消化率ゼロパーセント
────このままでは、いかん。
昨日から始まり、今日へと至り、怒涛の如く全てが変わっていく最中にて。ありとあらゆる感情を右へ左へ……もう、四方八方へと強烈に揺さぶられ続けている。
────なんというか、とても、
またも〝彼〟のペースに連れられるまま、引き合わされた『友人』とやらとの挨拶を終えた後。例によって涼しい顔で「じゃ、何かあれば駆け付けるから」と言い残して躊躇わず颯爽と去って行った芳野 律人を呆然と見送って……今。
────とても、とても、よろしくない。
天下谷 小幸は一人、なんとも言えない顔で自教室への廊下を歩いていた。
もう、どうしようもない。
「ぁ。天下谷さん、おはよー」
「おはようございます」
始業までは暫しの余裕アリ、然して学校の朝で言えば最も賑やかなタイミング。まだ出歩いている生徒も多く、まだまだ記憶に馴染んでいるとは言い難いクラスメイトと擦れ違い挨拶を交わすこともあろう。……あろうが、その最中にも。
────助けるよ、君を────
「…………、………………………………っ……」
単純な時間で言えば、まだまだのクラスメイトに比べても、まだまだまだまだであるはずの、出会ったばかり。そのはずなのに、ちっとも落ち着かない。
────僕の傍から、離れないで────
「………………………………ぅう……っ……!」
自分と同じ、真っ白な髪の下。
なにを考えているのかサッパリ分からない、けれども困ってしまうくらい……あぁ、本当に。困り果ててしまうほどに、どうしようもなく優しげな鼠色の瞳が。
────天下谷さん────
「…………っ、あぁ、もう……ッ!」
掴み所のない柔らかさに反して。
もう小幸の心に鮮烈に焼き付いて、一時も薄れていかない。
これは、いかん。
とても、よろしくない。
あぁ、もう、どうしよう。ほんとダメ。
「────なんなの、あの人っ……!!!」
結論、胸の内に湧く言葉などソレばかり。
怒っているわけではない、勿論。浮かぶ思いは感謝ばかり、当然。本当にいつぶりか〝不幸〟のことよりも頭を占める『考え事』に、悪感情など────
介在の、余地もない。言うまでもない道理と恩義だ。
けれども…………あぁ、だけれどもっ……‼︎
「アレ、ダメ、ゼッタイ、悪い人っ……!!!」
たった一日で胸の奥を、これ以上ないほど、しっちゃかめっちゃかにしてしまうような男の子など。別の意味で、どうしようもなく『悪い人』に決まっている。
天下谷 小幸は、恋を知らない。
なれども幸か不幸か、容姿には恵まれたゆえに他人の想いを惹き付けてしまった経験はある。────そして、そこに〝不幸〟を招いてしまった経験がある。
だから、同じような悲劇を二度は起こさないように勉強もした。
だから、そう。小幸は知らないけれど識っている。
かの『男子』という生き物が如何なる在り様を備えているのかを、必要な教養……もとい比喩ではない防衛策として最低限は頭に入れている。
だから、そう。知ったつもりになっていたのだ。
いや、
────あんな男子、どんな『教科書』にも書いてなかったんですけど?
あれは『男の子』? 『芳野律人』とかいう新種の生き物ではなくて? 私の知っている男子どころか、私の知っている『高校生』ですらないんだけれど???
…………と、改めての結論。
「お、おはようっ、天下谷さん……!」
「おはようございます」
徒歩三分足らずの長い長い道のりを経て、自教室の扉を引き、これぞといった具合のクラスメイト『男子』へ柔らかな笑みと挨拶を返しながら。
結局のところ、ほんの少しも冷めやらず。
昨日から始まり、今日に至り、早々に散るはずもない数多の感情は胸の中。然して当然のこと渦を巻いている困惑と混乱が────歩いて歩いて、漸くの思い。
「…………すぅー……、はぁー……、………………うん、大丈夫。落ち着こう」
無意識の、独り言連打を齎すほどに。
即ち、全く大丈夫ではなく絶対に落ち着けるわけもないという簡単な事実を、周囲の『どうしたんだろう天下谷さん』という視線諸共に見落とすほどに。
それこそ手本の如き〝心ここに非ず〟に陥っていた天下谷 小幸は、いつからか……それまた無意識にアレやソレを思い起こしていた辺りから、ほんのり紅潮している頬にも気付かないまま────数えて七秒ほど、無駄な瞑想に励んだ後。
「…………………………、……?」
去来する、特大の違和感。あるいは湧き起こる、絶大な齟齬感。
斯くして少女は、いつしか忘却の彼方にあった事象に手招かれるように────
転校当日より納まった窓際の席にて、すぐ横へと目を向けて。
「…………………………え?」
あれ? と、追い付かぬ思考を表すように首を傾げ……一瞬後。
「っ、な、ぇっ、ぁっ……! ──────嘘っ!? なんでっ……!!?」
割れてもいない。砕けてもいない。
昨日、看板が突き抜けて破壊された痕跡が、存在しない。
まるで何事もなかったかのように、綺麗サッパリ元通りになっている。そんな『窓』を見て、思わず声を上げてしまえば────当然の如く。
これまでは〝お淑やか〟あるいは〝物静か〟で固まっていたイメージが手伝い、幸か不幸か一発で『天下谷さんヤベー』とはならなかったものの……。
「ぇ、だ、大丈、夫……?」
「どしたの……?」
「なに、不審者でもいた?」
「体調でも悪い?」
「寝不足かな?」
「保健室いっとくー?」
「一時間目クソだる古文だし、いっとけいっとけー」
当然の流れ、心配怒涛。
これまで見守りに徹していた反動か否か、ここぞのタイミングを見極めて押し寄せたクラスメイトの波を前に────転校生は、ただ一人。
「ち、ちが、ぁぇ、ごっごめんなさいごめんなさいなんでもないんですっ……‼︎」
好奇と厚意の、只中にて。
無意識かつ反射的に頭の中で『おのれ芳野律人』などと全てを誰かさんのせいにしつつ、始業まで半泣きになりながら己が奇行の弁解を続けることになった。
ここまでもここからも、実際問題サッパリ状況についてけてない天下谷さん。
かわいい。もっとかわいくなれ。
面白れぇ女が大分いい感じに正体を現してきたところで、また来週。




