179話『friendship』
11月10日
今日は書けん! 休む!
宿を出発してから靖治たちは、マナとロイ・ブレイリーの先導で街を出て、木々に囲まれた荒れた道を歩いていた。
厚い雲のどんよりした重い空模様の下で、イリスはマナの後ろにピッタリと並んで少しも離れずについて行っていた。やはり急く気持ちはあるらしい。
そこにのほほんとした顔で靖治が小走りでイリスの隣へ出て、彼女に話しかける。
「ねえイリス、月読ちゃんってどんな女の子だったのかな?」
「月読さんのことですか? そうですね……」
靖治は純粋に、これから助けに行く少女が生前はどんな人だったのかと気になっていたのだ。
そのことを感じ取ったイリスは唇の下に指を当てて考え込み、過去のことを整理しながら話す。
「最初は怪我をした月読さんが私の勤務していた病院に来たんですよ。でもその怪我の理由は出かけた先で親御さん怒られたショックで、注意散漫になったところ足を滑らせたというもので、つまりはあまり家庭環境が良くなかったみたいなんです。両親が不和で喧嘩ばかりしていたので、娘だった月読さんは蔑ろにされがちだったようですね」
いつの世も不幸な子供というのはいる。安全圏として確立していた新東京でも、虐待やそれに近いことはあったらしい。
「内気で人見知りだけど寂しがり屋で、だからロボットに友達を求めたんだと思います。仲の良い誰かが欲しくて、それがたまたま私だったんでしょう。日々に不安を抱えた子供のために、私が友達役を任された、というわけなのです」
イリスが言うにはボール遊びをして遊んだりもしたし、ボードゲームの相手をしていたとのことだ。元々看護ロボットとして作られた昔の彼女は、心と体の健康のために遊びの機能もプログラムされていたらしい。
「月読さんは、私に色んなことを話してきました――」
この混沌とした世界に作られた新東京は、ドーム状の防壁に囲まれた狭い安全圏に従来の文明社会を保存して、未来へ受け継がせることを目的として設計されていた。
人々は天候や四季を再現された街で暮らし、学校で教育を受けながら成長し、自分の趣味を見つけ、選んだ仕事をそれなりに精一杯働いて、壁の内側で社会を構成して、最後には100歳前後で充実した一生を終える。管理コンピューター『イザナミ』によりその場が整えられ、人々は平和な生活を続けていた。
例え壁が開かれて外の世界と通じる時が来た時にも、庇護下から抜け出た人間たちが胸を張って生きていけるように、その意思を育て続けた。
そして人間に矜持を持たせるためにという名目で、人間とロボットとのあいだに明確な境界線が敷かれていた。
ロボットは人型のデザインは規制され、音声を付ける場合はいかにも機械的で平坦な声質に設定された。人工知能も人間の生活を支えて安心
を与えるために一定の水準は確保しつつも、より高度な思考能力は与えられなかった。
創作物などで人間と友達になれるロボットの思想も一応は残されていたが、それでも教育段階でロボットは人間の道具だということを教え込んでいた。
その裏側には新東京の最高責任者の苦心があった。彼女は機械に頼って生活せざるを得ない新東京内部で、コントロール不可能な『自我を持った機械』の存在を恐れ、それの発生要因となるものはできるだけ潰してきた。人間とロボットの区別をハッキリさせたのもその一環だ。
新東京の住民に『管理コンピューターやロボットは、自分たちを助けてくれるありがたい存在だが、あくまで道具だ』という意識を根付かせて、住人たちに心を持ったロボットの存在を否定させることで、自我の発生をわずかでも抑制しようとしたのだ。
人間がロボットを軽視して乱暴に扱うのではダメだ、反発から自我の発生を促してしまう。あくまでロボットの存在を認めて大切にしながらも、心を持たない”物”として扱わせなければならない。それはさながら、子供の夢を嘲笑って潰してしまう残酷な大人のように。
それらの試行も後年には水泡と化すのだが、それまでは人間とロボットはお互いのスタンスを侵さずに、それぞれの立ち位置を保持しながら安寧に暮らせていた。
だからかつてイリスが『看護ロボ』だった時にも、その体は卵に手足を付けた可愛らしくも人間とは遠いデザインで、胴体の液晶パネルに笑顔マークを映し出しながらも、会話能力はマスコットキャラの域を出ない程度のものだった。
しかしそれでも、そこに感情移入して人格を見出す者が出てくるのも人間ならば当然であったし、他人と自分の境界線が薄い子供であればなおさらだ。
天羽月読という女の子は特にそういう子供だった。家庭内の不和から現実世界から逃避しがちで、人間ではない存在に寂しさを埋めてもらいたがっていた。
両親を信じられないがために他人も信用できず、学校にも馴染めなていなかったため、放課後は中々家に帰らず病院に潜り込んでは、夕暮れまで看護ロボにじゃれついていた。
『ねえねえロボちゃん、今日ね給食にピーマンが出たの』
『ツクヨミさんは、ピーマンは苦手でしたネ!』
病院の中庭で、地面にしゃがみ込みながら話しかけてくる月読に、看護ロボットは合成された音声で、子供の話に受け答えしていた。
『うん! そうそう、よく覚えてたねロボちゃん。月読は食べれなくて残しちゃったんだけどね、先生に怒られないかってドキドキしちゃった。家じゃお残しするとお母さんがイライラしちゃうから』
『怒られなくテよかったデスね!』
『うん!』
看護ロボットが胴体にハメ込んだ液晶パネルに笑顔マークを浮かべながらそう言ってあげると、月読は嬉しそうに顔をほころばせた。これは看護ロボットに感情があるのでなく、先に入力されたプログラムから最適な返答を探しだしたに過ぎない。
黒髪を綺麗に伸ばした月読は普段から食欲不振で、同い年の子供より細い体をしていた。誰かと一緒だと元気がなかった彼女であったが、この看護ロボと二人きりでいる時だけは萎縮せずに元気な声を出すことができていた。
『ロボちゃんは将来の夢とかある?』
『ワタシのお仕事はこの病院で人間のミナサンにご奉仕するコトデス!』
『うん、だよねぇ。月読はね、保育士さんとかになりたいなぁ。それでね、月読みたいに悩んでる子がいたら、名前を呼んであげるの……』
月読は看護ロボットの背後に回ると、卵型のボディによじ登り、上からベッタリとくっつきながら液晶パネルを覗き込んだ。
『ロボちゃんのことも、名前で呼びたいなぁ……』
『ワタシに登録されている名前はココロシリーズデスよ!』
『だからココロかロボットって呼ばないと反応しないもんね。でも他と同じ名前なんて、ロボちゃんって呼ぶほうがマシ。他と同じ名前じゃなくて、あなただけの名前で呼びたい……』
月読が頬杖をついて残念そうな顔で溜息を漏らしている。
彼女の感情がネガティブに傾いているのは完治できていたが、看護ロボットにこの場面で彼女を元気づけられる言葉はプログラムされていなかった。
『管理者以外による名称の設定はできません、申し訳アリマセン』
『もう、ロボちゃんってば固いことばっかり。ロボットだから仕方ないんだけど、そういうプログラムだもんね……あーあ、月読じゃダメかぁ……』
月読だって9歳にもなればロボットの存在を頭で理解できてはいる。そういうものだから仕方ないという諦めもあった。
だがそれでも子供らしい無邪気な夢と希望が”もしかしたら”と願ってやまなかった。
もしかしたら、自分を怒らずに受け入れてくれるロボットたちの中から、本当の友達になってくれる誰かが現れるのではないかと、そんな絵空事を胸に抱いて。
『いつか、ロボちゃんのこと、ロボちゃんだけの名前で呼んでみたいなぁ……そうしたら月読とロボちゃんも、本当の友達になれるのに……』
そう言って、月読という少女はいつも寂しそうな顔を浮かべていたのだった。
かつていた看護ロボは、彼女の心の隙間を完全に埋めることはできなかった。
「――今思えば、悔しさでいっぱいですね。私は全然、彼女のための言葉をかけることができなかった」
道行きながらイリスが眉を垂れさせて、力のない声で感情を吐露した。
仕方ないといえばその通りだが、それだけで割り切れないのが後悔というものだ。
悔いを覚えて苦々しい顔をしているイリスから、話を聞いていた靖治もその無念の気持ちをわずかに感じ取る。
「そっか。今のイリスは、その子に話したいことがあるのかな」
「どうでしょうか。あると、思うのですが……考えても浮かばなくて……」
「もし話すことがあるなら、きっと会えば出てくるさ」
「……ありがとうございます。ならまずは会わなくちゃですね」
靖治の言葉で気を取り直せたイリスが、なんとか笑顔を作って前を向く。
「あの頃の私は、月読さんの期待に何も応えられることはできませんでした、何も助けられなかった。けど、今度は……」
イリスが拳を握り込む。白い長手袋の下からギュウッと音を立てながら眼光を強める。
「今度こそ、彼女の友達として、月読さんを手助けしたいです」
決意を秘め、イリスは迷うことなく一歩一歩を進み続けている。
そうこうしてるうちに、後ろを歩いていたアリサが丸底バッグをぷらぷら振り回しながら、面倒そうな声をあげてきた。
「ねえ、ところでさー、これどこ向かってんのよ? アカシとは全然違う方角じゃない」
この文句は先頭を行くマナとロイに向けられたものだ。二人は「ついてきて」と行ってから一言も喋らず歩いていて、行き先も教えてくれていない。
アリサのダルそうな声を聞いて、マナが笑いをこらえた意地悪そうな顔をひょこりとお振り向かせてニヤニヤ見つめてきた。
「明石まで歩いて連れて行くとでも思ってたのー? そんなわけないじゃなーい、プークスクス」
「こんのガキャ……っ。思ってないわよ、何やろうってのかくらい教えなさいよ! クライアント側として情報開示を請求する!」
「あはは、アリサってばこっちから依頼するのは珍しいから張り切ってるね」
上下関係を笠に着たアリサが指を突きつける様子を見て、靖治が朗らかに笑っている。
これでは中々話が進まない空気がしたので、ナハトが仕方なくため息をついて話に割って入った。
「ここは昨日の大猿のいた地下洞窟の近くですね。またあそこへ行くのですか?」
「いんや、使うものは同じだけど、今回は地下じゃなくて頂上。広い空間じゃないとやり辛いからね」
昨日、山の下に隠し洞窟の奥で瞑想を続けている大猿がいたが、一行は同じ山の麓まで来ていた。
それを聞いてイリスが何かに気がついて疑問符を上げる。
「あれ? でも岩おばさんの話では、山の上は凶暴なモンスターがウヨウヨじゃ……」
そうだ、マナの説明も併せたところによると、能力を持つ大猿の思念波により山にモンスターが集まってきているという話だった。
そのことに気付いた直後、周囲の茂みが激しく揺れ動いたかと思うと、その奥から殺気をまとったケダモノが数体まとめて飛び出してきた。
「うん、そういうわけだから守ってねぇ~」
「うぇぇぇえええええ!?」
現れたのは俊敏そうなトラ型の獣と、人間もたやすく丸呑みだろう大蛇と、二本足で飛び跳ねる枯れ木のようなモンスター。そのどれもが禍々しい殺気と凶器を突きつけてきていた。
暢気に言われてしまったイリスたちが目を丸くしながらも慌てて戦闘態勢へと移行し、三人が各々の武器を振るってこれを迎撃した。
「ダイナマイトメイドキーック!」
「アグニ!!」
「ネームロス!!!」
不吉に煌めく獣の牙を火を吹く蹴りが粉砕し、大蛇の大口を魔人の手が受け止めて力任せに引き裂き、枝先を槍のように突撃してきた樹を閃光のように振るわれた亡失剣が真っ二つに斬り捨てた。
あっという間に戦闘力を奪われ、力を失ったモンスターたちが地面に崩れ落ちるのを見ながら、マナとロイが愉快そうな声を上げる。
「実際に見るとイリスちゃんたちかっこいいねぇ~」
「ふぉっふぉっふぉ、やるもんじゃのうお主の仲間たちは」
「でしょでしょ? 自慢のパーティですよ」
「そこのエセ眼鏡野郎はともかく、あんたら二人も戦いなさいよ!? こちとらクライアントよクライアント!!!」
もう一行は危険のテリトリーに入ってしまったのだろう、いつもは互いに睨み合い牽制を繰り返しているモンスターたちが、この侵入者に向かって溜め込んだ敵意をぶつけてきた。
アリサが怒鳴っているあいだにも複数のモンスターが飛びかかってきていて、アリサの使役するアグニが延焼を気にした熱量で殴り飛ばして後ろを守る。
「ウチってばうららかでか弱い美少女だもん、戦闘は専門外~」
「わしもさびれた聖剣を後生大事にだきまくらにしてるだけの老人じゃぴよ、戦うなくて恐くてできんぴよ」
「ウソつけぇー! 力もないくせに、お前らみたいな自由人どもが旅なんてできるかぁー!!」
「あとじいじ、ひ弱な一般人のつもりかもだけどその語尾きもい」
「そんにゃ……!?」
どうあってもマナとロイの二人は戦う気はないらしい。
それを聞いていたイリスは、ひとりでに動く鎧のバケモノに拳を連打し、動けなくなるくらいボコボコに変形させて吹き飛ばす。
「何でも構いません、私たちは突き進むのみです! 靖治さん、お二人を連れて山の頂上へ!」
「了解。んじゃマナちゃん、ロイさん、パパっと上がっちゃいましょうか」
「おっけおっけ、れっつはいきんぐなのだー」
「いやー、山を登るのって毎回ワクワクするのぉー」
「あっ、それわかります」
イリスたちに守られながら、靖治はマナとロイと共に荒れた坂道を歩き、山の頂上を目指し始めた。




