、そういうことなのだ。
だが、今回の魔物はそういうわけにはいかない。
「やはり、猪鬼か」
ローグとザガードの伝えてきた魔物の特徴を、念の為に許可を得て、ガノンの『知識』と突き合わせた結果を伝える。それを聞いたオリヴァーさんは、少し考え込んだ。
猪鬼は、冒険者ギルドの指南書に愚鈍にして粗暴な性質との記載があり、小鬼よりも厄介な魔物とも記されている。普段は、このような森の中で生活しているが、村や町に現れ、人々を襲うケースが少なくない為、発見次第に退治を要する魔物のひとつだ。
「うーん、先日の討伐で、小鬼を全滅させたのは、やはり結果としてはまずかったね」
オリヴァーさんは、そう言って、あの小鬼討伐を評した。
数が多すぎて深刻な脅威だったのは事実だが、冒険者で対応可能なまでに減らすところで止めるのがベストだったようだ。
おかげで、魔物の勢力分布が変わってしまい、もっと厄介な猪鬼が、王都のこんな近くまで出てくるようになったわけだ。
「ま、あの討伐は〈七大の勇者〉のお披露目を兼ねていたようでもあるから、仕方が無い話でもあるんだが」
そう言いながら、オリヴァーさんは肩をすくめていた。
小鬼よりも危険な魔物の情報を得た割には、すいぶんとお気楽な感じである。
「それで、猪鬼はどうするんですか?」
「二、三匹程度なんだろう? その数なら冒険者に退治してもらえばいいさ。お、ちょうど、来たみたいだな」
再びマントの前を縛って、光沢を放つコルセを隠すようにしたオリヴァーさんが、そう言いながら見やる方向に目をやると、武装した一団――冒険者集団がこちらに近づいてくるところだった。
「念のため、アレン達の伝手で冒険者ギルドに連絡してもらったんだ。猪鬼は要討伐対象だから、依頼が無くてもギルドから報奨金が出るしね」
どうやら、猪鬼の存在については、推測では無く、確信していたようだ。俺に偵察ドローンコンビでもって探索させたのは、裏付けと所在位置の確認と言うことか。
「派遣されてきたのは〈暁の翼〉の連中か。ちょうどいい。知らない仲でもないから、君の事も頼めるな」
〈暁の翼〉と言うのは彼らパーティーの名称だろう。だけど、俺の事を頼むってのはどういうことだろう。
俺がその疑問を口にすると、オリヴァーさんは、当然のことのように言った。
「見習いとして雇ってもらう事に決まっている。肉体的鍛錬も兼ねて、の話になるかな。私は理論には自信があるが、実地経験が不足しているからね」
「えええ!? ちょ、ちょっと……」
驚いた俺が抗議しかけると、オリヴァーさんはそれを封じるように言葉を重ねてきた。
「さっきも言ったけど、君には鍛錬が必要だよ。確かに〈使い魔〉を操る能力は独特のものがあるようだけど、はっきり言えば、それだけでしかない。〈七大の勇者〉に比べれば、決定打に欠けると言ってもいい。何にせよ、〈使い魔〉に頼り切りの今の姿勢じゃ、この先、行き詰まる事は目に見えている。少なくとも、君の地力を上げないと、せっかくの〈使い魔〉も十分な能力を発揮できないと思うよ」
日頃、俺がうすうすと自覚している事をはっきりと指摘してくる。
確かに、他の勇者連中と俺とでは、付与されたチート能力と言う要因もあるにせよ、一番の違いは積極的な能動性だろう。
ここは剣と魔法の、それこそファンタジーのような世界だが、頭の中までファンタジーでやっていけるほど甘い世界でもない。
「まさか、私のところで、無為徒食に過ごすつもりでもなかったんだろう?」
元々、何かの仕事には就くつもりだったのも事実だ。
何より、元の世界に還る手がかりを探すために、この世界での見聞を広めるには、冒険者はうってつけかもしれない。
こうして俺は、冒険者集団〈暁の翼〉に、見習いとして加わる事になった。
最初の仕事は、要討伐対象である猪鬼退治の支援だ。
支援と言っても、本来なら魔物退治を見学するようなものになる筈だった。
じつのところ、それは大きな転機の始まりだったわけだが、この時点で、俺にそんな事を知るすべはなかったのである。