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メルクニア戦記  作者: 風花
第三章
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檻の中の軍師

 帝都大バルガスの中心にそびえ立つ、黒鉄の別邸。そこは、メルクニア家四男フラン・メルクニアに与えられた「檻」であった。

 鋼鉄卿の「帝国に仇なす知性の極致を、ただ腐らせるのは国家の損失である」という、冷徹なまでの合理的判断により、フランには監視付きでの外出と、帝都国立図書室の利用という、捕虜らしからぬ特権が許されていた。

 フランにとって、自らが囚われの身であるという事実は、もはや解くべき数式の一項に過ぎなかった。


「……なるほど。この街の石畳の摩耗具合、兵站拠点に近いほど深いな。それも左右の車輪痕に明確な偏りがある。北へ向かう荷は重く、南へ戻る荷は軽い。物資の集積速度が、帝都の設計限界をわずかに超えている」

 フランは手帳に、街の構造と人々の動線を、精密な回路図を描くような筆致で書き込んでいた。彼を突き動かしているのは、一族の存亡すらも「観察対象」と見なす、透徹した知的好奇心だ。


 ある日の午後、フランは千人隊長――アイゼン要塞で彼を捕らえた際、直接刃を交えた男――を伴い、帝都近郊の軍事演習場を一望できる丘に立っていた。

 眼下では、数千の帝国重装歩兵が地響きを立て、一糸乱れぬ隊列移動を行っている。

「……第4大隊、旋回時の軸足が不安定ですね。あれでは、アイゼンのような凍土での急な方向転換には耐えられない。それと、あの弓兵との連携。前衛の盾が厚すぎて、後方の射線を自ら潰している。実にもったいない、非効率な機動だ」

 独り言のように、しかし残酷なほど明確に放たれた指摘。隣の千人隊長は、ついに堪り兼ねたように顔を真っ赤にして怒鳴りつけた。

「黙れ、捕虜風情が! 敗軍の将に何がわかる! 我が帝国の規律は、貴様の国の軟弱な騎士道ごっことも、寄せ集めの傭兵とも、次元が違うのだ。檻の中の鳥が、天を駆ける鷲に説教を垂れるな!」

 隊長の殺気立った怒声に、周囲の衛兵たちも蔑むような視線をフランに浴びせる。だが、フランは視線を手帳に落としたまま、感情の起伏を一切感じさせない声で静かに返した。

「檻の中、ですか。確かに、私は今ここに捕らわれている。ですが、勘違いしないでいただきたい」

 フランはゆっくりと顔を上げ、隊長の目を正面から見据えた。その瞳には、侮蔑すら超えた圧倒的な「事実」の重みがあった。

「私は鋼鉄卿閣下に敗れたのであって、貴方に負けたわけではない。現に、アイゼン要塞の戦いにおいて、私の知略に翻弄され、実際に敗北を喫して後退したのは……他ならぬ貴方の部隊ではありませんでしたか?」

「……っ!」

 隊長は息を呑み、言葉を詰まらせた。事実、フランが捕虜となったのは、全軍の撤退を支援するために自ら囮となり、鋼鉄卿自らが率いる本隊と対峙した結果だ。それまでの過程で、この場にいる指揮官たちは、フランの敷いた幾重もの罠に嵌まり、煮え湯を飲まされていた。

「貴方が今、誇らしげに語るその『規律』。それが私の策によってどれほど無残に食い破られたか、一番よく知っているのは貴方のはずだ。……勝者にのみ口を開く権利があるというのなら、少なくとも今の貴方は、私に対して沈黙を守るべきだ。それとも、敗北の記憶まで、その分厚い兜の中に忘れてきたのですか?」

「貴様……!」

 隊長は剣の柄を握りしめ、ワナワナと震えた。だが、フランの指摘はあまりに正鵠を射ていた。この捕虜を力でねじ伏せることはできても、知略の盤面で自分たちが一度「死んだ」という事実は消しようがない。


 フランは再び、興味を失ったように演習場へと視線を戻した。

「さて……次は第6大隊ですか。……ああ、やはり。予備兵力との連携が甘い。あれでは不測の事態が起きた際、組織的な対応ができず、ただの巨大な肉の塊と化す。閣下の理想とする『無敵の軍』には、まだほど遠い」

 フランは溜息をつき、手帳に「指揮系統の硬直化」と書き加えた。

「捕虜の私にダメ出しをされるのが癄に障るなら、少しはマシな動きを見せてください。私は、鋼鉄卿閣下が作り上げようとしているこの巨大な『暴力の結晶』が、いかにして完璧に至るのか、そのプロセスをこの目で見届けたいだけなのですから。……そのために、閣下は私を生かしている。そうは思いませんか?」

 隊長は屈辱に顔を歪めながらも、もはや言い返す言葉を持たず、ただ荒い呼吸を繰り返すしかなかった。


 フランは知らない。かつては自信の欠片もなかった弟ウルフが、まさに今、フランが指摘したような「帝国の規律の隙」を突き、軍神の牙城に一石を投じていることを。ましてや、顔も知らぬ義妹たちが、狂愛という名の執念でこの帝国の計算式を根底から狂わせようとしていることなど、彼の合理的な計算には含まれていない。

「……面白い。実によくできているが、故にまだ『不純物』が多いな」

 フランは、夕闇に包まれ始めた帝都を見つめ、静かに、そして鋭く笑った。


 救いも、期待も、希望もいらない。ただ、鋼鉄卿という唯一無二の理性が、いかにしてこの世界を塗り替える軍を作り上げるのか。その究極の解を、彼は誰よりも愉しく、冷徹に求め続けていた。

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