9 私の婚約者
翌日、体調もすっかり回復し、出された食事も美味しく食べることができた。
「お嬢様、すっかり良くなられましたね。今日は殿下がいらっしゃいますから、少し身なりを整えましょうか。」
リタに言われ、まずは湯あみをする。
上から下まで丁寧に洗ってもらい、温かい湯船に体を沈めると、体も気持ちもスッキリとした。
体を冷やさないように、ガウンを羽織る。
そして、鏡の前に座らされる。
長くて豊かな黒い髪、日本人ではないハッキリとした顔。
アイリスの世界に来て、リタと母親と一部の使用人の顔しか見ていないのでなんとも言えないが、おそらくアイリスは『絶世の美女』ではないのだろう。
母親のほうが、よほど美しく見える。
「お嬢様、お化粧はいかがなさいますか。」
「病み上がりにお化粧はないわ。そのままでいいと思うのだけど。」
「珍しいですね。殿下がいらっしゃる時には、いつも完璧に整えられていたのに。でも、素顔のお嬢様の方が美しいですから、よろしいかと。」
「リタは大げさね。私ね・・・少し疲れたの。お父様とお母様の期待に応えることも、殿下を想い続けることも。」
「お嬢様・・・」
王子殿下がどのような方であるか知らないが、知らない人を好きなわけがない。
不自然に思われないよう、静かに退場することを目指すことにした。
聖女様を殺めないために、まずは二人から距離をおこうと、昨夜寝ながら考えた。
「失礼します。第一王子殿下がお見えになられました。こちらにお通しいたします。」
執事と思われる男性がノックをし、ドアを開けて私に告げた。
本来なら客間でお相手するのだが、病み上がりのため、私の部屋に来ることになっていた。
私はベッドに入り、その時を待つ。
しばらくすると、護衛を伴い、その人がやって来た。
キラキラと輝くゴールドブロンドの髪に、紫の瞳をした王子様が部屋へと入って来る。
この人が、婚約者のエドウィン・アクオス第一王子殿下か。
その王子様を見た瞬間、体中から喜びの感情が湧いて来る。
ベッドから飛び降りて、抱きつきたい衝動を、必死に抑えるのに精一杯であった。
「アイリス嬢、体調を崩していたと聞いていましたが、もう大丈夫なのですか?」
婚約者だというのに、ずいぶんと距離感のある話し方だ。
それだけでも、彼の気持ちを汲み取ることができる。
それに、その呼び方・・・『アイリス』とか愛称でもない。
まだ家名で呼ばれないだけ、マシか。
「はい。殿下にはご心配をおかけしました。申し訳ございませんでした。」
まあ、心配なんてしてないでしょうけど。
「・・・殿下?」
エドウィン殿下が、訝し気な表情をされる。
しまった。
アイリスは馴れ馴れしく名前で呼んでいたのか。
「いえ、学園にも通うことですし、節度は保った方がいいのかと思いまして。」
「そういうことでしたか。いつもは名前で呼ばれるので驚きました。母上から伝言を預かっています。入学したら勉学優先となるため、卒業まで王妃教育はお休みだそうです。定期的に母上のお茶会には呼ぶそうですよ。」
エドウィン殿下はそう言うと、アルカイックスマイルを私に向けた。
これは、回復を喜んでいる笑顔ではないことくらいわかる。
感情のこもっていない笑顔、言葉・・・。
そして、また心臓がギュッと痛くなった。
父親と母親から声をかけられた時の比ではない。
ああ、アイリスも・・・わかっていたんだ、殿下の気持ちを。
あまりの痛さに、胸を押さえ、顔を歪める私。
その様子を見たエドウィン殿下は、
「これはいけない。まだ寝ていなくては。無理をさせてしまったようですね。それでは私は帰ります。来週、学園で会えるのを楽しみにしていますね。」
と言葉を残し、護衛と共に帰られた。
待って、行かないで、そばにいて!!
悲痛な叫びが頭の中に響く。
これが、アイリスの感情・・・カミサマが注意して、と言った、殿下に対する感情。
好き、大好き、私を見て、私を愛して、どこにもいかないで。
そんな思いが頭の中に流れ込んでくる。
殿下と会っただけでこれでは、他の女性と一緒にいるところを見たら、なにをするかわかったものではない。
聖女様に惹かれる殿下の表情を見たら、尚更だ。
二人と距離を置くよりも先に、アイリスの感情を抑える方法を考えないと。




