第17話 冒険者達の危機
小休止のついでに簡単な腹ごしらえをするべく、討伐隊のあちらこちらで炊事の準備が始まっていた。
ただし、煙が立つような事は無い。この世界には食材を煮炊きする為の、電子レンジのような火属性の調理用魔道具が存在するのだ。
この世界の文明の度合いは、俺達の世界で言えば産業革命以前のようにも見えるが、魔法という超科学的なテクノロジーがあるおかげで、それほど不便を感じない部分はある。
例えば、トイレが洗浄の魔石が備えられた、一種の水洗式である事は既に述べた通りだ。これが汲み取り式だったら、かなり抵抗があったかもしれない。
異世界に召喚された俺達が、それなりに馴染んでいるのは、そんなところにも理由があるのだろう。
ともかく、補給部隊でもある荷駄隊には、あちこちの騎士団から物資を受け取るための、人の出入りが激しくなっているところだった。
エレオノーラさんも、何やら〈白の騎士団〉所属の伝令と話し込んでいるようだ。
驢馬を降りた俺は、目立たないように近くの茂みに入り込み、周囲に人目が無いのを確認する。そして、お腹のポケットから魔法陣を取り出すと、ローグを召喚した。
「ちょっと、目的地の周辺を偵察して来い」
既に〈白の騎士団〉から斥候が出ている筈だが、生憎と荷駄隊にいる俺のところまではそれらの情報が伝わってはこない。となれば、自前の偵察手段を行使するまでの話だ。
ローグは使役獣として認定済みだが、感覚の共有がバレるのもまずいので、人目を避ける必要があったのだ。
「きゅい」
飛龍もどきはうなずくように一啼きすると、森の奥に向かって飛んでいった。
次に、俺はガノンを呼び出した。
「ローグから中継された映像の解析を頼むぞ」
飛龍もどきの視認能力は凄まじいまでのレベルにあるが、その映像からもたらされる情報を読み解くには、俺の頭では追っつかないところがある。
例えば、上空からの映像で、この場所のような茂みになっているところに動きがあったとしても、俺では見過ごすかもしれないし、気がついたところで、風に揺らいだのか、その下に獣がいるせいなのかは判別できない。
知的好奇心が高じて、と言うか、行き過ぎて、スパコン並みの演算能力を備えるに至ったスライムならば、ローグの中継する映像から、森に潜む小鬼の動きを察知する事は容易い筈だ。
事実、このローグとガノンのフォーメーションによって、金尾狐や黒曜貂の発見率は格段に向上したのだ。
ガノンは「了解した」とでも言うように、ぷるると震えると、俺の身体を這い上がり、うなじの部分に薄く広がった。
元の世界で床屋に行きそびれていたこともあって、今では似合いもしない、若干のロン毛になっているわけだが、スライムを隠すにはちょうど良いヘアスタイルと言えなくもない。
耳元も髪で隠れているので、スライムが身体の一部をそこに伸ばして、音声情報を伝える事もある。
ザガードと感覚の共有――主に音声になるが、これは拾ってくる情報が多すぎて、俺の思考速度では処理がおいつかない。
こうやってガノンが取捨選択してくれるのは、正直ありがたい。ちなみに、取捨選択した音声情報は、このフォーメーションだと、スライムの振動による一種の骨伝導で受け取ることになる。
まったく、俺の使役獣どもは、斜め上の方向に器用な連中ばかりである。
脳裏に浮かぶローグの航空映像に、なんとなく苦笑しながら茂みを出た時、意外な人物がそこにいた。
「あ、こんなところにいたんだ」
それは〈聖祈の勇者〉である義妹の美穂だった。
「お、おう」
「麗香ちゃんが探しても見つからないわけね。何してたの?」
どうやら、麗香の能力を使ってまで俺を探していたらしい。
光を操る〈光輝の勇者〉と言えども、茂みに隠れていた俺を見つけるのは、それと知っていなければ難しいだろう。
映像を捉える能力それ自体はローグを遙かに上回るので、いったん目標として定められると、麗香の『眼』から逃げるのは不可能だが、全体から目標を探すとなれば話は別だ。
優れた猟師が草むらの中にある獣の足跡を見分けるようなもので、これは映像取得とは別に解析能力とかノウハウが必要だ。この点はガノンの支援を得られる俺にアドバンテージがあるようだ。
それはともかく、何していた、と言われても正直に答えるのもまずいので、適当に言い訳する。
「えーと、その、ちょっと、用を足していて」
「あら。じゃあ、麗香ちゃんに見つからない方が良かったわね」
くすくすと美穂は笑った。
出会った当初は、何となく壁を造っていたような雰囲気だったが、先日の、俺のとんでもない振る舞い以降、妙に打ち解けてきた気がする。普通は逆じゃないかと思うのだが。
そう言えば、あの件に関して美穂にきちんと謝っていなかった事を思い出した。
「こないだはすまなかった。その、寝ぼけていて……」
「ふふ。とぼけたり、忘れたふりをしないところは感心感心。ええ、許してあげましょう」
包容力を感じさせる笑みを浮かべる美穂は、麗香とは異なる意味で、俺よりも大人びて見えた。
この爆乳も、そうした印象を与える要因のひとつか。俺は、ついつい吸い寄せられた視線を慌てて逸らした。
そんな俺を見て、美穂は吹き出してしまった。
「男の人の、そうした視線には慣れているから平気……と言うわけでもないけど、光一さんはマシな方だと思うよ」
中にはぎらつく欲望を隠しもせず、まさに視姦するような輩もいるから、と美穂は言った。
「麗香ちゃんが、あんなふうに振る舞ったり、鈴音ちゃんが武術を始めたりしたのも、あたしのこれが原因と言えばそうかな」
なんと小学校に上がる頃からの発育の良さで、身の危険を感じたのも数知れなかったと言う。
当時、多忙を極めた久門の父さんには相談する事も躊躇われ、かくして、麗香と鈴音は自分たちで美穂を守る決意をしたと言う。
ひょっとすると、久門家の男女別なあれこれは、その延長か? だとすると、麗香達は久門の父さんへの隔意があったわけでも無いと言うことになる。
そのことを俺が口にすると、美穂は耐えきれないように笑い出した。
「あれはねぇ。どっちかと言うと、あたしと鈴音ちゃんが麗香ちゃんの為に提案したことよ。だって、麗香ちゃんてば、ずぼらで天然だし」
「はいぃ?」
あのクールビューティーな麗香と「ずぼらで天然」と言う形容は、対極にある気がするのだが。
「そうねぇ。麗香ちゃん、少しファザコンが入ってるみたいだから、あんなとことか、こんなとことか、父さんに見られたら絶対立ち直れない……」
美穂が何かを言い続けようとした時、俺達の目の前に突如として光のウィンドウが出現した。
『美穂、そろそろ〈紫の騎士団〉に戻りなさい。それと、余計なおしゃべりは控えるように』
「あちゃ~。麗香ちゃんて勘が鋭いからねぇ」
美穂はぺろりと舌をだすと、その爆乳な胸元から何かを取り出した。
それは首から下げるふうに拵えてある、小さな物入れだった。
「光一さんを探していたのは、これを渡す為だったの」
「これは?」
俺は渡された物入れの、首紐で絞られた口を広げようとして、美穂に止められた。
「ああ、今は開けないで。それ、開けると発動しちゃうから」
「開けると……って、何か詰めているのか?」
魔封じの布で造られた袋に魔力を詰める形態の、プロムベと呼ばれる魔道具については冒険者ギルドの指南書にも記載があった。
詰める魔力によって用途を変えられる、この再利用可能な魔道具は、言ってみれば詰め替え用が別売りされているポンプ式のシャンプー容器のようなものだ。
「緊急避難用の転移魔法が込められているわ。避難先はあたしのところ。万が一、怪我を負っても、あたしなら即座に治せるから」
確かに、いざとなったら治癒を司る〈聖祈の勇者〉の元へ転移できるのは、実に心強い。しかし、転移魔法は時空魔法の系統を汲む為、その魔道具は滅多な事では使用許可がでない筈だ。
そう思って、美穂に聞いてみると、この討伐遠征では〈勇者〉達にはもちろん、各騎士団の主立ったメンバーには、この魔道具が支給されているとの事だった。
「これをわざわざ届けに来てくれたのか」
美穂に倣って、その物入れ型魔道具を、首から下げる事にした。
プロムベに残っている温もりに、元々どこに仕舞われていたかを思い出しそうになったが、慌てて思惟の外に追い出す。
「じゃ、気をつけてね」
美穂はそう言うと、〈紫の騎士団〉の元へと戻って行った。
その後姿、とくに、豊かで張りのあるヒップラインから眼を逸らしながら独白する。
「しかし、まさか美穂から、あんなに親しくされるとは思わなかったな」
実を言えば、義妹達三人の中で、性格的には一番つかみどころの無かったのが美穂だった。
まぁ、体型的にはつかみどころ満載……って、そうじゃないだろ、俺。
「あの寝起きの一件で母性本能をくすぐられたとか」
そう呟いてみるが、しかし、年端もいかない子供でもあれば話は別だが、俺のような同年代、しかも義理の兄に当たる男にあんな事をされても、普通はそんな感情は持たないだろう。女性心理について詳しいわけでも無いが、常識としては、俺の考えはさほどずれていないはずだ。
だが、美穂が先ほど示した好意的な表情は、上辺だけのものには見えなかった。だいいち、そんな事を偽ったとして、美穂に何の得があると言うのだ。
どうやら、何かで一種のフラグを立てたようだが、その要因がさっぱり分からない。
「まぁ、家族だしな。親しくなれたのは、俺としても歓迎だ」
不自然なものは感じるが、結果が良いならと俺は深く考えるのをやめた。
そろそろ、俺も腹ごしらえをしようと、乗ってきた驢馬の荷物に手をかけた時のことである。脳裏に浮かんでいたローグからの映像に、突如としてガノンの警告メッセージが上書きされたのだ。
ここから数キロほど離れた森の中で、夥しい数の小鬼が蠢いていた。
冒険者ギルドの指南書で、小鬼の図はあったが、飛龍もどき越しとは言え、実物を見るのは初めてだ。
一本角を額から生やした緑色の人型魔物だが、細マッチョとでも言うべきか、案外に強そうな魔物だ。
ただ、衛生観念が無いのか、垢や脂がこびりついている様は、極めて醜悪で汚らしい。直接に対峙したら、ビビること確実である。
その小鬼達と戦っているのは、男六人に女二人の人間達だった。統一性の無い鎧や装備から、これは冒険者と呼ばれる人々だと見当がつく。今回のアンベルグ王国が討伐対象としたのは、民間の冒険者では手に負えない規模の小鬼集団と聞いていたが、何でこんなところに冒険者がいるのだろうか。
後で判明したところによると、彼らは小鬼の規模について正確な情報を伝えられないままに、軍とは別ルートで討伐に来た冒険者集団だったのだ。
合計八人だから冒険者集団としては大所帯の方だが、この周辺にいる小鬼を相手にするには到底手数が足りない。しかも、この冒険者集団には魔道士がいないようだ。
集団や徒党を組む魔物相手には、魔道士による広域攻撃が有効とされてるが、必須と言うわけでもない。
事実、彼らは結構な剣の使い手が揃っているらしく、襲ってくる小鬼を次々と一撃で屠っている。
しかし、いかんせん、小鬼側の数が多すぎるようだ。
時折、体力回復のポーションらしい液体が入った瓶を口にしているが、このポーションが尽きてしまえば後が無い。
加えて、そのポーションは治癒効果の付与が無い低級のものらしく、冒険者達があちこちに負っている傷は、増える事はあっても減る様子は無い。
このまま放置すれば、彼らは全滅してしまうだろう。
まさか、見殺しにするわけにも行かない。俺は、ここに駐屯している騎士達に、この事を知らせようとして、ハタと思い悩んだ。
このさい、使役獣との感覚共有がバレるのもしょうが無いと覚悟はしている。だが、そもそも、それを信じてもらえるだろうか。
エレオノーラさんも知らない、俺にしかないと思える固有能力なのだ。
それに、信じてくれたとして、間に合うかも疑問だ。騎士とか騎兵は機動力に優れているが、それは騎馬あってこそだ。しかし、この森林のただ中を馬で行けるわけが無い。
思い悩んだ俺は、脳裏の光景に冒険者の女性が倒れるところを見て決意した。
あるいは、〈勇者〉達――鈴音あたりなら、話を聞いてもくれるだろうし、何とかなるかもしれないが、もはや、その連絡を取る猶予は無い。
こうなれば、俺の使役獣チームの総力をもって彼らを救助するしかない。