帰る場所
リリアの動きは早かった。
必ず、夫――エルヴィンに降りかかった吸血鬼の呪いを終わらせる。
自分にできることを。
その一心が、彼女を突き動かしていた。
調べるべきことは多い。
知らなければならないことも、まだ数えきれないほどある。
それでも、立ち止まっている暇はなかった。
そして数日後。
リリアは父、アンドレアスの書斎に立っていた。
窓から差し込む午後の光が、古い机の上に静かな陰影を落としている。
「……ということで、お父様」
リリアは一度息を整え、父をまっすぐ見つめた。
「お母様について……詳しいお話をお伺いしたく、参りました」
アンドレアスは、しばらく何も言わなかった。
やがて、深く頷く。
「そうか……。
お前に、そのような力が……」
ゆっくりと頷き、椅子の背に身を預ける。
その声音には驚きと、どこか懐かしむような響きがあった。
「分かった。何でも聞きなさい、リリア。
……すべてを話すと誓おう」
それから二人は、長い時間をかけて語り合った。
森の民の国。
母のこと。
その一族に伝わる、癒しの力。
リリアは一言も聞き漏らすまいと、父の言葉を胸に刻んだ。
語り終えた頃には、窓の外はすっかり夕暮れに染まっていた。
アンドレアスは静かに立ち上がると、穏やかに娘を見つめる。
「今日は泊まっていきなさい、リリア」
「え……?」
「公爵閣下には、すでに許可をいただいている。セシリアも、お前に会いたがっていたしな」
「お父様……」
思いがけない言葉に、リリアの表情がふっと緩む。
そんな娘の表情に、アンドレアスは口角を上げた。
「それに、料理長が張り切っていたぞ。『リリア様のお好きなものを!』とな」
「まあっ!」
リリアの顔がぱっと明るくなる。
「では、あとで厨房にも顔を出しますね」
「そうしてやれ。あれも喜ぶだろう」
アンドレアスは小さく笑った。
そして、ふと扉へ視線を向ける。
「……ふふ。扉の外に、セシリアの気配がするな。
どうやら、待ちきれんらしい」
「え?」
リリアは振り向く。
セシリア。
たった一人の、優しい姉。
「ふふっ……嬉しい」
リリアは立ち上がり、父へ向き直る。
「では、失礼いたします、お父様」
「ああ。ゆっくりしていきなさい」
*
書斎の扉を開けると、果たしてそこには、今か今かと待ち構えていたセシリアがいた。
「リリア……っ!」
姿を見た途端、セシリアは駆け寄り、その身体をぎゅっと抱きしめる。
「お姉さま!」
「ねえ、今夜は一緒に過ごせるんですってね?」
セシリアは嬉しそうにリリアの手を握る。
「もう、聞きたいことも話したいことも、いっぱいあるの!
ずっと我慢していたんだから!」
明るく振る舞おうとしていることが、リリアには分かった。
きっと、心配していたのだ。
だからこそ、胸がいっぱいになる。
その気遣いがただ嬉しかった。
リリアは姉の手をそっと握り返した。
「ふふ……もう、お姉さまったら」
二人は連れ立って厨房へと向かう。
料理長をはじめ、使用人たちは皆、リリアの姿を見るなり顔をほころばせた。
「リリア様!」
「まあまあ、お帰りなさいませ!」
「お元気そうで何よりです、リリア様!」
懐かしい顔。
懐かしい匂い。
皆の一言が、胸に沁みた。
かつて当たり前だった温もりが、次々と胸へ押し寄せてくる。
リリアは何度も微笑みながら、丁寧に頭を下げた。
そして、最後に訪れたのは――かつての自室だった。
そっと扉を開ける。
「……う、そ……」
思わず、声がこぼれた。
そこには、リリアが公爵家へ嫁いだあの日のまま、何一つ変わらず整えられた部屋があった。
愛用していた本も、窓辺の小さな置物も。
まるで、いつ帰ってきてもいいのだと言うように。
背後から、セシリアの優しい声が届く。
「リリアは、いつまでも私の大事な妹だもの。
当然でしょう?」
リリアは振り返る。
セシリアは、少し照れたように微笑んでいた。
「リリアを客室へ、なんて考えられないんだから」
「お姉さま……」
「さあ!」
セシリアは涙の気配を隠すように明るい声を出し、リリアの手を引いた。
「入って入って。今夜はいっぱいお話しましょ!」
ぽふ、とソファーに腰を下ろす。
その隣を、セシリアがぽんぽんと叩いた。
「ほら、ここ。昔みたいに」
リリアは目を細めた。
そして、心から笑った。
「はい、お姉さま」
リリアはその隣へ腰を下ろす。
呪いのことも。
これから待っている戦いのことも。
今はまだ、胸の奥にしまっておこう。
今夜だけは――ただ、妹として。




