対面の翌朝
夜が明けきらぬ薄明のころ、重厚なカーテンの隙間から、淡い朝日が差し込んでいた。
静かな寝室。
しんとした空気の中に、どこか甘く澄んだ花の香りが漂っている。
「……リリア様、お目覚めでしょうか」
ノックの音と共に、扉の向こうから、クラリーチェの柔らかな声がかかる。
「……はい。今、起きます」
昨夜、彼女に支度されて眠りに就いた、豪奢なベッド。
天蓋にはレースが揺れ、窓の向こうには、青みがかった庭園の緑が輝いている。
リリアは緩やかに身を起こし、ふわりとカーテンを揺らす光に目を細めた。
――まるで夢の中みたい……。
*
着替えを手伝われながら、鏡越しにそっと訊ねる。
「公爵様は……もうお目覚めですか?」
クラリーチェは微笑を浮かべた。
「ええ。リリア様より少し早くお目覚めになり、今は庭を散歩していらっしゃいます」
「お庭を……」
「はい。朝食の席にて、お待ちしておりますとのことでした」
やがて支度を終え、扉を開ける。
その先に広がるのは、淡い光に包まれた朝の廊下。
吸い寄せられるように歩を進め、
リリアは館の奥にある、小さな朝食の間へと案内された。
*
朝食の間は、白を基調とした優美な空間だった。
磨き抜かれた銀器。
庭に面した窓からは朝日が差し込み、そこに在るすべてを柔らかく照らしている。
静寂の中に、香ばしいパンと紅茶の香りが漂ってくる。
その中央に、ひときわ静かな存在感を放つ男が座っていた。
「……おはようございます、公爵様」
リリアが静かに声をかけると、エルヴィンはゆっくりとこちらに顔を向けた。
琥珀色の瞳が、リリアを見つめる。
「……おはよう、リリア嬢」
彼はそう言って立ち上がり、リリアの椅子を引いた。
その仕草はどこまでも丁寧で、リリアは小さく礼をして、椅子に腰を下ろした。
「――昨夜はよく眠れたか?」
「はい。とても……。
あの……素敵なお部屋をありがとうございます」
「……喜んでもらえたようで良かった」
エルヴィンは小さく微笑んだ。
短いやりとりのあと、再び沈黙が訪れる。
窓の外で小鳥がさえずり、紅茶の湯気が淡く立ち昇る。
「……こちらの朝食を気に入ってもらえると良いのだが」
「……はい。
とても、美味しそうです」
焼きたての白パン、果実のコンポート、卵料理と温かなスープ。
飾り立てず、それでいて細やかな心配りを感じる品々に、リリアの心がほぐれていく。
「お庭、とても素敵ですね。……今朝、少し窓から見えたんです」
少しだけ緊張して話しかけると、彼の手元の紅茶が静かに揺れた。
「気に入ってもらえて良かった。
あの庭は……母が好きだった場所で、季節ごとに植え替えを」
「まあ……素敵なお母様だったのですね」
リリアの言葉に、公爵は一瞬だけ、視線を遠くへと向けた。
「……ああ。静かで、優しい人だった」
ふいに流れた沈黙を破ったのは、リリアのふとしたひとことだった。
「いつか……あのお庭を歩いても……良いでしょうか?」
その問いに、公爵は一瞬彼女を見つめ……静かに微笑んだ。
「……もしよければ、明日の朝、共に歩こう」
「……!」
頬に花が咲いたように、リリアの顔が明るくなった。
「はい。楽しみにしています」
侯爵の視線が、ほんの一瞬だけ揺れた。
朝の微光が、二人の間をやわらかく包み込んでいた。