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1000年後に、虹の瞳と旅をする。  作者: 電脳ドリル
七章dash【未来を向くは虹の瞳】
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176話『義憤嘲笑う死の霧』

「あれはモンスターじゃない……死にたがる声でいっぱいで……アレは…………アレは…………人の作った災厄だ……!!!」




 ――――かすれた声でド・レイが語っているのと同時刻。その魔獣の内部では戦っている者がいた。




 ◇ ◆ ◇




 山を崩し、海を凍てつかせて突き進む蜘蛛型魔獣の八つの瞳に映る光景は、内部に座す術者へと転送されていた。

 夜の始まりに、魔獣が旧香川県北部から瀬戸内海を渡ろうとしている時、生い茂る百果樹の姿を見て車椅子の老人――ラウル・クルーガーはグッタリと座りながらも鼻を鳴らした。


「ふむ、海を超えた先に、このように巨大な樹が実っているとはの。この世界は真に不可思議だな」


 通常の常識ではありえないほど巨大化した600メートルの大樹を見据え、ラウルは目を細め、愉しそうに口の端を吊り上げた。


「雄々しき実りだことだ、それをへし折った絶望のほどは芳しい美酒のごとく心地よいものだろうなぁ……」


 体は力なく椅子に腰掛けながら、顔に浮かぶのは邪悪さを隠そうともしない不気味な笑み。濁った水底から沸き上がる腐臭をかき集め、時間をかけて凝縮したような悪意の結晶がそこにあった。

 老人の昏い瞳には確かな憎悪があった、より多くの人の不幸を望んでいた、あらゆる安寧を徹底的に打ち砕こうとする真っ黒な意志に満ちていた。


 だが悪意を持って暴力を振りかざす者がいれば、それに抗おうとする者も現れるのは必然。

 つい先日も四国の土地を蹂躙した際には、そこに住まう者たちが一斉に砲火を浴びせながら攻め込んできて――ラウルはそのことごとくを撃破したが――そして今も、その首を狙うものはいた。


 老人が座す場所は、蜘蛛型魔獣後体部から生えている肉樹――これもまた材料のすべてが人間を含むなんらかの生物である――の根本に設えた広場の中央にいた。

 赤黒く脈打つ肉樹の内部は虚が吹き抜けになっていて、老人のいる場所から上方は暗い夜空が覗け星明かりまで垣間見える。


 その夜空に差す雲に紛れ、ふわりと煙のようなものが肉樹の中に舞い込んできた。

 傍目にはただの霞のようなそれからラウルはよからぬ予感を覚えてピクリと眉を動かし、標的に悟られたのを察した『彼』は体を擬態用の煙から元来の肉体へと変化させた。

 死してなお筋肉隆々の肉体を誇り、右手に対の突撃槍を携えた気迫ある老人。


「ラウル・クルーガーと言うそうだな! 老害よ覚悟ォーッ!!!」


 疾風のごとく襲い来る矛先から、狙われたラウルは表情を強めて魔力を循環して車椅子を駆動させると、前方へと跳ねるように飛び出て攻撃を避けた。

 硬質化された肉の床を砕く槍とその使い手を、車椅子を反転させたラウルが見据える。


「肉あるものではないな、霊体か。何者だ貴様……」


 忌々しそうに吐き捨てるラウルの前で仁王立つのは、かつてイリスとも戦ったことのある、あの男であった。


「我は元調停の騎士ロムル・エンタリティウス! 少女の声を聞き、ここに推参した!」


 その姿は威風堂々。かつてこの世界で目覚め、そして守護者に打ち倒され、今はしがない幽霊の身であるはずのロムルが、槍を片手に口上を謳い上げた。

 霊体でありながらその身体は生者と変わらぬほどに厚みがあり、鍛え抜かれた張りのある体は、死してなおもこの世界に確固たる影響力を持って君臨していた。

 覇気をみなぎらせ情熱と筋肉の裸体を誇示するロムルを見つめ、車椅子に腰掛けた無気力な風貌のラウルは眉を寄せた。


「少女……? まあいい。裸なのも大目に見よう」


 刺客の言葉に訝しむ様子を見せたラウルだが、あまり気に留めた様子もなく気怠そうに言葉を漏らす。


「また新手か。シコク、と言ったか。あの土地の蹂躙に乗り出してから、侵入者の大判振る舞いだな」

「吾輩、この土地の者ではないが、大義に燃える者である!」


 雄々しく吠え立つロムルは、槍を突き出して睨みを効かせる。だがラウルは意に介さずにため息をついた。


「大義か、実に虚しいものだな。そのようなものは一部の不幸な人間を礎として塗り固めた上にある幻に過ぎん。その先にあるものは成果と対極の腐敗、衰退。悠久の時の向こうには、何も残らんではないか」

「そのようなことを言う資格が貴様にあるものか! 先のシコクという地の惨状を吾輩は見たぞ!!」


 槍を手にしたまま、ロムルが怒気をみなぎらせて怒鳴りつける。


「文字通り皆殺しではないか!! 人も、動物も、モンスターでさえ、ありとあらゆる生物を殺し尽くしていた。小さな集落ですら残さず押し潰し、逃げ惑う親子を追い詰め、赤子までも手にかけていた!!! それなのに、貴様まだ殺そうというのか……!!」

「一つ、勘違いを正しておこうか。ワタシはただの一人も殺しておらんよ、逃亡の末に自殺してしまったやつはいたろうがな」


 正義の怒声を受けて、ラウルは退屈そうに訂正をすると、ニイッと表情を歪ませる。


「殺しては、もったいないではないか。命はみな死への献上品だ、丁重にもてなして恐怖を感じさせたあと、我が術式を構成する一要素として共に絶望を謳い上げて貰わねばならんからなあ」

「……邪悪だな、救われん」


 もはや話し合いの余地なしを解釈し、騎士ロムル・エンタリティウスは槍を構える。

 死してなお衰えぬ意思により霊体が力を発揮し、青いフルプレートの鎧をまたたくまに形成する。


「貴様のような害獣は今ここで叩く! 巨悪よここで潰えよ!!」


 気迫が槍先に赤き電撃を灯し、大砲のごとき轟音とともに撃ち出した。

 大気を割りながら突き進む轟雷が車椅子の老人を一瞬にして飲み込み、周囲が粉塵に包まれた。

 確かな手応えがあった、だがロムルは気が抜けなかった。さっきからある足元から体を這いずってくるようなおぞましさが消えぬ。


「――なるほど、死してなおその力とは、凄まじい存在の強度だ。生前はさぞかし名のある勇士だったのであろうな」


 白煙の奥からラウルが変わらぬ姿で現れた。軋む車輪を回して、無傷のまま車椅子を進ませて来る。


「惜しい……惜しいな……生者であったならば、よき嘆きとなったろうに」


 昏い瞳は、珍客である騎士のことを見下していた。騎士ロムルのことを一人の人間としてでなく、部屋の隅に積もる埃の程度しか認識していない眼であった。


「すでに死した者など不要。そのくだらない正義心ごと疾く擦り潰れろ」

「くっ……! まだまだぁ!!!」


 それから騎士ロムルからの雷撃が数度に渡って木霊したが、とうとう騎士は攻めきれず霊魂の状態で夜空へと飛び上がった。

 尾を引いて飛び去っていく霊体を眺めながら、ラウルは車椅子に背を預け、重々しく声を漏らす。


「逃げた、か……霊体に対するプロテクトを強化する必要があるな。しかしまあいい、アレもいずれ追い詰めてやろうぞ」


 こうして小競り合いをしていた間にも、足元の魔獣は進撃を続け、海を渡りきったところだった。

 百果樹へと狙いをつける魔獣の視線と同調しながら、ラウルがもどかしそうに唸る。


「いくつもの海を超え、術式の惹かれるままに歩いてきたが、まだか死の因子……この世界にはいないのか……いや、きっといるはずだ」


 この老人は探し求めていた。多くの命を踏み台にしながら、さらなる惨劇を求めていた。


「死の因子を見つけた時、我が城は完成へと至る。そしていつの日か、すべての生者を結集し死の門を広げようぞ……ふっ……くく……くはははははははははは……」


 いつか来るその時を夢想し、呪いめいた笑い声が虚しく響いていたのだった。




 蜘蛛型魔獣術式が百果樹へと踏み出したのを上空から眺めながら、敗走した騎士ロムルは霊力の青鎧をほどいて悔しそうに歯噛みした。


「ぐむぅ……助けを求める声を察知していち早く駆け付けてみたものの、吾輩の手に余るであるな」


 生前であればこの程度の悪党など一撃のもと粉砕せしめたであろう騎士ロムルだが、すでに守護者に打ち倒された身。今の彼ではこの災厄を止めることはできそうにはなかった。

 後にできることと言えば、これを討伐できる勇者を探すことくらいか。


「とは言え、この世界に覚醒して間もない吾輩ではツテがほとんどない……仕方ない、あの若人たちに頼ってみるか」


 かつて巡り合った少年少女を思い出し、騎士ロムルは彼らに賭けてみることにした。

 霞のごとく世界に溶けて縁を手繰り寄せながら、あの肉樹の中に囚われた別のとある幽霊のことを考えた。


「待っておれよ、助け請う少女……ツクヨミと言ったか」

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