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メルクニア戦記  作者: 風花
第七章
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白銀のゆりかご

 アルザスの冬は、天が地上を拒絶するような厳しさを持っていた。吹き荒れる地吹雪が要塞の石壁を叩く音は、あたかも狂王ユヌベクスの執念が、この地の果てまで追いかけてきたかのようだった。

 しかし、その冷酷な防壁の内側には、王都アイギスが失って久しい、燃え上がるような「生命の熱量」が満ち溢れていた。



 要塞の最深部、暖炉の爆ぜる音に守られた大広間は、メルクニアの「頭脳」を育む聖域と化していた。かつて財務台帳を書き換え、一族の「過去」を紙束ごと焼き捨てた正妻セシルは、今、十一人もの孫や親族の子供たちを前に、静かに、しかし峻烈な教育を施していた。

「……シオン、アリア。そこ、騒がない。今は学びの時間です。ペンは剣よりも重く、言葉は盾よりも硬い。それを忘れてはなりません」

 セシルの左右を固めるのは、アイゼンの雪原に散った上位三兄の未亡人たち――ヒルダ、マーガレット、エレノアの三人である。彼女たちは、セシルに「去るか、ここで果てるか」という究極の問いを突きつけられ、絶望を脱ぎ捨ててアルザスに骨を埋める道を選んだ「盾」の継承者たちだ。

「シオン。この法典の記述が、なぜこれほどまでに曖昧なのか。その理由を答えなさい」

 セシルの問いに、八男マリスの長男である四歳のシオンが、父譲りの理知的な瞳で答える。

「……王が、自分の都合で解釈を変えられる『余白』を残すためです。法とは民を守る盾ではなく、王が民を縛るための鎖だからです」

 その早熟な解答に、長男カルムの未亡人ヒルダが満足げに頷く。かつて王都随一の才女と謳われた彼女は、五歳の長女カレンに帝国の地政学を説き、どの街にどの物資が集まるのかを叩き込んでいた。

 次男ライルの未亡人マーガレットは、四歳の次女アリアの横で、一族の記録官として日々の営みを緻密に書き留めている。そして、三男クリスの未亡人エレノアは、まだ幼い一歳の双子ミナとルナ、そして二歳のリリィを膝に乗せ、知の空気に触れさせながら、静かに絵本を読み聞かせていた。彼女たちの教える「知」は、いつかメルクニア家が復興した時、メルクニアを支えるための強力な「武力」となるものだった。



 一方、知の静寂とは対照的に、雪が吹き込む中庭に面した板間では、熱気あふれる声と木剣のぶつかる音が響いていた。

「腰が高い! ルディ、それでは雪に足を取られて終わりですよ! ガイウス、弟たちにメルクニアの歩法を見せてやりなさい!」

 鋭い檄を飛ばすのは、五男エルムと七男ガインという、一族きっての「荒くれ者」を産み育てたカリンである。かつて兵たちの逃走を鮮やかに指揮した彼女は、今や一族の「武」を次世代に叩き込む鬼師範となっていた。

「甘やかしてはいけません。エルムもガインも、この歳にはもっと泥を啜っていました。あの子たちが戦場で生き延びられたのは、甘えを捨てたからです」

 カリンは、少しでも動きが鈍れば容赦なく木剣の先で少年たちの足を打つ。六歳の長男ガイウスは、父ウルフの剛毅さをそのまま体現した重厚な太刀筋を見せ、五歳の次男ルディは、泥臭くも鋭い反撃を狙う。三歳の三男テオと二歳の四男ユーリは、自分たちの身の丈ほどもある木剣を必死に握りしめ、冷たい板の上で裸足になって、カリンの峻烈な指導を全身で浴びていた。

 カリンが教えているのは、ただの剣術ではない。圧倒的な逆境の中で「いかにして生き延び、敵の喉元を食い破るか」という生存の野性であった。



 正午を告げる鐘の音が響くと、張り詰めていた空気は一変し、要塞全体に温かいスープの香りが漂い始める。

「さあ、みんな。学びも鍛錬もここまで。お食事が待っていますよ」

 六男ウルフと八男マリスという、二人の英雄を育て上げたリーナが、柔和な笑みを湛えて大鍋の前に立つ。彼女の周りには、泥だらけの武闘派も、知恵を絞った知性派も、ひな鳥のように集まってきた。

 厨房では、第一王女イザベラが、先日産まれたばかりの五男ノアを背負い、手際よく薪を焚べていた。かつての「高貴なる飾り物」だった彼女は、今や一族の命を繋ぐ強固な基盤となっていた。彼女の横では、第二王女エレナが、マリスの娘である二歳のリリィを抱えながら、手分けしてスープを配っている。

 イザベラとエレナ――かつての王宮の華たちは、このアルザスの地で、自らの手でパンを焼き、赤子を育て、一族の血を明日へと繋ぐ「大地の母」へと変貌を遂げていた。



 セシルは、賑やかに食卓を囲む十一人の子供たちと、それを支える女性たちの姿を眺め、傍らのカリンに視線を送った。

「カリン、見てごらんなさい。王ユヌベクスは、我らをこの極寒の地に追放し、飢えと孤独でメルクニアという物語が途絶えるのを待っている。……ですが、ここにあるのは終わりではなく、かつてないほど力強い序章です」

「ええ、セシル様。あの子……フランが帝国の闇から送ってくる黄金も、レオナール殿下が王都で泥を啜って守った時間も、すべてはこの子たちの血肉となっています」

 十一人の子供たちの笑い声、木剣がぶつかる音、そして赤子の力強い産声。

 それは、王が望んだ「処刑」に対する、最も残酷で輝かしい反論であった。

 男たちが外で牙を研ぎ、レオナールが王都で毒を食らい、フランが帝国で運命を買い叩く。そのすべての献身が、この「白銀のゆりかご」という形になって結実していた。

「……さあ、レオナール殿下。舞台は整いました。十一人の未来は、もう誰にも奪わせはしません」

 セシルは、窓の外の南の空を見つめた。

 アルザスの冬はまだ続く。しかし、この要塞の炎が消えることは、二度とないのである。

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