第19話 宮殿からの放逐と運命の出会い
持っていく荷物と言えば、召喚された時に着ていた服と数学と物理の参考書くらいなものだ。
一応、壊れたスマホと例の短剣も荷物に入れてある。
洞窟に貯め込んだ他の物資は、後でローグに取りに行かせれば良い。
ちなみに、今着ている灰色の野良着は、確か封印の間にあった筈のものなのだが、特に返却を指摘されていないのをいいことに、そのまま着ていく事にした。
使役獣を召喚する魔法陣が、この装備とセットになっているようなので、取り上げられるのは正直困る。
それに見てくれはともかく、着心地は悪くない。
いや、悪くないどころか、これを着ていると妙に安心感がある。
実はこの服、特に頑丈と言うわけでも無く、刃物などであっさりと切れるほどに耐刃性と言ったものは無いのだが、自己修復機能が備わっていて、破損した場所が瞬時に直ってしまうのだ。
さすがに伝説級の「布の服」と言うべきだが、先に述べたように防御力は皆無なので、いわゆる「装備」としては意味不明である。
しかし、ずっと着たきりでも、一向に汚れたりほつれたりする気配がないのは、ずぼらな俺としては助かる話だ。
盛大な凱旋の宴が催されてから数日後。
小鬼討伐において、何も実績を示せなかった俺は、本日めでたく宮殿を追い出される事になった。
俺だけが、言うなれば追放される形になった事については、義妹達も激しく抗議してくれた。
しかし、王国の秘宝……特に、クロルの実と呼ばれるトリュフもどきを、いかな事情があるとは言え、勝手に食べてしまった件を持ち出されては麗香達も折れざるを得なかったようだ。
本来なら厳罰ものであるが、宮殿側の手違いも有り、〈勇者〉の縁者でもあればこそ追放処分で済ませるのだ、と言うのがアンベルク側の主張だ。
ある意味、大人しく餓死すべきだったとでも言わんばかりの、じつに理不尽な言い分である。
俺としては、自分で採取したものを食しただけと主張したいところだ。
だが、宮殿の北にある森林地帯は王家の所有地だと聞いて、さすがにそれは控えた。そういうことであれば、俺が人様の土地で、勝手に狩猟したり採取したのは確かな事実なので、アンベルク側の言い分にも根拠が無いとは言えない。
このままでは餓死するからと言って、では人のものを勝手に食って良いかと言われれば、それも違うような気もする。緊急避難としては有りだとしても、その後に何の代償も無しと言うわけにも行かないだろう。
まぁ、王宮の近くに巣くっていた魔物を退治したのも事実なので、洞窟に貯め込んだ物資はその手数料と思えば良いか。原則として放置しても差し支えなかった斑土蜘蛛とはいえ、そのままでは万が一の事もあっただろうし。
ともあれ、義妹達と離れてしまう結果になったわけだが、しかし、それほど悲観的な状況でもない。
実は王都にいる、エレオノーラさんの知人にお世話になると言う事で話がまとまっているのだ。
宮殿からは歩いて数十分の距離でしかないし、そもそも宮殿への出入りを禁じられたわけでもない。その気になれば、いつでも会える。
そういうわけで、俺としては、この世界での見聞を広める機会を与えられたというふうに考えなおした次第だ。
だが、義妹達は納得していないふうであったし、とりわけ美穂は不満を隠さなかった。
「光一さんが出て行くなら、あたしもいっしょに行く」
とまで言ってくれたのは、素直に嬉しい。
いったい、いつ、何がどうなって美穂とのフラグが立ったのかは不明で、そこだけは不自然だとは思うのだが、綺麗な義妹に好意を示されて嬉しくないわけがない。
とは言え、美穂も〈聖祈の勇者〉として〈紫の騎士団〉を束ねる立場だ。
いや、アンベルク王家に対しては、義務だの責任だのを感じる必要など皆無だとは考えている。もっと言えば、騎士団の連中に対しても、直接的にはそんなものは無い。
だが、兵站や雑役の仕事についた一般の平民については話が別だ。
俺はこの数日を使用人達と同じ場所で過ごしており、宮殿の外にこっそりと放ったローグやザガードからの情報を合わせて、この世界の実情について少しは知る機会があった。実際に接したのはアンベルク王国の一部でしかないが、どこも似たようなもののようだ。
それによれば、いくつかの職業――鍛冶師とか商人などの、いわゆる第二次産業とか第三次産業の職種は、たいてい各々のギルドによって独占されており、職業の自由などと言う概念も無い為、そうした職に就けない人々が結構いたりする。
たいていは農業とか漁業に従事するわけで、生産人口の大半がそうした第一次産業の範疇だ。
そこそこに腕に覚えがあり、相応の体力がある連中は、魔物を狩る冒険者になるわけだが、あんな危険な仕事が勤まるのは少数にとどまる。
耕す土地や漁に必要な船も無い一般の人々は、先に述べた固有職を得た層の手伝いといった、極めて不安定な日雇いの仕事で食いつないでいるのだ。
そうした状況の中で、〈七大の騎士団〉の新たな編成によって、職を得た人々がいるのは事実だった。つまり、〈禍神の使徒〉との戦いへの備えは、一種の経済効果をもたらしていたのだ。
美穂が〈聖祈の勇者〉としての立場を放棄し〈紫の騎士団〉が解散となれば、貴族の子弟である騎士や、神殿に所属する神官はともかく、各騎士団ごとに割り当てられ、雑役を行っている人々はその分の職を失うのだ。
なんともファンタジー世界らしからぬ世知辛い話だが、それが、この世界における現実問題である。
なりゆきでもあるし、望んだわけでもないが、一度、その状況を受け入れた以上は、彼らに対する責任を放棄するわけにはいかない。
あるいは、赤の他人に対して、そこまで深刻に感じるまでも無いとは思うが、だからと言って、軽々しく扱って良いわけでもないと思う。
この辺りの俺の考え方は、母さんがデザイナー事務所を経営している事とも関係するだろうか。
経営者の苦労とか、雇用者に対する責任のありようは幼い頃から目の当たりにしているのだ。
そして、それは中堅どころの建設会社の社長を父に持つ、麗香達にも感じるところがあったようだ。
俺としても不本意ではあるのだが、そうやって麗香と共に美穂を説得し、三姉妹の次女は不承不承ながら納得したようだった。
「まぁ、週に一度は顔を出すよ」
「約束よ」
未だに納得しかねるといった表情の美穂を見て、思わず頭を撫でたくなるのを我慢した。
いや、こういう義妹ってのは可愛いもんだな。
たしかに俺より長身の、グラビアモデル並みのプロポーションと美貌の持ち主とくれば、いかにも高嶺の花といった風情で、男としては、なかなか近づきにくい雰囲気ではある。おまけに、若干の腐女子的な趣味はあるようだし、人見知りも激しいようだ。
しかし、その外見とは裏腹に、いったん親しくなると極めて人懐こく素直な少女だった。
転移魔法の魔道具を負傷した女冒険者が所持していた件も、美穂としては色々と問いただしたい様子だったが、俺が後で説明すると言うと、大人しくうなずいていたところをみると、比較的従順でもあるようだ。
素直で従順なのは良いんだが、おかしな男にひっかからないか、兄としてはじつに心配である。
「私の方も、時々は様子を伺わせて頂きますよ」
とは、綺麗だけどおっかない義妹であるところの、麗香の言葉だった。
この麗香がついている限り、美穂に関する俺の心配は杞憂だろう。
その〈光輝の勇者〉の能力を使えば、俺がどこにいようと動静を確認するのはわけも無い話だ。
一応、遠見の魔法を使う前に光のウィンドウで通告するなどして、プライバシーには配慮するとの事だが、なるべく羽目を外さないように身を律する必要がある。
さすがに、このクールビューティーにみっともないところを見られるわけにはいかない。美人を怒らせた時の怖さは、先日、エレオノーラさんに、いやというほど教えられたばかりでもある。
しかし、麗香も出会った当初よりは険が取れているような感じだ。
そして、末妹の鈴音は……たぶん、俺の身を案じている風情かな。
どうも、この表情に乏しい末妹だけは、じつは未だによくわからん。
ちなみに、義妹達以外の〈勇者〉達は、放逐される俺には全く関心が無いようだった。
強いて言えば、郷田がいいざまだと言うような憎々しげな表情を見せた程度だ。
考えてみると、これも不自然だろう。
元々仲が良かったわけでもないが、逆に言えば、あいつのヘイトを受けるような覚えも無い。せいぜいが顔見知りという程度の間柄では、特に利害関係が生じるわけもないのだ。
やたらと麗香にモーションをかけているようだが、麗香の方が一顧だにしない事への、これは八つ当たりだろうか。
それにしては度が過ぎる局面が結構ある気がする。
まぁ、虫が好かないというのは理屈では無いし、顔を合わせなくなれば自然と解消するだろう。
ともあれ、こんなふうに三人の義妹達に見送られ、俺は城門を後にしたのだった。
◇◆◇
アンベルクの宮殿は王都の北端にある。
通常、こうした王宮は都の中心にあるような気もするが、魔法的な防御陣の事情か何かでそうなっているそうだ。
そんなわけで、南の方向に数分も歩けば、そこはアンベルク王都だ。
都市計画と言う概念があるわけではないが、魔法的なあれやこれやで、それなりに秩序のある町並みになっている。
おかげで、王都に土地勘の無い俺でも、エレオノーラさんに印をつけて貰った王都の地図を見ながら、目的の場所付近に辿りつくことができた。
本来なら、彼女に案内してもらう予定だったのだが、同僚にあたる召喚術師が、また何か問題を起こしたとかで、王都の東にある飛龍騎士団の駐屯地へ出かけている。
まぁ、ローグを上空に放ち、その視界と地図を重ねれば即席のGPSになるので、道案内は不要だ。
「で、ここいらの筈なんだが……」
王都の中。印をつけられた場所にたどり着いた俺は、周囲を見回して首を傾げてしまった。
そこは酒場らしい店が軒を連ねる、怪しげな小路だった。たむろしているのも、眼を合わせるのも憚られる柄の悪そうな連中ばかりだ。
見慣れない人間である俺にうろんな視線を向けてくるが、近づいてはこない。
まぁ、俺に手を出すと、上空にいるローグが小石を投下してくるわけで、これは必殺とは行かないが、必中であり、当たりどころによってはかなり危険な話になる。
さすがにそれがわかる筈もないが、俺に臆したところがないので、何か感ずるところがあるのだろう。
「確か、エレオノーラさんによると、薬師をしていると言う話だったけど……」
俺がお世話になる人物は、元々は学術院で教鞭をとっていたそうだ。
諸処の事情で学術院を追われる事となり、今では奥さんと共に薬師を営んでいると言う話だった。
治癒魔法を使う神官を抱える神殿が大病院だとすると、薬草でもって治癒にあたる薬師は開業医とか町医者といったところだろうか。
いささか変人ではあるが、本来ならば次の学術院長になってもおかしくは無いほどに、広範囲かつ深い学識を備えた人なのだそうだ。
もっとも、エレオノーラさんも、この数年は逢っていないとか言っていた。住居については、その人物からの連絡で知っているが、彼女も実際には訪れたことが無いとも言っていたな。
召喚術師、特に飛龍だの一角獣だのを召喚できる宮廷召喚術師ともなると、その行動にはいろいろと制約があって、すぐ目と鼻の先にある王都にも自由には往来できないらしい。
俺達の世界でも、公務員なんかは職種によっては、緊急な呼び出しに応じられるように、旅行なども自由気ままというわけには行かないとか何とか聞いた事があるが、そのようなものなのだろう。
「何にしても、薬師の看板らしいものが見当たらないぞ」
住所に細かい番地までを割り当てている日本と違って、看板とか何かの目印が無いと、どれが誰の家やらさっぱりである。
しょうがないので、その辺りの人に聞くことにした。
と言っても、柄の悪い連中には積極的に関わり合いたくは無いので、もう少しまともな人がいないか見回していると、親子連れの姿が見えた。
一人の女性が、その娘らしい小さな女の子と手を繋いで、こちらに歩いてくる。
その身なりは上等でこそないが、こざっぱりしたもので、綺麗な母親と可愛い娘といったところだ。
こんな場所には不釣り合いな親子とも見えたが、柄の悪そうな連中が親しげに挨拶をしているのを見ると、ここの住人なのだろう。
この親子なら、俺の尋ね人を知っているかもしれない。
「あの、ちょっといいですか」
そう思って、声をかけた時の事である。
俺の方を見た母親が、驚いたように眼を見張って、娘を放り出すようにして駆け寄ってきた。
「え? ええ?」
初対面の筈だが、このリアクションは何だ?
呆気にとられる俺には構わず、その女性は頭のてっぺんから足元までしげしげと俺を見ると、今度は、俺の周りをぐるぐると回り出した。
「ほう。ほほう。なるほど」
なんだか、珍獣を観察するような目つきで、何事かを一人で納得している。
「灰色か。ふむ、七大には無い色だな。確かに、これは八人目と言う事になるか」
彼女がそう呟くのを耳にして、俺はぎょっとした。
俺の正体……異世界から来た八人目の召喚者と言う事が、何で分かるんだ?
呆気にとられた俺が疑問符で頭をいっぱいにしていると、その女性は独り言のようにブツブツと呟き始めた。
「その髪や眼、肌の色、顔立ちはアンベルクどころか近隣諸国にはいない人種だし、ここ最近は、遠方からの商人が来たと言う話も聞かない。となると、後は先日に討伐隊に加わったと言う異世界からの〈勇者〉しか無いわけだが、〈七大の勇者〉が一人でこんなところに来るわけもない。七大の、と言うからには勇者は七人の筈だから、君は必然的に八人目と言う事になる。そうか、八か。偶数だから、理には適っているな。ついでに言うと、君が来ている服だが、そんな布地は私の知る限り存在しない。つまりは、異世界から持ってきたか、封印の間にあった装備のいずれかと言う事になるが、どちらにせよ、君が異世界から召喚された人物であることの傍証になるわけだ」
だからひと目見れば当然だろう、と一人でうなずいている。
いや、ひと目見れば当然と言うのは違うと思う。
人種に関しては、このアンベルクの人々は欧米人種っぽいからそうなのかもしれないが、布地の種別までわかるものなのか。
それに、途中の意味不明な言葉……偶数だから理に適っているってどういうことだ?
「ああ。そう言えば、エレオノーラから連絡があったな。遠い処から来た人物の面倒を見てくれと。まさか、異世界からの召喚者だとは思わなかったが」
その言葉を聞いた俺は、目の前の女性を穴が空くほど見つめる事になった。
まさか、この人がエレオノーラさんの言っていた人物なのか?
いや、しかし、奥さんがいるって言う話だったよな。だとすると、尋ね人は男の筈だが、この人はどう見ても女性にしか見えない。
飾り気の無い簡素な服なので、結構豊かな胸元とか、引き締まった腰とか、安産型なお尻とかの女性らしい曲線が服の上からでも丸わかりである。
「おっと、自己紹介がまだだったな。私がオリヴァーだ。こちらは娘の……と、おいで、シャルロッテ」
女性が手招きをすると、置いてけぼりをくった女の子が、とことこと駆け寄ってきた。
しょうがないな、と言う目つきでオリヴァーと名乗った女性を見上げ、幼い外見には不釣り合いな、諦めきったような溜息をつく。
そして、俺の方を向いて丁寧にお辞儀した。
「シャルロッテです」
「あ、ご丁寧に、どうも。えーと、那嘗……じゃなかった、久門光一です」
俺は慌ててお辞儀を返した。
それが。
アンベルク王国における稀代の天才にして極めつきの変人オリヴァーと、その娘シャルロッテとの出会いだった。