朝食後――静かなる時間
広間での食事を終えると、エルヴィンは静かに立ち上がり、
リリアへ一礼を残して執務へと向かった。
仮面越しの視線が、ほんの僅かに長くリリアに留まった気がして、
彼女の胸の奥がふっと熱を帯びる。
「では、また後ほど」
それだけを言い残して、彼の黒衣が静かに遠ざかっていく。
リリアは、彼の背が見えなくなった後も、しばらく席を立てずにいた。
やがて、控えていたクラリーチェが丁寧に微笑む。
「リリア様、ご移動のお疲れもございますでしょう。
よろしければ、本日は館内をご案内いたしましょうか?」
「……え、本当ですか?
ありがとうございます。ぜひ……お願いしたいです」
リリアは微笑みを返し、クラリーチェのあとに続いてゆく。
豪奢ながらも、どこか静謐な空気を湛えた公爵邸――
長い回廊には肖像画が並び、差し込む朝の光がその額縁を鈍く照らす。
庭園が見える窓辺では、白いバラがひっそりと揺れていた。
リリアはふと、窓に近づき、その花に目を留める。
「……とても、静かで、本当に美しい館ですね。
まるで時が止まっているみたい」
「ええ。公爵様は静寂を好まれます。
けれど――リリア様が来られ、
少しだけ雰囲気が変わった気がいたします。
柔らかな、風が差し込んだような」
クラリーチェの言葉に、リリアは思わず笑みをこぼす。
「そんな風に、思ってくださったら良いな……」
彼の中に宿る何かを、自分が少しでも和らげられたのなら――
そんな思いが、胸の奥にそっと灯る。
この日、リリアは館の図書室を訪ね、詩集や物語を手に取り、
バルコニーでは、木々のざわめきや、小鳥のさえずりに耳を傾ける。
けれどどれも、どこか夢の中のように静かで――
ふと、彼のことを思い出すたび、胸の奥がほんのり温かくなった。